1975/01/30-2

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75 衆議院・予算委員会


    午後零時二十九分開議
○荒舩委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。
 質疑を続行いたします。江田三郎君。

○江田委員 午前中、三木内閣の第三の柱、社会的公正という問題について、まずインフレと不況の問題をお尋ねしたわけです。

 いずれにしたところで、弱い者が苦しむということは、まだまだ長く続いていく条件の中に置かれておるわけでありまして、その弱者対策として、あなたの方でも、いま社会保障の充実ということを大いにやったと言っておられるわけであります。なるほど、今回の予算を見ますと、社会保障費全体が公共事業費を上回っておる、あるいは総予算の中で占める比重も大きくなっておるわけであります。ただ私は、たとえば老齢福祉年金を一万二千円にする、あるいは重度身障者の介護手当を一万円にする、それはそれでけっこうなんでありますけれども、一体そのあとどうなるのかということを聞きたいわけなんです。国民の関心は、きょう現在があると同時に、来年、再来年はどうなるかということなんであって、この社会保障の将来はどういうような青写真が出てくるのか、その点をはっきりしてもらわなければならぬと思うのです。まずそこからお尋ねします。

○三木内閣総理大臣 午前中の江田さんの質問、きわめて建設的な御質問だったと思います。したがって、まあ野党の諸君の言われることで、政府は、もうすべて政府がやることが正しいとは思ってないわけです。傾聴すべきものがあるならば、率直に耳を傾けて実行しなければならぬ。ことに縦割り行政の中で非常に弊害がある。そういう縦割り行政の弊害というものもわれわれは見逃すことはできない。そういう点で、水島のあの事故などを中心として、確かに御指摘のように、いろいろ縦割り行政の弊害はありますよ。だから私は、直ちに福田自治大臣に、福田自治大臣を中心として、現行法規の非常な不備、これを直ちに改正という方向で取り組むような指示をいたしました。今後も建設的な御質問は歓迎をするということを申し上げておく次第でございます。

 それから、いま御指摘の社会保障制度でありますが、私もそう思うわけであります。したがって、社会保障制度には長期的な計画が要る、したがって来年度、五十一年度から社会保障制度の長期計画というものを策定するということで、また年金制度なども、厚生省の方で見直しをして、年金制度というものがいまのような形でありますと、江田さんから言えば、一万二千円というような福祉年金、けちくさいとおっしゃるけれども、財政的支出ですから、掛金がないのですから、いまのような仕組みとしては、いまはこれはやはり野党の諸君がお考えになっても、内心は、精いっぱいやったと評価されておるのに違いないと思うのです。やはりどうしても仕組みを変えないと、これは二万円、三万円と言われても、全部財政資金ということになれば、その財源というものは容易でないことはおわかりですから。まあいろいろな提案がございますから、年金制度というものも、来年度の予算に反映できるように見直しをする、社会保障制度も五十一年度から長期計画を立てる、こういうふうに考えておる次第でございます。

○江田委員 総理が、午前中の私の質問に対して、直ちに自治大臣と相談をされて取り組まれたということは非常にありがたいことで、議会政治がそういうことになると、国民もまた大きな期待を持ってくるし、また、あなた方がそういう態度をとられれば、野党だってやはり実現可能なことと取り組むことになってくるわけなんであって、私は非常にいいことだと感謝しております。

 そこで、この社会保障の問題について、特に年金の問題について、五十一年度からということなんでありますが、問題は、拠出のない年金のことは別にいたしまして、拠出年金にしたところで、たとえば五年積立が今度どうなるか。無拠出が一万二千円に対して、五年が一万三千円ですか、下手をすると無拠出がやがて追い越すようなことにもなってくるわけだし、それぞれの拠出年金が行き詰まってきていることも言うまでもないことである。問題は、拠出年金について賦課方式に変えるのかどうかということになってきていると思うのです。

 申すまでもなく、年金はそれぞれの国の出発点も違います。最初は日本のように、戦時中の軍事費を捻出するために、年金という名で強制積立をやったという出発もあります。だけど、どの国も積立年金から出発をして、そうして賦課方式に転換をしたわけなんで、欧米諸国の中で一番転換の遅かった西独にしても、一九五七年に転換をしているわけなんです。そして御承知のように、六十五歳で定年になればそれまでの所得の七五%が保障されるというような、本当に豊かな老後が保障されておるわけなんです。いやしくもGNPが世界で三番目という日本で、それができないことはないと私は思うのです。世代間の不公平というようなことを言う人がありますけれども、私はこれは官僚的発想だと思います。現在の老人が戦争中どんなに苦労したか。戦後の物のない中で、子供を育てるためにどれだけ苦労したのか、子供を教育するためにどんな血の出る思いをしたのか。そうして子供は大きくなった、自分は年をとった、しかし核家族化になり、子供はめんどうを見てくれない。積立年金をしてみたところで、インフレの中で目減りがしてしまう。これを考えれば、賦課方式に移れば世代間の不公平が起こるのじゃなしに、いまのままほっておけば世代間の大変な不公平が続くということなんでありますから、これは総理、思い切って転換をしていただきたいと思うのです。

