1969/02/03

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61 衆議院・予算委員会 前半


○江田委員 私は日本社会党を代表して、佐藤内閣の施政全般にわたって総理に御質問申します。

 質問に先立って、一言言っておきたいことは、総理が一月二十一日自民党の青年部・婦人部全国大会における演説の中で、東大問題に触れながら、私はいま無責任時代にきていると思うと述べられたと報道されております。

 また同じ新聞の報道によりますと、翌日、自民党と財界人の懇談会におけるあいさつの中でも、総理は、大学問題に象徴されるような今日の無責任時代にどう対処するかが政治の根本問題になっていると話されたと出ておりますが、これは間違い、こざいませんか。念のために、あったかないかだけお聞きいたします。

○佐藤内閣総理大臣 そういうことを話したようです。

○江田委員 無責任時代というような、まるで人ごとのようなことばを繰り返されたのでありますが、もし日本がそういう状態になっておるとしましたならば、その最大の責任は歴代自民党政府、そして佐藤総理自身にあるのであって、他人を責める前に、まず自分が深く反省をされるところがなければならぬと思います。

 佐藤総理や自民党の一部の人々は、一部の学生の暴力をいたけだかに非難する、あるいはそれを治安警察強化の口実に利用さえされております。われわれは暴力を排撃いたします。暴力は問題を荒舩するものではなく、特に東大における一部学生の行動は絶対に容認できません。しかし、お互いに政治家として考えてみなければならないことは、大学の改革が多年にわたる問題でありながら、このような激しい形で問題を突きつけられるまでは、大学当局もあるいは政治家もその問題の深刻さに気づかず、いわんやその荒舩策に取り組んでこなかったという事実であります。ひとり大学問題だけでなく、現代の日本の社会において根本的な改革が必要とされている幾多の課題についても、政治が真剣に取り組んでいないのではないか。その結果が暴力を引き起こし、政治不信を拡大しておるのではないのか。もしそうだとしますというと、まさに議会制民主主義の敗北にほかならないのであります。暴力を非難し、これに他の物理的な力をもって対抗することに没頭するよりも、われわれはまず議会の形骸化を反省し、その克服に全力を尽くさなければなりません。

 私は、これからの質問において、国民の多数が疑問に思っていること、ぜひとも政府の考えをただしてみなければならぬと思っていることを、庶民の常識と願望に立ってお尋ねするつもりでおります。したがって、総理も官僚の用意した想定問答集や耳打ちの助けによらないで、あるいは修辞句ばかり多くて、一見懇切なような、中身のないようなことをおっしゃらないで、率直に自分の信念でものを言ってもらいたいと思います。責任ある政治家としての答えをお願いしておきます。

 そこで、まず第一にお伺いしますことは、総理が施政演説において、世界の平和は両陣営がそれぞれ集団安全保障体制のもとに共存し、その間の力の関係によって保たれたと述べられましたが、その見方は一方的だと思います。非常に単純な一面的な考え方だと思います。第一に、総理は、二大陣営のいわゆる力の関係なるものが、実は核を持った両大国間の恐怖の均衡にほかならない、そのような均衡の上に立つ平和なるものは、人類が共滅の、あるいは全滅の破局に絶えず脅かされているところのやいばの上の平和であるということを認識しておられるかどうか。さらに、軍備はそれ自体の法則によりまして、恐怖の均衡には均衡をこわそうとする力、つまり相手より少しでも優越の立場を手に入れようとする衝動が動く結果、軍備拡充競争の際限のない悪循環を生じ、恐怖の水準というものをますますつり上げていくという、そういう事実をお認めになっておるかどうか、その点をまずお尋ねします。

○佐藤内閣総理大臣 私は、いわゆる国際の平和が力の関係で保たれている、かようには申しました。いわゆる力の均衡によって保たれている、かように私は申したつもりはございません。力の関係、自由主義陣営が――いわゆるわれわれの守る自由主義陣営、そのほうが力においてすぐれておる、これが平和勢力なんだ、そこで戦争が起こらないのだ、こういうことを申したつもりです。

 ただいま言われるような恐怖の均衡、これもございます。もちろんそういうものも戦争をやらない。しかし、そのもとはただいま申したように、力の関係、その関係の優劣、それが戦争を起こしておらないのだ、こういうことであります。したがいまして、一部は私の言ったことを理解しておられるが、根本的において違っておる、この点を申し上げておきます。

○江田委員 力の均衡ではなしに力の関係だ、自由陣営のほうが力が強いのだ。いずれにしろ、これは力と力との問題のとらえ方をしておるわけでありますが、そういうような問題のとらえ方でいくというと、結局は際限のない軍備拡大競争におちいっていき、世界の人類は絶えずその破局におびえていなければならぬということになるのでありまして、私は、そういう力という関係でものを将来も処理していかなければならぬという考え方を容認することができないのであります。

 たとえばダイナマイトの発明者でありました、あのノーベル賞の創始者でもありますアルフレッド・ノーベルが、ダイナマイトを初めてつくって、これで究極的な兵器ができたのだ、これでもう戦争はなくなったと彼は信じたわけです。だが、ダイナマイトは戦争をなくすることはできなかったし、戦争の勃発を防止することもできなかったのであります。つまり、どんな兵器もあるいはどんな力も、力それ自体が平和を保障するということは決してあり得ないことだと思います。冷戦の対決の中で、これまでかろうじて世界の破局を防いできたものは、恐怖兵器それ自体でもなければ、核保有大国の率いる軍事ブロックの存在でもなくて、恐怖の均衡にひそむ危険と不安定を認識して、そこから抜け出すことを求めてやまなかった世界諸国民の理性と良識にほかならなかったのではないのか。

 たとえば例をあげましょう。朝鮮戦争のときにマッカーサーは、満州国境に原爆を落として放射能による無人地帯をつくることを考えました。あるいはディエンビエンフーのフランス軍を救うために、ダレス国務長官やラドフォード統合幕僚会議議長は、小型原爆の使用を真剣に検討いたしました。これはいずれも信頼すべき歴史の文献にしるされております。どちらも実施に至らなかったのは、アメリカが相手方の報復をおそれたんではなくて、原爆使用が世界の民衆の間に起こすところの反応、同盟国や友好国の政府や国民が示すであろう反応をおそれたからであり、問題は兵器の次元、軍備の次元ではなくて、政治の次元にあるということを示している例だと思います。われわれは、戦争を防げたのは、まさにそういう人類の良識というものが、あるいは平和を愛好する熱情というものが、これを防いできたんだと思うわけですが、その点どうでしょう。

○佐藤内閣総理大臣 私も先ほどお答えいたしましたように、いわゆる恐怖の均衡とでもいいますか、核兵器が人類を破滅におとしいれるものだ、それだけこわい、強い力を持っているんだ、こういうことも米ソがお互いに理解した、そういう点もあります。そういう点もありますが、同時に、先ほど申したような力の関係、その二つなんです。

 そこで、いま江田君が主張なさる恐怖の均衡、こういう面、それがそのままどんどん行って、軍拡の方向に行くのかというと、両国ともこの強大なる、強力な兵器、その力というものを十分認識しておるから、これがジュネーブにおける軍縮会議になっておる。これが同時に、核をふやさないような努力をしようじゃないかという、そういう方向への努力にもなっておる、かように私は理解しております。

