2004/01/22 戻るホーム憲法目次

衆議院憲法調査会会議録
平成十六年一月二十二日(木曜日)

中山会長 次に、日本国憲法に関する件について調査を進めます。
 本調査会は、設置以後、人権の尊重、主権在民、再び侵略国家にならないという三つの原則を堅持しつつ、日本国憲法の制定経緯、戦後の主な違憲判決、二十一世紀の日本のあるべき姿に関する調査を経て、小委員会において、個別論点の調査、憲法の全条章についての網羅的な調査を行うとともに、全国八都市において地方公聴会を開催し、国民各層から日本国憲法に関する意見を聴取してまいりました。
 また、平成十四年十一月一日には、この間の調査の経過及びその内容を取りまとめた中間報告書を作成し、議長に提出いたしました。
 なお、この間、衆議院より派遣された議員団による諸外国の憲法事情に関する調査も四回行われております。
 本調査会では、天皇制や憲法九条の問題など、これまで議論をすること自体が避けられてきた分野につきましても調査を行ってまいりました。このような分野における調査においても、終始冷静かつ熱心に討議が行われてきたと理解しております。
 各小委員会や調査会においての議論を積み重ねる中で、象徴天皇制の存続など各党の考え方の集約が見られる分野、首相公選制など慎重あるいは消極的な意見が多く見られた分野、安全保障など意見の対立がある分野等があったと承知しておりますが、いずれにいたしましても、憲法に関する議論が格段に深まってきたことは大変喜ばしいことと存じます。
 申し上げるまでもなく、憲法は国民のものであります。しかしながら、我が国では、自衛隊と憲法九条との関係だけでなく、戦後間もなく始められた私学助成と、憲法八十九条の公の支配に属さない団体への公金支出禁止規定との関係、人事院勧告の実施に伴い行われた裁判官報酬の引き下げと憲法七十九条、八十条の裁判官報酬の減額禁止規定などとの関係といった違憲の疑いが指摘される諸問題について、解釈を通じて問題解決を図ろうとするいささか安易な対応がなされてきたことは否めないのではないかと存じます。
 さらには、憲法九十六条の改正手続規定の具体化である国民投票制度が未整備であることは立法の不作為行為であるとの批判もあるところであり、国民投票法案及び国会法一部改正法案が注目を集めております。
 今月二十日にイラク復興支援のため陸上自衛隊の先遣隊がイラクのサマワに到着し、連日報道されておりますが、自衛隊による対応措置の実施が憲法九条の禁ずる武力の行使と評価されないことをどう担保するか、国連の枠組みのもとにおける国際協力の重要性等、従来から、憲法九条のもとで我が国がどのように国際協力を果たしていくのかについて議論がなされてきましたが、今なお一層議論を深めていく必要があると存じます。
 その他、年金、医療、福祉といった社会保障のあり方と憲法の問題、電子政府の構築に伴って生ずるプライバシーの憲法上の保護の問題、両院制を維持すべきか一院制をとるべきかなど、国会の組織はいかにあるべきかという議論、地方税財源、道州制の議論など、人権、統治の分野において、憲法的視点からの議論が十分であるとは言えない課題もまだ残されており、こういった諸問題に関し、憲法に対する国民の信頼を確保するという観点を踏まえ、憲法の規定を正面から十分に検討、議論することが必要であります。
 本調査会の調査期間は、議院運営委員会理事会の申し合わせにより、おおむね五年程度をめどとすることとされており、我々に残された時間はあと一年程度となってまいりました。よって、今国会では、さきに申し上げましたようないまだ議論の行われていない分野、憲法的論議の不十分な分野についての調査が不可欠であります。
 さらには、来るべき最終報告書の作成に向け、憲法議論の整理、集約を視野に入れた議論を試みる必要もあるのではなかろうかと存じます。大変困難な作業であるとは存じますが、我々国会議員がこの困難を乗り越え、その成果を国民に提示できてこそ、その職責を全うすることができるのであります。
 第一党である自民党は、平成十七年十一月の立党五十年をめどとして新憲法草案を起草するとし、第二党である民主党は、平成十八年までに新たな憲法のあり方を国民に示したいとして、それぞれ憲法改正について積極的な姿勢を打ち出したところであり、憲法論議の機運がにわかに高まってきております。本調査会においても、このような状況を踏まえ、憲法問題に関する論点を掘り下げた、より建設的な憲法の議論が行えるのではなかろうかと考えている次第であります。
 かねてより申し上げておりますとおり、私といたしましては、国民的な論争の対象となっている時事的な諸問題につきましても、当調査会が日本国憲法についての調査を行うに際し、あわせて議論を行うことが、その広範かつ総合的な調査にとって極めて有益であると考えております。
