1988/03/30

戻るホーム主張目次会議録目次


112 衆議院・文教委員会

 江田議員は衆議院文教委員会に所属。毎日のように開会される社会党・護憲共同の文教部会と、文部官僚を呼んでのレクチャー、そして文教委員会。政界再編の仕事もさることながら、文教委員としても大活躍の江田議員。
 今国会の焦点である文部省提案の臨教審答申に基く六法案に村して、市民サイドに立っての大論戦や国側の対応を鋭く追及する質問――。

(1)高知学芸高校の修学旅行上海列車事故に対する政治側の補償問題の基本姿勢。
(2)「校則」の見直し。
(3)教科書記述にみられる少数民族への取り扱い。
(4)台湾出身中学生の教師殺人事件にみられる教育の問題など――。


○江田委員 大臣の所信に対して質疑を行います。
 臨教審が最終答申までお出しになって、大臣は、所信の冒頭で、この答申を受けて教育改革をやっていかなければならぬということをお述べになって、あとその教育改革の中身についていろいろとお話しくださっておりますが、臨教審の答申の有無にかかわらず、今教育は大変な問題を抱えているわけで、過去に積み重なったいろいろなマイナスの問題、これから日本が迎える事態に対する積極的な問題、いろいろあるかと思いますが、その中で国際化ということがあります。大臣の所信の中にも随所に出てまいります。この委員会でも、前回も日本における外国語教育の問題について議論がなされました。きょうもまた外国人に対する日本語の教育とか留学生の問題とかございましたが、確かに国際化の時代で、修学旅行まで外国へ行くという時代になってまいりました。

 ところが、その修学旅行で大変悲しい事故がつい先日起こったわけです。二十四日午後二時四十五分、高知市の私立高知学芸高校の修学旅行の一行を乗せた急行列車が中国の上海郊外で衝突事故、そして高校一年生二十六人と教師一人がなくなるという痛ましい事故になりましたね。私も高校一年の息子がおりまして、本当にこれは人ごとではないのですが、大臣も、心をお痛めになって、直ちに高知へ出向かれて皆さんをお見舞いくださったというような報道にも接したわけですが、なお今八人ですか、重体が三人、重傷が五人上海の病院にいる。大変に私どもも心配をし、心を痛め、重体の皆さんが早く帰ってこれるようにということを願っておるわけですが、ひとつ大臣の感想といいますか、この事件について一体どういうことをお感じかということをまず伺っておきます。

○中島国務大臣 今回の高知学芸高校の事故につきましては、突発的な事故でございますし、また、大変不幸な悲しむべき事故だというふうに思いました。
 二十四日の事故の第一報が入りまして、直ちに文部省としては関係省庁に連絡をとりまして、その対策の御協力を得ることができました。翌日ちょうど閣議がございましたものですから、閣議でも各閣僚にお願いを申し上げまして御協力方をお願いし、また総理からも、特に文部、外務、運輸三省は連絡を密にしてこの事後対策に当たるようにということがございまして、文部省からも審議官を一人上海にすぐに送りました。また企画官等二名を高知学芸高校に送りまして、学校を中継といたしました御家族、御遺族の皆様の御要望、それから現地の状況、それと政府の対応、この三位が一体となりまして対策を講じられますように整えた次第でございます。

 しかし、今おっしゃいますように二十七名の方が貴重なとうとい命を損なわれまして、心から御冥福をお祈りを申し上げますと同時に、まだ八名の重体を含む負傷者、それから付き添い一名の教師を含めて九名が現地に残っております。負傷された方々の御全快の一日も早いことを心からお祈りを申し上げ、これからまだ事後処理が多々残っておりますので、この事件を悼みつつ、その事後処理に万全を期してまいりたい、このように考えております。

○江田委員 まず、今中国でなお治療を受けている皆さんの医療のことについてちょっとだけ伺っておきたいのですが、私は決して中国の医療が水準が劣っているとかそういうことを言うつもりは毛頭ありません。中国の医療、日本の医療、どこどこの医療、それぞれにいろいろな特色があると思います。しかし、やはり被害に遭った生徒さんやあるいはその御家族の方々という立場に立ってみれば、よその国の医療よりも自分の国の医療を受けたいなという気持ちが起こってくるのもこれまたやむを得ないことだろうと思うのですね。

 そこで、医薬品などは大分血液とかをお送りくださっているようだし、また東大の医師ですか、派遣をされているということも漏れ承っておりますが、日本型の医療というものがどの程度上海において行われているのか、その可能性があるのかといったことをちょっと説明していただきたいのです。

○西崎政府委員 御指摘の点につきましては、中国側の医療体制も全力を挙げて行われておるということは審議官等の帰国報告で私ども承知しておりますが、それに加えましていろいろ要望もございまして、今先生のお話にございましたように東大の医師等三名が現地に参りました。それから、中国に在住しておる日本人医師が北京等からも上海に参加するというふうな形で、日本人医師が五名程度上海のそれぞれの治療に当たっているという実態でございまして、日本人患者でございますから言葉等の問題もございますので、そういう点で中国側の全面的な治療体制に加えて日本人医師の治療もあわせて行われておるというふうに私どもは承知しておるわけでございます。

○江田委員 日本人の医師も実際に治療行為に当たっておるわけですか。

○西崎政府委員 実際の治療の具体の詳細については私どもも十分把握いたしておりませんけれども、中国側の医療体制がもちろん主ではございましょうが、日本人医師がいろいろな形で万全の措置として参加しておるというふうに私どもは承知しておるわけでございます。

○江田委員 これは、治療行為というのはなかなか難しい点があって、それぞれの主権の関係もあるでしょうからわきまえておかなければならぬこともたくさんあると思います。同時に、治療というのは単なる医術を超えた人間的な接触の問題、包括的なことですから、中国人の医療体制によって補えない日本人ならではという部分がどうしたって残ってくるので、その点でぜひ万全の措置をしていただきたいと思うのです。

 そこで、重体のお子さんが三人おられると聞いておるのですが、どういうことになっておりますか。

○西崎政府委員 現時点で私どもが把握しております状況は、先生御指摘のとおり八名の生徒がまだ帰国しておらないわけでございます。生徒の今後の状況といたしましては、三十一日、明日でございますが三人が帰国できるのではないか。それから一日に二人、二日に三人が帰国できるというふうな状況を聞いておるわけでございます。したがいまして、四月二日の時点では八名全員が帰国できる、こういう状況でございますので、状況はさして深刻なものではない、帰国できる程度になっておるというふうに把握しております。

○江田委員 ちょっと一安心というところですね。帰ってからももちろん治療に全力を挙げていただきたいと思います。

 ところで、この外国へ修学旅行に出かけるということ自体について、これも文部省の方でどういうお考えでいらっしゃるかということを伺いたいと思います。

 たしかことしの一月十六日ですか、局長通知をお出しになって、外国への修学旅行の留意点というものをお挙げになられた、そういう形で、外国への修学旅行というものを積極的に認めてこれを推進するという立場に立たれた、こういうように理解をしていいのかと思いますが、そのあたりについて今の文部省の考え方を伺わせてください。

○西崎政府委員 修学旅行、特に海外修学旅行に対する文部省のスタンスでございますが、先生も御指摘になりましたように、ことしの一月の半ばに全国の指導事務の主管課長会議を行いました。その際に私どもがいろいろ協議いたしましたことは、従来の昭和四十三年以来の修学旅行の指導に関しましては、海外への修学旅行並びに航空機の利用ということは積極、消極、触れられていなかったという経緯がございます。しかし、昭和四十三年以来今日までの状況において、九州、四国、中国等の県においては、県の考え方としてだんだんと中国、韓国等へ派遣されるというケースも生じてまいりまして、全国的な共通理解ということが必要になってまいったわけでございます。