 したがいまして、いわゆる平和勢力とか、あるいは破滅の均衡、そういうものをおそれない状況のもとにおける力の均衡とは申しません。しかし、その後、どんどん進んできておりますから、たとえば、ケネディ大統領時分に核の力は七対一であったといわれたものが、最近はそうではなくなっているとか、そういうところにもだんだん私の言う力の関係は変わりつつある。しかし同時に、そのことが核兵器の持つ、人類を破滅におとしいれるおそるべきものだという、そういう意味の理解もあるから、これは米ソ両国とも、こういう兵器にたよらない、逆に今度は軍縮会議を開く、全面会議、これこそ人類の良知、良心じゃないだろうか、かように私どもは思っております。

 したがって、ただいまの関係を律するにしても、一面だけではいかぬ、そういう意味で私は江田君から、力の関係だけで言う、それはけしからぬとおっしゃるならそのとおりです。しかし同時に、そのことは、いま言われる恐怖の均衡、それだけでもない。やはりいろんなものがからみ合って、ただいまの平和が維持されておる。われわれはやはりそういう方向でこの平和を進めていくのがわれわれの責務だ、かように私は思っております。

○江田委員 いろいろ総理は言われましたが、根本的には力の関係というものが平和の保障という認識に立っておられるようでありますが、そういうことになりますというと、日本の場合、この力の均衡といいますか、力の関係といいますか、アメリカ側のはかりにかかる日本の比重をこれまでより重くするということをお考えになるわけですか。

 私は、最近の新しい国際関係を簡単に特徴づけるとしますと、軍事面における米ソ両核大国間の相互抑止状態は、いまのところ基本的な変化はないままに、それにもかかわらず、二大軍事ブロックそれぞれの内部に、恐怖の均衡のもたらす危険な軍事的緊張や不毛な政治的対立、人為的な経済的障害から抜け出して、自国の運命は、所属する軍事ブロックやその元締めの大国の利害や都合からではなく、もっと自国の利益や信念に即して、自分たち自身の手で決定したいとする動きが強くなっているということが大きな特徴だと思います。総理は、そういう認識はなさらないのか。

 また、日本の国際的比重は、一方の軍事ブロックの強化に奉仕する方向にかけるべきではなくて、むしろ緊張の解消に向かうべきだというお考えにはならないのか、その点をお尋ねします。

○佐藤内閣総理大臣 いまお尋ねになりましたことは、幾つかの問題を持っておるようですが、一つずつお答えをしてみたいと思います。

 私どもは、いまアメリカ自由主義陣営という立場においてアメリカと協力をしております。これはただ日米安全保障条約だけではありません。その他の面におきまして協力関係はあります。それが、いわゆる、いわれるごとき二大ブロックの対立、その片一方の強化というものにあたっているのか、こういうお尋ねかと思いますが、私は、われわれと同じような自由主義陣営に立っておる、その立場においてアメリカに協力しておることは、そのまま認めてしかるべきじゃないだろうかと思います。しかし、軍事的に私どもはアメリカに協力するとか、こういうようなことは、わが国は憲法がございますから、また自衛隊法もございますから、限度はございますし、その点ではそう御心配になることはないと思います。

 また、この二大ブロックの関係、これから見まして、だんだん国際多極化の方向へ行っているのじゃないか、こういうのがただいまのお尋ねの第二じゃないかと思っておりますが、もちろんそれぞれの陣営において、大国の思うがままにそれぞれは動いておらない。たとえばチェコスロバキアも、ソビエト陣営だと申しましても、これはソビエトの言いなりになかなかならない。これは一つの多極化だ。また、自由主義陣営でも、フランス自身は、これはやはり自分たちは拘束は受けない、自由な活動をする、かようにも申しておりますから、これも見方によってはいわゆる多極化と思います。あるいは中ソの関係におきましても、中共とソ連との密接な関係がいままでいわれましたが、これまた最近はお互いに批判し合っておる。そこにも多極化というものがあるかもわかりません。しかし、結果的に見て、現状自身それでは中ソ同盟条約が破棄されたかどうか。これは、お互いに憎しみ合ったような言い方だけれども、ソ連も、中共も、攻守同盟はどちらからもこわしてはおりません。また、フランス自身も、みずからは自由な国際活動をとるといいながらも、NATOにおけるその責任と義務は果たしつつあります。私は、多極化というものを以上のような点から見ると、そう強く取り上げるべき筋のものじゃないのではないか。ことに、ただいまの国際平和の中心、まあ武力というものの中心が核にある、核兵器にあるというように考えますと、ただいまのところはどうもやはり二大ブロックの対立、こういうように見えるのが筋じゃないだろうかと思います。

 しかし、平和を一面に人類が希望しておること、そういうような意味からも、ただ核兵器だけの制限でなくて、他の一般兵器についてもひとつ軍縮をやろうじゃないかというのが、ジュネーブの会議じゃないだろうかと思います。私どもただいまそれに入っておりませんけれども、これはやはりわれわれも入って、そして平和への協力、努力をするのが私どもの責務だとも思います。

 私は、日本がこういうような際にどういうようなことをやるか、もう軍事的にどうこうするような考え方はもちろんございませんが、いま申し上げるような意味における日本の果たす役割り、それはいままでもありましたが、これからもあるのじゃないだろうか、かように私は考えております。

○江田委員 総理は、均衡の、あるいは力関係のアメリカのはかりにだけ乗るんでなしに、その他多面的にいろいろなことを考えておられる、努力しておられる、こう言われましたが、私は必ずしもそういう方向へ行っておられるとは思いませんが、これは抽象論で議論してもしかたがないことですから、これから具体的な問題について一つ一つお尋ねしましょう。

 まず第一は沖繩の問題であります。総理はこれまで沖繩問題について白紙の状態を続けてこられましたが、今回の施政方針演説で、沖繩の基地が日本と極東の安全保障に果たしている役割りを認識すると言われ、さらにその後の本会議あるいは委員会答弁などを聞いておりますと、いまもう白紙に黒々と筆をおろされたのじゃないかと、われわれは印象を受けるのであります。

 下田駐米大使が先般帰国をされまして、またしてもいろいろ問題を起こされましたが、その記者会見の中で、現在の世界がバランス・オブ・パワーによって保たれておる限り、沖繩は戦略上重要な地位にあり、この客観的事実を、好むと好まざるとにかかわらず、日本国民が理解しなければ、沖繩問題の解決はできないと述べたと新聞に出ておりますが、総理が施政演説で述べたことも、結局同じ趣旨ではないかと解されるのでありますが、この点はどうでしょう。

○佐藤内閣総理大臣 私が総理として施政演説で述べたものも、このとおりである、下田君の言っているのも、私の説を十分理解しておるのだと、かように私は思っております。ただ、表現のしかたによりまして、ただいまも、白紙にもうすでに墨黒々と筆をおろしたのじゃないかという表現がございましたが、まだおろしてはおりません。その点は正直に申し上げて、これからどんなにおろそうかという、それを言っておるのでございます。この点は、まだおろしておりませんから、それだけははっきり申し上げておきます。

