2001/02 21世紀の日本国憲法のあるべき姿 戻るホーム憲法目次

新しいこの国のかたちのため、おおいに「論憲」する


国会で憲法をめぐる本格的な議論が始まっている。
参議院議員・江田五月氏は参議院の憲法調査会では会長代理、
民主党の憲法調査会では事務局長をつとめている。
江田氏に民主党の憲法問題の取り組みについてうかがった。
(法律文化 2月号 掲載)

21世紀のこの国のかたち

―― 民主党は憲法の問題にどのように取り組んでいるのでしょうか。

江田 わが党の憲法問題に対する姿勢を一言で表現すれば、「論憲」、つまり積極的に憲法を論じてみようということです。

 日本国憲法の成立から半世紀が経ちました。これまで憲法は日本の国のかたちを作るために大きな役割を果たしてきました。もちろん問題も多々ありますが、基本的には、この憲法のもと、平和で、豊かな国づくりをしてきた。そう言えると思います。

 しかし今、まさに新しい世紀が始まるとき、これからのこの国のかたちが、20世紀の後半のかたちのままでいいのかということが問われているわけです。

 たとえば豊かな時代を迎えるに至ったが、では心も豊かになったのか。逆に索漠としてきた面があるのではないか。あるいは日本はこれだけ大きな経済をもつにも関わらず、世界の中で相応の役割を果たしていないのではないか。平和や安全保障以外にも、経済や環境、人権、福祉などの面で、どのようにして相応の役割を果たしていくか。様々な課題が生まれています。21世紀におけるこの国のかたちを、ここで、しっかり議論しなければならない。となれば、国のかたちの基本を成すのが憲法ですから、当然、それについて議論してみようということになるわけです。

―― 現在、憲法について様々な意見が出るようになってます。中には改憲への動きとして危惧する声もあるようですが。

江田 憲法改正の話をすると、戦前、戦中の神国日本という流れに戻っていく。せっかくの戦後の民主主義の歩みを無にしてしまうから、憲法の議論などしてはいけないという人たちがいます。その方々からすれば、今、私たち民主党が論憲と言っていることも、危険な兆候としてとらえるかもしれない。しかし私はそうは思っていません。今、戦前のような考えが国民に浸透する条件は無いと思います。そこに神経を尖らすあまり、貝のように閉じこもるのではなく、むしろおおいに議論すべきです。その結果、21世紀のこの国のかたちはかくあるべしと定まり、そのためには憲法の条文にどうしても筆を入れる必要があるということなら、躊躇せずそうする。これが民主党の姿勢であり、私自身の意見でもあります。

両院と民主党の憲法調査会

―― 民主党内で、論憲はどのような形で進められていますか?

江田 20世紀の最後の年だった昨年1月、衆参両院で憲法調査会が立ち上がりました。私は参議院のほうの憲法調査会で現在は会長代理をしています。同じ名称なのでややこしいのですが、その直前に、民主党も党内に、憲法調査会を設置しました。これは党代表直属の機関で、鹿野道彦さんが会長、私が事務局長をつとめています。

 民主党としては「憲法を変えるべし」という姿勢で論憲に臨んでいるのではありません。反対に「憲法には指一本触れてはいけない」という姿勢でもない。人によっては憲法を変えるということをまず明確にしないと議論にならないという人もいますが、憲法を書きかえるか、書きかえないかは徹底した論憲の後に出てくる結論です。しっかりと議論すること抜きに、先に結論ありきというのはおかしい。

―― 党の調査会ではどのような議論をされてきたのですか?

江田 2000年中は、有識者の方々、正村公宏さん(専修大学教授)や軍縮関係の権威である坂本義和さん(東大名誉教授)、政治学の佐々木毅さん(東京大学教授、次期学長)、ヤマト運輸の元会長の小倉昌男さんなど、多彩な方々にお越しいただいて、文明論など大きな枠組みについて話をうかがってきました。

 その間、衆参両院の憲法調査会でも議論が行われてきました。衆議院の調査会は主に現行憲法の制定過程について、参議院はこの国のかたちについての議論をしてきました。

―― 民主党内や両院における1年間の議論を経て、どのような成果がありましたでしょうか?