 そのような観点からも、本日は、最近の情勢にかんがみて、安全保障問題、社会保障と国民負担率の問題、三位一体論などの地方分権の問題等を中心として国民的に関心の高い憲法的諸問題について、活発な御議論をいただきたいと存じております。
    ―――――――――――――
中山会長 議事の進め方でありますが、まず、各会派一名ずつ大会派順に十分以内で発言していただき、その後、順序を定めず自由討議を行いたいと存じます。
 御発言は、自席から着席のままお願いいたします。
 発言時間の経過につきましては、終了時間一分前にブザーを、また終了時にもブザーを鳴らしてお知らせいたします。
 それでは、まず、古屋圭司君。

古屋(圭)委員 自民党の古屋圭司でございます。
 昨年十一月の総選挙後初めての委員会でございます。早速、自民党を代表して発言をさせていただきます。
 今週から国会が始まっておりますが、この国会の主要なテーマは、安全保障、社会保障、地方分権、こういったテーマが大きな柱でございますけれども、憲法を論じる視点からも、このテーマは重要な柱をなしています。
 そこで、きょうは、この三つのテーマに関して意見を述べさせていただいた上で、今後の憲法調査会のあり方、進め方について意見を述べさせていただきたいと思います。
 まず安全保障でございますが、冷戦終えん後、世界規模の武力紛争の可能性は遠のきましたが、一方では、やはりグローバル化の負の遺産として、地域紛争の発生だとか大量破壊兵器の拡散、また九・一一に象徴されるテロの脅威というものが出現しました。また、北朝鮮による拉致問題であるとかあるいはミサイル発射問題、核兵器開発問題は、我が国の安全にとっても差し迫った脅威であります。
 九条は、国の主権や国民の生命財産を守るための国の基本的な責務を定めたものでありますけれども、しかしこの九条をめぐりましては、これまでに、一体我が国は自衛権を保持しているのか、自衛権の行使として認められる範囲はどこまでなのかといった視点で永遠の議論が繰り返されてきたわけでございます。内閣法制局の集団的自衛権の権利はあるが行使はできないという解釈の上に、我が国の安全保障やあるいは国際協力に関する一連の法律が積み重ねられてきたわけでございまして、その結果、九条をめぐる議論というのは、非常に国民にとってわかりづらい、難解なものになってしまい、いわば神学論争ともやゆされているわけであります。
 一方、現行憲法は、六十年近く一度の改正もされておりません。時の変化に対応できなくなっており、現実からかけ離れているということも否定できないと思います。
 日本の安全と発展というのは、やはり世界の平和と安定が不可欠の前提条件だと思います。その観点から、我が国は当然のことながら国際的な平和創造活動に積極的に参加をすべきであります。しかし、むしろ逆に、自国の防衛に必要な武力行使の限度を定めるはずのこの九条の存在が理由となって、国際貢献に支障を来しているというのが実情だと思います。
 以上の状況を踏まえまして、九条並びに前文の改正に向けて、次のような提言をしたいと思います。
 まず第一、九条一項の侵略戦争放棄の理念は今後とも堅持をする。
 第二点、国民の生命財産を守るという国の責務を果たす意味でも、また一国平和主義の批判から脱却する意味でも、国際社会の実情にそぐわない二項、これは戦力の不保持及び交戦権の否認でありますけれども、これを削除。その上で、個別的であるかあるいは集団的であるかを問わず、自衛のための権利を保持することを認める、そしてこれを行使できるということを明記いたしまして、国の防衛と国際貢献を担う主体として自衛隊の憲法上の位置づけを明確にする、こういうことであります。
 第三番目は、大規模な災害であるとかあるいは侵略等の非常事態においては、首相への権限集中、そして人権の保護とか制約に関する非常事態条項というものを新たに設けるということが三番目であります。
 また、この九条の改正に当たっては、前文との整合性を保つという必要もございますので、前文の見直しを行う必要があるということはもう申し上げるまでもありません。特に、国際貢献に積極的に取り組む姿勢を内外に示すため、国際社会の平和と繁栄の実現に日本が積極的に貢献するということを明記すべきだというふうに考えます。
 以上が安全保障についての提言です。
 二番目でございますが、社会保障についてでございます。
 社会保障制度の中で中核をなすのは公的年金制度でございますけれども、憲法二十五条の生存権をいわば具体化する重要な制度でありまして、昭和三十六年に国民皆年金ができまして、これによって国民の安心と国の発展を大いに下支えをしてきたということは、もう異論のないところであります。
