2012年4月14日

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最後まで「情の人」だった/楢崎弥之助さんを悼む

(元参院議長・江田五月)

 「楢さん、死んじゃったよ」。連絡を受けた時は、本当に驚きました。「また東京に行きたい」と語っていたと、人づてに聞いたばかりだったからです

 晩年は福岡市の自宅で一人暮らし。朝は風呂に入り、昼はコンビニで買い物、夜は行きつけの飲み屋で仲間と歓談する日々でした。亡くなった朝も、いつものように自分で風呂を沸かし、身体を洗い終えた状態で見つかったそうです。最後まで人の手を煩わさず、自ら身を清めて旅立った。見事な大往生でした。

 「国会の爆弾男」と恐れられた楢崎さん。すべて自分で資料を集め、問題点を追及しました。「楢崎商店」がきらびやかに、自前の商品を売る風情でした。

 政治行動は柔軟でした。社会党を飛び出し、若手だった私や菅直人さん(前首相)らと社会民主連合(社民連)を結党。所属議員を二手に分け、当時の社会、民社両党と「二股」で統一会派を結成しました。融通無碍と言われますが、「社会党と民社党の歴史的和解」が念願でした。政権交代に向け、総評と同盟に分かれた労働戦線の統一や、新党結成を目指したのです。

 原理主義に陥らず、置かれた政治状況下でどう行動すべきか、常に考えていました。民主党による政権交代までの過程にも、こうした考えが生かされたと思っています。

 政権交代後は多くのお叱りも受けました。昨年夏、菅さんの首相辞任を求める手紙を永田町にまいて話題になりましたが、後に「菅ちゃんが可愛くてしょうがなくて……」と電話で語っていました。最後まで「情の人」でした。

 民主党の状況は厳しいですが、今後も教えを守り、困難に立ち向かいたいと思います。


楢崎 弥之助ならざきやのすけさん 
元衆院議員 心筋梗塞のため 2月28日死去・91歳

「毎日新聞」 2012年4月14日 掲載


2012年4月14日

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