1979/12/11

戻るホーム主張目次会議録目次


90 参議院・法務委員会

(倉石法務大臣のロッキード事件問題発言について)
民法及び民法施行法の一部を改正する法律案について


裁判官や検察官と弁護士との間で、司法修習後の初任給に格差が生じている問題に関して初任給調整手当制度がありますが、その額が九年間据え置かれたことに関し、行政の惰性を鋭く追及しました。

さらに、同委員会で、民法及び民法施行法の一部を改正する法律案に開し、また将来起こるべき問題について、政府委員に検討を約束させました。


○江田五月君 先月の九日行われました倉石法務大臣のいわゆる青天白日発言をめぐって、先般もこの委員会で質問をさせていただきましたが、きょうは法務大臣、さらに総理大臣までが本会議で陳謝をなさるというようなことになって、どうもどこでそういうことになったか知りませんが、これまで法務大臣の辞任とか罷免とかを要求されていた大きな会派が、これで納得をしたかに見えるわけです。

 私どもは、かやの外に置かれておりまして、なかなかこれでもう終わりというのは納得はできないわけでありますが、さればといって、おやめくださいとか罷免がいいんだとか、いろいろ言ってもどうもごまめの歯ぎしりのような感じでもありまして、しかし、まあこれで終わりというわけにもいかない感じがしますので、ちょっとしつこいようではありますが、再度伺っておきたいと思います。

 この法務大臣の発言がこれほど大きく問題になった、そして法務大臣御自身が適切を欠いた軽率な発言であった、あるいは総理大臣も軽率な発言で遺憾に思うというようなことを述べられなければならなかったということは、この発言がいかに大きな意味を持ったものであったかということを示していると思います。これは法務大臣、そういう職責にある者が本来持っていなければならない倫理に大きく欠ける発言であったからこういうことになったわけでありまして、たとえば現職の裁判官には除斥とか、忌避とか、回避とかというような制度があるわけでありまして、ある裁判官――高等裁判所の裁判官をやっていて、地方裁判所で自分の娘が弁護士としてある事件に関与した。その事件が高等裁判所にやってきた。それだけの理由でその裁判を自分が担当するのは好ましくないのではないか、へんぱな裁判をするように見られるおそれがあるのではないかということで回避をされるという、それほどの倫理感を持って仕事を現場ではやっているわけであります。

 倉石大臣の発言のことを考えながら手元の法律雑誌を見ておりましたら、ここに「法学セミナー」という雑誌十二月号ですが、表紙を一枚めくったところに「正義は行なわれているように見えなければならない」こう書いてありまして、イギリスのロード・デニングという裁判官の言葉でありますが、これを大阪高裁判事の見島武雄さんという方が解説をされている。「法を職とする者の深思すべき名句である」、法曹に限らず法の執行の最高の責任者である法務大臣、当然そういうことはもうこれはお考えになるのが法務大臣を拝命される際のいわば常識であろうというふうに思うんです。

 現場の検察官もあるいは弁護士も、そして法務大臣が直接指揮をすることはできませんが、裁判官も皆正義が行われているように見えなければいけない。ちょっとでも疑惑が生じてはいけないということで一生懸命努力をしているわけであります。もちろん、正義が行われているように見えるということはどういうことか、その内容にはいろいろな議論があります。ちょうど、昭和四十五、六年でしたか、青法協の問題が起こったときにもそのことは議論されましたが、しかし、いずれにしても、個人の私情で、自分がだれと仲がいいとか、だれと親友であるとか、そういうことで裁判の結果に何かの感情を持ってはならぬことは、これはもう言うまでもないことであります。

 そのことを法務大臣が、まさに裁判の結果に何らかの情緒的な感情を持っていらっしゃるということを公言されたわけでありまして、そのことが法務大臣の適格性を疑わしめる大きな理由になったわけでありまして、きょう本会議場でこうして陳謝をされましたが、これによって大臣は、もう自分の法務大臣としての適格性は欠くるところがなくなったのだとお考えなのか、あるいはどうもいろいろ問題はあってもなお職務を全うさしていただきたいというふうにお考えになっているのか。多くの現場の法律実務家が大臣のいわば倫理に注目をしているわけで、一言大臣のお考え、きょうの陳謝の結果、一体どういう倫理感をお持ちになっているのか、そのことを伺っておきたいと思います。

