1980/02/20

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91 参議院・物価等対策特別委員会

エネルギー政策について

江田五月議員は、電気・ガスなど、公共料金の相い次ぐ値上げが、国民生活に重大な不安を与えているとして、政府の場当たり的態度を厳しく諌めるとともに、エネルギー政策の観点から、真剣な対応を促しました。

江田議員の主張は、電気・ガス料金などの価格は、これまでの原価に基づいて決めるという方法を再考し、エネルギー需給の長期展望に立って、政策的に決めるべきであるというものです。“際限のない値上げラッシュ”――国民のやりきれない不安を解消し得るユニークな問題提起として各方面の注自を浴びました。


○江田五月君 どうも最後の質問というのは分が悪いもので、もうかなりおくたびれになっているんじゃないかと思いますし、私の方もずっと聞いておって多少くたびれておりますので、余りくどくどといろんなことをお聞きはしたくはないんですが、もうしばらくひとつごしんぼうお願いしたいと思います。

 一月の二十三日に電力八社、二十五日にガス三社の料金値上げ申請が出そろって、いずれも大幅な値上げの申請であるわけであります。これについていろいろと理由が述べられ、原料である石油とか、LNGその他の価格の上昇が大幅であったこととか、あるいは経済動向、物価の動向から資本費が高騰したこと、あるいはまた為替レートの趨勢の大きな変化というようなことなどが挙げられ、それぞれについてそれがどこまで正しいのか、いろいろ追及もあり、かなりきつい言葉もあったわけでありますが、電気事業法あるいはガス事業法に規定する原価主義ということから言うと、こういう議論の仕方になるでありましょうし、また、この電気、ガスという公共料金が国民生活にきわめて重大な影響をもたらす、それ自体が影響を与えるだけじゃなくて、それがまた物価へ波及することによっても大きな影響を与えることも考えますと、こうした大幅値上げがそのまま国民感情として容認できないものだということも言うまでもないと思うんです。

 ただ、そういう意味から物価政策的にあるいは経済政策的に、いまの原価主義を修正しなけりゃいけないのだというような意見も一方ではあるわけで、それはそれなりに理由もあろうかと思いますが、こういう観点の質問はこれまで私の前に各党の同僚の委員の方々が質問をしてきたことでもありますし、その点に私はこれ以上立ち入るつもりはありません。そうではなくて、どうもこのエネルギーの価格という議論について、もう少し別のアプローチがあるんじゃないだろうか、もっと別の観点があるんじゃないかという気がして仕方がない。いま申請されております価格がいいのか悪いのかという議論とちょっと外れて、エネルギーの価格というもの、電気なりガスなりの価格というものが、そもそもどういうようなものとして考えなきゃならないのかというような点について、少しまあ大きな見地から議論をしてみたいと思っているわけです。

 国民は、かつてものすごい物価の急騰の経験の中で、物価というものが大変なことだということを身にしみて知ったわけでありまして、物価について強い関心を持ち不安も持っている。物価の安定というのが安定した生活の基盤であることは、これはもう言うまでもない。物価上昇の不安がいま非常に強いわけで、こういう現在、特に公共料金の値上げがメジロ押しに並んでいて、物価の値上がりに無関心ではいられないわけでありますから、その点から、このいまの値上げの申請が国民から非常に不安感を持って見られていることは言うまでもないんですが、同時にまた、国民は当面の物価の動向への関心と同じ程度に、あるいは質的にはもっと深刻な意味で将来のエネルギー展望というもの、一体これから先、電気、ガスを含めエネルギーというものが二十世紀の最後から二十一世紀に向けて、どういうふうになっていくんだろうかということについても非常な関心を持っているし、不安も持っているわけであります。