 そこで、この一月段階における指導事務の主管課長会議におきましては、私どもは課長会議での指導の資料というものを配って、そして共通理解を深めたわけでございますが、その指導の内容としては、海外への修学旅行を実施する場合には、実施のねらいとか教育的意義を明確にする必要がある、これが一点でございます。それからさらに、生徒の健康管理や安全の確保、交通機関、所要経費等について十分配慮すること、及びこれらについて保護者の理解を得ることなどに留意しなければならない。こういうふうな点を掲げまして全国の共通の理解とし、今後に対処しようというふうな経緯があったわけでございます。

○江田委員 ねらいを明確にして、さらに安全とか健康とか経費の点とかについて十分な配慮をし、保護者の理解を得るとか、これは別に国内だって同じことで、特別に外国だからということではない。しかし、この機会に改めてそういうことを通知されたというのはやはり必要なことだったと私も思います。

 さて、この国際化の時代に、外国へ若いときに、まだ頭の構造もやわらかい、いろいろな感受性も非常にすぐれている、そういう時期に行くというのは大変に意味があることである。もちろん経費の点とか安全の点とか、そういうことは十分に配慮の上に配慮をしてということでしょうが、外国への修学旅行に今回のような事故がゆめ抑制的効果を持つようなことがあってはならぬ、国際化時代ですから。こう思いますが、文部省は今回の事故で何か新たに通達を出すようなこともちょっと伺いましたが、まず大臣、この事故が修学旅行に対して抑制的になってはいかぬという私の心配について、どういうお考えであるかを伺います。

○中島国務大臣 今回の事故は重ね重ね不幸なことでございましたが、しかし一方、修学旅行並びに海外に対する修学旅行を含めて、先生おっしゃいますように、若い時期に自分の国の文化も知り、同時に、他国へ出てそこの新しい知識を吸収し、その地域の体得をみずから身をもってする、これは有意義なことでございまして、今後ともその考えは続けていくべきであって、この事故の対策、それから修学旅行の有意義であるということとは、それぞれの面で進めていくべきものでございます。したがって、これから通知を出そうと思っておりますけれども、修学旅行あるいは海外修学旅行の意義を認めつつ、さらに今局長が申しましたように計画性、旅行の計画の上で、健康並びに安全性を含めまして、また費用も含めまして御父兄の方々の合意を得て、その点の確認をさらに一層深めていただくという意味の通知を出したい、このように思っておるところでございます。

○江田委員 その通知ですが、いつごろどういう形でお出しになるのですか。

○西崎政府委員 内容は大臣から申し上げたとおりでございますが、明日付で各都道府県教育委員会、そして各都道府県知事、各国立大学長あてに出したい、こういうふうに考えておる次第でございます。

○江田委員 私は、この事故は本当に不幸な事故だったと思いますが、この事故が日中間の関係に影を落とすようなことがあっては不幸がますます不幸になってしまうので、そういうことは絶対に避けなければいけないと思うのですね。今回の事故後の中国の皆さんの対応なども大変に心のこもった対応をしてくれておるというような報道にも接してほっとしておるのですが、こうした日中間の関係について、これをひとつ乗り越えてさらにいい関係をつくっていかなければならぬと思いますが、大臣の御所見あるいはこういうことをしたというようなことがございましたら、伺いたいと思います。

○中島国務大臣 私の考えは三つございまして、今回の事故は不幸なことであった、しかし事後対策に大変力を入れていただきまして、医療の面、輸送の面その他、中国側の対策につきましては虚心に感謝を申し上げる、同時に、この事故の事後対策につきましてはいろいろな御要望も出てまいりましょうから、それに対して早急に対処方をお願いいたしまして、お願いをいたしましてというのは私の気持ちでございますが、そして最後に、今後日中の友好関係がさらに深まりますように、あるいは人の交流も、向こうからも留学生がお入りになるでしょうし、こちらからも伺うことになるでしょう、あるいは教育、文化、学術の点でますます交流が深まり、それによって日中の交流が深まりますように私もそう思っておりますし、先日高知へ私が参りましたときに、在日中国大使章曙大使がやはり哀悼とお見舞いの意味を持ちまして高知に入られておりまして、たまたま高知空港で御一緒になりましたときに、以上四点のことを私からもお伝えした次第でございます。

○江田委員 章曙大使はどういうお答えでしたか。

○中島国務大臣 章曙大使も、まずこの事故に対して心からの哀悼の言葉を言われまして、そして、自分たちは御遺族の方々、御家族の方々と全く同じ気持ちで悲しんでおります、今後対策に万全を期しますと同時に――学校の校長さんとお会いになったようでございますので、地元の御要望もお受けをいたしました、この点については本国へすぐに連絡をいたします、同時に今後日中の間の友好が深まることを望みます、そういう趣旨の言葉を言われておりました。

○江田委員 この事故の原因はこれからまだいろいろ究明をされることだと思いますし、今ここでいろいろ言ってみても始まらないかと思いますが、こういうような、どこの鉄道でどういうふうに乗りかえて、どこのホテルでどう泊まってといったことは、幾ら学校関係者の皆さんが頑張ってもやはり専門の旅行業者にはなかなかかなわないわけで、どうしても旅行業者に頼り切ることになるかと思うのですが、その場合に、やはり本件の旅行業者に不満があるとかということではなくて、この大切な子供たちを預かって旅程を組み、その付き添いをしたりする旅行業者の指導監督ということに落ち度があってはならぬと思うのですが、修学旅行一般につきまして、そうした旅行業者に対する指導や監督の体制というのは一体どういうことになっておるのかを伺います。

○西崎政府委員 この点は二点あるわけでございますが、一つは、運輸省の方でも旅行業者の監督的立場で本件事故の発生にかんがみまして近く、近々のうちでありますけれども、旅行業者を招集いたしましていろいろと協議をしたいというふうな考え方があるようでございます。

 私どもの立場で考えますと、修学旅行につきまして、特に海外の場合、学校が主体的に計画を立てるということはもちろん当然でございますが、やはり旅行業者のいろいろなノーハウに頼るということは当然必要になってまいりますので、私どもの立場でやはり、大手の旅行業者その他、近い機会に、これらを含めていろいろな問題点ございますので、修学旅行のあり方等について我々の姿勢を示し、旅行業者の協力関係につきまして、今後の問題等を相互にいろいろ協議する機会を持ちたいというふうな考えを持っておりますので、関係運輸省等との相談も進めながら対処をしてまいりたい、こういうふうに考えております。

○江田委員 補償の点を伺います。
 まだ補償交渉なんという段階ではありませんので、細かなこの事件についての補償ということは余りお述べになるべきでない時期かもしれませんが、これまでの経緯についてあらまし、もしありましたら御報告をいただきたいと思います。

○西崎政府委員 この点につきましては、外務政務次官が中国へいらっしゃいましてそして帰国され、外務大臣も閣議等で発言をされておるわけでありますが、やはり中国との関係におきましては、原則遺族と中国との関係というのが一つの原則ではあるが、しかし政府としても、その一つの原則に対して、補償問題は外国のことでもあるので全面的に協力していきたいというふうなことを述べておられるわけでございます。ただ、現地遺族の関係者の方々は、まだ生徒全員がお帰りになっている時期でもないし、この点についてもいろいろな御相談もあろうかとは思いますけれども、具体につきましてはやはり学校関係者、それから所轄庁である知事部局等で、この問題について今後どう対処しようかというふうなことでのいろいろな御相談なり、そういう点についてのあれが進んでいるようではございますが、まだ具体のお話として私どもが承知する段階には至っていない、これが現状でございます。

