2004/04/07

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参議院憲法調査会報告


第1.論憲から創憲へ

1. 憲法論議のあり方

私はかつて、本憲法調査会の審議の始まりに当たり、私たち民主党・新緑風会の憲法論議に対する「論憲」との態度を明らかにしました。護憲とか改憲とかをあらかじめ定めずに、自由に憲法の論議をしてみようと言うものです。その後、党内でも論憲を進め、昨年の総選挙で発表したマニフェストでは、創憲への発展を掲げました。今、党内の憲法調査会で、新しい日本を構想する新しい憲法に向けて、議論を深めている最中であり、私はその事務局長です。

審議のはじめに、もうひとつ、現憲法が占領権力によって押しつけられたものだから改正すべきだ、という立場をとらないということも明らかにしました。その際には、それ以上は述べませんでしたが、この際、憲法制定過程についての評価を、若干述べておきます。

2. 現憲法は制定時の世界の流れに沿ったもの

占領下の現憲法制定に、占領権力の関与があったことは事実です。そのことを、日本国家の屈辱ととらえ、これを払拭するため憲法改正が必要だという意見があります。しかし、憲法は主権国家の基本法ですが、いかなる主権国家も、国際社会と無関係に自国の歴史を歩んでいるのではなく、世界と共に歩んでいることを忘れてはなりません。しかも世界の歴史は、自由、平和、民主主義、人権、共生といった共通の価値の実現に向けて、つまり理想に向けて歩んでいます。もちろん、ジグザグコースをたどったり、価値の内容が変わったりはします。だから国民も、これを心から受け入れたのです。

日本は、第2次大戦の過程で、この世界の歩みから外れていったのであり、敗戦と戦後改革は、元の道に戻る過程だったといえます。しかも、現憲法は世界が共有している諸価値を高く掲げているのですから、世界の歴史の流れにまさに沿ったものになっていると評価できます。

3.現憲法の平和主義こそ、世界の流れ

ここで、本日のテーマに則して、現憲法の平和主義の原理を見ると、現憲法が世界の歴史の流れとまさに軌を一にしていることに気付きます。国民国家の成立以来、何とかして国際社会をルールの下に置こうという人類の努力が積み重ねられ、1907年のハーグ条約、1928年の不戦条約で、侵略戦争を違法としました。しかし第2次世界大戦が勃発し、戦争の性格は無差別殺戮へと変化しました。核兵器はその最たるものです。この惨禍を乗り越えた世界は、国際社会の連帯強化を図り、個別の国家による武力の行使は原則的に違法とし、これを国際社会の連帯組織である国際連合に一元化しようとしました。これが集団安全保障という概念です。

現憲法の平和主義は、まさにこの国連の平和主義のルールと表裏一体のものとなっているのです。国連は、冷戦期には活動が大変に困難でした。しかし、冷戦が終わった今こそ、国連の時代となっているのです。一国主義の行動が、国連の活動に困難を与えていますが、戦争の違法化や国際社会のルール化に逆行するこの動きは、世界史の流れにも逆行しているのであって、私たちはこの流れに掉さしてはなりません。

第2.憲法の平和主義の遵守と創憲

1.日本国憲法の平和主義とは何か。

以上述べたところからお分かりいただけると思いますが、私たちは、現憲法の平和主義の原則は、一国による<武力行使の放棄>と国連主導の<集団安全保障への積極関与>の2点だと理解しています。この2点は、武力衝突事案に対し、個別の国家による武力行使を禁止し、解決を国連の安全保障措置に一元化するという構想に則っているので、実は表裏一体のものです。そして、この構想は、憲法制定後色褪せるどころか、ますます光を増してきていると思います。

言うまでもないことですが、国連憲章も自衛権を認めています。しかし、それは、緊急やむを得ないものであり、かつこれに対する国連の集団安全保障活動が作動する間に限定されたものであります。すなわち、主権国家の自衛行動による対処を、国際安全保障構想の中で例外的位置をしめるものとして、個別的であれ集団的であれ、自衛権を認めているのです。その範囲において自衛隊は合憲であると言えます。むろん、自衛の域を越えて戦争を行うことは当然違憲ですし、そのような能力を持つことも認められません。従って、防衛力整備に当たっては、専守防衛の原則その他の憲法上の強い制約があるのです。

2. 戦後から今日までの時代の変化

現憲法は、この2原則を、これを制定した時代の制約の中で表現しました。時代の制約とは、ひとことで言えば、日本が敗戦によって、第2次大戦後の国際社会の構築に関わる地位を失っていたということです。そこで第9条では具体的に、国際紛争解決の手段としての武力行使の放棄とその能力の不保持を規定したものの、国際社会への関わりについては、前文で幾分抽象的表現があるのみとことに留まってしまったのです。