 しかし今、国民は、老後の生活だとか年金に大変不安を抱いておりまして、将来に対するこういった不安というものが経済の沈滞化の一因となっていることは非常に残念なことであります。そういった意味で、年金制度改革というのは喫緊な政治課題であることは、もう申し上げるまでもないことであります。
 この年金改革の推進に当たって、まず、国民一人一人がみんなで国を支えるという意識を持つ、これが重要だと思います。やはり、国民は国家という共同体の一員であるわけでありますので、お互いに支え合い、応分の義務、負担を果たすことなくして、共同体も個人の生活も成り立たないわけであります。したがって、年金制度維持のためには、このみんなで支え合うという理念に基づいて、世代間で公平な負担を担うという意識が必要であります。
 しかし、一方では、その負担増ということによって現役世代に過分な負担を強いるということになりますと、勤労意欲が失われ、結果として経済の活力が喪失するようなことがあっては、これは本末転倒でありますので、そこで、例えば保険料の設定などの具体的な検討を行うに当たりましては、やはり国民負担率というのが大変重要な意味を持つと思います。したがって、憲法の改正の議論に当たりましても、この国民負担率の問題について、国の財政との関係において徹底的な議論を行った上でそれを位置づけていく必要があるんではないかというふうに思います。
 次に、三番目の地方分権に関して発言をさせていただきます。
 地方自治に関する条文は、御承知のように九十二条から九十五条でございますけれども、全体の構成から見るとやや迫力不足であるということは否めないと思います。
 九十二条に定める「地方自治の本旨」というのは、それぞれの地域が、歴史、文化、伝統ある独自性を発揮して、地域の自主性あるいは自立性を高めて、多くの住民の協力と参加によって個性豊かで活力に満ちた地域づくりをする、こういうことだというふうに理解をいたしておりますけれども、この地方自治の本旨に基づく地方自治を進めるためには、まず、国の関与というものを縮小して地方の権限と責任を大幅に拡大するということは、これは不可欠であることだと思います。
 したがいまして、財政面においては、できるだけ自前の財源を地方に付与する、補助金の削減、縮減を図る、地方交付税のあり方も自主性を重視するように改めていくということが重要だと思います。ということは、地方公共団体の自己責任、自己決定の原則が徹底をされるということでありまして、このことは、真に住民本位の行政サービスの提供につながるということが大変期待されるわけであります。そういった視点から現在国会においても議論しておりますし、また、取り組み始めました国庫補助金・負担金の廃止・縮減、基幹税の充実を基本とした税源移譲、地方交付税の見直し、いわゆる三位一体改革をまず徹底的に進めるということが大前提だと思います。
 その上で、明治維新の廃藩置県以来の地方の形の創造とも言える道州制というものをやはり将来は目指していくべきでありまして、憲法改正の議論に当たっても、このことをしっかり反映させていく必要があるんではないかというふうに思っております。
 以上が地方分権についてでございます。
 残された時間、わずかでございますので、最後に、この憲法調査会における議論の進め方について申し上げたいと思います。
 この調査会においては、一昨年、小委員会ができまして、個別の論点についていろいろな調査を行ってまいりました。残された論点についてこの国会で徹底的な調査を行いまして、それを踏まえて、やはり各党の憲法に対する具体的な考え方というものを早急にこの調査会の場に提示して、それを土台に議論していく必要があるのではないかと考えております。
 自民党は、来年結党五十周年を迎えますが、小泉総理・総裁も指摘をしているように、平成十七年に新憲法草案をまとめる方向で、今党内でも活発な議論を進めておりまして、各党においても具体的な憲法改正の案について議論を進めていくということをぜひ期待したいと思います。
 この調査会の活動期間はおおむね五年間ということなので、もう残された時間は多くありません。そこで、最終報告書において方向性を示すことができるように、積極的、精力的に議論を積み重ねていっていただきたいと思います。
 また、本調査会が最終報告を提出した後ですけれども、やはり、議案提出権を有する機関というものを早急に設置して、憲法改正の発議に向けてさらに議論を深めていくべきだと考えます。