○江田委員 その補償の点で、今伺った限りでは、加害者といいますか事故の原因となった側、中国側と被害者側との、片っ方は損害を受けた、その原因者がその損害を補てんする、そういう関係について、これをスムーズに進めるために外交交渉などで援助、応援をしていく、そういうことかと思うのですが、しかし、私はそれでは済まないのじゃないかという気がしてならないのですね。この損害賠償法理は、日本法によって準拠法というのが決まってくる。それは日本の法例によるのですね。その法例は、損害賠償は不法行為地の法律を準拠法とすると決めているのですから、結局中国法に従って賠償ということになるのだろうと思うのですけれども、各国それぞれに損害賠償についてもいろいろな考え方があるわけで、損害賠償というものについての法理あるいは損害賠償というものの常識、慣行、こういうものが国によっていろいろ違いますね。中国で精いっぱい努力をしていただいて、中国の皆さんはこの場合はこういう賠償だ、精いっぱいだというものが出ても、それが日本に帰ってきてみればそれで満足できるものになるとは到底考えられない、日本と中国とではそういう損害賠償法理や損害賠償環境が全く違いますからね。そこで、そうしたギャップが後々日中間の関係に悪影響を及ぼすということになりかねない問題だという気がして仕方がないのですね。

 そこで、本件についてどうしようということと今後こうしたらいいんじゃないかということと、これは両面あると思うのですが、本件についてそのような日中間の賠償法理のギャップをどうやって埋めるのかという問題をどうお考えでしょうか。

○西崎政府委員 まさに先生御指摘のとおり、まずは損害賠償の問題は中国法制の問題が先決でございまして、聞きますところでは、外務省は直ちに現地の大使館、領事館等に連絡をとり、中国の法制における損害賠償その他の取り扱いを至急調査研究を進めるようにというふうな指示が出されているというふうに伺っておるわけでございます。したがいまして、日本とそれから中国との経済水準と申しますか、いろいろなギャップというものがあることによりまして、いろいろ先生おっしゃるような問題が出てくるということもあり得るわけでございますが、まずは法制度の検討というところから始めようというのが現段階でございますので、もう少し時間をかしていただきませんと、そのギャップの問題点にまでまだ立ち至っていないというのが現状でございます。

○江田委員 まだ検討の全く初めの段階というわけですが、しかし、外国への修学旅行というものがもう随分前からかなり盛んに行われてきているわけで、こういう大事故はこれは大変なことですが、小さな事故の場合にはそれはもっとあり得る話ですね、交通事故もあるかもしらぬし。そこで、こういう問題は泥縄じゃなくて、申しわけないけれども、早手早手にこうしたこともきちんと考えておかなきゃならなかったんじゃないかと、今になってみれば思われるわけですね。私は、損害賠償ということになりますとどうしても、こういう言い方がいいか悪いかわかりませんが、発展途上国の国々の損害賠償水準というものは、先進国の損害賠償水準と比べると相当に不満足なものになってしまっておるということは否めないと思うのですね。しかし、だからといって、あっちの方の国へ行ったら何かのときに賠償なんかないからというので、全部先進国にばかり修学旅行というのもまたおかしな話だし、第一に経費の点などを考えてみても、いや、経費がどうというのではなくて、日本のこれからを考えればやはり韓国であるとか中国であるとか東南アジアの国々へ若いときに出ていくというのが非常に大切なことで、そういう損害賠償額なんということが東南アジアに修学旅行に出ていくことのつまずきのもとになってしまってはこれはいけないわけでありまして、そこで何かいい制度はないかと思うのですね。列車事故ということだけでとらえてみれば、それは加害者と被害者の関係、不法行為の関係ということですけれども、しかしこれは修学旅行の最中のことで、修学旅行というのはもちろん指導要領にも根拠を置く学校行事ですね、学校行事というのはこれは国家百年の大計、国家やあるいはお互い共同社会の長い長い将来のために行われている人間の営みなんで、そういう営みの中で起きた不幸な事件ですから、これはみんなでその補償というものを十分に行っていく、その損害をみんなでひとつ負担をしていくという国内のそういう制度をつくった方がいいんじゃないだろうか。

 そこでひとつ、そういう制度の可能性について大臣はどんなふうにお考えになるか、伺います。

○西崎政府委員 私から、若干技術的なところがございますので申し上げますが、先生御案内のとおり、学校の管理下における災害につきましては日本体育・学校健康センターで災害の給付が行われておりまして、修学旅行もその学校管理下であることには間違いないわけでございますので、従来からこの点に関しましての災害の対処ということは行われておるわけでございます。しかし問題は、やはり大きな事故、そして特に海外という場合に、災害共済給付の水準の問題でございますとかいろいろ問題点は出てこようかとは思うわけでございますが、現在の姿としてはカバーは一応されておるということは申し上げられようかと思います。

○江田委員 カバーされておると言われるんですけれども、日本体育・学校健康センター法に基づく特殊法人学校安全会による給付、これは死亡の場合は死亡見舞金一千四百万ですね。これでカバーということになるのかどうか。やはり学校安全会という制度をもっと拡充をして、それが海外の修学旅行であっても、学校教育の際の事故の場合は心配がない、そしてそういうものがきちっと補償はやって、あとは原因者との求償関係はその安全会がきちっとやっていくという、そういう制度をつくったって少しもおかしくない、日本はもう世界一、二という経済大国なんですから、そのくらいのものをつくっても決して恥ずかしくないし、罰は当たらない、むしろそんなものがない方が恥ずかしいんじゃないかという気が私はするのです。

 学校安全会は、今いろいろな問題をまだ抱えておるんですね。中学校あたりで事故に遭って後遺症を負うと、障害年金というのは成人になってからでなければ始まらない、その間のつなぎは何の年金もない状態でやっていかなければならぬとか、あるいは死亡の場合は年金というものはありませんが、障害の場合だって一時金で終わってしまっているとか、そういう問題をひとつこの機会に十分検討し直して、すばらしい学校安全の制度にしたらどうかと思いますが、先ほどのことと含めて余り技術的なことでなくて、大臣のお考えを伺います。

○中島国務大臣 これは大事なことで、避けて通れない問題だと思います。
 一つは、今起きました事故につきましては哀悼の気持ちが先に立っておりまして、ただ、これからのことを考えますと、先ほどのように海外修学旅行の有意義さを今後も続けますと、いろいろな国情の国に出かけられて体験を深められるということになってまいりますと、我が国を含めましてそれぞれの保険制度の充実の差、あるいは成熟度にいろいろな差がございましょうから、その点も勉強しつつ、そして知恵を出し合って、保険制度が発達した国あるいは未発達と言っては失礼かもしれませんが、まだそれほど充実してない国その他を含めて、我が国の保険制度その他でどう対応できるか、少し集中的に勉強することかと思います。

○江田委員 それぞれの国のことだけでは足りないところがあるので、どんなに保険制度がきちんとしておっても足りない点があるので、やはりこういう教育活動の中で起こってくる不測の事態に対する対処というのは、我が国の中できちんとしておかなければならぬと思うのです。これを機会に、学校安全会の保障の制度なり額なりについて抜本的な改革がなされることを期待をいたします。