しかしその後、日本は独立し、冷戦時代を経て、これが終了し、21世紀になりました。今では、敗戦後という時代の制約はありません。いやむしろ、冷戦終了後という時代に、私はいるのです。冷戦を、第3次世界大戦と考えてみてください。第2次大戦終了後の国際社会の構築には、日本は関わることは出来ませんでしたが、第3次大戦終了後の国際社会の構築には、日本は関わらなければなりません。その責任を負った国になっているのです。

3.現代の問題状況とかみ合う表現を

ところで、21世紀の世界と日本の状況の中で、平和主義の2原則を遵守するためには、現憲法の表現ぶりが有効なのでしょうか。

私たちは、現状でのイラクに対する自衛隊の派遣に、強く反対しました。それは、法の支配を無視するがごとく、国連の決議や国連憲章の規定をないがしろにして、憲章が禁止する単独主義的な武力の行使を断行したからであります。

同時に私は、現憲法の規定は、今日生じている新しい問題に対処するには補うべき点が少なからずあるのではないかとも考えています。第9条を文字どおり理解すると、イラクどころか、自衛隊の保持自体も怪しくなります。しかし、いったんその保持を認めると、第9条ではその活動に何の歯止めもできず、活動地域は世界に広がってしまいます。日米安保の極東条項さえ、今や有効に機能していないという始末です。このままでは、第9条は規範としての機能を失ってしまいます。そこで、現憲法の平和主義の2原則を堅持しながら、表現振りでも、国民の意識の面でも、規範としての機能を持つように、新しい表現を採用することを大胆に検討すべきではないかと考えます。

第3.具体的課題について

1. NPO、多国籍軍、国連待機部隊について

集団安全保障に積極的に関与するということは、国連の実力部隊の行動にも参加するということです。国連には、憲章に規定された国連軍が、まだ出来ていません。それどころか、近い将来できるという見通しはありません。

しかし、国際社会における軍事的な実力の行使は、国連の警察的機能に一元化し、すべて国連の意志決定に従って行うようにするという理想を、失ってはいけません。もちろん、国連の改革は当然の課題です。そこで私たちは、日本は、平和構築に対し積極的に関わる機能まで持つに至ったPKOにしても、国連の意志決定に裏打ちされた多国籍軍の行動にしても、これに責任をもって積極的に参加すべきであると考えます。

その際、日本がこのような活動に参加するための部隊としては、日本の主権の行使に携わる自衛隊でなく、国連待機部隊とすることを私たちはいま検討しています。両組織の関係についての細かな議論は省略しますが、機能的な連携が必要なことはいうまでもありません。無駄を省くことも大切です。ここで肝要なのは、国威発揚的発想からの脱却です。

2. 自衛権について

自衛隊は、自衛権の行使に当たります。集団的自衛権についての議論があります。現憲法の解釈変更で、この行使を認めることを、民主党は考えていません。いずれにせよ、平和主義の精神からすれば、自衛権の行使は抑制的に、必要最小限にすべきことは当然です。

集団的自衛権の定義を、内閣法制局のとおりだとすると、集団的自衛権の行使を認めることによって、日本の平和と安全から極めて遠い地域にまで、自衛権行使の範囲を及ぼすことになります。個別的であれ、集団的であれ、自衛権そのものを国連憲章の規定に従って位置づけ、同時にその限界を示す規定を憲法の中に明記することを検討すべきではないかと考えます。

3. 地域安保について

国連安保の地域版として、地域安保システムを構築する必要があります。創憲では、ここまで視野に入れるべきだと考えますが、今日は時間の制約上、問題点の指摘に留めます。

最後に―「地球憲法」と「法の支配」

21世紀には、ますます国際協調が進み、主権国家の制約が強まり、確立された国際法秩序の下で、地球上のいかなる紛争の解決についても、例えば国際刑事裁判所条約のように、「法の支配」に基づく行動が求められるようになると思います。

国連創設のときに世界が共有していた理想の旗を、私たちは決して降ろしてはなりません。逆に今こそ、これを高く掲げるときです。理想の旗は、一度降ろすと、次に掲げるのは容易なことではありません。むしろ今こそ、私たちは、「地球憲法」を構想する時代を迎えているのだと思うのです。私たちが進めている憲法論議についても、こうしたスケールの大きな視野が求められているのだということを、改めて強調して、私の発言を終わります。


2004/04/07

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