 ただ、下田君がいままでに申した事柄、これは私は、下田君自身の個人的なものもあるだろうと思います。と申しますのは、下田君はアメリカに行っておる日本の大使であります。したがいまして、アメリカの政府あるいは国民の一部の方等の考え方、それを十分把握して帰ってきたのであります。私はそれらの話を聞きまして、もちろん参考になる意見だ、かように私は思っておりますが、これが直ちに、いま言われる白紙の上に黒々と書きおろしたその筋書きだと、かように言われることは、まだちょっと行き過ぎるようですから、それはひとつそう思わないでください。

○江田委員 下田大使がアメリカに行っており、アメリカの政府並びに国民の意見を日本にも伝えるような役割りをしたと言われますが、しかしその伝え方というものは、国民の多くが、どこの大使かわからぬ伝え方をしたという批評をしておるのであります。それはともかくといたしまして、とにもかくにも、佐藤総理は、沖繩問題を考えるのに、戦略上の重要性ということ、これをまず第一に考えておられるということが、いまの御答弁ではっきりいたしました。

 そこで、下田大使は、さらに同じ記者会見におきまして、本土並みという日本の希望と、現状維持というアメリカの主張のまん中に歩み寄ることが妥当な解決だとしておられますが、この点も、先ほどのお答えからいきますと、下田大使はあなたと同じ立場で、総理の意を体しての発言をしたのだ、こう解釈してよろしいか。

○佐藤内閣総理大臣 それはちょっと行き過ぎでございます。それは下田君のかってな考え方でございます。

○江田委員 そういう総理の意に反することを下田大使が発言することは、ほっておいていいことかどうかということになってまいりますが、しかし私は、その後沖繩問題について総理が本会議で答弁をされ、あるいは委員会で答弁をされるその内容を冷静に見ておりますと、この下田大使の言っていることと表現は違うけれども、どうやら中身は非常によく似ているという印象を受けるのであります。どうも私どもは、沖繩問題については、あたかも下田大使が方針を決定して国民にPRして、佐藤総理大臣が下田訓令の執行に努力しているような印象を受けるのであります。総理が今国会の施政演説においてほのめかし始められましたことは、せんじ詰めれば、ちょうど二年前に、つまり昭和四十二年の二月二日の各新聞に、外務省高官筋の談話として大きく報道された下田次官の答弁と、根本において軌を一にしている点を見ますというと、下田発言には佐藤内閣のもとでは相当の権威があると解釈されますが、それでよろしいか。

○佐藤内閣総理大臣 私は下田君を信頼しておりますから、アメリカ駐在大使に任命しておるのです。しかし一々その言動について、下田君にかくかくしろ、私かような指令もまだ出しておりません。しかして、その下田君から私が指揮を受けるような筋ではないことは、これはもう良識で御承知だと思います。こういうことにあまりこだわる筋はないように思います。私は下田君の考え方は一つあるだろうと思う。それがアメリカの一部の意見を代表しておることを――代表というのはおかしいですが、代弁というか、あるいはその説をそのまま伝えておるというか、そういうことは、(「そういうことがおかしいんだよ」と呼ぶ者あり)まあ代表、代弁がおかしい、そのとおりです。その意見を日本に伝えてきている、アメリカにこういう意見があるということを、やはり日本政府が決定するについて、持ってきている、こういうことはございます。それでありますから、私は先ほど、その話は参考になることだということを申したのであります。

 私がいままで非常に心配しておりますことは、これはもう御承知のことだと思いますが、安全保障条約を賛成しておると賛成してないと、そこに根本のものの見方の相違があります。しかも安全保障条約を認めないその立場でも、非武装中立と、ただ単なる中立論、武装中立との間ではよほどまだ違っておる。それほど日本の国民の国論というものは分かれておる。これがまず第一、私ども一番心配なことなんです。私が話をいたしておりますのは、安全保障条約を認めておる側においても、本会議で申したように、意見に二つの見方が大別してあるのだ、こういうことを私は申したのでございます。でありますから、まず同じ土俵の上にのぼらないと、これはどうしても食い違った議論になり、あるいはまた、それを多いとか少ないとかいうような話にもなるのじゃないだろうかと思います。

 私ども、とにかく自衛隊を認め、そうして自衛力を持ち、それを補完する意味で日米安全保障条約を結んでおる。だけれども、自衛隊も憲法違反だ、あるいは安全保障条約はもちろん賛成できない、非武装中立の立場において議論するんだ、これじゃちょっと話はできないように私は思います。私は憲法第九条、これを、いまの自衛隊自身りっぱなものだと思っておりますし、私どもは攻撃的な態度、いわゆる戦争を放棄する、国際紛争を戦争によって解決しないという、そういう立場に立って憲法を考えておる。でありますから、やはりいろいろお話を聞くにいたしましても、あるいは下田発言を云々されるにいたしましても、ただいま申し上げるような点も勘案されて、しかる上で結論を出していただきたい。

 私はいままでしばしば、沖繩が祖国に復帰した後の基地の態様、それについてはまだまだ十分考えなければならないので、まだ白紙でございますということを繰り返しております。先ほど来、まだ墨黒々とそれに書きおろしておらないということを申しておるのですよ。とにかく前提がよほど食い違った立場から――しかし、政府の考え方を裏からもあるいは表からも、縦からも横からも検討されることは当然だと思いますから、その基本的立場が相違しておるということ、それを私は理解の上で、また皆さんもその立場でいらっしゃるんだ。もしそれが違っておれば、この機会に違っておるんだ、かように言っていただくと、私はたいへんしあわせだと思います。
  〔「すりかえじゃないか」と呼ぶ者あり〕

○江田委員 いますりかえ答弁だという不規則発言がありますが、大体そうです。私の聞いていることにはあまりお答えにならぬで、ほかのことをお述べになりましたが、私が言っているのは、沖繩問題を考えるのに、これは戦略上重要な地位にある、役割りを果たしているということをまず考えていかなければならぬのだ、そういう下田発言については、総理も同意の見解の発表がいまあった。そこで、下田発言は、アメリカ側の主張とこちら側の主張とどこか適当なところで妥協する以外に道はないんだということを言っておるのだが、その点についても総理は、本会議並びに委員会における答弁を聞いていると、やはり同じようなことになる。その点はそうでしょう。

 そこで、そういうようなことを聞いておりますと、二年前に下田外務次官が述べたことが、いまちょうどそのとおりに行なわれつつあるんじゃないのか。その点からいえば、私は、下田大使というものは、佐藤内閣のもとにおいてはなかなか重要な役割りを果たしているんだということを考えざるを得ないということを言ったわけであります。

 そこでお聞きいたしますが、下田大使が総理に、メースBミサイルなどの戦略核兵器の地上固定基地は撤去するが、戦術核兵器の配備やポラリス潜水艦の寄港を含めて基地の広範な自由使用をアメリカに認める、この線で交渉に臨めば三年ないし五年後には返還を実現できる見込みがある、というようなことを骨子とした下田私案を総理に提示したとか、あるいは同趣旨の示唆がアメリカ政府筋から最近日本政府にあったなどの報道が、新聞紙上しばしば伝えられておりますが、これは事実か。

○佐藤内閣総理大臣 いまの沖繩が持つ戦略上の意義、これは私も、アメリカ自身が評価しておると同じように、日本侵攻の経路だ。かつて小笠原についてもそういうことを申しましたが、そういう意味で重大なる意義のあるところだ、価値のあるところだ、かように思います。