 そこで、そういう場合にともすれば庶民の感覚としてどうも納得できないなというのが遡及の問題です。こういう事故が起きて新たなものができた、しかしそれは将来のことであって、その検討のきっかけとなった事故については何もないというようなことがよく起こるわけですが、法理論を四角四面にやっていきますとそれもしようがないということになるかもしれませんけれども、しかし、我が国もここまでの経済力になって、戦後処理の問題でシベリアのこととか台湾のこととかいろいろやったわけですね。学校安全会が昭和三十五年にできて、しかし、そのちょっと前に学校で事故に遭った、そういう友達が私にもおりますが、そういう人たちは、自分たちがきっかけになって学校安全会という制度ができたのに、わずか半年、一年前の事故には世の中は知らぬ顔だというので、非常につらい思いをしておるのですが、そういう保障制度の遡及適用について今どういうお考えであるか、伺わせてください。

○國分政府委員 災害共済給付制度ができました以前の事故につきましては、災害に遭われました方や御父兄のことを考えますとまことに忍びがたいものがあるわけでございますが、先生自身も御指摘のとおりこの制度が加入者の掛金による互助共済制度でございますので、やはりそういう点から遡及するというのはなかなか難しいことではないだろうか、心情的には十分理解できますが、法律的にはなかなか難しいことではないだろうか、こんなふうに考えております。

○江田委員 世の中、法律だけで動くわけじゃないので、心情というのも政治の大切な要素ですから、ひとつ大臣、これはぜひ考えてほしいと思うのです。

 この点について、同僚の佐藤徳雄議員から関連質問をいたしますので、お許し願いたいと思います。

○中村委員長 関連質疑の申し出がありますので、これを許します。佐藤徳雄君。

○佐藤(徳)委員 まことに恐縮でありますが、一、二の点について関連質問をさせていただきます。
 まさに江田委員が冒頭申し上げられましたように、非常に大きな夢を持って行かれたのにもかかわらず、あのような大事故に生従たちが遭って、まさに痛ましい限りと、私もこう思っているわけであります。
 そこで、具体的にちょっとお伺いをいたしますが、高知の学芸高校の生従たちが学校安全会に加入をしていらっしゃいますか、いらっしゃいませんか。

○國分政府委員 高知学芸高校と日本体育・学校健康センターとの間には契約はできております。

○佐藤(徳)委員 今の時点でお金の問題に触れるのはいささかどうかとは思うのでありますが、先ほど江田委員の質問にありましたように、例えば死亡をされた生徒の場合は最高給付はどのぐらいになるのでしょうか。

○國分政府委員 千四百万円支給されることになっております。

○佐藤(徳)委員 現行規定の中では、修学旅行あるいはその他の場合は国内の場合について想定されるわけでありますが、国外の場合についてはほぼ修学旅行あるいは特別な生徒でない限り、例えば海外遠征であるとかそういうことが考えられるわけでありますが、規定の中身としては、国内、海外の区別は保障の場合はありますか、ありませんか。

○國分政府委員 現在は国内、国外とも同じ扱いにいたしております。

○佐藤(徳)委員 正確なことはまだ確かめたわけではありませんけれども、中国側が見舞い金として二百四十万円お出しになるという報道がされたと聞いておりますが、事実は御存じですか。

○西崎政府委員 先生今御指摘の点については、私どもまだ承知いたしておりません。

○佐藤(徳)委員 後で確かめていただきたいと思いますけれども、私が聞いている範囲では、例えば見舞い金という表現を使っているそうでありますが、日本円に直しまして二百四十万というのは、一元四十円と計算をいたしまして、中国の貨幣では大変な額になるわけであります。その是非は別といたしまして、仮に見舞い金という名目で中国側が支給するということになれば、学校安全会から支給する金額からその分を差し引くなどというようなことにはならないと思うのですが、いかがですか。

○國分政府委員 現行の健康会法の規定によりますと、安全会から死亡見舞金が出された、別途損害賠償保障がなされたという場合には、その限度において差し引くというのが現行の規定でございます。ただ、今回の場合はその辺が、先ほど来御議論がございますように、十分な事実関係がこれからのようでございますし、それがどういう名目でどうされるのかわからないわけでございますが、現行の仕組みとしては、損害賠償として補てんされればその分は差し引かしていただく、こういう仕組みになっております。

○佐藤(徳)委員 見舞い金という表現であればそれは抵触しますか、しませんか。

○國分政府委員 仮定の問題で、実質的にどういう内容のものになるかということが問題であろうと思いますので、その辺がはっきりした時点で私どもも検討してまいりたいというふうに思っております。

○佐藤(徳)委員 終わります。ありがとうございました。

○江田委員 今の点、もうちょっと詰めておきたいのですが、私はこれはちょっと法律をきちんと勉強していないのでわかりませんが、聞いた範囲では、損害賠償がなされたときにはその部分は差し引くあるいは求償をするということではなくて、国家賠償法とか自賠法によるものがなされたときにはというように聞いたのですが、そうじゃないのですか。

○國分政府委員 損害賠償の場合には、一般的には民法の不法行為の規定あるいは国家賠償法の規定等があるわけでございますが、その他にも特別法に基づくものがあるかもしれませんが、いずれにしても損害賠償ということで、特にこの法律に基づくという限定はございません。

○江田委員 賠償がなされたときに、既に払った学校安全会による給付は必ず取り返していますか。

○國分政府委員 現在まではそういう運用をいたしております。

○江田委員 取り返さないようなそういう実例もあるし、給付がなされても後にそこから取るようなことはしないという、そういう特約もできると聞いたこともあるのですが、いかがですか。

○國分政府委員 学校健康センターと設置者との間でこの契約を結ぶわけでございますが、学校健康センターと設置者の間ではそういう特約を結ぶというのが法律の中で定められておりますけれども、当該被害者との間ではそういう規定はございません。

○江田委員 もう一つ、これは補償交渉がなかなか難航したりすると、電話一本だって大変だし、上海に行っていろいろ折衝するのも大変だし、そんな費用だけで中国の方から出るものは全部すっ飛んでしまうということになったら目も当てられませんね。そういうようなことを国の方できちっと被害者に心配なくやってあげるというのが先ほどの外交折衝による協力という意味だと思いますが、いかがですか。

○西崎政府委員 補償問題につきましてはこれからの問題でございまして、政府の立場は先ほども申し上げたとおりでございます。したがいまして、今先生端的にお尋ねの件につきましては現在まだお答えする段階にないわけでございますが、御意見として十分承っておきたいと思います。

○江田委員 ひとつよろしくお願い申し上げておきます。
 さて、随分この件で時間を取ってしまいましたが、次に移ります。
 最近、教育の現場のことが随分新聞の社会面に載りまして、本当にある意味では残念な、心痛める状態になっておると思うのですけれども、そのうちの一つで四谷一中事件というのがありますね。三月二十二日の夕方ですか、中学二年生の、しかし年は十六歳というのですが、台湾出身の日本に帰化した生徒が二十四歳の小沢先生を刺し殺してしまったという事件、これも教育現場にいろいろなことを教えてくれる事件だろうと思うのですね。私たちは教育現場で起こるさまざまな事件から精いっぱいいろいろなことを学んでいかなければならないと思うのです。