 なお、その転換に当たって、負担が一遍に重くなる、掛金が重くなるという問題があります。だけど、そういうことも、現在の積立金が大体十一兆でしょう、これを計画的に取り崩していくんだということになれば、そんなにたえがたい負担じゃないわけなんで、しかも、西独にしてもイギリスにしても、人口の老齢化というものは、日本がいま老齢化が急に進むといいますけれども、いろいろ比較してみると、あまりかけ離れたことじゃないので、その中でやっているのですから、これは大英断でやるという方向で五十一年以降の案を確立していただくよう、その点どうでしょう。

○三木内閣総理大臣 私は、人間の共通の不安の中で、老後をどうするかということは、もうこれ一番切実な不安だと思います。だから福祉年金も、江田さん、あれは私が政調会長のときに初めて創設したのです。私は関心を持っているわけです。したがって、いまのような方式では行き詰まりが来ますから、これはいまいろいろ御指摘になりました、いろいろ意見の分かれるところでございますから、そういう意見もいろいろと取り入れながら、もう少し根本的に年金制度という問題を解決する。いま賦課方式のお話もありました。積立金に対して、計画的におろせ、あるいは積立金の金利だけを使えとか、いろいろ意見もありますが、そういう意見もいろいろと踏まえ、学識経験者の意見も徴して、やはりもう少し根本的な検討を加えて、来年度の予算の編成には間に合わせたいと考えておるわけでございます。

○江田委員 いずれこの年金の問題は、今回の予算委員会で、各党とも非常な関心を持っておられることでありますから、いろんな角度から議論が詰められると思うのです。そういう中で、いままでの厚生省の出した白書なんて官僚的発想にとらわれないで、思い切ったことをやってもらわなければ、年寄りはがまんができないわけですよ。そのことは、われわれはやはり賦課方式に転換して、そうして全体の制度の統合を図る以外にはない、八種類もあるような、こんなことではどうにもなるものじゃないと思います。

 また、賦課方式に転換した後、無拠出のものをどうするか、これは比較をすれば、どの程度にしたらいいという答えがおのずから出るわけでありますから、ぜひ積極的に取り組んでいただきたいと思いますが、同時に、整理統合しなければならぬというのは年金だけじゃないわけで、健康保険だってそうでしょう。いまのように、老人医療が全部国民健康保険に回ってくる。過疎地帯なんかは、老人医療だけでも手が回らない、動きがとれない、こういう状況についてどうするかという問題もあるわけでありまして、私は、こういう健康保険なんかの改正が問題になるたびに、いつも医師会とのトラブルが起きることを、ある意味では苦々しく思っておるわけであります。厚生大臣が武見会長の前に平身低頭する姿がテレビにあらわれる。国民はどういう気持ちであれを見るのか。もういいかげんで、ああいう姿勢はやめてもらわなければならぬと思うのです。

 最近、新聞の報道を見ますと、政府の方は五十四年度までに医薬分業を五〇%に持っていくんだということが出ております。これはぜひ断行してもらいたいと思うのでありまして、いま日本の医療制度というものがいかに薬の乱費になっているかということは、もう周知の事実でありまして、去年の医薬の使用高が一兆七千億円、そのうち八割がお医者さんで使われておる、その中に効かぬものもあるということは、厚生省の再評価のあの報告でわかるわけで、ちょっとかぜを引いたら、赤いやつや黄色いやつをふろしきに包むほどくれる、これをどうするかということなんでありまして、われわれは、医師の技術というものは、社会的常識に照らして評価をきちんとすべきだと思います。しかし、薬の乱用によらなければならぬというような、こういう制度は速かに脱却しなければならぬわけでありまして、そこにこの医薬分業ということが大きな意味を持つと思います。

 ただ、どうもあなた方は医師会に対して弱いんじゃないのか。医師の税制優遇の問題について、三木さん、五十一年度でということをあなた言われておったようでありますが、あれを言われた途端に、医師会はいろんな審議会から委員を引き揚げてしまったじゃありませんか。医薬の分業が問題なら、またそれをやるんでしょう。そういう中で、あなた方は、どこまで毅然として国民とともにこの医療制度の改革をやっていくのか。どうも従来の行き方を見ると、非常に情けない思いがするわけであって、今度もあの七二%というものに取り組めなかったというのに、三木さん、あなたも少し弱いんじゃないですか。その決意をはっきりさしてください。

○三木内閣総理大臣 やはり江田さんの御指摘のように、諸外国に比べて倍ぐらい薬をよけい使っているわけですから、薬が乱費の状態にあるという批判は当然起こるべきだと思います。こういう点で医療制度というものは、健康保険の問題も触れましたが、そういうことを思うにつけて、社会保障というものに対して、皆が自分の利己的な立場では、健康保険だってこれはなかなか統一と言ったってできやしない。もう少し何か社会連帯という――いかにも江田さんから言えば抽象的なことだとおっしゃいますが、社会保障制度というものを整備するためには、やはり社会連帯の意識というものが社会の中に根底にないと、制度を少し変えようとしても、みんな自分の利益というものを守って、絶対反対ということになってくると、既得権益の上で皆が主張するわけですから、容易でない。そういうことで、私、施政方針演説のときにも特に取り上げたわけです。

