1984/07/06

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101 衆議院・内閣委員会,文教委員会連合審査会 

臨教審設置法案について


○江田委員 本日は、委員各位の御理解をいただきまして、私どもにも二十分という貴重な時間をお与えいただきまして、しかも私たち、実はこの臨教審設置法案については頭から反対ということでなくて、審議の過程を踏まえ、あるいは仮に修正ということがあるなら修正の中身を見て、どういう対応をするかを決めていきたいと思っておりましたが、何分内閣委員会に籍を持っておりませんで切歯扼腕しておったところにこういう機会を与えていただきましたので、この法案の中身をしっかり伺いたいと思いますので、よろしくお願いします。

 教育改革、これは国民的な課題だ、みんなが今教育をどうするかということに大いに関心を持っておるということを、私は前々から申し上げております。例えば子供たちの非行の問題。この非行も、非行に対してどういうふうに対処するかという視点もありますけれども、教育という視点から見ると、この非行というのは子供たちが悲鳴を上げているのだ、何とかしてほしいという気持ちが非行という形で出てきているので、教育に責任を負っている我々としては、ただ非行をどうやって取り締まるかじゃなくて、そのもとにあるものを考えていかなければならぬ。そういうふうに考えると、教育改革というのは国民的課題で、中曽根さんのおっしゃる教育改革がどういうものであるかいろいろ議論がありまして、私も中曽根さんの以前のいろいろな発言の中に、必ずしも賛成でないあるいは非常な危惧を抱くような発言もあったと思いますが、中曽根さんに言われるまでもなく教育改革はやらなければならぬ、こう思って、しかも特別の審議会を設けてそこで教育の議論をする、そういう手法も、それが頭から悪いということではない、それも一つの手法である、そういうふうに思っておりまして、これは前に、四月の二十四日でしたか、自民党と各党との政策協議で私たちも協議をさせていただきまして、その席でもいろいろ意見を申し上げたところです。

 私は、政府の今お出しになっている法案はどうも余りいただけない。総理のめがねにかなった人が、それも、失礼ですが、どうも二十一世紀に責任を負いかねる人が密室で、今の若者はと怪気炎を上げる、そういう審議ではこれはどうしようもない。しかし、本当に国民的に広く人材を集めて、そして国民的に広く議論を起こして、しかも世代のバランスあるいは男女のバランスのとれたそういう皆さんが大いに議論をしていく、そういうことでなければならぬ。そのためには人事も国会同意人事でなければならぬし、あるいは総理もおっしゃっていますね。教育改革は、全国民の御支援のもとに長期的かつ国民的すそ野をもって進めるべきである。これは二月六日の施政方針演説ですが「国民的すそ野をもって」議論をしていくということになると、やはり議論というものは公開、あるいは完全な公開というのはいろいろ議論がありますが、そういう公開の趣旨が徹底するようなやり方でないといかぬと思って、これまでも主張してきたわけです。

 私は、これは何もそういうことを素直に聞いてもらえる、素直といいますか、そういうことが自由に言える雰囲気のところで言うだけじゃなくて、もうちょっとそういうことを青いにくい場所でも、はっきりとそういう趣旨のことを申し上げてきたわけで、そうしますと、先日来の自民党と公明党、民社党の修正案について、私たちとしては非常に深い関心を抱かざるを得ないわけであります。同意の件あるいは審議の公開ではありませんけれども、答申とか意見の国会への報告の件、こういうものが入っておりますから、一体これが私たちが本当に考えておったような内容であるのかどうかという点について関心を抱かざるを得ない。

 文部大臣は、もちろん修正案について答弁をされる立場にないこと、これは当然です。しかし、この今までの経過からすると、理事会に正式に提案をされているということでもあるから、修正案の中身についてはこれを承知しておられると思いますが、御承知でございますかどうですか、まずお伺いします。

○森国務大臣 承知をいたしております。

○江田委員 そうすると、修正案に答弁ということでなくて、そういう方向で議論が進んでいるということを前提にして、これから設置されるべき臨教審についてどういうお考えかということで答弁いただきたいと思うのですが、まず、国会同意人事ということになろうとしているわけですが、政府案は同意人事じゃない。同意大事になる、このこと自体についてはどういうお考えでいらっしゃいますか。