 この四谷一中事件、これはいろいろなことが言われておって、事件の真相というものは捜査当局が調べればいいことですけれども、私たちとしては、この事件で我々が学ばなければならぬ一番大きな問題は、言葉のギャップというのが生徒を大変な状態のところまで追い込んでしまっておる、同時に、先生も言葉のギャップに悩んでおる子供をどう扱っていけばいいのかということについて随分悩んでおった、そういうことが報道されておるわけですが、言葉のギャップがこれほどまでに生徒を追い詰めていくという日本の学校社会、異質なものを許さない、みんなが同じものになってしまわなければ許さない、異質なものは全部いじめの対象になっていく、そういう日本の学校社会というものは本当にみんなで変えていかなければならない、学校もあるいは家庭も社会も生徒も先生もみんなで変えて、異質なものを許していく、許すどころか異質なものがあるからそこに進歩が生まれてくる、そういう異質性に対する寛容の世の中をつくっていく必要があるのだということがこの事件の教訓だと思いますが、大臣いかがですか。

○中島国務大臣 おっしゃるとおりだと思います。私も新聞で見ただけでございまして、事件の深い内容あるいはその背後にある問題を詳しく知っているわけではございません。またそれを軽々に申し上げて事実と違っておると大変失礼でございますが、ただ、知る範囲においてはこの生徒はその意味では大変優秀な生徒さんであったようでございますし、また、その者の家庭状況はつぶさではございませんが、お母様の方も自分のお子さんを日本人の中で育てたいというふうに積極的に考えられたという御家庭のように新聞では知っております。そうだとすれば、ある意味ではお子さんに対してはむしろ大変積極的な方法をとられたと思います。

 そのお子さんがどのような形で迎え入れられたかは定かではありませんが、やはりそこに言葉の問題、言葉の壁が大きかったであろうということは十分しんしゃくできるわけでございまして、私、先生がおっしゃるようにその点ではこれは大きな問題だと思います。ただ、言葉の問題以外にそれを疎外するような気持ちがあったのか、またそういう事実があったのか、それは軽々には申せませんけれども、言葉の問題が一つの障害であることは事実であろうと思います。この点で、日本語教育その他の問題、非常に多岐にわたる機関を持っておりますけれども、そういうものに、さらに外国における日本語教育、あるいは外から入られた方々に対する言葉の壁を早く除去するような努力が必要だということは痛感をいたしました。

○江田委員 言葉の問題というのは確かに大きいのですが、言葉ができなければ言葉によるコミュニケーションが成り立ちにくいので、それは確かに大きい問題ですが、しかしコミュニケーションは言葉だけじゃないし、言葉ができないからというのでその子供を排除していくという傾向がやはり我が国にはあるのじゃないかと思うのですね。私ども外国で子供を育てた経験を持っておる者も今の日本にたくさんいるわけですが、いずれも一様に、まあ一様にともいかないかもしれませんが、言葉が少々できなくても、子供を学校の中にほうり込んでおけば何か自然にうまく同化して、そのうちに日本人は優秀だから成績がよくなってしまうとか、まあそこまで言うのがいいのかどうか知りませんけれども、そういうような異質なものを十分受容する社会というのが世界にはどこにてもあるのに、日本は何だかその点が非常に、その意味では世界のさまざまある国々の社会と比べて日本社会というのは余りにも同質的であるがゆえに異質だ、そういう感じがこれは私だけじゃなくするのですね。
 ある新聞の社説によると、どうも日本というのは野菜サラダ的な社会じゃない、あんこ的な社会だ、すべて個性をなくして、つぶしていって一つのあんこにしてしまう。やはりトマトもあればキュウリもある、サラダ菜もある、いろいろなものがそれぞれにその材料の味を発揮をして全体においしくなっていくという、野菜サラダ的社会をつくることが日本の国際化だという気がするのですが、大臣はいかがお考えですか。

○中島国務大臣 資質としてそういう点がなきにしもあらずかもしれません。例えば私どもも振り返ってみまして、我々が海外へ行きますときも、やはりどうしても一人よりは何人か一緒にと、グループ意識というものが日本人は強い民族であるかな、そういう気はいたします。それがまた翻って排他的なようなことに結びつくようなことがあってはこれは大変悲しい、寂しいことでございますし、そういう点では、これから国際化の時代だという言葉がこの質問の一番最初に先生から出されましたが、私が途中で申しましたように、国際化という面では、まず自分の周辺の文化を十分に理解し、それと同時に、それぞれの国、それぞれの歴史、文化を理解し合う、そこに国際化あるいは国際的な理解と交流が生まれるものであろうと思います。ただ単に外国へ行ってということだけでなく、自分の文化、そしてまた、こういう言葉で言うのはおこがましいかもしれませんけれども、いずれ限られた八十年の人生でございますが、その人生を最大限意義ある社会人として過ごしていく、その限りある生命のとうとさを知ると同時に、他の幾多のたまたま一緒にともっておる限られた生命のとうとさをお互いに知り合う、そういうところから始まって、同じ生命を排他的に取り扱う、そのようなことは国際化の波があろうとなかろうとぜひなくしていかなければいかぬ、率直にそう思います。

○江田委員 この事件は、中国や台湾の人から見ると本当に胸の痛む、もちろん我々から見てもそうですけれども、胸の痛むことだと思いますよ。中華学校で優秀な成績で、本人は台湾大学へ行きたいというような希望も持っていた、それがいろいろな事情で日本に帰化をし、日本の学校へ行き出した、しかしそこでいじめられて、とうとう人を、しかも先生を殺すようになってしまった我が同胞、そういう気持ちをもし中国の皆さんが感じたとしても、そして、日本というのは冷たい社会だなというふうに感じたとしても不思議じゃないので、こういう不幸なことが起きないように、もっと温かい学校現場、もっと温かい日本の社会をつくるために全力を挙げなければならぬし、それが教育改革じゃないだろうか。教育改革というのはそういう意味では本当にみんながやらなきゃならぬことで、何かお偉方がこういう方向というのですばらしい文書をつくって、さあこれを実行というようなこととはちょっと違うのじゃないかという気がして仕方がないのです。

 その教育改革を所信では冒頭に掲げられて、その後に生涯教育とか国際化とかいろいろおっしゃっておるのですが、一体教育改革はだれがやるのか、だれが教育改革の主体なのかということが、大臣の所信には私は率直に言って抜けているという気がするのです。国民が教育改革の主体なんだ、あるいは教師や生徒、またその教師や生徒を取り巻く地域の社会の人たちが教育改革の主体なんだ、この皆さんに教育改革に参加をしてもらう体制をどうつくるか、そういうことがなかったら教育改革はできないという気がいたしますが、教育改革の主体は一体だれなんだということについて大臣のお考えを伺いたい。

○中島国務大臣 私どもは、教育は人づくりであり同時に国家百年の大計、こう一口に申します。しかし、これは当然国民各位の方々の御理解を得なければできないことでございますし、また私どもが唱えます教育改革も、臨教審で御審議をいただき、推進大綱で決めたから、こう申しますが、それは経過を申し上げておるわけでございまして、その大きな流れの中には、先生がおっしゃいますように、日本の教育は一応高い水準にありますけれども、社会自体が国際化をしておる、また社会が成熟度を増すに従って多様化、個性化を進めておる、その社会の変化にみずから対応できるようなたくましく心豊かな青少年をつくり上げていこうではないか、これはやはり社会の中から出てきた声であったと思います。それが前提で、それではそれをどういうふうに進めたらいいかというところから御審議に入ったわけでありまして、先生がおっしゃるように、これは国民の願いを形にしつつある、このように考えていいのではないか。