 また、外交は何といいましても相手のあることでありますから、当方の立場だけというわけにもいかないものがある、こういうこともやはり考えなければならない、かように私は思います。しかし、われわれが、幾ら相手があるからといって、相手にただ屈従するというわけにはまいりません。一国を代表しての外交、しかもこの沖繩問題と取り組むにつきましては、私どももやはり不動の一つの姿勢、そういうものを持っておるのであります。したがいまして、その立場に立って相手と交渉する。そういう場合に、どういうことがあるか、考えれば、後世から見ても、あのときによくそういう措置をとれた、かような評価がされるだろうか、最も賢明な選択をしなければならない。私がこの問題について慎重であるのも、そういう意味であります。

 私は、先ほど来申しておりますように、まだ筆をおろしておりません。したがって、そういう意味で、いろいろの御意見があれば、私は他党であろうが、それを十分間くつもりでございます。

 そこで、それじゃいま、下田大使からこれこれのことが新聞その他でいわれているが、そういうことが事実あったかどうかという、事実のお尋ねであります。私は、遺憾ながらさような事実はないということを申し上げて、お答えをいたします。

○江田委員 遺憾じゃありませんよ。それならけっこうなことなんです。あなたがアメリカから示唆など受けられないで見識を持った責任ある政治家として、自主的に進んでいかれるなら、それでよろしいが、しかしあなたの先般来の発言を聞いておりますと、非常に波がある。しかし、その波を描きながらも、だんだんと一つの方向へ、墨黒々と筆をおろしてはいないけれども、腹の中ではおろしているのじゃないのか。そういう印象を私ども強く受けるわけで、これは私だけじゃないと思う。国民がみな、何を言っているのかわからぬと受け取っておると思うのであります。

 そこで、総理は、沖繩基地の戦争抑止機能の確保を返還問題の前提条件として考えておられるわけでありますが、そのワクの中で国民の納得のいく解決をはかりたいと言われまして、このワクを受け入れるのか、それとも早期返還をあきらめるのかという、このことを二者択一として、沖繩県民と本土の国民に押しつけておられることは、私は間違いないと思う。あなたはある日には押しつけたように言い、そのあくる日にはまた少し発言を変えていますが、客観的に見れば、そういう選択をあなたは迫っておられるわけであります。

 そこで、総理の言われる戦争抑止機能の中身の問題でありますが、一体ベトナム戦争に果たした沖繩基地の役割りは、総理は戦争抑止機能と評価しておられるのかどうか。総理は、昭和四十年八月二日の衆議院本会議で、当時の社会党の佐々木委員長の質問に対して、B52の沖繩からの渡洋爆撃には当惑している、私としては、今後このような事態が起こらないことを期待していると答えておられます。北爆機の発進をも含めて、沖繩基地の抑止機能が、日本の安全及び極東の平和に不可欠と認められておるならば、総理は一体どうして当惑されたのです。なぜ当惑されたのですか。そのお気持ちを聞かしていただきたい。

○佐藤内閣総理大臣 私が当惑したのは、沖繩というものはアメリカの施政権下にはございます。しかし、わが国に最も近いところにあるアメリカの施政権下にある土地でございます。そういう場所におきまして直接戦争に介入する、こういうことが実は非常に私が当惑したことなんです。また、そういう意味において沖繩県民がいろいろ心配される、そういうことで私は心配した、これはもう率直に申し上げる。

○江田委員 沖繩基地の戦争抑止機能というものを認めてこれを肯定していかれる立場からすれば、あそこが防御基地に使われようと攻撃基地に使われようと、当惑ということばは出ないはずでしょう。そういうことには当惑ということばが出てくる。しかし、ある問題、違う質問に対してはまた違う答えが出てくる。国民をあまりも愚弄するものと思います。

 ジョンソン駐日前大使が、昭和四十二年三月三日、那覇市のハーバービュー・クラブにおける昼食会で次のような演説をしております。ベトナム戦争の結果は日本の将来に決定的な影響を与えずにはおかない、もしベトナムの侵略が成功すれば、どこで侵略がやむとだれが言えるだろう、中共が破壊活動と間接侵略を頼みにしていることに対して、また最後には核兵器を使って中共の意図を隣国に押しつけるだろうとの脅威に対して、何らの防衛体制もなければ日本はどうして安全でいられるだろう、ということを演説の中で言っておるのであります。

 ここに、いわゆる戦争抑止機能なるものの根本観念が映し出されておると私は思います。つまりアジアの平和を乱すのは中共であり、その破壊活動と間接侵略であるから、圧倒的に優勢な軍事力で中共を包囲し、封じ込めておくことが、アジアの平和維持に不可欠の前提だという考え方、また、一カ所でも共産主義の侵略が成功すれば次々に波及するという、いわゆる将棋倒し論がアメリカのいう抑止戦略を貫く思想であります。つまり、抑止戦略の政治的基盤あるいは背景は共産主義封じ込めの冷戦哲学であって、中国封じ込めの軍事的側面が、中国を包囲するいわゆる抑止力の体系であります。総理のいわれるところの戦争抑止機能とは、したがってアメリカによる中国封じ込め作戦の軍事的中枢機能を沖繩基地が果たしているということでありまして、沖繩がアメリカの戦略体制において太平洋のかなめといわれる意味もそこにあります。そういう政治的背景を無視して、単に抑止力といった軍事技術上の観念のみによって沖繩の問題を考えておるのは、そういう考え方をすることは、軍人ならいざ知らず、政治指導者としてはいささか私は短見だと思います。

 抑止力の観念によれば、アメリカの要路者がしばしば述べ、また下田大使も記者会見で述べたように、沖繩に強力な基地が内在するということそれ自体が戦争を抑止するということになるわけでしょう。しかも、アメリカの当局者がこれまで繰り返し述べたように、沖繩基地の何ものにもかえがたい価値は、その戦略的地位、及びその基地がいかなる障害も制約もなしにアメリカの全く思うままに使用できるというところにあるとされております。そうすると、総理のごとくアメリカのいわゆる抑止機能の観念を受け入れて、沖繩に課せられた抑止機能なるものを受け入れる以上は、結局基地の自由使用を認めることが必然の論理的帰結となるのじゃありませんか。あるいはそういうことが暫定措置といったところで、そういう暫定という意味は、半永久的に続くということにならざるを得ないと考えますが、それはどうでしょう。

○佐藤内閣総理大臣 結論から申しますと、自由使用を認めるという結論をまだ出しておりません。それだけははっきり申し上げておきます。これは先ほど来からいろいろ議論したところでございます。まだ結論が出ていない。

 ところで、ただいまいろいろお述べになりました点について、私と見方も違っておろう。いわゆるジョンソン次官が当時大使としての演説を引用されました。そのときはドミノ理論というか、とにかく将棋倒し理論がたいへん盛んなときであります。したがってそれは、一部いわゆる攻撃あるいは侵略勢力に対して、さような意味の注意が喚起されたものだろうと思います。

