2000/03/03 「地球憲法」も共に考えよ

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参院憲法調査会幹事江田五月参院議員に聞く 「世界日報」インタビュー

《論憲私見》 新しい国際秩序と整合性ある憲法を


――国会で憲法調査会の論議が始まったことについて。

 憲法の議論は随分、長い議論で、いたずらに対立ばかりしてきた。そういうことではなく、国会の中で議論をしようということになって良かったと思っている。

 僕の場合は、民主党憲法調査会事務局長と参院憲法調査会幹事、野党第一会派の幹事なので責任重大だ。民主党の議論をまとめなければならないが、そのために考えていることは、自分の考えは個人として大切にするが、そこへみんなを持っていこうということではなくて、当の憲法論議を実りあるものに集約していくため努力していきたい。

――憲法についてどのような考えを持っているか。

 いまの憲法を制定した歴史の経過からして、第二次大戦後という世界史のある段階における世界のフロントランナーの憲法であったと思う。国連憲章の表裏一体のものとして日本の憲法ができて、あの未曾有の戦争の反省の上に生きているわけだから、重要な憲法だと思う。

 それだけに特殊な時代背景を色濃く持った憲法ではある。戦争放棄に使われている言葉遣いは、特殊な時代背景を考えればぴったりくるが、戦後五十何年たって、いまの世界史の時代を背景に考えたら、なかなか解釈が難しいところも出てきている。

――「五十五年体制」という自社対立一辺倒の時代から政界再編が起き、約十年たってから憲法論論議になったわけだが。

 自社対立『五十五年体制』というのはいろんなところで、戦後の世界の分裂を日本国内で表現していた。政界再編、自社対立の克服は世界の冷戦構造が崩壊したことと軌を一にしている。世界の対立が日本の中に現れていたのが『五十五年体制』であり、憲法をめぐる状況であり、それを乗り越えたわけだから政党も再編されていくし、憲法についての議論も従来の対立とは違った時代になったわけだ。

 だから、冷戦構造崩壊から十年たったが、そうした歴史の変化というものをみんなが認識をして、その上に立って議論をするためには、それくらいの時の流れが必要だったということだろう。

――憲法調査会で「二十一世紀の日本の形はどうあるべきか、議論すべき」と強調しているが。

 衆院が憲法制定過程の調査に精力的に取り組むということだが、衆参が同じことをやっても仕方がない。日本のこれから進んでいこうとする国の形について、もう一度、国民的な議論をやってみて、こんな国をみんなで作ろうということで、ある種の合意ができればそれは新しい憲法の姿かもしれない。

 それと今の憲法が同じか違うか。同じなら同じで、いや、だけど、こんなことを加えようということが出てくる。違えば書き換えようということがあるかもしれない。それは議論してみないとわからない。

 だけど、僕はそんな中でこの国の形を議論するときに、やっぱり基本は、これからの国というのはどんどん国境が低くなっていく時代だから、日本が国際社会の中で国威発揚を図っていく、そのために国民精神総動員といった国の形にはならないと思う。

 そうではなくて、今の憲法が基本にしている国民一人ひとりの幸福追求権というのが社会の基本だと。それを国が全体として支えていくという国をつくり、そういう国が世界とつながり、世界といろんな契りを結ぶ―ということになっていくだろうと思う。そうすると、基本は基本的人権とか平和主義とか民主主義とか、今の憲法の基本と同じことになると思う。

――国際化していく時代において、地球規模で考えなければいけない課題をどう憲法論議に取り込むか。

 第二次世界大戦が終わったときに、世界は一つの世界になったという意欲に燃えて、国連憲章を作り、それと軌を一にする日本国憲法を作った。いま同じような状況が世界にある。第二次世界大戦が終わって、我々は第三次世界大戦を迎えなかったのかというと、どうもそうではないのではないか。

 第二次世界大戦が終わったとき、世界をどう作るかと構想するときに、日本は残念ながら世界を議論する立場になかった。いまはそうではない。第三次世界大戦が終わった後、世界をどうするという時に、日本も新しい世界史の始まりにあたって責任を負って世界のことを考えなければならない立場にいる。

 そうすると、国際社会の平和な秩序をどう作るのかとか、地球の環境をどう守っていくとか、掛け替えのない地球に肌の色が何であれ、どこに生まれようと人間として尊ばれる世界をどうやったら作れるのかということを日本は世界の皆さんと考えて、ちょうど国連憲章を作ったように、いわば新しい時代の地球憲法を作らないといけないのではないのか。

 その新しい地球憲法と整合性のある日本の憲法とは何なんだろうかと、こんなことも考えてみる必要があるだろう。

――過去十年ほど振り返ると、湾岸戦争で、日本に応分の責任分担などが求められ、集団安保などの憲法論議が盛んになったという背景もあるが。

 湾岸戦争の当時、議論していたのだが、湾岸戦争とそれ以前の国際紛争の違いというのは、冷戦終結ということだ。米国はそこで大変な軍事的力量を発揮したのだが、幾つか言えることは、やはり国際社会の合意なしに米国一国で行動することはできなかった。安保理のいろいろな決議があってはじめて米国および多国籍軍の行動が世界から受け入れられてきた。つまり国際社会の決定で、国際社会の負担で、国際社会の紛争を解決しようと変わってきた。

 やはり、あの出来事以後、集団的自衛権という話ではなく、集団的安全保障という議論に世界は大きく変わったのだろう。表現はあの通りでいいかは別として、まさに憲法の前文や九条の、国連を中心とする国際的安全保障体制、つまり国際的警察体制だ。警察と言っても、その場合の国連の実力組織は、軍事力を伴うものになっていくのは当然だろう。

 世界の紛争の性格は、主権と主権がぶつかるのではなくて、国際秩序を守っていく者と、国際秩序を破壊する者との紛争、というように変わっていく。そんな中で日本は国際社会の秩序をきちんと守ることで、国際社会の共同対処に日本も加わるということになっていくのだと思う。

――日本国憲法は国連憲章と軌を一にすると指摘したが、憲法が現実から離れたのは、国連がうまく機能しなかったこともあり、冷戦後も本来の状態ではないと思うが。

 それは急がなくてはならない。冷戦というのはそれなりの秩序だったわけで、その秩序が崩壊して、ほっとけば世界がますます無秩序状態になってしまうので、国連がちゃんと役割を果たすように努力しないといけない。努力なくして国連のことを悪く言っても仕方がない。いまも国連がいいか悪いかは別として、やはり国連しかないと思う。

――民主党内の議論は。

 だらだらいつまでもやるつもりはない。鳩山由紀夫代表は二、三年と言っており、それも一つの見識かと思っている。

(世界日報3月3日・4日掲載)


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