 ただ、ではその任にあるものはだれか。それは文部省が中心になってやらせていただかなければならない使命であり、同時に、それを進めるについて各省間の調整がある場合には、この調整もまた他の部分で、はっきり言えば総理府を中心として調整をいただかなければならぬ点もあるでありましょう。しかし、その発意というものは、先生おっしゃるように世の流れの中で国民の理解と期待の中から出てきたものを我々が形にしていく、そのような認識で進むべきであろうと私は思っております。

○江田委員 これは言葉のやりとりばかりしていても仕方がないのですけれども、大臣のお気持ちも大臣のおっしゃることもわかりますが、あえて揚げ足取りふうに言うと、国民の理解では足りないのだ、国民がみずから教育改革を自分自身を変えるつもりで行っていくんだという、それを文部省は一体どういうふうにつくり出していくのか、そういうスピリットがなければ、つまり教育改革の精神、これが私は重要なことだと思っておるのです。

 教育については、いろいろな人がいろいろな提言をされております。臨教審だけが教育について頭を悩ましているのじゃないのです。文部省だけでもないのです。いろいろな人が今の教育を何とかしなければというので頭を悩まし、いろいろな提案をしている。その中で、私は、一つまとまったものをおつくりになったということで大変敬意を表し、みんなでその努力を多として、これを実現できるものはしていかなければならないと思うのは、女性民教審の皆さんの活動です。大臣はこの女性民教審の皆さんの、あれは答申という言葉でしたかどういう言葉でしたか、最終のまとめに目を通されましたか。

○中島国務大臣 このまとめは大要目を通したつもりでございます。

○江田委員 臨教審が男性二十二人、女性三人、女性民教審はそれにさらに女性二十二人を加えて、両方足せばちょうど男女一緒ぐらいになるわけです。私は両方足したぐらいが一番いいのではないかという気がしまして、ぜひいろいろな民間の声あるいはそういう声をこそくみ上げながら、教育をどうつくり直していくかを考えていただきたいと思います。

 同時に、教育改革を考える場合に、何といっても教師というのは教育の中で一番重要な立場にいる人たちですね。その教師集団、私自身もいろいろな批判を持っておりますが、その最大の集団は何といっても日教組ですね。日教組はいろいろ内紛があったりいたしましたけれども、最近一つにきちっとまとまって、委員長も新たに選んで活動開始されておる。日教組の皆さんとお会いになるということについての大臣のお考えを伺います。

○中島国務大臣 私の気持ちの中では、いろいろな団体の方がいらっしゃいますが、折に触れてこちらで耳を大きくしていろいろな御意見を拝聴したいという気持ちは変わりません。ただ、今現在そういうスケジュールがあるかということでありますと、現在そういう機会はスケジュール上持っておりません。しかし、先生がおっしゃるように全国民的なものであるということであれば、その中に生涯学習もありますし、すべての者が八十年の人生を通じて前を向いて歩んでいくとなれば、目的はそう違うはずはないのでありますから、もっとそういう面で教育改革を進める上での話し合いができる団体であってほしい。私どももその教育改革の路線に沿って歩んでまいる努力をしておるわけでございますから、そういう中でともに話し合い、励まし合っていけるような団体として、育たれると言っては失礼でありますが、諸団体がそういう気持ちであってほしいと期待をいたしておるところでございます。

○江田委員 立場がいろいろ違っているように見えても、大きなところでは人生八十年、さらにもっと長くとらえていけば同じような立場に立っているわけで、一九八八年のある時期、縁あって一緒に教育というところに携わっているわけですから、そういうところでいろいろな人と虚心坦懐に意見を闘わせ、みんなで協力していこうという気持ちをお持ちになって、その中にはぜひ日教組の委員長ももちろんということであってほしいと思います。

 ところで、臨教審答申はいろいろなことが書いてあるわけですが、第二次答申には「管理教育」という言葉が出てまいりまして、これは十ページですが、「校内暴力への対応措置としての体罰の強化や、児童・生徒に対する過度な外面的規制など形式主義的・瑣末主義的な「管理教育」が、学校社会内部の病理の本当の解決にはつながらず、病理症状を公然たる暴力から陰湿ないじめに転化させたのではないかという専門家の指摘には、十分に耳を傾ける必要があろう。」とか、あるいは「外面的に服装を細かく規制するなどの過度に形式主義的・瑣末主義的な」管理教育もある。そんな「極端な管理教育」とか、そんな言葉も出てくるわけですが、先日参議院の方でもこういう質疑があったようですが、この管理教育、私はいろいろな意味での管理教育があると思いますが、とりわけ校則、非常に細かなところまで何でこんなと思うぐらい細かく細かく決めた校則が今学校現場にあって、それを守らせるために朝から先生が物差しを持って学校の校門に立っていろいろやっているとか、そんなことをするから先生は忙しいんだという気がしますけれども、そういう管理教育、厳し過ぎる校則についての御所見はいかがですか。

○西崎政府委員 校則の問題につきましては、やはり学校が集団生活であること、あるいは学校の児童生徒が心身の発達のまだ過程である、途上にあるということから申しまして、共通の守るべきルールとして生徒心得とか校則というものがある、これは私どもとして必要なものであると承知しておりますが、やはり御指摘のとおり、その内容の問題、それから程度の問題というものが余り瑣末的行き過ぎがあってはならないということは、私どもも常々考えており指導しておるところでございまして、全国の多くの学校におきましての個別の校則や生徒指導心得を見ますれば、御指摘のような点が散見されるわけでありますので、この点につきましては指導事務の主管課長会議あるいは生徒指導の担当者会議等で従来から指導しておるところでございますが、やはりこの点については余り行き過ぎがあってはならないという見地で今後も指導を十分行ってまいりたい、こういうふうに考えております。

○江田委員 子供というのは、大人とまた感覚の違うところがありまして、何でそんなことにそんなにこだわるのかと大人の方は思う、しかし子供にとってはこの服装が私の命というようなそんなものもあって、これはおかしいと言ったって、その子にとってはこれでいいのだというようなことがあるのですね。そのあたりの理解というのをしなかったら教育なんというのは成り立たないところがあると私は思うのです。

 さて、細か過ぎる瑣末主義的・形式主義的管理教育というのにどんな校則が当たるかですが、長髪を許しておる学校で殊さら長い長髪はいけないというのは瑣末主義的・形式主義的ですか、そうではないのですか。

○西崎政府委員 校則の中にあるいは生徒心得の中に盛り込むべき事項、そして遵守すべき事項につきましては、やはり児童生徒の発達段階、学校段階の問題が一つございます。それからやはり地域の実情というものがあろうかと思います。都市部、農村部いろいろ地域の実情があります。それから学校が置かれておる環境もございます。それから児童生徒あるいは教職員の意識の問題もございますし、父兄の意識の問題もございます。したがいまして、一概にどの事項をとらえてこれは校則に盛るべきではない、盛る必要があるというふうに申し上げかねるわけでございます。

 今先生端的に御指摘の頭髪の問題につきましては、裁判例がございまして、丸刈りその他……(江田委員「丸刈りじゃなくて長髪を許しているところでの長い長髪」と呼ぶ)長髪の問題につきましても、その点については判例はないと思いますが、やはり今申し上げましたようないろいろな条件が前提にあるものでございますので、一概に申し上げることは難しいと考える次第でございます。