 また、今会長から指摘もありましたように、憲法改正について定めるいわゆる九十六条の規定、これを具体的に実施するための法整備がなされていないということは、いわば立法府の不作為に当たるとも言えますので、憲法改正のための国民投票法案等々、関連法案を直ちに整備する必要があるというふうに考えます。
 結びに当たりまして、やはり、二十一世紀という新しい時代にふさわしい、世界に誇るべき国民のための憲法、この制定に向けて早急に議論を進めて、合意形成を図っていくべきだと考えます。
 以上をもって私の発言にかえさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)

中山会長 次に、仙谷由人君。

仙谷委員 民主党の仙谷でございます。
 本年第一回目の憲法調査会の冒頭の発言の機会をお与えいただきまして、感謝をいたしております。
 私からは、今日的な問題関心のある、イラクへの自衛隊派遣の法的な、あるいは憲法的な問題点を申し上げたいと思いますが、その前に、頭の整理といたしまして、というよりも、本年当初、私がある意味で注目をしました三つの裁判といいましょうか、裁判的事例が目につきましたので、そのことからお話をさせていただきたいと思います。
 まず第一番目には、最高裁判所大法廷が、参議院議員の二〇〇一年七月選挙の定数配分等についての合憲、違憲問題を判断した事例でございます。
 この中で福田博裁判官は、司法が違憲判断を回避し続ければ、現在の司法制度から違憲立法審査権を奪う結果につながる。つまり、日本でも憲法裁判所が必要になるという議論が勢いを増すよ、したがって余り回避をしてはいけない、こういう趣旨のことを福田裁判官がおっしゃったということでございます。もちろん、実質十対五の違憲判決だと言われるような事態にまでこの参議院の定数問題がなっているということも一つの大きい問題であります。
 二番目には、イタリア憲法裁判所が、いわゆる総理等の免責法案について違憲判決をすっきりと出したという事例であります。
 三番目は、ドイツ、フランスの財政赤字が対GDP比三%超になったことに対して、EU委員会がついにEUの司法裁判所にこれを提起する、制裁金の支払いを提起する、こういう事例が報道されているわけであります。
 つまり、何が申し上げたいかというと、ここでは、日本の司法当局を含めて、法の支配が貫徹をしない、権力に向けられた法律、規範というものが機能しないで、既成事実がずるずると続いていく、この事態を我々はどう考えるのかということが、私は、この憲法調査会で憲法論議をする前提的な問題、極めて大きい問題だというふうに、この間考えているからでございます。
 イタリア憲法裁判所、EUの司法裁判所が、政府の行う行為を、ある意味で抽象的なレベルでこれを違憲あるいは違法と判断をして決着をつけて、違憲ならば憲法を変えるか法律を変えるか、あるいは制度を変えるか行政のやり方を変えるか、いずれかを選択していく、このことについて、国民各階層の合意がなければ法の支配は貫徹しない、こういうことを示して余りあると思うんです。
 つまり、私は憲法を変えてはならないなどと申しません、法律も変えてはならないなどということは申しません。しかし、変えるべき前提は、法律がある限りは権力を行使する者はその法律を守るというこの前提が約束されない限り、権力を行使する段階では、法律を拡大解釈したり、解釈によって意味内容を変更させることを平然と行いながら、今度は憲法を変える。では、変えた憲法を果たして守ろうとする気があるのかないのか。日本の法律に対する国民の意識も含めてここがとりわけ為政者の最大の問題であろうか、こういうふうに私は思っているわけでございます。
 そこで、法の支配と自衛隊のイラク派遣というテーマでお話をさせていただきますが、もし仮に日本に憲法裁判所が存在するとするならば、民主党は多分、小泉内閣のイラクへの自衛隊派遣についてこれを訴えるということになるでしょう。つまり、ドイツのコソボ紛争への域外派兵について、ドイツ社会民主党がこれを憲法違反だというふうに訴えて、ドイツの憲法裁判所がこれを合憲という判断をしました。その当否はともかく、私は、こういう決着のつけ方をしていかないと、いつまでもずるずるといってしまうというのが法の支配という観点からは一番危険だというふうに考えているから、こういうふうに申し上げているわけであります。
 具体的に、自衛隊のイラク派遣でありますが、私は、この派遣は国際法上の根拠が全くないと考えております。他国の領土に日本の実力部隊、国際法上はこれは軍隊というふうに認定されると思いますが、これが存在する、その根拠が全くない、これは国際法上も違法であります。
