2001/06/25

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出馬にあたって 有権者の皆さんへ

大橋 巨泉


 ウィーンに滞在中のボクの部屋に、民主党の菅直人幹事長から電話がかかって来たのは5月21日のことです。民主党比例区から参院選に出ていただけませんか、という菅さんの依頼はまさに晴天の霹靂でした。ボクの辞書には、政治家になるという項目は無く、過去の勧誘もすべてお断りして来ました。まして今は、セミリタイアの身です。

 しかし、「一貫して小泉内閣批判を続けていらっしゃる大橋さんだから、お願いしているのです」という菅さんの言葉には説得力があった。たしかにボクは長い間“自民党以外の政権”でないと、日本は救えないとくり返し述べて来ましたし、現在の状況は極めて危険です。七人もの閣僚が留任し、内容的には森内閣と大同小異の小泉内閣なのに、支持率が8%から80%に変るというのは、成熟した民主主義国家では、あり得ないことです。そして、ついこの間まで、「体を張っても森首相を支える」と言い、自ら森派の会長をつとめていた小泉氏が、一躍脱派閥の旗手になってしまったのです。この変わり身の早さを責めるより、よってたかってもち上げてしまったマスコミにも、責任の一端はあると思います。

 そして、今や小泉首相や田中外相に質問を浴びせる野党議員には、非難のメールや電話で集中するというではありませんか。これは断じて民主主義ではない。民主主義の根幹は、「君の意見には100パーセント反対だが、君が意見を言う自由は命を賭けても守る」というものです。こんな風潮は(一部の人だとは思いますが)、ファッショや翼賛政治を思わせ、「いつか来た道」の恐怖すら覚えます。

 「これは間違っています」という事を身をもって示すために、立候補する事が、この程度の才能の男に今日の生活をもたらしてくれた日本の視聴者の皆さんへの、本当の“御礼奉公”になるのではないか、という結論に達したのです。
決意表明が遅れたのは、物理的なハードルが多すぎたからです。選挙の行われる7月中旬はすでにカナダで、多くのコミットメントがあり帰国できません。しかし菅さんは「単なるタレント候補と違い、大橋さんは長い間同じ主張をつづけて来た方ですから、有権者の皆さんの理解は得られる」と言ってくれました。もともとボクは議員になりたくて立つのではありませんから、民主党さえ了解してくれれば良いと答えました。

 ただしもし当選してしまったら、セミリタイアの優雅な生活を6年間は諦らめて、国の進む方向を正すために、微力をつくす所存です。ベストセラーになった「巨泉-人生の選択」の読者の皆さん、あの本に書いた事はすべて本当です。しかしあれ程計画し、実現させたセミリタイヤ生活を捨ててまで立つ気持ちは、解っていただきたいと思います。後半生の優先順位として書いた、1に健康、2にパートナーは不変です。ただ1の趣味をしばらくの間「奉仕」に代えるだけです。

 それ程長い時間が残されていないボクとしては、国のためにあたら若い命を散らした人達と、彼らを戦場に送りこんだもの達の区別もつかない小泉首相の化けの皮を、必ずはいで見せます。畏友寺山修司が好きだったサローヤンの言葉、「男には、負けると解っていても戦わなければならない時がある」をもって立候補の言葉とします。


2001/06/25

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