江田 憲法は制定過程に闘題があるから改正すべきだという論には立たない。そのことについては、だいたい合意に至ったのではないかと思います。

 日本国憲法が制定されたのが占領時期であり、占領権力が影響を及ぼしたことは事実です。憲法草案の作成にあたった連合国軍総司令部(GHQ)民政局のベアテ・シロタ・ゴードンさんが、非嫡出子の権利などを憲法に書き込もうとして尽力された。それをめぐって感動的なドラマがあった。そのエピソードからは、先人が人権のためにこれだけの努力をしたと感じると同時に占領軍が日本国憲法の内容にそれだけ介入したことも分かります。

 日本国憲法は世界史の流れの中にある存在です。地球がしだいに小さくなり、世界史がひとつの大河ドラマとして流れる時代になって来ました。その潮流の基本を決めているのが世界の憲法の思想です。どの国の憲法にも基本的人権や民主主義に基づく統治制度を盛り込んでいる。それを欠き、国の独自性と称して、世界の歴史の流れと沿わない憲法を作り、わが国は人権を認めない、独裁国家として好き放題にすることなどは通用しません。ところが、日本はその世界史の流れから逸脱して、第2次世界大戦という行動に走った。それが成功するはずがない。戦争に負け、もう一度、世界の大きな歴史の流れに戻ろうとするとき、当時の日本の為政者たちはそれを自力で果たせなかったわけです。そのため占領権力が手を貸した。多くの日本国民もそれを歓迎しました。戦後に選ばれた議会の意思で、占領権力が作成した草案に修正を加えて、憲法が制定されました。しかも、その憲法のもとで今日の日本のかたちを作ってきたのですから、「押しつけ憲法だから変えなければならない」という議論は成り立ちません。

憲法調査会の五つの作業部会

―― 民主党としては今後、どのようにして議論を進めていかれるのでしょうか?

江田 党の憲法調査会の発足以来、国のかたちについて議論を続けてきて、昨秋、総会を開いて、五つの作業部会を作って議論していくことを決定しました。

 第一作業部会は「総論」です。この国のかたちそのものを骨太に措いていくことです。

 第二作業部会は「統治機構」で、首相公選、国会と内閣の関係、憲法裁判所の必要性などのテーマに取り組みます。

 第三作業部会は「人権」です。今の憲法の人権規定ができて以降、いろいろな新しい人権の流れが出てきています。

―― 各国の憲法にいわゆる「新しい人権」が盛られるようになっています。

江田 憲法を作った当時は、環境が問題になる時代ではなかった。ゴミは焼いて捨てれば、この広い大地がなんとかしてくれる。川に流せば、豊かな海が全部、浄化してくれるという時代でした。しかし人間の活動は今や地球がフラフラになるほど凄まじいわけです。環境権を基本的人権として考えなければならない。憲法に書かれていないから、環境権が無いということではありませんが、法的合意に至れば、より明確にするために憲法に書き込んでいい。また今、世界で、人権とは普遍的概念か、それぞれの国が憲法で与えているものなのかという議論があります。アジアの人権はヨーロッパやアメリカとは違うという論争が起こるわけです。東チモールのときでも、アウンサン・スーチーさんのときでも、その論争があった。そのことについても議論する必要があるかもしれません。あるいは国際的に人権を保障するにはどのような方法があるのか。国内でも人権救済機関は今のままでいいのかという論点もあるでしょう。

 第四作業部会は「地方分権」です。日本は明治以来ずっと中央集権でやってきた。今の憲法にも地方自治の条文はありますが、やはり日本の基本的なかたちは中央集権体制です。これを根本から変える必要があると私たちは思っています。ここでその議論をしようということです。

 第五作業部会は「国際・安保」です。日本は国際関係をどのように作っていくのか、その中で安全保障をどのように実現していくかです。

 以上の作業部会は、それぞれ座長、主査、幹事、委員を決めて、スタートしています。第一作業部会の「総論」については、2001年の参議院の選挙の前くらいまでに、第二から第五までは2001年中に一定の成果をまとめたいと考えています。

党内の憲法をめぐる議論の幅

―― 第9条をめぐって、民主党内にも様々な見解があるのではないかと思いますが。

江田 党内にいろいろな意見があります。そのこと自体はおかしいことでも何でもありません。憲法をめぐる意見の相違ということなら、自民党内にもある。

 ただ私は民主党内の意見には、そう大きな違いはないと思っています。党の中にある議論の幅はある程度、決まっています。

 第9条をめぐって、一方には、国家である限り、軍隊を持って、その軍事力をもとに国際社会に伍していき、国威を発揚すべきという意見があります。その中には、日本は占領軍に憲法を押しつけられ、不幸にして牙を抜かれてしまったが、神国日本の魂を取り戻そうではないかという考え方もある。しかし民主党にはそういう考えの人はいない。そのことははっきり言えます。今の憲法の平和主義・国際協調主義、基本的人権、国民主権・民主主義は堅持する。これは党として一致しています。

 一方では、それとは反対に、日本は国際社会の中で良心的兵役忌避国家としてやっていこうという考え方もあります。日本は戦争に負けたとき、国際社会の信義の中で平和と安全を守っていこうと決めた。しかも第9条から見て、自衛隊は憲法違反の存在であるから、解散させようという意見です。

