2009年5月14日

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江田五月参議院議長との対話 (鷲山恭彦・東京学芸大学学長)

今月のワシヤマ Vol.40より


5月14日に牧山助友事務局長と一緒に、参議院議長公邸に江田五月さんをお尋ねしました。

鷲山… 一昨年2007年の8月に第27代の参議院議長に就かれました。与野党逆転の参議院で、議長の役割は格段と大きくなりました。

江田… 実は参議院は、このところ9年ごとに与野党逆転しているのです。一昨年の逆転で参議院では小沢一郎さんが総理大臣に指名されました。その9年前の1998年にも逆転して、この時は菅直人さん、その9年前の1989年には土井たか子さんが総理大臣に指名されました。結局はすべて幻に終わったのですが。

 議長は、第一会派ということが慣例になっていまして、これまでは逆転していても自民党でした。しかし今回は民主党が第一会派になり、私が満票で議長に選ばれました。

鷲山… 運営ではどのようなことを心懸けておられるのでしょう。

江田… 「ねじれ国会」などと言われて、ねじれが悪い印象の言葉のように言われますが、藁をなったのが縄ですし、紙切れをなったのがこよりです。縄もこよりも、人間の知恵と力が生み出した妙味です。ねじれのエネルギーをどう引き出すかだと考えています。

鷲山… 具体的にいいますと。

江田… 一番の知恵は、両院協議会を活用することです。これまで、なかなか開催されなかったのです。古い時代には、両院協議会で合意の出来たケースもあったようです。与野党逆転のときだからこそ、両院協議会が衆参の合意形成の要になるべきだと考えました。条約や予算については何回も開催しましたが、なかなか成案は得られませんでした。本当は法案こそ、いろいろな意見はあっても調整は必ずできると思っています。

 結局チグハグなことになってしまった「道路特定財源特例法」などは、調整した方がまともな法律になったと思いますね。両院協議会を活用して一段と高い合意を形成していくという文化は、まだまだ定着していません。

鷲山… 衆議院と参議院のねじれについてはそうですが、参議院において可否同数、議長裁定という場面はおありでしたか。

江田… 1票差ということは何回かあって、正直いってひやひやしました。可否同数の時は、民主党出身の議長だから民主党案に軍配を上げると、民主党の方は思うかもしれません。しかしリーガルマインドの観点からいうと、ちょっと違うと考えています。可否同数の時は、消極といいますか、現状維持というのがルールだと考えています。

 ただ、インド洋での給油の継続法案のときは、否決になりましたが、可否同数であったらどうでしょう。それまでの給油法が失効していて現に給油はしてないわけですから、していないのが現状なのか。しかし失効してから短時日しか経っておらず、それまでアフガン制裁のために国際協力活動をしていたのだから、何かのかたちで活動を継続するというのが現状なのか。これは難しいですね。そういう悩みがこれからもあると思います。

鷲山… 私は1962(昭和37)年に大学に入学しました。そのとき江田さんは、自治会の委員長でした。

江田… 前年の秋に自治会の委員長に選ばれ、1年留年して活動しました。当時、戦後の民主主義理念とは逆コース的な施策が打ち出されていました。例えば、中教審の「期待される人間像」などもそうでした。

鷲山… 当時の首相は池田勇人さんで、寮祭の「寮デコレーションコンクール」で私たちの部屋では「池田さんの庭造り」と題して、庭木がどれも右に向けて剪定されている作品を出して入選したことがありました。

 「期待される人間像」をまとめた高坂正顕さんは東京学芸大学長で、戦前の「世界史的立場と日本」という主張もあって、私たち学生は批判的でした。今はそこの学長ですから妙な気分がします。

江田… 1962年の春頃から「大学管理制度」が模索され、秋には新規立法が出てきました。

鷲山… 「大学管理法」といわれたものですね。大学の自治、学問の自由を侵す大変な法案だと江田さんはストライキで反対することを提案され、可決されました。

 11月17日のストライキ当日は私は構内の寮に住んでいましたから、みんなでピケットラインを張りに正門に出かけ、江田さんの演説を聞きながら、授業に出たい学生を説得しました。

江田… 今の学生諸君はどうでしょうか。当時の学生は、このように政治問題や社会問題に敏感でよく行動したと思います。

鷲山… 当時は、自治委員やクラス委員や寮委員が問題提起をして、それをめぐってよく議論しました。政治情勢、日本社会の性格、基地問題、社会変革の方向とか、結構大所高所の根本的な問題提起があって、啓発されましたし、いろいろ考えました。やはり議論しないとだめですね。

 今はそのように提起するところがないし、提起しても内向きというか、自分中心主義で、議論が社会的に媒介されて発展しないし、どう行動していいかわからないところがあると思います。考えを深めたり、構想したり、連帯したりという潜在欲求は強くあると思いますが。

 あのストライキの当日は、学内集会を開いた後、都内の各大学からも大勢学生が集まり、「大学管理法粉砕」を叫んで、文部省や国会にデモ行進しました。

江田… 反対運動の大きな盛り上がりの中で、政府は法案を国会に出すことを断念しました。しかし大学はストライキを禁止していましたから、ストライキ指導の責任が問われました。