 医師の七二%の特別措置に対して、おまえもまた言っておるではないかというお話でございましたが、私は何も医師会に押されたというわけでないのですけれども、あの経過をよく調べてみますと、あれは昭和二十九年だったですか、江田さんも皆お加わりになって、そうして各派の共同提案で、適正な診療費の決定まで、この七二%の所得税控除の特別措置をするという決議をなされたわけで、どうも税制調査会の決定だけでそれを強行することに無理がある。やっぱり適正な診療費を決定するというのも一方についておって、それまでの特別措置で、医者に対する所得保障の意味もあの立法の中にはあるわけですからね。それをやらずにこちらだけということには無理があって、私も必要な場合は勇気をふるうことはいたしますけれども、やはりその勇気というものも、合理的なものでなければなりませんので、診療報酬という問題もこれを解決しないと、ただ所得税の特別控除というものに対して、それが起きたときの原因というものがそこに原因があるものですから、そういう点のいきさつにかんがみまして、これは診療報酬の問題もこの際に検討しよう、それとあわせて所得税の特別措置の問題も取り組もう、そのことが経過にかんがみて適当であるということで、医師会に押されたというものではないということは、どうぞ御理解を願いたいのでございます。

○江田委員 とにかく、この問題が出てから、医師会はいろいろな審議会から、医師会が持っておる二十七のポストを全部辞退するというような態度をとっておるわけでありまして、あなたいろいろおっしゃいますけれども、国民から見ると、またしても始まったという印象を持っておるわけでありまして、特に社会的公正ということを高く掲げられた三木さんとして、これはひとつ勇気をふるってほしい。私は何も医師会を押さえちまえばいいと言うのじゃない。やはり医師の技術料というものは、社会的常識に照らしてきちんとした評価をすればいいけれども、何かあると、事ごとに総辞退だ何だということをやって、そうして厚生大臣が、今度の厚生大臣はどうか知らぬけれども、ぺこぺこ頭を下げるようなことはやめてもらわなければ、恥ずかしゅうてかなわぬということを言っておきます。

 それから、やはりもう一つ問題になっているのは、貯金の目減りの問題ですね。これをどうするのか。ある意味では、日本の資本主義というのは、大衆の預貯金の目減りの上に成り立ったと言ってもいいわけであります。それが、昨年来の狂乱物価その他で事態が非常に深刻になって、二年たったら元本が半分に近くなるというような事態で、あの目減り問題が起きた。そしてゼンセン同盟が訴訟を起こしていることは、もう御承知のとおりであります。ゼンセン同盟の大阪の今度の裁判において、政府側の訴訟代理人が、一万円というものは一万円に違いないのだ、そういう意思表示をし、このゼンセン側の要求を入れる余地は全然ないというような発言をしたということが新聞に出ておりましたが、一万円は一万円だというそのことを、三木さん、あなた、この国会で、一万円は一万円に違いないんだ、政府が補償する必要はないんだ、かれこれする必要はないんだということを国民の前に言えますか。言えないとしたら、あの裁判で発言している政府側代表の発言というものを変えてもらわなければならぬと思うのでありますが、その点は一体どうでしょう。

○三木内閣総理大臣 そのためにもインフレを抑えるということは大事でありますが、過去のインフレのもとに貨幣価値の変化が起こったことは事実でございますが、これを全部補償するということは、各国の例をとっても、政治の現実の課題として、それは不可能でございます。しかし、できる限り政府はそういうことにも目を向けて、何らかの目減り対策を、こうしたいと、まだ結論が出てはおりませんが、検討を加えておることは事実でございます。

 また、社会保障制度などに対しても、今後、現に予算等においても力を入れておるわけでございまして、減ったことは事実だけれども、それを全部政府が補償せよということは、政治の場面としては無理がある。

○江田委員 そういう処理の仕方がむずかしいということは、もう言うまでもない。だれでもわかっている。しかし、いやしくも裁判の段階で、一万円は一万円じゃないかというような発言が許されていいのか。政府側の訴訟代理人という立場の人がそういうことを言うのなら、三木さんもこの場所で、国民の見ておる前で、一万円は一万円だと言い切りなさいと言うんです。それが言えないのなら、あれを訂正させなさい。そのことを言っているんです。

○三木内閣総理大臣 政治家として、貨幣価値に変動があるということは常識ですから、法律論ということではなくして、だれが考えても、昔の一万円といまの一万円では貨幣価値の変化があることは、だれの目にも明らかでございます。購買力に対して変化がある。購買力でですよ。

○江田委員 そこで、貨幣価値の変化があるということは、あなたの答弁もそうだし、だれが考えたってそうなのであって、一万円は一万円だなどとばかなことを言う官僚根性がいかぬということを言っているんですよ。