 恐らく民主党の中に、自衛隊を完全に廃止すべしという意見の持ち主はいないでしょう。自分たちの国は自分たちのカで守っていく。その際、どこかの軍隊が攻めてきたら、みんなで竹槍を持ってがんばれとは言えない。国民に武器を渡して、ゲリラ戦をしようと言ったら、暴力団に文句が言えなくなってしまう。やはり国民の付託を受けた国家が実力組織を保有して、節度ある自衛力として保持するというのが民主党の基本的な考え方です。自衛隊の役割はあくまで自衛ですから、国威発揚のために海外に出ていくようなことはしない。また国際貢献は国際社会の共同対処の枠組みの中で行う。同時に、予防外交を初めとして外交努力についても精一杯、努力していく。そういった見解は党内で共通するものです。そこに多少の相違があるとすれば、国際社会の共同対処に日本としてどのように関わるかでしょう。自衛隊がフルスケールで関わっていくのか、参加の限度をどう設定するのか。あるいは自衛隊は日本の防衛が専門だから、別組織を編成したほうがいいといった意見も当然あります。意見の相違はどの党でもある。そこは今後、議論して、党の方針を決めていく部分です。またそれを決めることは十分できます。

 民主党は常識的な党です。国民が常識だと思うことを一番大切にして、それを実現しようとする党だと考えていただいていいと思います。私は憲法についても民主党の議論の結果から出てくるものは、国民の意見に合致すると確信を持っています。

「集団的自衛権」の意味

―― 先般、鳩山由紀夫代表と横路孝弘副代表の間で、集団的自衛権をめぐるやりとりがありましたが?

江田 自衛権の行使にはふたつの方法があります。ひとつは自分の国は自ら守るという個別的自衛権です。もうひとつは集団的自衛権で、他国と運命共同体的に腕を組み、仲間の国が攻撃された時は、自国が攻撃されたときと同じように対処するという考え方です。日本国は独立国の固有の権利として集団的自衛権も有するが、憲法の規定があるからこれを行使できないというのが、政府の考え方です。そうすると、日米安保条約で、日本が攻撃された時はアメリカに助けてもらうが、日本とはるか離れたところでアメリカが攻撃された時は、日本がおっとり刀で駆けつけることはしないという、片務的集団的自衛権というややこしいことになります。

 鳩山代表は集団的自衛権を行使できるようにすべきだという発言をし、それが大きく報道されましたが、問題は集団的自衛権という言葉をどのような意味で使ったか、です。鳩山代表も、日本とはるか離れたところにまで、アメリカを助けに行くようにしようとは言っていないのです。鳩山代表の念頭にあったのは、むしろこれから述べる地域的集団安全保障システムのことだったと思います。

 たとえばイラクがクェートを攻めた。その行為を国連が非難して、国際社会の共同の行動で追い返した。あれは集団的自衛ではなく、集団安全保障です。主権国家がそれぞれ国境を決めて、主権をもった独立国としてやっていく。その国際社会の秩序を乱したイラクはクェートの敵と言うよりも、国際社会の秩序の敵とされたわけです。

 戦後、国連が中心になって集団安全保障のための国連軍を想定した。国連の責任で世界の秩序を保持して行く。その営みが集団安全保障です。しかしながら、いきなり世界全体をカバーするのは難しい。そこで地域的安全保障という考え方が出てきた。冷戦構造が終わって、ヨーロッパではOSCE(Organization for Security and Cooperation in Europe=欧州安保協力機構)を中心とする東ヨーロッパを含めたヨーロッパ全体の集団安全保障体制ができました。アジアでも、そういう地域的安全保障システムを作ったらどうかという議論がある。日米安保条約は当初こそ東側諸国を仮想敵国にしたが、今はアメリカと腕を組んでロシアに対抗する時代ではありません。北朝鮮も国際社会に入ってきてもらわなくてはならない。では日米安全保障条約は解消していいかといえば、そうもいきません。アジアの秩序を作っていくひとつの仕組みとしてとらえ、これをアジアの地域的安全保障システムに位置づけていくことが大切です。

 昨年、鳩山代表は訪中したさい、日中でアジアに地域的安全保障システムを作り、平和な秩序を作っていくことを碇案しました。そういう鳩山代表が言う「集団的自衛権」の真意は旧来の日米安保における集団的自衛権ではなく、集団安全保障だったのでしょう。やや言葉遣いに厳密さが欠けたとは言えるかもしれません。それについて、横路さんが誤解を招きやすいから注意してほしいとして、鳩山代表もそれを了解して、憲法調査会での議論に委ねるとして、一件落着したということです。

―― 江田先生は国家の自衛権についてどのようなことをお考えでしょうか?