 ところで、軍備というものを一体どう見るのか。これはもう外務大臣の施政演説にもありましたように、戦争に勝つための軍備、そういう意味に昔はみんな思っていた。しかし、そうではなくて、いま使われるのは、江田君も使われたように、戦争抑止力のための軍備なんだ、戦争が起こらないためなんだ、これをやっておればだれも戦争の方向へ行かないんだ、そういう意味に軍備が変わりつつある。これは先ほど一番最初に引き出された力の関係、そういう点にもございます。でありますから、ただいまの点を、ひとつまず私と江田君との間の意見の統一をはかってもらって――軍備の見方をどういうように見るか、これは戦争にならないような方向で軍備をする。しかし、もちろん戦争が起きたら勝つためにも働くだろうと思いますけれども、そこで力の関係が優位であれば、さような戦争は起こらない。自由主義陣営、それこそは平和勢力ですから絶対に戦争は起こらない、こういうことにもなるのであります。

 そこで、もう一つその次の問題は、沖繩の打つ軍事的意義、これはなかなか強力なものです。私どもにとりましても、すぐそばに強力なる軍事基地があるということ。しかし、これはそれだけが独立してあるわけじゃありません。南洋の米国領土、さらにハワイあるいは本土、またアメリカが他の世界各国各地において持つ軍事力、その一部をなすものがやはり沖繩だ、かように私は実は考えております。そういう意味でアメリカの戦争抑止力というものが強いんだ、こういうことであります。

 したがって、それならばそれだけ強い沖繩の軍事力、それは温存するのじゃないのか、こういうお尋ねかと思いますが、先ほど来申すように、まだその点については私は結論を出しておらない。また、それはなぜ出しておらないか。これは現実に返ってくる時期がまだきまらないのです。これがきょうにも返ってくるとか、あすにも返ってくるとかいうならば、との基地の態様についても、はっきりしたものを出さなければならない。しかし、私はこれから秋にアメリカに出かけて相談しようという場合に、それは三年になるか五年になるか、そこらのところわかりませんが、とにかく早い時期にこちらへ返してもらう、そういう間に情勢も変わってくるじゃありませんか、科学技術の進歩もあろうじゃありませんか。そういうことを考えると、いまそれらについての議論をすることはいかがか、かように私は思っております。

○江田委員 いま結論を出すべきではないということでありますが、私が言っているのは、沖繩の戦争抑止機能というものを重要視していく以上、アメリカとしてはこの基地というものを、もちろんアメリカの自由に使いたいという考え方をとるのは当然であり、その立場からすれば、結局はあなたが戦争抑止機能としての沖繩の役割りを認める以上は、これは半永久的にアメリカの自由にさすという結論になってしまうじゃないかということを言っておるのであります。

 ところで、いま一体、世界じゅうで百万人もの住民が異民族支配のもとに置かれて、政治上基本的権利を否認されている例が、沖繩以外に世界じゅうにどこかありますか。

○佐藤内閣総理大臣 私も知りません。

○江田委員 そういう例はあり得ないことなのでしょう。一体百万の日本人が置かれているこの許すべからざる異常な状態は、まさに軍事的植民地という以外に呼びようがございません。この状態に終止符を打つのか、それともアメリカの、先ほど来私が触れましたところの共産主義封じ込め戦略の便宜のために、住民に対していわれない犠牲をしい続けるつもりなのか、問題はこの二者択一なんであります。政府の、あるいは総理の示される二者択一は、本質を取り違えておると思うのであります。アメリカにとって沖繩基地の比類なき価値の一つは、それが、先ほど申しましたように、何の制約もなしに、もっぱら軍事的目的と都合のみによって使える点にあるわけで、この点は、アメリカの軍事当局の議会における証言などを見ても明らかであります。そのことを裏返せば、住民の人権や政治的権利をできるだけ制限しておいて、また、本土国民の世論や動きから住民をできるだけ隔離しておくということが望ましいことになってくるわけであります。

 アメリカ政府が一月十一日に公布した総合労働布令の内容は、沖繩の軍事植民地的内容が露骨にあらわれており、軍事上の利益の前には住民の基本的人権も考慮しないしという沖繩支配のあり方を如実に示しております。基地機能の確保を大前提としてかりに施政権が返還された場合でも、問題は解決しないことを示しているものではないでしょうか。アメリカのかわりに、今度は結局日本政府が、同じような住民の権利侵害的な措置をとるようアメリカから要求されることになりはしませんか。あなたのような前提に立つ限りはそういうことにならないのか。アメリカの施政権下にあれば今度の布令のような形になる。しかし、あの基地をアメリカの思うままに使わそうということになれば、日本政府がかわって、アメリカがいま押しつけようとする役割りを引き受けなければならぬということにはならないのか。そういう観点から、この布令の撤廃をアメリカに要求するお考えはないのか。

○佐藤内閣総理大臣 いまの自由使用すれば一することになったかのようなお話をしておりますが、まだ自由使用ということをきめたわけじゃございません。この基地の態様について、いろいろ私が頭をひねっておるのはそこにあるのです。まだきまっておらないのです。それをきめたような言い方をされるけれども、きまっておらない。

 なぜ私はそれをきめておらないのか。それはただいま江田君の言われるような、沖繩県民百万の同胞の心中を思えばこそ、どうしたら一番賢明な方法かということでございます。いま言われる、アメリカがこれを占領し、施政権を持てば自由に使用される、だからその点をアメリカは考えているんじゃないのか。やはりアメリカを相手にしての交渉に――それはそういうこともありましょう。アメリカにもそういうことがあるかもわからない。しかし、私は、アメリカはそういうような考えをしておりますと、ここまで断言できるほどアメリカを確かめておりません。それは私自身が出かけて大統領と話をしてはっきりきめることでありまして、まだそこまできめておりません。そうして、ただいま言われましたような沖繩がなぜ占領されておるのか、そのことをやはり考えてみなければならない。

 さかのぼれば、やはりサンフランシスコ条約です。サンフランシスコ条約で沖繩を占領された。私どもも、さきの戦争で無条件に降伏した。そこで、これはわれわれが失った領土です。しかし、潜在主権は認めてくれておる。そこに私どもはわが領土だ、かように主張している。これは潜在主権を認めてくれたからであります。だからこそ、小笠原はすでに返ってきたじゃありませんか。その小笠原の例にならって、今度は沖繩について私どもは交渉しようという。小笠原についても、事的意義、軍事的価値というものは、ずいぶん返還前には議論されました。しかしながら、たいした議論なしにこれが終わったじゃありませんか。ただいまの沖繩についても、ここは何といっても百万の人口、同胞がいるんだ、小笠原と比べものにならない、確かにそういうこともございます。そうして、しかもこの沖繩の持つ軍事的価値、これはおそらく小笠原以上のものがあろうと思います。また、施設等もずいぶんしておるようであります。したがって、そういう意味では私どもは、やはりこれに根本的な交渉をするにあたっては十分その事実も認識し、しかる上に話をしていかなければならない、かように私は思うのであります。

 ましてや、私どもは日米安全保障条約を結んでおる。日米安全保障条約のねらい、これはわが国の安全を確保し、同時に極東に問題が起こらないようにするというのが、日米安全保障条約の目的であります。だからこの目的を考えながら、また今後も私は日米安全保障条約を続けていく、かように言って国民に安堵を与えておりますが、安心されるその国民の皆さんにも、沖繩が返ってくる、そういう場合に一体どうしたら一番みんなが安心のできることになるのか、社会党のいわれるような戦争に巻き込まれる危険なしにわが国の安全を確保する方法、それには一体どう考えるのか、ここに問題があるのであります。