 いま、いろいろな考え方があると思いますが、高度成長期のようなエネルギー消費の急成長ということはもう、今後可能でもなければ賢明でもないことは明らかなんで、代替エネルギーに移行して脱石油の社会をつくっていかなければいけないと思いますし、それだけでは済まずに、代替エネルギーといってもエネルギーが無制限に、エネルギーの利用可能の量がふえていくということはもう考えられない。そして、将来にわたって安心のできるエネルギーの見通しを持ちたい、展望を持ちたいというような気持ちが国民は強いんだろうと思う。そういう意味から、つまり物価政策的なアプローチではなくてエネルギー政策的なアプローチとして、エネルギー価格についての政策があるんじゃないだろうか、見方があるんじゃないだろうかという気がして仕方がない。いまの申請の料金、そしてそれをめぐる議論というものは、どうもそうした観点がまるで抜け落ちているんじゃないかという気がするんです。

 平岩参考人に伺いたいんですが、平岩さん、この前の当委員会での陳述で、ここにコピーがあるんですが、「電気は、安全、便利、清潔な二次エネルギーとして今後ますます国民生活、産業活動に広く使われていくことは必至と思われます。そのため」云々と、こういうことなんですが、今後ますます広く使われていくことは必至なんだということでいいのか、それとももっと違った、電気についての将来展望がないという意味じゃなくて、適正なエネルギーの使用量というようなことについてのお考えがあってもいいんじゃないかという気がするんですが、いかがでしょうか。

○参考人(平岩外四君) 非常に高邁な御質問でどうお答えしていいかちょっとわかりませんけれども、私もエネルギーをもっぱら担当している者の一人として、現在日本がエネルギーを自分の国内で一割しかなくて、あと九割は全部外から持ってこなきゃならない、こういう日本の国で、一体これからどういうふうに経済あるいは国民生活を推持していったらいいか、この問題が一番深刻な問題ではないかと、エネルギー問題としては考えております。その中の価格の問題ということは、これは同時に量の問題とも絡んでくるであろうし、エネルギーの種類をどういう形で確保していったらいいのか。それから同時に、国際的にどう日本のこのエネルギーのない状態を位置づけたらいいかとか、そういうもろもろの問題が絡んでくる問題だと思います。そして一つ、やっぱりはっきり言えることは、エネルギーの使用がこのままずんずんずんずんふえていくという、当面はそういう形をとるだろうけれども、これがいつまでもそういう姿であり得るかどうか、これもやはり問題の一つだろうと思います。しかし、電力につきましては当面、数年後に一つのピンチが、供給のピンチがやってまいる可能性があります。同時にそれは、価格の問題を離れまして供給自体。それから後二十一世紀にわたっての新しいエネルギーまでにどういうエネルギーのつなぎ方をするかという、そういう一つの大きなその渡し方をへまをすると、単に価格の問題だけじゃなくて、エネルギー供給自体が日本の国にとっても不可能な状態になってきて混乱が起きる状態、非常に心配されます。そういう中で、価格の問題ということはどうあるかというのはやっぱり大きな問題であろうと思いますけれども、お答えにならないような感じですけれども……。

○江田五月君 もう少し私の考えを先に進めますと、先ほども木島委員の方から、エネルギーの安全保障というような議論が展開されて、そうしてエネルギーの高価格というものを国民が、そういうエネルギーの安全保障というような見地から、観点から受け入れなきゃいけないときがきているんじゃないかという議論があったわけなんですが、もっと進んで議論を展開していかなければいけないのではないだろうか。

 つまりエネルギーの高価格時代だと、平岩参考人が申請の後で述べられたという新聞の報道があるのですが、エネルギー高価格時代というのは一体どういう意味なんだろうかということですね。エネルギー消費の量を国で割り当てていくというような、ソ連型の経済というのでしょうか、そういうことなら格別。そうでなくて、やはり市場メカニズムを維持した経済を今後とも維持していこうとすると、やはりエネルギーについても、税の観点も一つあるでしょう。もう一つ、同時に価格というのも需要動向を規制し、誘導し、制御していく、そういう機能を価格というものが果たしていかなければいけないのではないだろうか。需要にとどまらず供給についても価格のメカニズム、価格が何か量を決定していくというメカニズムがもっと出てこなければいけないのじゃないか。