 そこで、あの訴訟の中において原告側が、「“貯金目減り”を招いた失政」、国の政治の間違いを「一覧」として出しておるのであります。簡単に言えば、一つは、為替政策が「円切り上げのタイミングを逸し逆に景気刺激策をとった(四十六年八月以降の一連の金融政策)」。二が「列島改造政策の誤り 円切り不況を過大視して超高度成長型予算を編成「過剰流動性」を手にした大企業を土地投機に走らせた」四十七年、四十八年度の予算の問題。第三は石油危機への対応の立ちおくれ、「石油消費抑制措置や総需要抑制策の発動がおくれた(四十八年十月以降)」、さらに「消費者に正確な情報を流さなかったためパニックが起こった(四十八年末以降)」。四番目が「政府の日銀に対する過度な介入 特に大蔵省が日銀に干渉し過ぎたため、通貨価値を守る日銀の本来の機能が混乱した(四十六年一月以来、六度にわたる公定歩合引き下げ)」というのが鑑定書として出ておるわけでありますが、いま私が申しました要旨に対して、三木さん何か反論がありますか。

○三木内閣総理大臣 いろいろな経済政策、その当時としては衆知を集めて適当だと思う経済政策をとったことは事実ですが、振り返ってみると、その経済政策が内外の情勢に照らして適当であったかどうかという評価は別だと思います。そういうところに、政治の反省も私は要ると思いますが、そのことに対して政府が全部補償するという例は、世界各国にもございませんし、政治道義の問題であって、それが財産補償の一つの課題として取り上げることには無理がある。しかし、政治的な道義的な責任というものは、政治家として当然に反省はしなければならぬが、それを損害賠償の対象にすることには無理がある。

○江田委員 あなたは政府に道義的な責任があると言う。道義的というのが、解釈のしようでどうにもなるわけでありますが、しかし、あなたが最近、名古屋の記者会見において、やはり目減り対策は前向きに取り組むということを言っておられたようでありまして、これはそうですね。だが、私はここで細かい具体策を聞こうとは思いません。これは私の持ち時間の制約もありますし、また、わが党の同僚から詳しい質問がありますから、あまり細かなことには入りませんが、ただ、この目減り問題は、過去の目減りをどう補償するかという問題と、将来そういうことの起きないような事態をどうするかということと二つあると思うのです。

 そこで、インデクセーションのついた公債なり、あるいは特殊な貯金というような提唱もありますが、そういうことは、もう答えは聞かないで、前向きにやるということだけで、同僚の方に私は問題を譲りますが、ただ問題は、一方においてそういうひどい目に遭った者がある。片っ方においてインフレで大変な得をした者がある。その一番最大のものは土地でしょう。和光証券調査部の調べの東証全上場の千三百七十五社の昭和四十年度現在における資産は、償却資産と土地と株式で、帳簿価格に比べて九十兆円の値上がり。おおよそそうですね。あるわけでありますが、その中で一番大きいのは土地の六十八兆円。これは東証の上場会社だけの話なんでありまして、ほかにも同じようなものはあるわけでありますが、とにかく土地がわずかな間にこんなに上げ上げしている。このキャピタルゲインの中で一番の不当利得、これを許しておいて、社会的公正ということになるのかどうか。預貯金の目減りの問題はどう補償するか、非常に技術的に困難な問題もあります。しかし、何か積極的にやってもらわなければならぬが、同時に、片っ方のこちらを逃しておいていいのかということなんであります。

 大蔵大臣、こっちの方を見ておられるけれども、あなたは、この前聞いていると、まだこれは利益が現実化していないのだから課税するのはおかしいんだというようなことをおっしゃいましたね。だけれども、シャウプ勧告のときはどうです。あのときに資産再評価をしてちゃんと取ったじゃありませんか。われわれはそういう前例を持っているのであります。今日のようなこの土地の不当利得、だれが考えてもがまんがならぬ。これをほっておいていいのかどうか。社会的公正ということを尊重される三木さん、これはどうです。

○大平国務大臣 土地の再評価益の問題、とりわけ法人所有の土地再評価益をどうするかという問題につきましては、江田さんも御案内のように、本院におきましても、たびたび議論になっておるところでございます。先般も本院の本会議におきまして答えましたゆえんのものは、この益金は、この値上がりはまだ実現していないという意味をもちまして、徴税に取りかかるのは若干無理があるのではないかということを一点、私、申しましたほか、もし仮にこれに課税をするということになりますと、実現していない利益に対しての課税でございますので、自然低率にならざるを得ない。以前、戦後やりましたことは、いま御指摘のような実績もあるわけでありまして、その場合はたしか六%であったと思うのでございます。六%ということになりますと、法人税率よりずっと低いわけでございまして、そこで、再評価をいたしまして六%の再評価税を徴収しておきますと、今度仮にその土地を売却した場合におきましては、かえってその者は得をするわけでございますので、そういうことも考えまして、必ずしも得策ではないのではないかという趣旨の御答弁を申し上げたわけでございます。

 しかし、国民感情といたしましても、あるいは社会的公正感から申しましても、御指摘の点は、私はまことに問題なんでございますが、これをどのようにして税制の網の中で合理的にすくい上げて問題を解決してまいるかということは、これまた非常に技術的に困難な問題があるということでございまして、まだ手がついていないわけでございます。検討はいたしますけれども、私は、非常に困難であるということだけは、御理解をいただいておきたいと思います。

○江田委員 とにかくシャウプ勧告のときにやった前例もあるわけなんです。そうしていま、片一方でこういう目減りがあるのに、片一方でこんな不当利得ということは、何としてもそれは国民ががまんできませんよ。これについては、余りにも技術的なことにとらわれないで取っ組んでもらわなければならぬということであります。