○国務大臣(倉石忠雄君) もともと私自身が至らない者であることは自覚しておりますが、自粛自戒をいたしまして、努めて精励をしてまいりたいと思っております。

○江田五月君 納得のできることではありませんが、時間の関係もありますから次の質問に移らせていただきます。

 まず、民法及び民法施行法の一部を改正する法律案ですが、多くの規定の合理化といいますか改正をなさるわけですが、民法法人に対して主務官庁が解散をさせることができると。この解散の命令に対しては、旧法といいますか、現行では二十五条で「行政裁判所ニ出訴スルコトヲ得」ということになっておりますが、この規定が意味のない規定であることは言うまでもありませんけれども、現行の二十五条を削除した後にも行政事件訴訟法に従って通常の抗告訴訟をなし得ること、これは言うまでもありませんね。

○政府委員(貞家克己君) 御指摘のとおりでございまして、行政事件訴訟法によりまして抗告訴訟、すなわち処分の取り消しあるいは無効確認の訴訟を提起し得るということは間違いのないことだと考えております。

○江田五月君 二十五条ノ二は、「理事ノ欠ケタルトキ又ハ其所在ヲ知ルコト能ハザルトキハ主務官庁ハ前条ノ処分ノ告知ニ代ヘテ其要旨ヲ官報ニ掲載スルコトヲ得」とありますが、所在を知ることができた場合なのに「知ルコト能ハザル」と認定をして、官報の掲載によって処分を有効だとしたような場合には、これはどういうことになりますか。

○政府委員(貞家克己君) 「所在ヲ知ルコト能ハザルトキ」という表現になっておりまして、これに類似の表現は民法九十七条ノ二の公示による意思表示でございますとか、あるいは民事訴訟法百七十八条の公示送達の要件のような規定がございまして、こういった規定の解釈が参考になるかと思うのでありますけれども、公示送達の要件の規定はこれは裁判所の処分が介入しておりますのでやや違うかと思いますが、少なくともこの改正案によります「所在ヲ知ルコト能ハザルトキ」、これは、当然注意義務を尽くせば知ることができるはずであるというような場合に、これを怠りまして、当然知るべきであったのに「知ルコト能ハザルトキ」という認定をいたしまして処分をいたしました場合には、恐らくその処分は効力を持たないということになるのではないかというふうに考えております。

○江田五月君 処分が効力を生じないというのは、告知が無効であるからということになりますか。――そうですね。

○政府委員(貞家克己君) そのとおりでございます。

○江田五月君 そうすると、改めて告知をしてそのときから出訴期間が始まるということになりますか。

○政府委員(貞家克己君) さような解釈になると思います。

○江田五月君 で、「能ハザルトキ」という、似たようなことがいまの公示送達その他であるわけですが、これについて、どうもなかなか実務の運用がいろいろな点でいま困難になってきているのじゃないかという気がするのです。

 一つは、所在調査を従来は住所地の派出所を管轄する警察署か何かにお願いをしておったと思いますが、これがなかなかやりにくくなってきているというような事実があるのではないかと思います。あるいは郵便官署が郵便物を配達する場合に、特別送達の場合に余り行く先を調べずに返してしまうとか、あるいは転居その他の場合に先々までよく調べず、また転居通知が出されて一年経過しておればもうその事実だけですぐ返してしまうとかというようなことがあって、まあそれはそれで警察の場合でも郵便局の場合でもある合理性は持っておるのですが、所在を確知することができるかどうかについてそういうものを使う場合には、これは非常に困った事態が生じつつあるのではないかという気がいたしておりますが、その辺のことを一体これからどういうふうにしようとお考えなのか、その辺に問題があるというふうにはお考えになっていらっしゃらないのかどうか、お伺いしたいと思います。

○政府委員(貞家克己君) 確かに江田委員御指摘のとおり、たとえば公示送達を許すべきかどうかというような場合に非常に苦心をいたします場合がございます。私自身でございますが、そういった経験も持っております。今回の法人の場合について若干違うと思いますのは、公示送達等々の場合におきましては、裁判所としては縁もゆかりもない全く未知の原告であり被告であるという関係でございますのに対しまして、今度の法人というものは、本来ならば主務官庁が十分常時監督しているべきものでございます。もちろんその理事者の氏名というものも明らかになって、把握しているはずでございます。したがいまして、それは本来自分の監督に服する者の所在を確知するということでございますから、ノーマルな状態、ノーマルな監督状況がございます場合には、その所在不明あるいは理事がどうなったかわからないというような事態は、比較的容易に探知できるのではないか。もちろんこれは法人の事務所の所在地について調査をするだけでは、これは不十分でございまして、理事の住所でございますとか、そういった点についても十分これは調査をされるということを期待しているわけでございます。