○森国務大臣 再三、政府といたしましては最上のものであるという立場で法案をお願いをいたしましたが、私は内閣委員会で、しかし結果は国会がお決めになることでございますので、国会の御判断も政府としては十分大事にしていかなければならぬ、こう申し上げてまいりました。

○江田委員 同意ということになると、公務員特別職という関係からさまざまな制約といいますか、通常どのような法案の場合にでも入ってくるいろいろな規制がかかってくる、それが先ほどの議論の、内閣総理大臣が罷免することができるという規定であったり、あるいは職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならないという規定であったりしているわけだと思います。

 この職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない、これはほかの場合でもしょっちゅうありますから、特別の規定というよりも、一般的に職務上知ることのできた秘密というのは一体何だろうか。私は、会議体における会議の中身がそのまますぐ秘密だということであってはたまらぬと思うのです。臨調だって会議は非公開で、しかしその会議の中身というのはどんどん外にある意味では漏れておった。しかし、これは漏れたなんという性質のものではなくて、そういう非公開であっても会議の中のことは、非公開の会議の中だからすぐに秘密である、そういうことではないと思うのです。例えば国家機密であるとか何か秘密があって、それがたまたま非公開の会議の席で明らかにされてそのことを知った、そういう場合が職務上知り得た秘密であって、非公開ではあっても会議の中が非公開であることのゆえに秘密になる、そういうものではないと思うのです。広く国民的な議論のすそ野を広げて教育改革の議論をしようとするならば、まさにそういう解釈でなければならぬわけで、その審議会での議論はどんどん国民にオープンにされて大きく議論が起こっていく、その中心に臨教審がある、そういうことでなければならぬと思うのですが、いかがですか。

○森国務大臣 江田さんが今おっしゃいましたように、非公開だからそのことはすべて機密事項だというふうに私どもも判断はいたしておりません。これもたびたび申し上げてまいりましたけれども、今江田さんからまさしく御指摘がありましたように、国民の幅広い御論議をいただきたいということでございますし、またこれは私、個人的な私見でございますが、教育の改革に関しての御論議をいただく、そういう内容でございますので、そういう中身に機密があり得ないという判断を私どもはいたしております。したがいまして、こうした議論の中で行われましたことなどができる限り国民の前に明らかになっていくということは、基本的には賛成でございます。

 ただ、修正案をお出しいただいて、そして法律の中で、いわゆる公務員としてのそれに準じていくということの規定は、私もお願いしているわけではございませんので、一般的な法律論でございますから、最低限の範囲での守秘義務というものは法律上はやむを得ないだろうと思いますが、要はこのことは会長が拡大的に解釈をなされて運営をされていくことではなかろうかというふうに考えます。

○江田委員 そこで、もうちょっと伺いたいのですが、私、個人的な見解としては、こういうものはなるべく公開をした方がいい。裁判だって公開でして、公開になると確かにいろいろ圧力がかかってくるとか押しかけられて困るとかいろいろあるかもしれません。だけれども、我々議論しているときに、案外思わぬ誤解をして議論をしているようなこともありますし、政治の場でも党の壁が余り高いと、相手についていつも余計な疑心暗鬼で、本当の議論ができないということがあるのではないかと私は思っておるのです。なるべく議論というものが公開されて、そしていろいろな人がその議論をそのまま素直に聞いて、これについて例えば、それはちょっと誤解ですよとか、私たちはこう考えますよというようなことが、今度の臨教審だって委員のところに集まってくること、これを嫌悪することはないのではないか、公開でいいのではないかと思っているのですが、大臣、いかがですか。

○森国務大臣 いろいろな見方はできますけれども、やはりこの自由な、そして闊達な御論議をいただきたいということが、私ども政府として一番求めているところでございます。したがいまして、委員のお立場になって考えてあげる必要があると思うのです。

 ちょっとくどいようで時間がないときに恐縮ですが、内閣委員会のときにも申し上げたのでございますが、臨調のメンバーにいたしましてもあるいはその他政府のいろいろな制度の審議会のメンバーは、それぞれ審議会専属の立場で参加していらっしゃるのではない。それぞれ社会の中で、会社を持っておられたり団体の代表だったり、いろいろあるわけです。そのために特定の団体から、その人の固有の御商売に大変差し支えたという例は幾つかございます。例を申し上げるのは時間がありませんからやめますが、委員の方が本当に御自由に御論議をいただきたいということ、お一人お一人の委員のお立場に立ってということが、私ども政府が考えたこの法案全体の趣旨でございます。したがいまして、御論議をなさったことができるだけ国民の前に明らかにされていくということについての方途は審議会自身で御判断をいただくことでございますが、これはいろいろな工夫をしていただくということは私は大切なことだと考えております。