 そこで、時間がありませんから、そういう問題の細かな点は、私は同僚議員に譲りまして、先へ進みたいと思うのでありますが、一体、社会的公正というのはどういうことをしたらいいのか、そこに一つの基準がなければなりません。その基準というのは何かと言えば、やはり憲法だと思います。憲法二十五条の「健康で文化的な最低限度の生活」の保障、それをそのときの時代でどう数字化していくかということになってくるわけなんであって、大きく言えば、所得は国の社会保障で保障されていく、そうして社会福祉なりあるいはサービスなりというものは、自治体が中核になって、いろいろな組み合わせで保障されるということになっていくのが、これが社会的公正だと思います。われわれがシビルミニマムなりナショナルミニマムと言っているのも、そういうことを、憲法の二十五条のあの条文だけを口にするのでなしに、ひとつ現実化しようじゃないかということを言っておるのでありまして、その点、恐らく三木さんも反対はなかろうと思います。

 そこで、ただその場合に、いまの段階になると、ただ所得という面の保障だけでなしに、それが物の面の保障ということに移らざるを得ないのじゃないのか。資源が限られておる、人口と食糧とのバランスもなかなかむずかしくなったということを考えますならば、社会的公正の実現のために、所得だけでなしに、国民が本当に必要とするものをどう保障していくかということが制度として確立されることが必要になってきているのじゃないのか。それによって初めて、あなたの言われる、物質的には簡素に、しかし精神的には豊かな連帯というものが生まれるのだと思うのであります。

 そこで、そういう国民の必需物資あるいはサービスにつきましては、公共料金なりその他の制度があるわけでありますが、私はただ、公共料金やあるいは公定価格というような問題だけでは足りないんじゃないのか。いまのものでは足りないんじゃないのか。

 そこで参考になるのは、去年八月、前の総理府総務長官の小坂さんのところで物価問題調査会がありまして、あの調査会で、生活関連物資、何がウエートが高いのかということで、百七品目が挙げられております。その中には、現在、公共料金として取り上げられているものもあるし、そうでないものもあって、むしろ、身近な食料品であるとか、衣料品であるとか、あるいは環境衛生関係の料金などがたくさん出ておるわけなんでありまして、こういうもので本当にウエートの高いものについては、たとえば、財政投資も必要でありましょうし、あるいは金融も必要でありましょうが、国のバックアップによって、安定した供給が保障されるということを考えていかなければならぬのじゃないのか。それはもう去年のあの狂乱物価の中でわれわれ非常に痛感したわけなんであります。

 そういうことをわれわれはシビルミニマムとして言っておるわけなんでありますが、ただ個々の問題は、そのときの経済情勢によって違います。何と何とを保障するかは、そのときの経済情勢によって違い、これは官僚的に指定するものではなくて、やはり国民参加の中でこれが民主的に決定されるということなんでありますが、とにかく言わんとするところは、大枠において、国の社会保障、そうして自治体を中心とする社会福祉、そうして国民の生活必需物資については、国あるいは自治体が安定供給をする、そういう一つのシビルミニマム、ナショナルミニマムという体制をこれからつくっていくのが、今後のわれわれの行き方であり、人類の行き方ではないかと思うのでありまして、そういう大筋の議論としては、あなたも賛成でしょう。

○三木内閣総理大臣 われわれの目指しておる政策も、それがナショナルミニマムでございます。これがシビルミニマムでございますとは申しませんが、そういうものを目指して政策を立案しておることは、これはやはり言うまでもないわけですが、しかし江田さんは、広範な生活のいろいろな広い部門にわたって、そういうものをつくれというお話なのか、まあ少なくともこれだけのことはナショナルミニマム、シビルミニマムというものをつくれということなのか、そういうどの範囲のことだけはつくれというようなお話であるのかもしれませんが、これはいつか社会党の方でも御研究を願って、いろいろ御提案を願えれば結構だと思うのですが、われわれの目指すものも、言ってはいないけれども、結局はそういうものを目指して、国民生活の安定をはかりたいと考えておることは、それは事実でございます。

○江田委員 大筋において、そういう考え方が今後の政治なり経済の理念になっていかなければならぬということであります。

 そこで、ミニマムは保障される、人間が人間として生きていく最低限度のことはきちんと保障される、ぜいたくをしてもよろしいよ、しかし高くつきますよ、そういうことに持っていかなければ、これから人類の生きていくことは不可能になってくるんじゃないのか。だから、たとえばこの不況をどうやって切り抜けるかという問題についても、私は、従来の路線上でただ救済するということでは、余り意味がないんじゃないかと思います。

 この間、私が非常に印象に残ったのは、ある電気製品メーカーが、自分のところの製品を実用品としからざる物に分ける、実用品については一割値段を下げる、そういうことをやる。なかなかおもしろい行き方だと思います。われわれは大企業の膨大な広告費によって、必要でもない欲求をつくり出されているんじゃないのか、それに追い回されているんじゃないのか。そこから脱却しなかったら、いつまでたったって窮乏感はなくなりません。

