2001/04

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木と花の国のアイデンティティー


今年は、例年になく花見の機会に恵まれた。まだ五分咲きのころに、花冷えが続き、花が長持ちしたこともあったのだろう。街を行き来する間にも、東京でも地方でも、見事な桜並木に出会った。
 
4月2日は、同僚の小川敏夫、内藤正光両参議院議員と、千鳥が淵から靖国神社に花見に出かけた。

不況も何のその、すごい人出で、車は前にも後ろにも動かない。降りて、屋台に座り込んで、真っ昼間から缶ビールに焼き鳥。「江田さん頑張って」と、声をかけられる。お叱りを受けるかとも思ったが、声をかける方も、顔はほんのり桜色。庶民の怒りは、もっと深いところにある。一緒に車座になって、政治改革に怪気炎を上げたいところだ。

3日、参議院の法務委員会で、府中刑務所の視察に出かけた。刑務所の中も、もちろん時は春。花が咲き乱れていた。受刑者に里心が生じるのではないかと、余計な心配をした。道中、近くの道路が桜のトンネルになっていて、座席の高いバスからは、窓ガラスがなければ花が顔に当たりそう。感嘆した。

東京の桜は、最近、はらはらと花びらが舞うのでなく、ボトッと花ごと落ちるのが増えてきたと、誰かが言っていた。ソメイヨシノの変化のことだ。本当だろうか。ご存じの方がおられたら、教えて下さい。

私の地元、岡山の桜は、まだそんな不気味な散り方になってはいない。散るときは、見事な桜吹雪だ。

7日、岡山市を貫流する旭川の河川敷で、地元の後援会の皆さん30人ほどで、花見をした。シートを広げ、車座になって。この川は、蒜山高原を源流とし、瀬戸内海に流れこむ一級河川で、戦後、地域の皆さんが土手に桜を植えた。延々一キロ。私が少年時代に没頭した古式泳法、神伝流の水泳道場だったところで、当時はまだ幼木だったが、今ではもう古木。本来は土手に木を植えてはいけないらしいが、ここまで育つと、逆に行政も、「桜祭り」を後援するほどに態度を豹変させる。寒さは去り、強い日差しで、顔が火照った。

花見はさらに続く。翌8日は桃の花見。岡山は言うまでもなく、白桃の産地。各地に桃畑があるが、中でも板野日出男さんは、毎年すばらしい桃を作って賞を受ける、傑出した篤農家だ。私たちも、板野さんのご好意で、毎年桃見会を楽しませて貰う。50人ほどが集まって、イノシシ肉のバーベキュー。「桃之夭々」という中国の春秋時代の詩を思い出す。日差しは、さらに強い。

桃は勝手に散らせるわけには行かない。摘花作業が大変なのだ。元気な花だけを選んで残す。一本の細枝に、最終的には1つか2つ残すだけ。私も、花を一つ一つ見比べてみた。同じ枝なのに、花心のピンクが、濃いものと薄いものとがある。濃い方が今朝咲いたもの、薄いのは昨日だそうだ。なるほど、納得。その後、袋かけ、消毒、選果などなど。しかも枝は高からず低からずで、腰を痛める。桃の作業はお米の比ではなさそうだ。
 
この日はその前に、後楽園の外庭で行われた黒住教の主要行事のひとつ、宗忠神社の「御神幸」に参加した。大元と後楽園との間を、黒住宗晴教主のご一行が往復し、後楽園で一休みする。これが「御旅所の儀」というわけだ。花見客で大渋滞なので、車を降りて駆けつけ、やっと間に合うと、最前列に案内され、参加者代表のひとりとして玉串奉奠。初夏かと思うほどの陽射しで、雅楽の演奏で舞った巫女さんも汗だくだくだっただろう。

外庭は、芝生の広場だが、周囲を大きく伸びた何本もの楠が取り囲んでいる。うっそうと茂る楠の葉が、強い日差しにきらきらと輝いている。まだ新緑ではないから、去年からの葉だろうが、鮮やかさは衰えていない。

黒住教主は、私の高校先輩だし、こういう雰囲気も結構好きだ。


桜、桃、楠。花見、神事。何とも「日本的」である。そこで、こうした営みが、「日本国」のアイデンティティーかなとも思う。

しかし、ちょっと待てよという気もする。

昨年のクリスマスイブに、麹町聖イグナチオ教会のデ・スーザ神父のミサに参列した。縁なき衆生ではあるが、私の参議院宿舎のすぐ近くなので、20世紀の締めくくりをしようと思ったのだ。フィリピン、イラン、韓国など、外国人の参拝者も多い。英語のミサということもあろうが、これだけたくさんの外国人が、この国に住み、ここで人生を送っているのだ。

いろんな理由があったことだろう。自分で選び、幸せな選択だった人もいよう。歴史の荒波に翻弄されて、今が決して幸せとはいえない人も多いように思う。確かなことは、この地が、その誰にとっても大切な生活の場だということ。これが21世紀の私たちの国なのだ。国家主権とか、国家に対する忠誠とか、頭が痛くなるようないかめしい概念は、20世紀でおしまいにしたいものだ。

国会では、憲法の議論が進んでいる。昨年の通常国会から、衆参両院に憲法調査会が設置され、一年以上経過した。おおむね5年で、調査を終えることになっているから、議論の筋道もそろそろ見えるものにしていかなければならない。私は、民主党の憲法調査会の事務局長でもあり、憲法を絶対変えるとか、絶対変えないとかの、前提を置かずに、これからの「この国のかたち」をどう作っていくか、自由に「論憲」しようとしている。

その際、一つのテーマは、 日本国のアイデンティティーだ。「神の国」だとか、「日本人」だとか、いや「戦争放棄」だとか、賑やかだ。今や「天皇制」だという人はいないと思うが、かつてはこれもあった。

国にアイデンティティーというものがあるのだろうか。個人がそれぞれ、自分自身のアイデンティティーを確立することが第一。その上で、ある国に生活する多くの個人と国との関わり方で、共通項の多いものがあれば、それを国のアイデンティティーと言ってもいいかも知れない。

そうすると、間違いなく、桜や桃や楠は、この国のアイデンティティーだ。もっと視野を広げてみれば、四季の変化に恵まれ、国土の7割が森林に覆われているという、豊かな自然環境こそが、日本のアイデンティティーだといえる。それなのに戦後、ダムに頼るあまり森林を粗末にし、今になって洪水や海水の変化に慌てている。木や花や、森や林を大切にしたい。

随想「森林」No.45 7月1日号掲載


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