 単に価格が高いというだけが、エネルギー高価格時代という意味じゃない。エネルギーの価格によってエネルギーの需給の動向が規制される、誘導されていくという、そういう時代じゃないんだろうか。エネルギー価格が他律的に定まるのではなくて、エネルギー価格が経済動向を定めていくという、もちろんほかにもいろんな要因はありますけれども、エネルギーの値段というのも、そういう経済動向を決めていくという機能を持ってこなければいけないし、そういう価格がこれからは必要になってくるんではないだろうか、そういう大きな世界構造の変化というのが起こっているのが、いまのエネルギー高価格時代ということの意味じゃないかと、そういう気がしているわけなんですが、平岩さん、お感じで結構ですから、ひとつ教えてください。

○参考人(平岩外四君) 先生のおっしゃるとおりだと思います。これは世界的にそういう現象になると思います。

○江田五月君 安西参考人の方も、もし何かいまのようなことで御意見があれば。

○参考人(安西浩君) 先生の御質問にちょっと的が外れるかもしれませんが、私は国際的に、日本もそうですけれども、余りにも石油に依存し過ぎると思います。

 先生も御承知のように、いま石油は千二十億キロリッター埋蔵量があると言われております。一方天然ガスは七十一兆立方メートル。片一方は立方メートルで片一方はキロリッターですから同じユニットに直しますと、七百二十三億キロリッターの天然ガスがすでに地球上で確認されておるわけでございます。さらに世界一の石油会社シェルの専門家は、昭和九十年になればさらに百八十億立方メーターの天然ガスが確認できるだろうと。そうしますと、二百五十億キロリッターの天然ガスの埋蔵量が確認されるわけでございます。七十一兆だけにいたしましても、石油が三十年あるといいますから二十年、五十年は私はエネルギーはそうあわてる必要はないと思っております。私は、今日これを言い出したんではございません。十年前から、国際的にも国内的にも石油の次のエネルギーは原子力ではないんだと、その間に天然ガスが入るべきだということを強調してまいりました。原子力は確かにいいエネルギーです。ただしかし、安全性がまだ確保されておりません。アメリカは原子力、原子力と騒いでおりますけれども、まだ三・何%しか原子力は使ってないのでございます。アメリカでかぜがはやると日本の人は肺炎になると言われていますが、これは電力のオーソリティーを脇にして恐縮ですが、これは私は原子力はもう少し安全が確保される――それで七十一兆立方メートルの天然ガスどのくらい一昨年消費されたかといいますと、一兆三千億なんです。約七十分の一しか天然ガスが利用されてないんです。どうしてなんでしょう。私は通産大臣の会合の席上においてもこれを強調しております。

 先生の御主張は非常に高邁な問題でございますが、私はエネルギー政策として石油に依存するのが日本は余りに強過ぎると、天然ガスに移行すべきじゃないかと。御質問に対して的が外れておるかもしれませんが、以上申し上げます。

○江田五月君 高邁であるかどうかは私自身はよくわからないのですけれども、価格というものがいまのような点でも、たとえば新聞ちょろっと見ても、五十三年の夏、電力会社とガス会社は、夏のビル冷房を今後はガス中心に進めることで強調路線をとることにした。ところが、空調機器を採用するのはビル所有者である。電機メーカーの売り込みはガスより激しく、相変わらずビル冷房は電気中心だというようなことになっておりまして、こういう点でも何が適正、どの部分はガスどの部分は電気、どういうふうに適正に配分されるのかと、配分というのですか、分配されるのかというようなことについても、やはり価格というものが響いて機能しなきゃいけないのじゃないかという気がするんですね。国の方で通産省か経企庁かどちらかよくわからないのですけれども、どういうお考えでいらっしゃるかお聞かせ願えますか。