 そこで、本当に実用に適する物、ただしそれについては、同時にその部品についても、二十年なら二十年はがっちり保証させる、そのかわり、それについては物品税も安くする、そういう国の誘導政策がなければならぬのじゃないのか。そこにやはり、何が国のために必要なのか、何がそうでないのかということについて、一つのシビルミニマム、ナショナルミニマムという――あなたはあの言葉を余りお好きにならぬようですけれども、言葉はどうでもいいですよ、そういう一つのコンセンサスが生まれなければ、将来日本というものはあり得ないんじゃないか、人類もあり得ないんじゃないかということを考えるわけです。それは賛成でしょう。

○三木内閣総理大臣 これだけのものは少なくともナショナルミニマムというような一つのものがあっていいということに対して、私ども賛成です。それがやはり政策の目標になる。また物の点に対して、やはりいい物を長く使うようにしないと、使い捨てというような、次々に目新しい物を追っていくというような生活態度では、これからはやっていけないという江田さんのお説にも賛成です。それに対して、物品税などに対して考えたらどうかということも、一つの見識であるとして承っておきます。

○江田委員 私が言うのは、一つの個々の小さな例をとったんですけれども、そこに、従来のこの高度成長の中の税制なり、あるいは財政なり産業政策なりの大きな転換が、いま求められておるのではないかということなんであって、いまそういうような転換をするために――転換をしたくても、財政硬直でできないんだということを三木さんも悩んでおられるわけでありますが、財政硬直というのは、私は問題を矮小化していると思うのです。財政硬直じゃないのです。制度の全面的な改革が必要になってきておるのであって、ただ従来のように、財政制度審議会をつくって、そこで、ああでもないこうでもないという意見を聞いてみたところで、そんなものはほとんど実を結ばぬということは、もう過去において、池田内閣以来何回かやって、経験をしていることなんです。

 問題は、もっと大きな変革の時代に入ったんだ。ただ、私たちがそう言うと、あなたはこの間の早とちりのように、すぐ革命かというようなことを言い出すのですが、そんなことを言っているんじゃない。ただ私たちは、一体民間は何をしたらいいのか、国は何をしたらいいのか、あるいは自治体は何をしたらいいのか、もっとそこに整理が必要になってきているんじゃないかと思うのです。

 私は何といっても民間を大事にしなければならぬと思います。この前の臨時国会で、わが党の田邊君の質問に対して、経済の計画化ということを言ったら、あなたはすぐにそれを国有のようにとって、反対しておられましたが、われわれは国有なんてそう簡単に考えている問題じゃないのです。われわれは社会主義ということを言う。しかし社会主義は国有でなければならぬとは思っていない。国有は目的じゃない、手段なんだ。高い効率と市民的自由、そういうものの保障された世の中をつくっていくかということなんであって、私はやはり、現代においてマーケットメカニズムというものは尊重さるべきものだと思います。だけれども、無制限なマーケットメカニズムが許されぬことは、これも言うまでもないわけであって、そこに、あなたがよく言われるルール、独禁法なり、あるいは環境保全なり、あるいは労働者の基本的権利、消費者主権、そういうものがどう生かされるかというルールは厳しくして、そのルールの中で自由な競争ということは、これは当面われわれがとるべき道だと思います。そこに何としても独禁法というものがきちんとしなければならぬということなんであります。

 あなたは独禁法について、公取の案というのは必ずしも理想的じゃない、こう言っておられますが、公取の案のどこが間違っているのです。どこがいけないと言うのです。その点をまず聞かしてください。

○三木内閣総理大臣 私は理想的という言葉――私の言ったことは、正確に言えば、最善、絶対のものではない、これはそう言ったわけで、公取の案は参考にすべきものだと思いますが、公取の案でなければ、自民党にしても、あるいは社会党その他野党の諸君でも、もうこれが絶対のもので、これに対して改正をする――この公取の案と違った方法で独禁法を改正することが後退であるという説には納得できません。これはやはり、公取がつくったものが絶対のもので、これをいささかでも改めたならば、それは後退であるという説には、私は納得しない。

 それはやはり自民党の内閣においても、各方面の意見――御承知のように、学界からも労働界からも入って、衆知を集めて、日本の実情に即した、自由経済の中において厳しいルールをつくろうと思って、いま懇談を重ねておるわけでございますから、そういう各方面の意見を徴して、そうしてできるだけ理想的な独禁法をつくろうとしておるのであって、公取が絶対のものだというなら、公取主権のようなものである。そうは思わない。それはしかし、私が言っておることは、自由経済体制が日本の実情に沿うから、これを守っていきたい、そのためには厳しいルールというものを持たなければ、自由経済体制は維持できるものではない。そういうことで骨抜きにせない、こう言っておるので、いまここで、まだ各政党においても検討を加えておるし、懇談会が開かれておる最中に、私が個々の案について申し上げることは適当でないということは、物わかりのいい江田さん、おわかりくださると思うのでございます。

○江田委員 言葉数が多かったということだけはよくわかりました。必ずしもわかりはしない。それなら、あれが理想的でないんだというようなことを言わぬでもいいじゃないですか。理想的でないと言うたら、どこが悪いのかということを聞かざるを得ないじゃありませんか。