○江田委員 今の日本はなかなかテンション民族というのですか、自分と意見の違う議論にすぐにかっと反応するというところがあって、そういうところはなるべくもうちょっと穏やかになって、意見の違う議論であっても十分に聞いていくような寛容の精神が社会全体にもっと行き渡らなければならぬと私も思いますし、そういうことにまだなってない状態での完全公開にちゅうちょされる気持ちはわかりますが、なるべくそういうふうにしていきたい。

 今のいろいろな工夫ですが、その工夫の中で、例えば少なくとも議事録の公開ができるのではないか。それから会議の都度、例えばその日にどういう内容の議論があったかというようなこと、これを記者会見などで公にしていくという工夫もあるだろうと思いますが、そういうことはいかがですか。

○森国務大臣 審議の経過については、これもたびたび申し上げておりますが、適宜公表をしていくことが大事だと思います。その仕方等については、会長や審議会の皆さんでお決めいただくことになると思います。議事録を外に出すかどうかということについては、私が今ここで申し上げる立場ではないと思います。やはり委員会なり会長などが御判断をなさることではないか、こう思います。

○江田委員 やはり議事録というものは公開していく。少なくとも事後公開ぐらいはしなければ、何の経過でこういうふうに決まったかがまるでわからない。途中は、それはいろいろあるにしても、後からくらいは公開しないと、歴史というものが秘密のべールの中に入ってしまうということになって、いけないのだと思うのです。

 それから、答申とか意見とかはこれを国会に報告するものとするという修正案の内容になっていますが、法律としてはその限度かもしれませんが、答申、報告、意見だけではなくて、その都度、国会にということではなくても、なるべくだれにでもわかるような形をいつも保障しておくということが必要だと思うのです。

 それから、委員の人選なんですが、先ほど世代のバランス、男女のバランス、こういうものをおっしゃいまして、それはそれとして必要なことだと思いますが、同時に日教組の関係のことですね。これは先日の内閣委員会の質疑の中でも出ているようですけれども、団体の代表ということで委員になっていただくわけではない。その団体というのは、もちろん日教組というのも団体である。そのこと自体は、それはそれでわかるわけです。しかし、日教組もまた今の日本の教育に非常に大きな責任を負っている。逆に言えば、今日の教育の危機について責任の一端を負っている教師の集団であって、そこにやはりいろいろな意見もあり、いろいろな提案もある、これは当然のことです。こういう日教組という組織に集約をされた意見もまた、何らかの形でこの審議会に反映していくようにしなければならぬ。だれかの気に入った意見だけが集約されるというのではなくて、気に入った意見も気に入らぬ意見もいろいろ全部まとまってくるということでなければいけないと思うのですが、そういう工夫をなされるおつもりがあるかどうか、伺います。

○森国務大臣 私は、日教組だからこの団体の代表はだめだということを申し上げているわけではございません。
 人選についてはこれから考えなければならぬことでございますけれども、例えば教職員団体でありますと、日教組でありますとか全日教連とかというふうにある。そういうふうな形で選ぶのがいいのか。小学校長会だと言えば中学校長会も高等学校長会も、そうなれば教頭会も、こうなってくる。あるいは国立大学を代表するということであれば、私立大学を入れなさい、いや短大も入れなさい、医科大学を入れなさい、あるいは産業関係の大学も入れなさい、こういうふうになってくるから、そういう形での団体の代表という形は審議としてはどうもいい形にならないのではないか、今の段階では私はそういうふうに考えているわけです。