 でありますから、私は、ただいま申しますように、もう自由使用がきまったかのような立場においてお尋ねになりましても、それはやや行き過ぎであります。だから、その点だけはっきり申し上げておきます。(「労働布令はどうしたんだ」と呼ぶ者あり)
 労働布令についての……。

○江田委員 いいです。もう一ぺん質問してから答えてもらいたい。
 総理は、秋に渡米されるということを表明されたわけです。そのときに、一体基地の態様についてはきめるのかきめないのか。返還の時期だけであって、その基地の態様に触れないで、時期だけきめるということができるとお考えになっているのか。私は、そういうことから言うと、総理の言うように、基地の態様は何年も先というような状態ではないと思うのであります。

 そこで、私は論理的に言って、あの基地の戦争抑止機能というものを重視する以上は、あそこにおってアメリカが、これを何の障害も受けずに自由に使いたいということが当然出てくる。それが今日までのアメリカの沖繩支配の実態であったし、そうしてこれだけ沖繩における諸問題がやかましくなっているのに、またしてもこういう布令を出してくるということは、このことを、いよいよ私の言うことを裏づけることになっているのじゃないのか。

 そこで、総理は、先の問題だと、こう言われます。先の問題なら先の問題でもよろしいが、この布令に対して何ら撤廃の要求はできない、抗議ができないというようなことであるならば、結局はいまアメリカが要求していることを、今度は日本政府が沖繩の住民に対して押しつけなきゃならぬことになるのじゃないかということを言っておるわけです。姿勢を言っているわけです。

 特に、総理も御承知のように、二月四日に予定されました沖繩のゼネストは中止になったようでありますが、しかし事態はなかなか複雑であります。まかり間違えば何が起こるかわかりません。あすです。これには布令の問題も一つある。もう一つはB52の問題がある。屋良主席は、B52は六月には帰るという政府の説明に信頼を持って、沖繩の住民を、あるいは労働運動の指導者たちを説得されたのじゃないかと、新聞の報道を見るとそういうことが出ております。一体この布令と同時にB52についてどういう措置をとられるのか、どういう見通しがあるのか。これは沖繩の諸君がこのテレビを現地で聞いていると思うので、あすの事態を平和のうちに解決をつけるためにも非常に重要なことになると思うので、お答え願いたい。

○佐藤内閣総理大臣 沖繩の県民がテレビを通じて聞いておるのは、江田君の質問ばかりじゃありません。私の答弁も聞いておる。したがって、私もそういう意味ではっきり申し上げます。

 何だか、沖繩が返ってきても沖繩と本土と違う憲法下に置かれるようなお尋ねがありましたが、さようなことはございません。沖繩、これを本土と別に労働布令その他で取り扱うような考えはございません。アメリカ側が労働布令を出した、だからそれは――憲法はそんな二途になりません。施政権が返るということは日本の憲法がそのまま行なわれることでありますから、その点はこれはもう御存じのとおりでございます。だから別な扱い方をするわけは絶対にありません。

 そこで、この労働布令について私どもはその中身を十分検討し、そうしてその軍労働者の福祉に関して、それが進んでいくならばたいへんけっこうだという意味から、この労働布令についての改正意見を申し出ております。十分意見を通じております。

 また、B52に対しまして、ただいまそのうちに帰るとかいうことは申しましたけれども、何月というような話はしておりません。これははっきり申し上げておきます。屋良主席は私に対して、どうもこのスト回避のためにこれの説得力が足らない、もっとはっきりしたことが言えないか、それはどうも自分は知らないから言うわけにいかない。しかし、これは十分たびたびアメリカにも申していることだが、B52の恒久基地にはしない、そういうことは再三にわたって確認はしておる。しかし、いついかなるときに帰る、こういうことはまだ聞いてない、そこまでの話はできない。だからそこで正直に言わなければたいへんな問題ですから、私が知っておるだけの知識はそのまま話したわけだ。それと同時に、この問題はもう本会議をはじめ、各党からもいろいろ出ておりますから、その事情は詳細に米国大使館も知っておりましょうが、政府としてもこの国会における論議を通じて、再三にわたってこれらのことについての再考を促しておる、こういうことでございます。これが実情でございます。

○江田委員 私がこの委員会に入った後、沖繩においてはスト決行ときまったということをいま連絡を受けまして、どういう事態が起こるか予測を許さぬものがあります。一体、B52の問題についてなぜもっとはっきりした態度を示すことができないのか。かつてB52はグアム島から台風を避難するという名目でやってきたんでしょう。それが居すわった。そのときにプエブロ事件が問題じゃないかといわれたが、これは解決がついた。ベトナム戦争の北爆は終わったんです。紆余曲折はあっても、パリ会議は話し合いが成功するだろうという見通しをだれもが持っているわけです。何のためにあのB52がおらなければならぬのか。(発言する者あり)そちらからも言っているように、そのぐらいのことがアメリカに対し強力に要求できないようなことで、一体百万の沖繩県民の福祉を守るような解決が期待できるとだれが考えますか。先の問題だ、先の問題だというけれども、問題はあなたの決意の問題ではありませんか。沖繩問題について、日によっていろいろ答弁を変えてみたり、アメリカに対して何も言えないような、そういう弱腰で何の解決ができるかということなんであります。あす不測の事態が起きたときの責任は、私は佐藤総理にあるといわなければならぬ。その責任を感じますか。

○佐藤内閣総理大臣 もしゼネストが行なわれるといえば、政治スト、これはたいへんなことだと思います。私は屋良君に説明したのも、こういう際にアメリカと祖国復帰を話し合おう、私どもはいわゆる相互の理解と協力によって祖国復帰を実現するのが最も最短の距離だ、かように実は思って、アメリカの理解と協力によってこの問題を片づけようとしております。

 ただいま、ゼネストがあした行なわれるというお話でありますが、それはどういうところからおとりになりましたか。私のほうでは、ゼネストは延期だ、また一部はストはやるだろう、かような情報は入っております。いまの話は、現地に直ちにそれが伝わっておると思いますから、県民はどういうようにそれを聞いておりますか。私ども聞いておるのは、ゼネストは延期、一部のストは行なわれるだろう、かような情報でございます。とにかくゼネストだけは何としても回避してほしい、これは私どもの心からの願いであります。また沖繩の同胞も、私どものような相互の理解と協力によって祖国復帰を実現しようとするそのものにとって、非常に不利益をかもすような事態は何とかして避けていただきたい。これは私は県民に対するお願いでもあります。

○江田委員 いま私が申しましたスト決行というのは、これはNHKのニュースであります。あなたはそういうことが起きないことを望むというだけであって、あなた自身が何をするかということの表明はないではありませんか。

〔「B52の撤去ぐらいさせる約束をとればいいじゃないか」と呼び、その他発言する者あり〕
○荒舩委員長 御静粛に願います。

○佐藤内閣総理大臣 私は、先ほど来たびたび、労働布令並びにB52については、すでに私どもがとってきておる態度は説明をいたしましたから、重ねて申さなかっただけであります。私どもも、この労働布令が改正されることを心から願っておりますし、またそういう意味の努力をいたしますし、またただいまのB52についても、早く他に移ることを心から願っておりますので、そういう意味のことは重ねて交渉いたします。