 また、アメリカのイラク攻撃自体はいわゆる国連憲章に言う個別的もしくは集団的自衛権の行使に当たらないことは、これはだれしも認めざるを得ないわけであります。ましてや、集団安全保障の措置でないこともアメリカも自認をしておるわけでありますから、したがいまして、これが、つまりイラク攻撃自体が国連憲章に反していることは、これはアナン事務総長の言をかりるまでもなく、国連憲章に反していることは疑うべくもないと思います。また、これに引き続く占領行為も何の法的な正当性もない。
 したがいまして、自衛隊がこの国連憲章違反の、そして国際法上何の根拠もない占領行為の一翼を担うものである限り、国際法に反して、かつ国連憲章違反の行為であると言うべきであろうかと私は思います。
 小泉総理は、この派遣は日米同盟に基づくものであるといっときおっしゃっておりました。または、日米同盟の強化のために必要だというふうに自民党の方々もおっしゃるのかもわかりません。
 思い起こしてみますと、日米同盟の法律形式というのは何でしょうか。日米安保条約ということになるはずであります。しかし、同条約の適用される地理的な範囲は、日本の施政下にある領域ないしは極東に限られることは明かであります。つまり、ファーイーストはミドルイーストとは全く違うということを法律上は覆せないわけであります。したがいまして、この派遣は安保条約にすら反していると言って過言ではないと私は考えております。
 もう一点でありますが、したがいまして、日本国憲法を幾ら拡大解釈しても、国連憲章に基づいて国連の枠組みで活動する場合を除いては専守防衛に限定されるべき自衛隊が、日本の施政下にない地域でその軍事的な力を持って行動し、プレゼンスをとるということは、憲法の予定する範囲を大きく超えているというふうに私は考えます。
 小泉内閣や自民党の方々が、しかしながら、憲法違反であり、国際法違反であり、安保条約にすら反しているこのイラク派遣が必要である、政策的に、政治的にこの派遣はどうしても必要だ、やむを得ないと言うのであっても、必要であるとおっしゃるのであっても、これだけ法律を踏みにじってイラク派遣を行うということは、私は、法の支配という観点からあってはならない。つまり、これを認めるとすれば、必要性の名のもとであれば法律を無視することができる、力で何をやってもいいということになってしまうんではないんでしょうか。
 我々は、法の支配、つまり法治主義や法治国家というものを否定するということになりますと、みずからのよって立つ基盤をすべてみずからの手で否定してしまうことになるんじゃないでしょうか。どうしてもイラク派遣が必要だとおっしゃるのであれば、国連憲章を変える、日米安保条約の中身を変更する、日本国憲法を改定する、すべてのこういう法的な手続を行ってからやっていただかなければ法の支配を貫徹することにならないんではないかということをまず冒頭に申し上げたいと存じます。
 以上であります。

中山会長 次に、福島豊君。

福島委員 自由討議ということでありますので、私は、社会保障制度と憲法という視点で発言をさせていただきたいと思っております。
 日本国憲法におきましては、第二十五条で、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定されております。この条文は、前段の健康で文化的な最低限度の生活が国民の権利として規定されているということ、そして後段におきまして、社会福祉、社会保障、公衆衛生、これが同列に取り扱われ、その向上と増進に対する国の責務が規定されているという特徴がある、そのように思います。
 当憲法調査会におきましても、中間報告書を拝見させていただきましたが、生存権についてさまざまな意見が現在までに提出されております。国家の生存権の保障のあり方、福祉国家のあり方、国家の保障と社会保険による共助の関係をどう整理するのかなどの指摘がなされているわけでございます。
 実態として、日本における社会保障制度は、憲法制定当時から大きく発展をいたしました。医療制度に関しては、国民皆保険制度を実現し、その給付の充実が図られてきたわけであります。年金制度におきましても、国民皆年金制度の実現等その給付の充実が図られました。また、平成十二年からは介護保険制度が導入され、高齢者の介護についても社会保険方式での給付の充実が図られるとなったわけでございます。世界におきましても最も充実した社会保障制度を構築した国の一つであると指摘できると思います。
 こうした制度の充実によりまして、現在の社会保障給付費は八十兆円を超え、昭和二十五年の一千億円に比較しますと、名目では八百倍、国民所得に対しての比率は、昭和二十五年の一〇%弱から現在の二〇%を超える水準へと倍増いたしております。そして、高齢化の進行とともに、さらにこの規模が増大するということは明らかであります。
