2000年4月6日
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密室政変劇の怪(クレムリンもびっくり?)

昨日私は、「内閣総辞職と新首班指名はやむをえない。憲法70条に該当との判断も是認できる。」との旨を書きました。しかしその後、今回の政変に、重大な疑惑が出てきました。整理してみます。(敬称略)

4月6日午後6時15分までに判明している情報を、とりあえず時間を追って整理してみると、

  • 4月2日午前1時頃、小渕首相、ライトバンで公邸から順天堂医院へ
  • 午前4時ないし5時頃、青木官房長官、医師から小渕緊急入院の通知を受ける
  • 午前7時頃、村上正邦自民党参議院議員会長、青木に起こされ議員宿舎の自室で緊急入院を聞く
  • 午前9時頃、羽田空港にいた森喜朗幹事長が小渕緊急入院の連絡を受け、帰郷をキャンセル。
  •  同日(時間不明)綿貫民輔小渕派会長は、同じ連絡を受けていたが、一緒にゴルフ中の加藤紘一元幹事長には伝えず。

  • 正午頃、赤坂プリンスホテルに青木、村上、森喜朗幹事長、野中広務同代理、亀井静香政調会長が集まり協議、青木が「体調不良で緊急入院、左足にしびれ、数日から1週間程度の入院が必要」と病状を報告、午後11時に集まることにして散会
  • 午後2時、2度目のMRIなどの検査で、脳梗塞の診断確定
  • 午後6時頃、首相官邸から時事通信、共同通信に、「首相は、午前6時に起床、公邸で終日過ごした」と説明。これは、全国各紙にそのまま配信された。
  • 午後7時、青木、病院に小渕首相を見舞う(何が話し合われたか、そもそも話ができたかは、不明)
  • 午後7時半、病状急変
  • 午後8時、昏睡状態になり、ICUへ
  • 午後9時50分、人工呼吸器取り付け

  • 午後10時頃、赤プリに森、野中、青木、村上、亀井の5人が集まり協議(ここで病状をどう説明したかは不明)の上、宮沢喜一蔵相(青木が打診したが、「青木さんが受けるべきだ」と断る)、河野洋平外相(宮沢に電話で、「自分は受けない、君は覚悟した方がいい」と言われた)の名前も挙がったが、青木を首相臨時代理にすることを決定
  • 午後11時半、青木記者会見、「小渕総理が過労で緊急入院、検査中。官邸の説明は承知していない。」

  • 翌3日午前1時半、5人が散会。この間に、次期首相を森とすることに決定
  • 午前8時、野中が神崎武法公明党代表に上記協議の結果を伝える
  • 午前9時、青木は「私の一存で」首相臨時代理に就任することを決定
  • 午前11時、青木記者会見、「小渕首相は脳梗塞、近日中に公務復帰は無理。昨夜7時見舞ったときは、意識もあり口もきけ、『検査の結果によっては、青木官房長官が臨時代理を務めるように』と指示され、午前9時に自分の一存で臨時代理に就任」
  • 午後12時40分、臨時閣議、報告
  • 午後4時、青木記者会見、「小渕首相は昏睡状態、人工呼吸器を装着」

  • 4日午後7時、臨時閣議、内閣総辞職
  • 5日午後1時、衆議院本会議、同1時半、参議院本会議、森首班指名

つまり、徹底した情報かくしと情報操作が行われました。未だに医院側から何の報告もなく、誰からも何の説明もありません。小渕さんの病状はどう推移したのか、時間の経過を追って明らかにして貰うことが必要です。それによっては、2日午後7時の小渕・青木会談が存在しなかったとか、逆に、小渕さんがまだ十分判断力も表現力もあるのに、途上国ばりのクーデタが行われたとか、とんでもない違法行為が行われているかもしれません。

分かっているだけでも、2日午後7時に青木さんが面会したとき、臨時代理の話は出ていません。出ていれば、その後の5人による協議の話がおかしくなります。意識不明になった時と、臨時代理に就任した時と、時間があきすぎています。何のために時間をあけたのか。権力の空白です。いずれにせよここは大問題です。

臨時代理だけでなく、自民党次期総裁と次期首相候補を、上記の5人と公明党だけで決めています。壮大な中間省略手続きですが、自民党はこんな党議決定の方法を是認できるのでしょうか。

参考 4月 3日 行政監視委員会会議録 小渕総理緊急入院の事情

   5月15日 行政監視委員会会議録 小渕内閣総辞職の疑惑


2000年4月6日
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