 あなたが……(三木内閣総理大臣「最善、絶対……」と呼ぶ)まあ、それはいいが、もっとこの独禁法の問題については、巷間いろいろ説が飛んでおるわけなんで、あなたもひとつ、かっちり筋を通してやっていただきたいと思います。
 そこで、時間もありませんから、いろいろ申し上げたいことを飛ばして言うのでありますが、私はさっき言ったように、民間と国と自治体とがどういうような仕事の分担をしたらいいのか、そこを根本的に検討をしなければならぬのだ。ただ単に財政硬直でどうとかこうとかということじゃない。

 そこで私は、施政方針の中であなたの言われていることで非常に感銘を受けておる言葉があるのです。それは何かというと、「いまや価値観も変わり、国民は華やかな消費生活よりも、美しい自然環境の保全、文化の発展、快適な生活環境、医療と教育の充実、公共施設の増強を求めています。そうした住民の要求に直接こたえなければならぬのが地方行政であります。」このことは、地方行政というものをあなたは非常に重く見られた、これは大した見識です。われわれは新しい憲法によって地方自治というものが確立された。だけれども、長い中央集権の惰性の中で、たとえば、現在でも地方選挙があれば、閣僚の中には出向いて、中央直結でなければならぬというようなばかげたことを言う人があるわけです。そういう中で、あなたがこの地方制度に重点を置いた考え方を述べられたことは、一つの敬服すべき見識であって、本来、民主政治というものは、私は地方自治の中から生まれてくるのだと思います。コンセンサスといったところで、地方でコンセンサスが生まれ、地方で連帯が生まれてこなかったならば、国全体としての連帯もくそもあったものではないわけです。

 それがいま、地方自治体というものは、連帯もなくなる、砂漠のようになりつつあるということなんであって、これをどうするかということ、そこに地方財政の行き詰まりということが言われ、それは人件費の使い過ぎだということを国の方は言われ、地方側は、そうじゃない、超過負担だと言うし、いろいろな問題がありますが、私はこの際、もうつまらぬ補助金はおやめになったらどうかと思うのです。地方の自主性に任したらどうか。補助金なんか削って、思い切って交付税をふやしてしまう。あるいはもっと地方にいい財源を与えていく。中央が先か地方が先かと言ったら、地方を先に考えていかなければならないのであります。そうして地方が何に金を使うかと言えば、地方住民のコンセンサスの中で答えは出てくるわけで、大体国がつまらぬことまで補助金を出して、そうして一律の指導をするというのは間違っておるじゃありませんか。北海道と東京と鹿児島の住民の欲求は一つ事じゃないですよ。みんな違うのです。そこに、思い切ってつまらぬ補助金なんか整理して、地方の自主性というものを尊重するということに切りかえていかなかったら、いま私が深い感銘を受けた三木さんの言葉も死んでしまうのじゃないかと思うのであります。その点についてのお考えはどうでしょう。

○三木内閣総理大臣 私は、こういう大きな変化の時代に、中央、地方を通じて行財政の根本的改革を必要とする、こういうことを申したので、それを革命だということですが、そういう改革をするのは革命ということではございませんで、あなたが御発言になりましたから、私がさような政治観を持っておるというふうにお考えになったら、これは誤りでございますから申し上げておきます。

 私は、いま江田さんの言われたように、環境庁長官もやってみて、環境基準は中央でつくっても、環境行政というのは地方自治体が本当にやらなければならぬ行政であるし、福祉にしても、地域住民と一番密着しておるのは地方自治体ですからね。もっとやはり地方自治体というものを大切にせなければならぬというので、まあ施政方針演説にも、余り地方自治体のことを入れた施政方針演説はなかったのですが、特に私は入れたわけでございます。今後、補助金の問題等も、細かい補助金をみな中央が持って、そのために陳情に来る姿はいい姿とは思わない。これはやはりできる限り地方の自主性に任せながら、しかし責任は持ってもらわなければ困りますよ。自主性を持ちながら責任を持ったような地方自治体を育てていくということは、日本の大きな政治の課題である。この点については、江田さん、いろいろやっておると意見の違う点もあるが、全体の方向としては全く同感でございます。

○江田委員 いま公害の問題をやってみてということをおっしゃいましたが、全くそのとおりなんでありまして、たとえば水島にコンビナートができる、そこから上がる税金はどこへいっちまうのかということなんです。地方に何が残るかということなんです。たとえば今度三菱がああいう事故を起こせば、あそこからの法人事業税はどうなるのか。しかし、あの大きな工場施設はあるわけであって、自治体はそれに対する水の供給から何から一切サービスをしていかなければならぬ。あそこから莫大な税金は上がるけれども、それは国に集まっちまうのでしょう。だから自治体は油回収船一つ持つことができないということが出てくるわけなんです。そういうところに、あなたの好きな言葉で言えば、見直しをしていかなければどうにもならぬところへ来ておるのであって、その基本的な方向というものは、やはり地方自治をどうやって生かすかということでなければならぬと思うのです。中には無責任な人もあります。だけれども、それはおのずから、無責任なことをしたらそのときの住民が損するのですから、住民の中から批判は起きるわけなんであります。