江田 たとえば自衛権は独立国に認められた固有の権利なのか、それとも国際社会から各国に委ねられた義務なのかという議論があります。今後、国際社会の存在が大きくなるにつれて、固有の権利というより、国際社会に対して負った自国を自ら守る責務という考え方が大きくなっていくのではないかと思います。

憲法の理念を今の時代に実現するなら

―― 次に法律家としての江田先生に日本国憲法に関するお考えをうかがいたいと思います。

江田 私は党の憲法調査会事務局長として、意見をまとめる役ですから、あまり勝手に走ってもいけませんが(笑い)。

 まず日本国憲法の思想は非常に大切だと思っています。しかし前文と第9条は、制定された時代に照らして理解しなければならない。前文では大切なことを言っています。「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と。戦争に負けて、国中が食うや食わずの状態になったとき、「名誉ある地位」として言えるのは、軍隊を持たないということだった。それが最も簡明・直裁な言い方だったわけです。その文言のもとにあった精神は、国際社会が共同の努力によって平和を作る時代が訪れた、そうした中で日本も一生懸命に役割を果たしたいということです。その精神を現在に置き換えれば、どうなるか。日本は世界中を相手に経済活動をして、これだけ大きな経済をもつ国になったが、儲けるだけは儲けるが、世界の困難については知りませんとは言えない。あの時代の日本が憲法によって世界に高らかに宣言した思想を、21世紀を迎えて、どのようにして実現するか。たとえばPKOできちんと役割を果たすとか、国連でいろいろな苦労を背負っていくことでしょう。第9条の戦力を保持しないということは大切だが、そのもともとの精神を今の時代にあてはめれば、別の表現になってしかるべきです。それは決して19世紀、20世紀型の「普通の国」になろうということではない。21世紀の国際社会に平和をもたらすため積極的にリードする国家になろうということです。

―― 今後の論憲における重要なテーマにはどのようなものがあるでしょう?

江田 まず首相公選制があります。採用するなら、憲法を変えなければならない。首相について国民投票を行って、それは国会での議決の参考にするという方法なら、憲法改正の必要はない。いずれにせよ議論すべきです。

 国民投票も議題にする必要があるでしょう。今、憲法では、憲法改正の国民投票などしかありません。しかし地方自治体で住民投票が果たしている役割を見れば、国全体としてもこれを真剣に考えなければならない。

 また本格的な連邦分権国家を目拍そうということになれば、憲法にも関わってきます。また、財政では、公の支配に属さないところに税金を使わないという原則がなにを意味しているかということもあります。現実には憲法を合目的的に解釈しながらやっていますから、規定があるため何もできないということはありませんが、議論の結果、憲法に筆を入れることになれば、入れる場所のひとつかもしれません。

司法は戦前から変わったか

―― 憲法に照らしたチェックを行う機関について、どのように思われますか?

江田 やはり憲法裁判所は議論してみたいですね。現在、裁判所は立法の合憲性について抽象的憲法判断をしない。ではどこが判断しているかというと、内閣の法制局です。ちょっとおかしい(笑い)。

 司法権は抽象的に立法の憲法適合性を判断するのではなく、個別の事件における判断を通じて憲法の理念を実現していくわけです。その大原則を守るのか。司法による憲法判断は個別性が非常に大事です。そこを踏み外すのは司法が間違った道に進み兼ねないという議論もあります。あるいは憲法裁判所を作るとして、それを司法権の中に入るのか、あるいは三権とは別のシステムとして作るのか。課題は多いが、議論していくべき問題です。司法に関してもうひとつ指摘すれば、戦後、新しい憲法のもと、日本の国のかたちがガラッと変わったのに、司法だけは変わらなかったのではないかということです。天皇の名のもとの司法から国民主権のもとの司法へと、確かに表紙こそ変わったが、その中身を見れば、国民審査はただあるだけ、弾劾裁判所も、機能したことが無いわけでは無いが、十分とはいえない。裁判官の任命方法も、国民にとってはどこでどうやっているか、よく分からない。そもそもキャリア・システムで養成された裁判官がどこまで国民主権という意識をもっているか。昨今、行政はあれだけおかしなことになっていて、司法官僚のほうはまったく健全と見るのは少し甘過ぎるのではないか(笑い)。司法官僚、裁判官の養成の方法を国民主権のもとで設計することが大切です。そのうえで法曹一元論は重要な問題提起です。

―― 将来、憲法改正が実現するとして、その要件にはどのようなことがあるでしょう?

江田 改正を語るのは時期尚早ではありますが、私はふたつくらいの勢力が政権を担う時代になったとき、その勢力の大合意による改正であるべきだと思います。5分の4とか10分の9の賛成を得るような改正でなければならない。議論の結果、憲法の表現を変えるとしても、国会で一部の人たちがそれを言い出し、たとえば連立与党が3分の2以上の議席を獲得していて、野党の反対の中、強行に改憲を進めたりすれば、その後の政治が大きく乱れるでしょう。将来の日本に禍根を残すべきではありません。


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