○江田委員 一概には言われなくても、しかしやはりおのずから限度というものがあるのですね。
 ところで、その校則を守らせる方法というのもまた限度を超えたらやはりおかしいことになると思うのです。既に御承知と思いますが、静岡県清水市の中学校で、髪が長いからというので卒業アルバムから外されて、それのかわりに花壇の写真が載っかっているという、これはいいのですか。こんなようなやり方は余りにも極端な管理教育ということになるのではありませんか。

○西崎政府委員 私どもは、校則につきましては、やはり現在の実情から見ますと、守るべきあるいは遵守すべき事項と努力的に生徒に促すという事項の区別が校則の中でついていない、そういうふうな点の区別が非常に問題ではないかという点があるわけでございます。その点の指導はいたします。それから、先生今端的に御指摘の遵守事項に違反した場合にどう対処するかという問題につきましては、遵守すべき事項と努力すべき事項との関係もございますし、それから、それへの対応として学校における懲戒的な処置のあり方という問題にかかわってくるわけでございます。

 具体のその事件につきまして、どういうふうな見地から当該学校がそういうアルバムについての対処をしたかは、まだ詳細な報告を聞いておりませんので私どもから具体に申し上げるわけにはいきませんが、頭髪の問題で校則があるということはそれはそれとして考えられるわけでございますけれども、それに対する違反の処置としてそれが適当であったかということについては、やはりいろいろな意見があろうかというふうに思う次第でございます。

○江田委員 まあ、答えにくいところですからわかりますけれども、しかし、とにかくアルバムに載る顔が全部髪の毛の長さも同じ、服装も全部同じ、ただ目鼻の格好だけがちょっと違うというようなのがずっと載るようなアルバムというのは、やはりこれは異質性を排除している社会だなということになると思いますよ。いいじゃないですか、少々髪が長いのがいたって、服装がちょっと乱れていようが乱れていまいが、それがその子のそのときの形なので、そういうものが大きくなっていってだんだん、ああ、こんな経過を経て大人になってきたなということになるのですから、そのあたりの寛容というものがなくて教育は成り立つのだろうかという気がしますね。卒業アルバムから五人の子供の顔が、髪が長いとかいうことで消されてしまっているというようなことは、世間のとりわけ子供を持っている親の立場から見たら、これはぞっとすると思うのですよ。先生方は教育的配慮とか言うけれども、教育的配慮を隠れみのにして何か生徒にいじめをしているのではないかというような、そんなことを感ずる親だって多いと思いますよ。私は、こうしたことを文部省のサイドで、身内だからかばうというような態度でなくて、やはり社会に対して責任を負っているわけですから、ぜひひとつ気をつけていただきたいと思います。

 異質性を排除していくことではいけない。日本というのはどうしても同質性の強い社会だけれども、しかし、もっと日本の中にいろんな文化やいろんな習慣やそういうものを多様に混在させていかなきゃならぬということについて幾つか伺いたいのですが、文部大臣は、日本というのは単一民族の国だと思われますか、それとも、いや日本は決してそういうことではないというふうに思われますか、どうでしょう。

○西崎政府委員 ちょっと技術的なところがございますので、私から先にお答え申します。
 教科書等の扱いにおきまして単一族とか複合民族とかいろいろ言葉があるわけでございますが、我が国におきましては大和民族、アイヌ民族いろいろございます。しかしこれは言葉の定義といたしまして単族国という言葉がございますが、純粋な意味での同一の民族で構成された国はまずまれでございまして、ごく少数の民族が含まれている場合は俗に単族国と言われる場合がある。そういう意味では単族国という言葉も不正確ではないわけでございますが、しかし、教科書等の記述においてはほとんど多くの構成員が一つ大和民族というふうな形で記述されるのが正当かというふうに考えております。

○江田委員 文部大臣は、我が日本は単一民族によって構成されている国だと思いますか、そうではありませんか。

○中島国務大臣 用語が難しいものでございますから先に政府委員からお答えさせたのでございますが、ほぼ単一民族というのが正しいのだそうでございます。ですからそこでお答えをとめさせていただくのが正しいということにいたしまして、ただ私は、歴史の流れの中で、学者的に言うのでなくて、いろいろな血がまじり合ってそれぞれの民族、それぞれの国ができておると思うのでございますね。私は、ほぼ単一民族という表現が正しいとすれば文部省的にそれが正しいのだと思いますが、しかし、私はいろいろな意味で地域的な交流があり、しかしそういう交流がある中で、ただ私が申し上げたいのは、その地域の風土というものがございますし、そこに生きてきた歴史というものがありますし、その中の縦につながった魂、哀歓というものがございますから、その中では、同じ地域の、同じ風土の、同じ歴史の中での同属感というものはあったとしても、しかし、そこにいろいろな血がまじり、いろいろな民族の交換というかまじり合いがあり、それは大変結構なことだと私自身は思います。表現はさっきで終わりでございますよ。文部省的な表現ではほぼ単一民族。

○江田委員 その文部省的な表現に私はちょっとひっかかるのです。ほぼ単一民族といいますと、そのほぼというのは一体どういう気持ちをあらわすのか。ほぼ単一民族で、小さいのがへりの方にあるよ、これは小さいのだから余計なことで、そんなことは余り考える必要ないよというような意味合いが、どうしたってほぼ単一民族と言うと出てくるような気がするのです。幾ら小さくても、幾らわずか二万、三万と言われるような人たちであっても、アイヌ民族というのは別個の言語があり、別個の文化があり、別の宗教があって、大和民族とは違う民族として存在しているのじゃありませんか。それを日本はほぼ単一民族です、これはもう本当に取るに足らぬからみんな目をふさいでいいのです、そういう表現ではいけない。いろいろな民族が日本にもあるのだということは、量の大小は別としてやはり正面から認めていかなければならぬ。そういうほぼ単一民族という文部省的言い方をするのが日本の同質性を文部省が進めていくことにつながっていくのじゃないかという気がしますが、いかがですか。

○西崎政府委員 若干技術的でございまして、先生御指摘のとおり、やはりアイヌ民族が日本に厳として存在しておるということは、私ども教育の立場では、主として教科書でございますが、そういう点に留意することは必要でございます。従来、教科書の多くは、日本のようなほぼ一つの民族から成る国とか、国民の大部分が一つの民族から成っている西ドイツや日本のような国というふうな形で表現しておるわけでございまして、教科書の分量とかどこまで細かく書き込むかという問題があるものでございますから、先生御指摘のように非常に詳しく書くということは現在の教科書ではなってないわけでございます。考え方としては、先生のお考えは前提になっておるというふうに申し上げられようかと思います。

○中島国務大臣 率直に言って、御指摘の点は尊重すべきことだと思います。歴史の中で、そういう民族の歩み、そして民族の存在、これはお互い十分尊重すべきことだと私は思います。御指摘の意味はよく理解できます。

○江田委員 理解をしていただいて大変ありがたいと思います。
 確かに日本というのは同質性が強い、そういう意味ではほぼ単一民族というような社会なのです。しかし、そのことが違った民族の存在を意識できないまま日本人を育ててしまっているという面があって、それがこういう国際化の時代になかなか日本が国際社会の中で溶け込めない理由になっていっているというようなこともあるわけですから、幸いなことに日本にはアイヌ民族があるわけですから、学校教育の中でもこの皆さんのことをきちっと教えていくということが大切なことだと私は思いますが、教科書の中で、単に北海道の教育上の問題だけではなくて、日本における国民的な課題として、教科書上正しく積極的に取り上げていく姿勢が大切だと思います。さっきちょっと早まってお答えをいただいたかもしれませんが、もう一度お答えください。