 一方では、このような社会保障給付を支える財源をどうするのか。先ほども古屋幹事から国民負担率の問題が指摘をされました。累積する公的債務のもとで財政健全化を図らなければならない、これは我が国にとりまして最重要な課題の一つでございますけれども、そうした視点からもこのような問題にどう対応するのかということを今検討しなければならないわけでございます。制度としての社会保障制度の充実と、二十一世紀の高齢化の進行の中でその抱える課題、こうした二つの側面があると思います。
 一方で、憲法としてどうなのか、憲法として規定をどうするのかということを考えたときに、憲法制定当時と大きく異なった現在の社会保障制度をこの憲法二十五条の規定とどのように対応させていくのかということが極めて大切な課題であるというふうに思っておりますし、そのような視点から、憲法の改正の議論の中におきましても、大切な項目として検討を進めさせていただきたいと思っております。
 ここから私の私見を述べさせていただきます。
 このような視点から考えますと、二十五条の前段と後段、これを政策的にどのような性格のものとして位置づけるのかという議論がまずあるのではないかと思っております。前段の「健康で文化的な最低限度の生活」、この規定は生存権とも言われておりますけれども、ナショナルミニマムとしての公的扶助、生活保護の制度を導き出す規定というふうにとらえることができるのではないかと思います。そしてまた後段につきましては、より広範な給付を想定する社会保障制度を導き出す規定とする、このような整理ができるのではないかと私は思っております。
 そしてまたこの二つは、それぞれの財政的な裏づけということを考えたときに、前段の公的扶助につきましては、国民の権利として基本的に位置づけられるということにかんがみて、租税をもってその財源として位置づけることができる。そして後段の社会保障制度は、共助による制度と位置づけて、社会保険方式による社会保障制度と位置づけることも可能ではないかというふうに思っております。
 こうした前段のナショナルミニマムとしての公的扶助、そして後段のより高い給付を想定する社会保障制度、このような立て分けをした上で、より具体的なことを申し上げたいと思っております。
 特に、後段につきましては、社会福祉、社会保障そして公衆衛生、この三つのものが同列に並べられているわけでございまして、こうした表現というものが現在の政策体系に照らして果たして適切なのかどうかということを考える必要があります。
 とりわけ、社会福祉、社会保障が並べられておりますけれども、この二つの言葉が政策的にどのような異なった政策領域を指しているのか、必ずしも明らかではないわけでございます。現在の政策体系では、社会福祉は広範な政策領域を含んでおります。先ほど前段に位置すると申し上げました公的扶助、また児童福祉、障害者福祉、高齢者福祉など、幅広くその政策領域はわたっております。一方で、また社会保障は、制度としては、年金、医療そして近年では介護もその領域として含まれるようになりました。
 こうした政策領域をどう規定するのかという観点から、先ほど申しましたように、この二十五条の後段は、共助による社会保険方式を基礎とする、政策領域を位置づけるという考え方でいけば、共助による社会保障制度として、年金、医療、介護制度、こういうものを後段に位置づけて、そしてその安定した運営を通じて国民生活の安定と向上を図るというような規定に改めるべきではないかと思います。
 この場合に、国がどこまで関与するのか、そしてまた共助としての社会保障制度の水準というものはいかにあるべきか。こうしたことは直ちに憲法の条文に反映するわけではないと私は思いますけれども、十分な議論が必要であろうというふうに思っております。
 そうしますと、社会福祉ということで盛り込まれた政策領域はどういうふうな扱いになるのかということがあろうかというふうに思っております。私は、ここのところは大幅に条文をふやすべきではないかというふうに個人的には思っております。例えば、児童福祉については、よりこれを広範に、次世代の育成、次世代を健全に育成していく、これは国家として極めて大切な営みでございます。そうした新しい条文を設ける。国は次世代育成のために、教育、福祉などさまざまな施策を通じてそれを行うというような規定も考えられるのではないかと思っております。
 二十六条には教育に関しての規定がございますけれども、教育というのは、生涯教育という言葉もありますように、これは必ずしも次世代の育成だけにかかわる話ではありません。ですから、それとは別の視線で次世代の育成ということを、国家がこれを推し進めるというような観点もあるのではないかというふうに思っております。