 しかし、今先生から御指摘ありましたように、現場の声が反映するということは大変大事なことだというふうに考えております。そういう意味で、どういう形で現場の先生の代表をお選びするかということは非常に難しいことでございますが、これもきのう私は内閣委員会で申し上げたのですが、その結果選んだ方が仮に日教組であったとしてもこれは結構なことだというふうに答えでございます。したがいまして、きょう一部新聞では日教組は入れないというふうに書いてございましたが、私はそういうふうに申し上げているのではございません。団体の代表という形で選ぶのではない。先生としてお選びをいただいた形の中でこの方が日教組に参加をされておられたとしても、そのことが排除の条件になるというふうに私は考えていないということでございます。先生が今おっしゃいましたように、できる限り現場の声が反映でき得るということは十分考えていかなければなりませんし、仮に委員におなりにならないといたしましても、各種の教育団体等から意見聴取はやはり頻繁に行わなければならぬことだというふうに私は考えておりますし、そういう運営の仕方があるべしだというふうに考えております。

 なお、時間が来ていて恐縮でございますが、今先生から御指摘ございましたように、どういう形で選ぶ分野があるのかということも配慮しろということでございましたが、先般内閣委員会で鈴切さんからそのお尋ねがございましたので私はとっさに思い出すままに、こういう基準がいい、こういう分野がいいのではないかと幾つか申し上げたのです。そのときたまたま七つぐらい申し上げたものですから、それがいつの間にか七つの基準というふうに新聞等でひとり歩きをしておりまして、何かその範囲だけで選ぶのかというふうなことで、先ほど国際化という問題も有島さんから出ておりました。

 私ども、これから議論をして詰めていかなければならぬことでございますが、国会の御論議等も十分参考にしながら、私が今自分で考えております一つの分野というのは、まず第一には、子供の成長に直接かかわってきたお父さん、お母さん、こうした形でお選びをしなければならぬだろう。そうして第二には、これは一からウエートの順に申し上げているわけではございませんが、今申し上げたような学校教育に携わっておられる先生方。そうした教師や経験者あるいは社会教育や体育やスポーツの実践者、またこれに精通している方たち。それから作家や芸術家等、文化に識見を持っておられる方。あるいは人間の発達や社会の発展について識見を有する方。例えば経済学、社会学、人間科学、教育学、これは昨日嶋崎先生からも御指摘がございましたが、社会福祉関係、こうした分野も考えなければならぬ。そして国際関係の経験あるいは国際関係の識見を持っておられる方。大学の管理や運営に識見を持っておられる方。あるいは私立学校、専修学校も当然考えなければなりませんが、こうした関係者。そして木島さんのお話の中に出てまいりましたけれども、地方公共団体というのは大変重要でございますから、この分野。あるいは財政運営について識見を持っておられる方。文教行政に精通しておられる方。そして経済界、労働界というふうに産業構造、雇用問題等に識見を持っておられる方々。そして、できれば新聞や放送という言論界のお考えを代表するような方々。こういうような方々のことが今の段階である程度精査されて私の頭の中にあるわけでございます。

 そして、先ほどちょっと触れましたように、世代構成をできるだけバランスを保っていきたい、そういうふうに考えておりまして、私は今まで以上に若い世代をお願いをし登用することが的確ではないか、こういうふうに総理にも申し上げようと考えております。当然、女性の加わることも十分配慮していかなければならぬ。こうした考え方で人選を進めてまいりたいと思いますので、ぜひ審議会の法案を一日も早く御賛成いただければ幸いでございます。

○江田委員 もう時間が参りましたが、この審議につきまして私もこれからまたいろいろと御提案もしていきたいと思いますし、今までも幾つか提案もさせていただきました。例えば、広く意見を集めていくんだというようなことでございますけれども、この臨教審というものがどこかに鎮座ましまして、意見集まれ、こういう形で集めるのでは本来いけないんだと私は思うのです。今、教育の荒廃とか言われますけれども、現場では本当に皆さん、いろいろな工夫をなさっている。血の出るような苦労をし工夫をして、今のこの難しい時代に何とかすばらしい、次代を担う胴民を育てようと父兄も先生方もあるいは地域のいろいろな方々が苦労をして教育の現場で努力をされているわけですから、そういうさまざまな工夫を学んでいく、現場に学ぶという姿勢がなければ、これは到底国民的な議論が起こるわけもない。

 ひとつ大きく国民的な議論を起こして、その中からなるべくすばらしいコンセンサスを見つけていくように、そういう一助にこの臨教審というものがなることを心から期待をして、私の質問を終わります。


1984/07/06

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