鷲山… 委員長の江田さんが退学処分、副委員長の中島義雄さんが停学処分でした。学部長室に撤回を求めて交渉にいったことを思い出します。

江田… 1年後に大学に戻ることが許されて、法学部に進学しました。政治学の丸山眞男先生のゼミにはいりました。

 卒業後、司法研修所に入り、「将来は弁護士かなあ」と思っていましたが、希望調書に「弁護士か裁判官」と書いたところ、「本当に裁判官をやる気があるのか」といわれて、「あります」と応えたのがきっかけで、裁判官の道を進みました。

鷲山… お父様の江田三郎さんは、社会党代議士で書記長も務められました。後に社会党を離れて社会市民連合を作られましたが、しかしその直後になくなられ、後継に江田さんは否応なく担ぎ出されました。確か1977年でした。

江田… 後継は固辞していました。ところが、結成直後に他界したということ、そして父が死んだ日と私の誕生日が一緒だったということで、もう引き受けるしかない、これが天命かと。この二つのことがなかったら、裁判官を続けていたと思います。

鷲山… 江田三郎さんは、戦前、戦争に反対したため治安維持法違反で投獄された経歴をお持ちですね。

江田… 2年8ヶ月ほど獄中にいました。先日、『おくりびと』を見に行きましたが、出獄してから神戸で葬儀屋をやっていました。西田天香の一灯園の関係者が配慮してくださったのだと思います。「お坊さんは亡くなった人に引導を渡すが、生きた人間に引導を渡すのは葬儀屋なんだ」といって、大変使命感をもってやったそうです。今もその会社はあります。

 ただ父は、お客から金を取らなかったりして大赤字を作り、辞めることになって、中国に行きました。

鷲山… 中国のどちらだったのでしょう。

江田… 華北の石家荘というところです。水路の建設の仕事をしました。あるとき八路軍に疑われて、背中に鞭打ちのみみず腫れを作って持ち物を全部取られて戻ってきたことがありました。しかし後で、八路軍から「悪い人ではないことがわかった。申し訳なかった」といって取られた物が全部戻って来ました。こういう軍隊は例がありません。

 石家荘からなので、戦後は無事に日本に帰れましたが、満州だったらどうなっていたかわかりません。

 戦後、父が中国を訪ねたのは、亡くなる直前に一度だけです。日中関係は気になったでしょうが。

鷲山… 社会市民連合は、翌年、社会民主連合となりました。小さい政党でしたから、江田さんのご苦労も大変だったと思います。しかし、明後日の5月17日は、鳩山由紀夫さんと岡田克也さんの間で民主党の党首選です。

 1960年代の学生時代に同時代の精神を呼吸し、そして半世紀が経った今、江田さんは参議院議長、横路孝弘さんは衆議院副議長をされています。大きな感慨があります。そして、いよいよ日本の政治において民主党の出番という時を迎えつつあります。

江田… 私はこういう立場ですから制約があって、後ろ手をしばられているようなものですが、正念場を迎えています。

鷲山… 先日に「みどりの式典」でお会いしたとき、参議院議長ですから離れておられるとは思いましたが、「民主党の大学政策がよくわからない」ことをお話ししました。

江田… 私はかつて、衆議院時代に文教委員をしていましたし、科学技術庁長官もしましたので、文教行政、科学技術行政については関心は大変あるのですが、ただ離れて久しいですし、こういう立場ですので、民主党の文教関係者として鈴木寛さんをご紹介します。

鷲山… 本学は教員養成を主とする大学です。学生へのメッセージをいただけたらと思います。

江田… かつて「デモシカ教師」とか揶揄された時代がありましたが、いまはどうなのでしょうか。私は子供の頃、『二十四の瞳』を読んで、教師になりたいと思ったことがあります。使命感と意欲を持って、子供たちの「育ち」のお手伝いをして下さい。その過程に関わることで、皆さん自身の人生も必ず豊かなものになると思います。しかし、自己犠牲はいけませんよ。皆さんがご自身の子どもを生み育てて、それを生徒や親たちに応援して貰うことも、大切だと思います。頑張って下さい。


 この後、鈴木寛さんから民主党の文教政策を伺いました。かつて民主党議員が小泉首相に「国立大学は民営化がいいと思うがどうか」と質問して、小泉首相から「大賛成」という答弁を引き出したことがあり、大学関係者はそのことをよく覚えていて、民主党というと民営化という印象があり、政権を取ると自民党より悪い大学政策をするのではないかと思っている人が多いことを伝えました。

 それに対して鈴木さんは、『教育のススメ』という民主党教育政策の資料を示し、まず民主党提案で「学校教育環境整備推進振興法案」を出して教育予算の充実をはかる、参議院で審議して、採決までもっていきたい、そしてこの延長には、効率化係数による削減をやめ、高等教育予算は増額したい、国立大学への予算総額を増やしたいという考え方である。

 また民主党提案の法案としては「教育職員免許の改革に関する法律」案というのもある。これは、教員免許状は修士までにしたいというもので、「ネクストキャビネットで議論して了承された」といっておられました。

 大学の実情をよく知って頂くために、本学への調査の訪問をお願いしたところ、快諾を得ました。


2009年5月14日

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