○江田委員 私たちはこれがどういうことになるのか予想できませんが、あるいは一部の者が基地へ突入するというような事態がないとも言えない。何が起きるかわかりません。私はそういう事態を考えるときに、せめて総理がきょうはっきりと、B52の問題について、布令の問題について、沖繩県民に訴えるアピールでも出される考え方はないのかということなんです。わけのわかったようなわからぬような答弁をされたところで、しかたがないと思う。

 さらに私がお尋ねしたいのは、総理は、沖繩に核基地があるから本土における非核三原則が成り立つのだと受け取れる発言をされました。もしそういうことになると、沖繩復帰の暁にはもはやわが国において非核三原則というものはないということになるのか、成り立たないということになるのか、あるいは、ことばをかえて言えば、本土の沖繩化ということになるのか。つまり国民の悲願であった非核三原則も、いまあなたによって捨て去られようとすることになるのか、これも重大な問題であります。先ほどのこととあわせて答弁願いたい。

○佐藤内閣総理大臣 まず第一、私が申し上げるまでもなく、アメリカはただいま沖繩に施政権を持っております。その施政権下において問題を取り扱うだろうと思います。事前において外交的な交渉は万遺漏なきを期して、すでにやっております。

 次に、第二の問題についてお答えをいたします。
 非核三原則、これは申すまでもなく国民的な悲願であります。同時にまた、沖繩に基地があるから、本土におきましては私どもが比較的容易にこれをきめることができた、かように思っております。しかし、沖繩が返った暁においてこれをどうするのか、かように申した場合に、先ほど申したように、沖繩には日本の憲法がそのまま使われ、施行されるのであります。現行憲法下において間違いのないような処置をとることが、これは当然の責務であります。その点では御心配は要らないと思います。

 日本の憲法は、私が申し上げるまでもなく、攻撃的な兵器、これは持つことができないというのがいまのたてまえであります。しかし、おそらく核兵器そのものもこれからはどんなに変わっていくか、あるいは攻撃的なものでない防御的なものもできるかもわかりません。しかし、そんなことはともかくとして、国民の悲願でありますから、そういうことで私は核は使わない、これだけははっきり申し上げておきます。

○江田委員 あなたの言われることは説得性がないのです。沖繩の戦争抑止機能というものを重要視していく以上、そうしてあなたが答弁で言われたように、沖繩にアメリカの核基地があるから本土において非核三原則が成り立ったのだというような意味のことを言われる以上、復帰後においては、国民の悲願である非核三原則というものは捨て去られてしまうという当然の論理の帰結になるじゃありませんか。これははっきりしているわけです。

 時間がありませんから、私はそれ以上あまり申しませんが、ただあすの事態に備えていま佐藤氏が言われた答弁というものは、おそらく本土の国民が聞いても、沖繩の諸君が聞いても、わけのわからぬということになるのじゃないのか。だから、この予算委員会の席上、答えができなければできなくてよろしいから、政府としてどうするのかということを、予算委員会のあとでもゆっくりと相談して、答弁していただきたい。これはいまのような形だったら何が出てくるか予想できないものがあります。

 そこで、一体沖繩の問題をどうするかということは、先般の主席公選によって沖繩県民の意思というものははっきり出ておるわけであります。あるいはB52の基地化に反対することについても、一昨年の二月十日に琉球立法院が満場一致決定していることなんであります。あるいは自民党の中にも、前尾君、三木君、藤山君のような意見のあることも事実でしょう。私は、もう大体沖繩をどうするかということの多数意見ははっきりしていると思う。あなたの考え方や下田大使の考え方や、それが決して多数意見でも何でもありはしないということははっきりしていると田ふう。あなた方のような行き方をするならば、沖繩県民の願いというものは結局は実現されない。私が願いというのは、ほんとうに日本の国民として、同じように、同じ条件のもとに置かれたいという願いは実現されないで、いつまでもアメリカの言うがままになるということになるのであります。

 繰り返して申しますけれども、われわれが考えていかなければならぬのは、沖繩県民百万のいわれなき屈辱と苦痛、第二は、沖繩が攻撃基地であるがために、かえって日本の安全に危険なことが起きてくるのではないかという点、第三には、結局沖繩基地というものが極東の緊張緩和にとって障害になるのではないかという点なのでありまして、この問題についてはこれ以上答えを求めたところで、あなたのほうは明確な答えはお出しにならぬと思うから、先へ進んでいきたいと思うのであります。

 総理が施政方針演説で、東西間の力の関係によって世界の平和が維持されるという冷厳な現実を見失ってはならないと述べたのに続いて、このような国際環境のもと、資源の乏しいわが国の生存と繁栄を確保するためには、わが国周辺の平和と安全が保たれることがきわめて肝要であるということを言っておられるのであります。そのすぐあとで、すぐ続いて安全保障問題に言及しておられるのであります。この前後の続きからいきますと、総理が、日本周辺の平和と安全という問題を軍事上の手だてとして考えているということは、私は論理の立て方からして明らかだと思うのであります。一休、総理は、アジア極東地域の平和と安全を、資源確保の必要上、軍事的手段によって維持しようとしておられるのか。もしそうであれば、日本は永久にアメリカの軍事力に依存して、アメリカの極東政策に依存し続けるか、あるいは憲法を改正して軍事同盟と海外派兵の道を進む以外にはないと思うのでありますが、一休この点、総理の考え方はどうなんです。

○佐藤内閣総理大臣 先を急ぐから三点だけ答弁は要らぬということでしたが、これは私は言わなければ気が済まない。

 申すまでもなく、さきの戦争に負けて、そして沖繩が占領された、その結果が今日まで続いておるのです。沖繩県民のいわれなき苦痛、かように言われますが、いわれなき苦痛ではなくて、ただいま申すように、さきの戦争に負けた結果こういうことになった。そこに私どもは同胞としての心からの同情を禁じ得ないから、一日も早く祖国復帰を実現したい、これは私の念願であります。そういう意味で私もわざわざ沖繩に出かけて、そうしていろいろ話をしてきたのであります。この点が残念ながら社会党さんとわれわれの考え方は基本的に相違がある、そこらに問題があります。第一はそうです。そうして第二に、これは攻撃基地だと、かように言われますが、攻撃基地ではございません。はっきり申し上げます。防御的な基地でございます。第三、それが極東の緊張緩和に――攻撃的な基地だと、かように考えるから、極東の緊張に一そう油を注いでいるんだと、こういうことになるのであります。私どものような見方から申せば、これは防御的な基地、戦争抑止力、その一つだ、かように考えるから、これこそ緊張緩和をしておるゆえんであります。いままで議論したところの、いわゆる戦争になってから勝つとか負けるとかいうことでなくて、戦争を起こさないように、その軍備であります。

 そこで最後に、いよいよ本格的なお尋ねでありますが、私の施政演説が、実は御指摘のように、たいへんこの点をどこへ入れればいいかというので苦労したのであります。いまのような誤解を生じやすいんじゃないのか、何だか資源の乏しいというものをまず出して、その次に安保体制を出すと、いかにもそれとの結びつけで誤解を受けはしないかと実はたいへん苦心をいたしましたが、どうも適当な方法がなくて、あそこへ実は入れたのです。私は、よもや佐藤内閣が憲法違反や自衛隊法違反をさようにしていると、また、そういうことを考えておると、かようにはお考えにならないだろうと思いますが、私も憲法改正の意見もいま持っておりませんし、自衛隊法でもちゃんとその自衛隊の目的とするものが規定されております。したがいまして、との施政演説の出方がどうも悪いから、これは軍事的なものと結びつけたんだと、かように結論を出されないで、とにかく資源に乏しい日本の国、それこそは、やはり隣国諸国が平和であり繁栄である、ことに東南アジア諸国もそういうことであってほしい、そこにやはり日本の平和と繁栄への道があるんだと、かようにそのままをひとつとっていただきたい、これは重ねて申し上げます。誤解を受けましたことは私どもの作文が悪かったと、かように思っております。