○江田五月君 私がちょっと伺いたかったのは、その「所在ヲ知ルコト能ハザル」という事実から、いろいろな法律効果が生ずる場合がいろんな場合にあるわけで、この場合だけではなくて……。ところが、その「所在ヲ知ルコト能ハザル」ということが、かつてと違っていまなかなか認定がむずかしい時代に入ってきているんじゃないか、こういう時代の変化に何かもうちょっと違った「所在ヲ知ルコト能ハザル」という要件を満たすための方便を考えなきゃいけないような時代に次第になってきているんじゃないかということなんです。

○政府委員(貞家克己君) 確かにおっしゃるとおり、現在の郵便とかいろんなあれを考えまして、的確な、具体的な方法というものが考えられるといたしますと、これは非常に法律関係が明確になってくる、すべての点において望ましいことだと思います。この点につきましては、私どももそういった問題意識を持っておりますので、今後検討課題にさせていただきたいと考えております。

○江田五月君 裁判官の報酬等に関する法律の一部を改正する法律案及び検察官の俸給等に関する法律の一部を改正する法律案の関係についてちょっと伺いたいんですが、昭和四十六年に判事補と簡易裁判所判事の一部、検察官の一部について初任給調整手当というのができまして、裁判官の場合は最高裁判所規則、検察官の場合には準則でこれが実施される、最高二万三千円の初任給調整手当が支給されるようになりまして以来、来年九年目になるわけですか、この初任給調整手当というのが九年で全くこの額が変わらない、どうも一度予算を取って、後はそのままの惰性といいますか、マンネリでずっと物事が続けられているんじゃないかというような感じがするんですね。

 これが合理性がないならば削っていかなきゃならぬし、合理的なものであれば九年も同じ額でずっと続くというのもどうも変な話ですし、いろいろ調査の結果もっとふやさなきゃならぬというものならふやさなきゃならぬことになるんだろうし、ずっと同じ額でこのまま続いているということは一体どういうことなんでしょうか。これは裁判官の場合は最高裁規則ですから、最高裁の人事局長おりますか。

○最高裁判所長官代理者(勝見嘉美君) この問題につきましては、江田委員御指摘のとおり昭和四十六年四月一日から実施されているところでございます。この制度が導入されました理由は、当時司法修習生から――私どもの場合は判事補でございますが、極端に志望者が減少したというようなことがございまして、その理由の一つといたしまして、司法修習生を終えて弁護士になられた方との間のいわば収入の上で大きな格差があったということでお認めいただくようなことになった調整手当というふうに考えております。当時、御承知かと存じますけれども、医師等に対しまして初任給調整手当の制度がございましたので、それにならって制度化されたというふうに聞いております。

 制度の発足時におきましてそのような趣旨であったわけでありますが、現在においてもその理由は同様でございます。結局修習を終えて弁護士になられた方の平均収入と判事補に任官した者の平均収入との差の問題であるわけでございます。弁護士の収入につきましては、私どもなかなか補捉しがたい面がございますが、毎年私どもの方では司法研修所を通しまして、特に各弁護士事務所からいろいろな応募条項というようなものが知らされるわけでありますが、それなどを参考にさせていただきまして、毎年弁護士の最初になられる方の平均、特に東京在勤――東京で開業されている方が主になりますが、一応調査させていただいております。その調査の結果でございますが……

○江田五月君 簡単で……。

○最高裁判所長官代理者(勝見嘉美君) 私どもの調査の結果では、判事補の改正後の報酬、それから本年度の最初の弁護士の収入との間にはまだ格差がございますが、その格差は住居費等の関係を考えますと必ずしもがまんできない額ではないのではないかというふうに考えまして、従来からこの手当の増額をしていないという実情でございます。

○江田五月君 実態をいろいろ調査の上この制度の運用を図っておられるというお答えになるんでしょうけれども、それにしても、四十六年のときにはこの最高額の初任給調整手当というのは報酬の三割以上になっているわけですね。同じ額で現在はもう一割未満になっているわけでありまして、どうも実態をうまく把握してそれに即応してこの初任給調整手当の存在理由を満足させる検討を加えて額を決めているというふうには思えない。多くする必要があれば多くしなきゃならぬし、行政というものが、たとえばアメリカなどではサンセット法というようなものがあるのは御承知のとおりでありまして、一つの制度をつくってしまったら、それがいつまでもずっと惰性で続いてしまうというところにいまの行政の大きなむだが生ずる原因があるわけでありまして、こういうところに何かそういうことが見られるわけで、その都度の緊張を持った行政というものをやっていただきたいことをお願いをして、質問を終らせていただきます。


1979/12/11

戻るホーム主張目次会議録目次