○政府委員(安田佳三君) 私どもといたしましてただいま電気料金の申請を受けておりますので、意見を控えさせていただきたいと思います。

○政府委員(藤井直樹君) 石油情勢をめぐって大きな変化が起こっているわけでございますが、こういうコスト増が急激に起こっているということは事実として受けとめなければいけないわけでございますが、その価格の反映が市場を通じて行われる場合には、対抗力が働くことも考えられるわけですが、公共料金の場合には一たん決められるともう選択がきかないわけでございますので、そういう意味で利用者の負担を求める場合には厳正に、慎重にやるということでなければならないのではないか。私どもとしては公共料金に関しての基本的な考え方はそういうところに置いて従来ともやってきております。

○江田五月君 それがどうも足りないんじゃないか、考慮の幅が狭いんじゃないかという気がして仕方がないところなんですね。つまり、公共料金というのは拮抗力がないから、だからカットしていろいろ厳しい目で見て査定をしていかなきゃならぬという、それもあるけれども、それ以上にエネルギーというものの将来展望というものについて、国民が非常な不安を持っているんだ、その点を一体どうふうにして、どういうエネルギー展望のもとで需要と供給とをこれからずっと誘導していくのかということが、政策担当者としては当然なきゃいけないんじゃないかということなんです。その申請があるからお答えできないということですか。そこは踏み込めないとこうなんでしょうか、通産省としては。

○政府委員(安田佳三君) 査定を担当する者といたしましては、いろいろエネルギー問題についての考え方はございますが、この際いろんな誤解があってもいけないということで、もう少し後にさせていただきたいと思います。

○江田五月君 もう少し後ならまた後で、とっくり議論を聞かせていただきたい、教えていただきたいと思いますが、そういう意味からすると電気事業法、ガス事業法の原価主義というものが何だかアウト・オブ・デートになっているんじゃないだろうかという気がして仕方がない。エネルギーというものはいまそれがどういう原価でつくられるかによって決められるものじゃなくて、もっと遠い将来を見通した上でエネルギーの価格は決められるものじゃないか、そういうふうになってきているんじゃないか、それが時代の趨勢じゃないんだろうか。高いばかりがいいというわけじゃありません。ナショナルミニマムということも考えなきゃならぬ、そういう意味では逓増制というものがいまのような中途半端なものでいいのかどうかということもありましょう。またいろんなことがあるけれども、基本的な考え方についてちょっと議論をしてみたわけでありますが、この原価主義というものはもうあれですか、いまの政府のお考えはもう崩すことのできない絶対の真理みたいなものになっているんですか。

○政府委員(安田佳三君) 私どもとしましては、電気事業法第十九条の規定に基づきまして、原価主義の原則にのっとりまして厳正に査定するという立場でございます。

○江田五月君 そんなことをおっしゃっても、法律だってたびたび改正案を政府の方からお出しになるわけで、私はそれはいまの査定のお立場はわかりますよ、査定のお立場はわかるけれども、査定というものをもっと超えて、エネルギーということについてもう少ししっかりした立場を確立してもらわなければいけないんじゃないかと思うんですが、いかがですか。

○政府委員(安田佳三君) 御指摘のように、いろいろ考えなければならない問題は非常に多いと思います。私どもといたしましても、そういう問題は長期的な課題として真剣に検討しなければならないと思っております。ただ、現在の段階で直ちにそういう形を導入できるかといいますと、なかなか関連する問題がたくさんございまして、直ちにはそういう考え方を検討するということは申せないような状況でございますので御了承いただきたいと思います。

○江田五月君 将来の問題として真剣に――しかし余り将来お考えになるんじゃなくて、やっぱりなるべく近い将来真剣に考えていただきたいということを一つ要望して、あとまだいろんな論点があると思いますが、質問をこれで終わらせていただきます。ありがとうございました。


1980/02/20

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