○西崎政府委員 先生の御指摘の点は十分踏まえて、私ども今後の教育上の諸問題に対処していくつもりでございます。

○江田委員 昨年八月ですか、北海道ウタリ協会が北海道教育大学の学長に、アイヌ民族に関する歴史、文化等について特別講座を設けるか、一般教養課程または専門課程の中に必修科目として位置づけして、教師になる皆さんにこういう問題の存在をきちっと認識させることをやらなければならぬということを要望しておりますが、これも単に北海道にとどまらず、教師養成機関でそうしたアイヌ民族という問題、さらには広く、世界にはいろいろな民族があるんだ、それが相互に尊重し合わなければいけないのだということを、教師になるような人には特に十分念入りに教えておかなければならぬと私は思いますが、いかがですか。

○西崎政府委員 先生御指摘のとおり、教師がまずその点についての理解と認識がなければならないということは当然でございまして、現に北海道におきましては、北海道教育委員会で、大変分量の多い、アイヌの方々に対する学校におきましての教育の問題の手引書をつくっております。そういう手引書に基づいて、各学校の先生方がアイヌ民族にかかわる事柄について児童生徒が十分理解するようにということで指導しておるわけでございまして、そういう現職指導という形で努力をしておりますが、御指摘のように教員養成段階でもそういう点がそれぞれ必要に応じて行われるべきであるということはまた私どもも同感でございますが、大学の教育課程につきましては、それぞれの大学自治の問題もございますので、私どもが指導監督というわけにはまいりませんけれども、それぞれの必要に応じて適切な御判断がいただけるのじゃないかということを期待しておるわけでございます。

○江田委員 先日もアイヌの方が中国へ出かけて、ある少数民族のところで交流をしてこられた。中国ではその少数民族の皆さんがその皆さんの言葉で話をされておったけれども、今アイヌ語というのは非常に聞かれなくなってしまっておるということで寂しい思いをされた、そんな記事が出ておりましたが、アイヌ語の保存対策、言語というのはもちろん文化なり民族なりの基本ですね。アイヌの皆さんもアイヌ語の保存継承のために努力しておると聞いておりますが、北海道知事もアイヌ語の保存対策の必要性を認めて、昨年から旭川地区と平取地区の二カ所にアイヌ語教室を開講して事業を助成しております。やはりこういうアイヌ語というのは日本の重要な文化財ですので、国の責任でアイヌ語というものを保存していくことに対して積極的に助成措置を講ずる、文部省はアイヌ語の保存に助成すべきだと思います。具体的には例えばこういう講座が開講されておったらこれに対して補助金を出すとかそういうことをされるべきだと思いますが、いかがですか。

○西崎政府委員 この問題につきましては文化庁所管でございまして、今政府委員がおりませんので的確なお答えをいたしかねますが、アイヌ語の問題につきましては、全体、文化庁としても十分配慮して従来から行政的な対応をしておると思うのでございますが、また別の機会に先生に御説明申し上げるようにさせていただきます。

○江田委員 もう時間が随分少なくなりまして、今教科書のことをちょっと申し上げましたが、今の民族差別の問題で、世界で大問題になっているのは南アフリカ共和国における黒人隔離政策、アパルトヘイトですね。これは我が国の児童生徒の教科書でも取り上げられておると思いますが、いかがですか。

○西崎政府委員 先生御指摘の問題は、やはり人権の尊重その他大変大事な問題点でございまして、現在の教科書におきましても、例えば高等学校の現代社会で「世界の人権問題」という項目を立てて、「南アフリカ共和国のアパルトヘイトと呼ばれる人種差別」というふうな表現がございますし、それから中学校におきましては、社会科でございますが、やはり「南アフリカ共和国では全体のわずか一八%にすぎない白人が非白人に対する人種差別政策を続けている」というふうな教科書記述があるわけでございまして、の点につきましては、やはり学校教育において、人間尊重の問題、基本的人権の問題、差別のないよりよい社会を実現する問題の一環として取り上げて教育が行われているというふうに申し上げられようかと思います。

○江田委員 私は、教科書の中の記述を一々取り上げてこういう国会というような場であれこれ議論するのが必ずしも常にいいとは思いません。これは教科書の執筆をなさる皆さんのかなりの自由裁量というものにゆだねた方がいいという思いですが、しかし、やはり御意見を伺っておきたいなと思うところも多々、多々でもありませんが、ちょっとぐらいありまして、これはある中学校の社会、地理的分野ですが、「アフリカ南部の人種差別」という表題で、「南ア共和国では、どのような人種差別が行われているだろうか。」「差別に反対する世界」というところがありまして、ほかの国から大いに非難をされておるという中で、そういうアパルトヘイトはだめだという世界の動きに対して、「南ア共和国では、形式的に小さな黒人国家をつくったり、白人・インド人・混血からなる議会をつくり、有色人種の権利を部分的に認めた。」こういう記述があるのですね。南ア共和国では形式的に小さな黒人国家をつくって有色人種の権利を部分的に認めたというのですが、これはどういう意味かわかりますか。大臣、これは御存じでしょうか。

○中島国務大臣 残念ながら、そのものは見ておりません。

○江田委員 これはこういうことなんですね。総人口の七二%が黒人なんです。しかし、その総人口の七二%の黒人に対して、国土のわずか一三・五%のやせた辺境の地を彼らの住むべき国であるとしてホームランドと定めて、そこへ黒人を全部押し込むのですね。こういうものが全部で十ある。ところが、南アの黒人というのは部族は二つしかないのに十にこれを分けちゃうのですね。辺境の地で何もないところに黒人を押し込んでいく。そしてそこは外国だとして、外国だけれどもそこの国には自治権も経済的基盤も与えない。そして、ちゃんと働ける黒人の労働力は白人のところへ来てこれを働かせる。したがって、そのホームランドには働けないお年寄りとか子供たちとかそういう人たちだけが残って、まさにうば捨て山なんですね。それをもって独立国として、独立国だからあすこへ対して自分たちは何の権利も与える必要はない、何も社会保障などやる必要はない、こういうやり方をしている。まさにナチスのユダヤ狩り、これがいわゆる独立国、ホームランドなんです。それを黒人の、有色人種の権利を部分的に認めたなんていいますと、こんな記述があると、南アの黒人の皆さんあるいはその皆さんと差別反対の闘いにおいて共感を持っている多くの皆さんから、日本の教科書は何だということになるおそれがあると私は思いますよ。ひとつぜひ検討をいただきたいと思いますが、いかがですか。

○西崎政府委員 御指摘の教科書の記述につきまして、ちょっと私ども具体の教科書記述を持っておらないわけでございますが、やはり教科書記述につきましては客観的であり、公正であり、そして教育的配慮に基づいた記述でなければならない。しかし著者の創意工夫というものもあるわけでございまして、かなり個々具体のケースになるわけでございますが、いろいろな表現がその背景との関係で非常にわかりにくいということであれば、これはまた私どももいろいろな部分改訂の申請の時期に検討をさしていただかなければならないと思いますが、ひとつその点につきましては今後の検討にゆだねさしていただきたいというふうに思います。

○江田委員 きょうは私はまだまだほかにいっぱい質問の準備をしてきたのですが、どうも一時間半というのは本当に短いですね。これはまた後の機会にほかにいっぱい用意しておる質問をいたしますので、よろしくお願いいたします。
 それでは終わります。


1988/03/30

戻るホーム主張目次会議録目次