○江田委員 沖繩が攻撃基地でないと言われたって、だれもそんなことは肯定しませんよ。なぜ一体ベトナムへ爆撃機を飛ばす基地、これが攻撃基地でないのか、あなたのおっしゃることは非常に独断がありますよ。

 そこで私は、問題を進めていきたいと思いますが、先ほど申しましたように、乏しい日本の資源、そのあとへすぐ安全保障の問題、ああいう文章の出し方を読むと、どうしたところで私が言うような受け取り方をする以外になくなってくるわけであります。これは文章の書き方が悪いというのでありますからそれでよろしいが、「安全保障問題をもっぱら軍事問題とのみ考え、軍事問題といえば兵器体系の問題だけと考える抜きがたい傾向が依然としてわれわれの間に見られる」というのは、これはだれのことばか御存じですか。これは一九六六年五月十八日に、当時アメリカの国防長官であったマクナマラが、カナダのモントリオールで行なった演説の中にあることばなんであります。一体ベトナムの苦い経験にぶつかったマクナマラ自身が反省したことばだったかもしれないし、あるいはマクナマラの合理主義に対して抵抗するアメリカの将軍たちに対する嘆きであったかもしれないが、いずれにいたしましても、世界で最大、史上最高の軍事機構、戦争機械の最高責任者が戦争のさなかにこういう述懐をしなければならなかったという深刻な意味と背景を、国を守る気概を力説し、アメリカの軍事力による保護を礼賛する前に、佐藤総理はもっと冷静に考えるべきだと思います。

 繰り返して申します。「安全保障問題をもっぱら軍事問題とのみ考え、軍事問題といえば兵器体系の問題だけと考える抜きがたい傾向が依然としてわれわれの間に見られる」というこのことばをよく考えていただきたいのであります。マクナマラの言をまつまでもなく、武力や軍事同盟の中に日本の真の安全があり得ないことを、私は、日本国民ははっきり認識していると思います。それが憲法の平和主義をささえてきたのであります。そのことはこの数年来の世論調査の結果ではっきりいたします。あらゆる世論調査が、政府自身による調査も含めて、継続的に一つの一致した結果、すなわち、国民の間にある中立志向の根強さということ、この点を、この政治的意味を総理はどうお考えになるのか。中立志向の定着は、自衛隊を必要と認める者の大多数も、もっぱら災害に備える役割りに重点を置いておる事実と相まちまして、私は、日本の国民が、安全保障の手だてとして特定国との同盟政策や軍備強化などの軍事的手段以外のものを求め、かつ、その求めるところのものが実際に達成可能だと信じていることの何よりの証拠ではないかと思うのであります。政府の言うところの国民的合意なるものは、この世論調査ではっきり出ていると思うのであります。この国民の中立志向の強さというものを総理はどう受け取ろうとするのか。

○佐藤内閣総理大臣 各紙でいろいろの世論調査をしております。しかし、必ずしも江田君の言われるとおりじゃないのじゃなかろうかと私は思っております。と申しますのは、中立論と一口には申しましても、武装中立があるし、非武装中立があります。あるいはまた、自衛力を持つこと、さらにプラス安全保障条約、それによって国を守ろうと、いろいろの分け方があるので、あまり都合のいいようにだけあの表を読まれると、どうも間違ってくるのじゃないかと思います。私は、そういう意味で、都合のいいような読み方をしないで、やはりこういうことは謙虚に実はその表を見て、そうして対策を立てておるような次第であります。

 私は、やはり先ほど来からお話がありますが、マクナマラの言を引っぱってこられるけれども、やはりいわゆる国を守る気概だけはどうしても国民に持ってほしいと思います。やはりその気概があってこそ、はじめてその能力、機能の問題、装備の問題等もいろいろあろうと思います。装備だけで安全だと、こういうものでないことはマクナマラの言をまつまでもなく、私もよく承知しております。でありますから、そういう点はもっとお互いに話し合えばわかることだろうと思います。いまの中立論自身も、いわゆる非武装中立、それが圧倒的に多いとは私は思っておりません。

○江田委員 非武装中立だけのことを言っているのではない。中立志向というものがどの世論調査においても半数をはるかにオーバーしているということをあなたはどうお認めになるかということを言っておるわけであります。これをお認めになることはあなたの方向を大きく転換しなければならぬことになるから、いろいろ理屈をつけて認められぬという方向にいくでしょう。しかし、現実は現実ではっきり出ているわけなんであります。数字で事実が出ているわけなんであります。

 そこで、わが国の安全保障の核心というものは、アメリカの世界政策にほかならぬ軍事中心の勢力均衡や共産主義の封じ込め、その軍事的表現としての抑止戦略への追随から脱却することにあるということを私は先ほど来言っておるわけであります。その一環として、日中間の不自然な状態を正常化し、かつ、国際社会における正当な地位を中国が確保する上に日本が率先寄与することが、日本の安全、極東の平和を確保する上において現下最大の課題ではないかという点であります。この努力をおいて国の安全を語り、極東の平和を云々することはできないと思うのであります。総理が施政方針において「今後、中共が広く国際社会の一員として迎えられるようになる事態は、わが国としてこれを歓迎する」と述べておられますが、日本はただそういう事態が来ることを待っておるというだけか。そうでないというならば、一体日本はどういうやり方でこの歓迎すべき事態の到来を早からしめんとするのか、その具体策を聞かせていただきたいと思う。

○佐藤内閣総理大臣 抽象的な議論としてのことは、隣国である中国、ことに古くから交渉のある中国のことでありますから、これはもう重ねて申し上げる必要はないと思います。

 不幸にして、ただいま民間貿易を続けておりますが、それにしても長期契約はできていない、これが短期なものになっている、こういうことがまず私ども残念に思う一つであります。また、私どもの同胞、これがスパイ容疑といわれておりますが、十三人も――十一人でしたか、これがやはり抑留されておる。こういうような事態を何とか解きほぐす方法にないだろうか、かように思って私ども努力しておりますが、ただいままだそれが解きほぐせられない状況であります。

 こういう点をお互いに積み重ねを行なって、それで初めて両国間の関係を取り戻すのじゃないだろうか、かように思っておりますので、私ども、まあ本来の本筋じゃないかもしれませんが、できるだけ現実の問題をそれぞれ着々と一つ一つ片づけていく、そういうことで積み重ね方式で両国間の関係をほぐしていく。その基本的な問題では、北京政府並びに中華民国というその二つの政権のあること、しかもその二つが同じように中国は一つだと言っている。そうして日本はこの台湾における中華民国とサンフランシスコ条約を結び、そうして国際的な権利義務を持っておる、そういうところに問題も一つあります。

 とにかく、そういうことを考えながら、現実には一つ一つをほぐしていく、それによって両国の間が密接になるのじゃないか、かように思います。

会議録後半


1969/02/03

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