2001/06/24

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『自民党幹部に、ひと泡吹かせてやりたい』

大橋 巨泉


 いやぁー、大変な2週間であった。6月11日に本誌6月23日号が発売されて、ボクが民主党の菅直人幹事長から立候補を打診されている、という事が世に出てから、参議院選挙に関する話のない日は一日もなかった。この一両日、日本からの情報、メールなどで知ったところによると、日刊スポーツ紙が「出馬決意」をスクープして大きく報じたと騒がれているようだが、ボクは決してリークした訳ではない。バンクーバー(或いは国境南のサマーハウス)に居るボクのところに、直接コンタクトして来たマスコミの方には、いつも正直に答えて来たつもりである。

 それは、本誌にも報じられた通り、「ボク自身の中では出馬する決意は固まりつつあるが、物理的ハードルが解決できていない」という答えである。これが段階的に片付いて行った。まず選挙期間中帰国できないという最大の難関は、菅さん及び民主党が候補者不在の運動を行うという事で解決された。特に菅さんの「大橋さんの、長年にわたる一貫した主張は、有権者の方には十分伝わっている」という評価を受け入れることとした。

 やはり最後まで片付かなかったハードルは、冬場のオセアニア問題であった。12月に臨時国会が終わってから、1月中に通常国会が始まるまで、1ヵ月弱の正月休みしかない。そのわずかの期間に、クライストチャーチ、オークランド、ケアンズ、ゴールドコーストの4ヵ所にあるOKギフトの社長としての仕事が出来るか、という難題である。このうち、オークランドとゴールドコーストには家があり、たった1週間くらいの滞在なら家は要らない。しかもこれは「当選したら」のタラレバの話であり、今は何の手も打てないのだ。結局、いくつかは積み残しての“見切り発車”となったのである。そして何回もこまめに連絡をとって来た、日刊スポーツの南沢記者に「見切り発車しかしょうがない」と語り、例のスクープになった訳である。もし他社の記者が彼のように、「菅さんが25日にロスに行くと聞きましたが、大橋さんも行かれるのですか?」と聞いて来たら、どなたにも「ハイ」と正直に答え、見切り発車を告げた筈――ただ他社はそれほど熱心でなかっただけだ。

 それにしても、と思う。日本はどんどんイヤな方向に向って動いている。実はあるテレビ局が26日の会見前にボクに“決意”を語らせる出演を企画したのだが、局側の“自主規制”で実現しなかった。以前ある局の局長が、「非自民政権が生まれるように報道するよう指示した」などといった発言が問題にされた事があった。あんな発言をする事は論外だが、だからといって神経質になって、自粛してしまうというのも、言論の自由の放棄ではないのか。自分でいうのも変だが、「大橋巨泉の出馬決意」は、それなりのニュース・バリューと、視聴者のニーズがあったように考えるのだが……。

 小泉純一郎という人を、改革の旗手のようにかつぐのは自由だが、思想的には、彼は守旧派であり、改革とはうらはらな政治家である。靖国参拝はもとより、ボク達が大反対している「個人情報保護法案」に関しても、首相として反対するという言葉を聞いたことがない。御存知のように、これは個人情報保護に名を借りた言論の自由の弾圧である。特にわれわれフリーな立場のものは、取り締りの対象になる。要するに自民党は、政治家や高級官僚を、われわれのペンから「保護」したくて法案をつくったのだ。小泉さんは少くとも、言論の自由を阻害しない修正案を考えたい、くらいのことを言ってくれると期待していたのだが、首相就任以来、「A級戦犯合祀」の問題同様、何のコメントも無い。どうもこの人は、どんなに世間で人気が高かろうが、ウサン臭いのである。ハッキリ言っておきたいが、「構造改革も大事だろうが、言論の自由はそれよりはるかに大切なもの」である。

 今から思うと、今回の立候補の伏線は、自民党政権による「非拘束名簿方式」のゴリ押しにあったようだ。この暴挙に対する怒りが、ボクの意識下にあって、一度断った出馬を再考させたのだと思う。あの法案の成立時、ボクは怒りをこめてこのコラムに書いたが、もう一度ふり返る。ことの発端は参院の全国区が、“銭酷区”とか、五当四落(五億で当選、四億なら落選)とか言われて、改革の声が上ったことにあった。そこで自民党は、「金のかからない選挙を目指して」、拘束式比例区にしてしまった。「」内はあくまで建前で、本音はこうだ。野党側が有名人を立てるとそこに票が集まるが、政党名を書かせればやはり「自民党」が有利になる。まさか「共産党」とは書きにくいだろう――の意であった。ところが自民党の人気は下りっぱなし、むしろ「自民党」と書くのをためらう風潮になったのである。

 もう一度変える必要がある、と彼らは考えた。折りしも名簿の順位をめぐってスキャンダルが発生し(それも自民党の人だった筈)、それを理由に、今の非拘束名簿方式を、十分な審議もつくさず、今回の選挙に間に合わすため、数で押し切って成立させてしまったのだ。これを英語で、ゲリマンダーというが、時はあたかも人気下降中の森政権時代で、恥も外聞もなくゴリ押ししたのである。こうしておいて著名人を並べれば、「自民党」とは書きにくくても、個人名を書いてくれる。個人名も政党別の得票とみなすのだから。

『小泉より菅の方が“ホンモノ”』

 こんな悪事を天が見逃す筈がない。実際に参院選が近づいたこの4月、ひょんなことから、マスコミの無定見にも助けられて、突如「小泉・田中人気」という、順風が吹き出してしまったのだ。自民党の支持率がそれにひきずられて復調し出した。こんな事なら、拘束式にしておけば良かったが、もう間に合わない。しかし自党にも有名人はそれ程居ないが、幸い野党にもそれ程の名は無い。これで順調に勝利、うっかりすると単独過半数も、とニンマリする自民党幹部の顔が見えていた時に、菅さんから電話がかかって来た。あのタイミングでなければ、ボクは結局出なかったと思う。数にまかせてゴリ押しする彼らに、ひと泡吹かせてやれるものなら、「日本国民はそれ程バカじゃない」と知らしめてやるのにボクの名前が役に立つなら……そうした気持がなかったら、今回の話は実現しなかったと思う。

 選挙になる前に、ハッキリさせておきたい。ボクは必らずしも現在の民主党の政策に、全面的に賛成しているものではない。肯定するものもかなりあるが、ボクの意見と対立するものもある。しかし誘ってくれたのは菅さんだけだったし、ボクの理想とする二大政党にはこの党の成長が近道だ。第一、時間がない。対立点は、万一当選した時に話し合うつもりである。

 百歩ゆずっても、菅直人の方が小泉純一郎よりホンモノだと信じている。少くとも言行が一致している。小泉さんは「構造改革なくして景気回復なし」という。その言やヨシとしよう。しかしそれなら何故、すべてを先送りして漫然と景気対策をつづけていた過去の自民党政府と同じように、「素朴な遺族感情で」靖国参拝なんて言えるのか。「A級戦犯合祀なくして靖国参拝なし」でなければ、整合性が無い。ボクが、小泉首相をニセモノ視するユエンである。たとえ議員になっても、ボクには失うものがない。危険な現象に警鐘を鳴らし続けたい。できるだけ大きな音で――。

(週刊現代 2001.7.14)


2001/06/24

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