 そこで、時間もありませんから、私は言いたいことをはしょって言うのでありますが、あなたがこの中央公論の中でもう一つ述べておられることは何かと言うと、政治の方向は政治家が決めるんだ、官僚は国会で決めた方向に従って仕事をするんだ、歴史の大きな転換期に当たっては政治家が必要なんだということを述べておられるわけであります。官僚では大きな歴史の転換期に思い切ったかじがとれない、そのことで、われわれは過去において多くの悲劇を経験したじゃないかということを言っておられるのであって、まさに議会の子としてなかなかりっぱな発言をなさっておるのでありますが、私はそういうことについては全く賛成です。そのことに賛成なんだが、三木さん、実態はどうでしょう。予算編成に当たって五百億円しか調整費はないんだということが表へ出された。やってみたら、二千億円、官房調整費というものが出てきた。一体、政治家というものは何であったのか。政治家というものは、官僚の手のひらの上で、孫悟空のように舞を舞ってみただけじゃないのかということなんであって、こういうことについてあなたはどういう感じを持たれますか。

 さらに私は、きのうも新聞を見て偶然といたしました。三木さんも福田さんも大平さんも、施政方針その他において福祉ということを非常に重視しておられる。ところが大蔵省の次官は、財政硬直化は福祉の行き過ぎだと言う。いま福祉を重視しなければならぬ。田中さんのごときは、経済の成果を次の成長にばかり持っていったことが間違いであって、もっと福祉へ持っていかなければならぬのだということを言っておられる。そういう中で、福祉の行き過ぎが財政硬直の原因だというようなことを官僚が言う。調整財源で政治家を手玉にとったという調子に乗って言っておるのかどうか、こういうことを許していいのかどうかということなんです。一体どうします、これは。

○三木内閣総理大臣 まだ政治の流れは、私の言うようにはなっていないことは率直に認めますが、私は、自分に責任を持たされておる三木内閣の間に、政治がやはり方向を決めて、官僚はそれに対して、その方向に従って仕事をしていくような政治の流れに変えたいと願っておるものでございます。

○江田委員 あなたは、自分の任期の間に政治の流れを変える、こう言われますが、官僚が、予算編成でも政治家を振り回す、大臣もわからなかったというのは、一体どこに問題があるのか。いままで、大臣というものを軽んずるような、そういう慣行を持ってきたのじゃないかということです。大臣が任命を受けて、一年もたったら大体かわる。わかるはずはないじゃありませんか。そういうことをやっているから、新しく就任すれば、就任した当日から、官僚の作文をテレビの前で読まなければならないような、こんなことで政治優先の政治が生まれるはずはないのであります。あなたが政治の流れを変えると言うなら、少なくともあなたのこの三木内閣において、特別な事情や失政のない限りは、大臣はみんな任期をともにするという決意があるのかどうか。少なくともそのぐらいのことでなかったら、大臣の権威も何もないじゃありませんか。みずから大臣の権威を弱めるようなことばかりやっておいて、政治が優先するのだ、方向は政治が決めるのだと言ったって、だれも本気になれませんよ。そういうことについてはどうお考えになりますか。

○三木内閣総理大臣 これは、政党内閣でございますから、三木内閣を支える自民党という大きな政党があって、そこにはやはり政務調査会もあり、ただ内閣だけがというのじゃなくして、政党内閣として方向を決めていくということでございます。そして、日本の官僚諸君は、世界でも優秀な官僚でありますから、方向を決めさえするならば、その方向に従って優秀な行政の事務を担当していけると思いますから、流れは変える。いますぐ変わっていないのですよ。いろいろ江田さんの言うことに対して、耳の痛いことがたくさんある。しかし、これから私は流れを変えようとしておるということだけは、ひとつ御了承を願っておきたい。

○江田委員 私に許された時間がなくなりましたが、私はまだいろいろお聞きしたいことがある。あるいは日本の農業をどうするのか。二百海里経済水域ということが通る中で、水産業をどうしていくのかということも聞きたい。あるいは日本の外交についても聞きたい。宮澤ニューライト大臣ができて、かえって後ずさりするような外交というものは危なくて見ておられない。そういうこともあるが、時間がないからやめますが、ただ最後に一つだけ聞きます。

 それは、三木さんがこの施政方針の中で、国連の国際婦人年ということを取り上げておられる。婦人の地位向上のために努める。あなたらしい、フェミニストらしい、いい提言。

 そこで三木さん、一つ具体的に聞きますが、ことしはILOの百二号の批准をするわけでしょう。大体、いまごろ百二号の批准なんておかしいんですよ。もう百三十まで進んでいるのですから、百二号という昔のものをいまごろ批准するのはおかしいが、それにしても、あの百二号の全部を満たしているわけじゃないのですよ。だから、婦人の地位向上ということを言われるあなたは、その中で特に婦人の出産費だけは無料にするということぐらいはやったらどうですか。(拍手)

○三木内閣総理大臣 これは私自身の独断というわけにもいきませんが、よく相談をいたします。私は、あの演説をした後に閣議でも申したのですが、いわゆる事務官などに対してどうも婦人の門が狭いようだが、できるだけ婦人の採用を各省においてひとつ相当積極的に考えてもらいたいということを言って、まあそういうことで、婦人の地位を、憲法で保障するようにできるだけ高めていきたいという趣旨でございまして、具体的な問題については検討を加えます。


1975/01/30

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