 また、障害者の福祉はどうするんだということを考えたときに、日本国憲法については、障害者について直接的に規定した条文というものはないわけでございます。基本的人権には、国民は法のもとに平等であるということが書かれておりますけれども、そこにある言葉の中には、障害の有無という言葉が入っておりません。こうしたことを考えたときに、障害者の平等と社会参加、差別の禁止を明確にするという規定を憲法の中に置くということも一つの考え方ではないか、そのように思っております。
 こうした規定を置くことによって、二十五条の後段に社会福祉と簡単に書かれておりますことを、より現在の政策体系とも照応する形で進んだ内容にすることができるのではないかと思っております。
 また、公衆衛生でございますが、これは、社会保障制度が憲法制定当時と大きく変わったように、現在はその当時と大きく変わっているということも事実であると思っております。生命の安全という視点や健康の確保という観点からは、より広く環境の安全、例えば、空気や水、土壌の安全といった環境全般の安全性の確保、そしてまた食品の安全といった領域も視野に入れなければならない時代となったのではないかと私は思います。そうした観点から、公衆衛生は第二十五条から外し、環境権を定める条文の新設とともに、安全な空気や水、土壌を確保し健康を維持する権利と国の責務、また食品の安全を確保する国の責務、こういった新しい規定を設けるということも一つの考え方ではないかと思います。
 こうした現在の社会保障制度そしてまた公衆衛生、幅広く言えば生命の安全を守るさまざまな政策体系、こういうものに照応した形で二十五条の中身というものを見直し、より拡充した形で憲法の中に規定すべきである、このことを私の個人的な意見として申し上げまして、陳述を終わります。
 ありがとうございました。(拍手)

中山会長 次に、吉井英勝君。

吉井委員 日本共産党の吉井英勝です。
 今日、憲法問題の中心課題というのは、憲法違反の現状に憲法を変えて合わせようとする改憲の立場をとることではなく、憲法のすべての条項を厳格に遵守するということ、平和的、民主的条項の完全実施を図ること、このことだと考えております。
 二十一世紀の世界の大局の流れを見てみますと、憲法九条というのは時代おくれどころか時代の先駆けをなすものです。
 それは、憲法九条の戦争放棄の精神が、独立と主権の尊重、武力行使の放棄などを大原則とする、ASEANの平和憲法と呼ばれておりますタック、TAC、東南アジア友好協力条約に、中国とインドが加入して、二十数億人が参加する強力な平和の流れがアジアの大勢になってきている、こういうところにもあらわれています。
 二〇〇〇年の国連ミレニアム・フォーラムの平和、安全保障、軍縮グループの報告書では、すべての国がその憲法において日本国憲法第九条に表現される戦争放棄原則を採択するという提案が強調されています。
 二十一世紀こそ、憲法九条の理想が世界に生きる世紀となってくる。世界に誇るこの宝を放棄してこれを改悪しようなどというのは、前世紀の帝国主義や植民地主義、侵略戦争の時代に逆行する時代錯誤の愚行となるということを私は考えなきゃいけないと思います。
 さて、小泉総理はイラクへの自衛隊派兵を憲法前文の一部を持ち出して合理化しようとしていますが、これは憲法をつまみ食いし、その上で歪曲するというものです。憲法前文は自衛隊派兵を正当化するものにはなりません。
 第一に、総理が引用した前文第二段には、総理があえて無視した最初の一文があります。すなわち、「日本国民は、恒久の平和を念願し、」から「われらの安全と生存を保持しようと決意した。」というところは、第九条の戦争放棄の基本的立場を示したものです。この決意は侵略戦争の反省から導かれたものであり、自国の安全と生存は武力と戦争によって維持するのではなく、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼することによって維持しようと決意したものであります。そこに九条の戦争放棄、戦力不保持の原則があらわれてきます。前文と九条とが密接に関係していることは、憲法制定の経過を見ても、これは明らかなことです。
 第二に、総理が引用した「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」という言葉は、戦争やテロの背景である人権侵害や貧困を克服しそれを解消していくことと、平和のうちに生きていくことが不可分であるとの認識に立って、それを全世界の国民の権利としてうたったものであります。今この権利を最も乱暴に侵害されているのがイラクの国民であると思いますし、それをもたらしたのが国際法違反、国連憲章違反の米国の無法な戦争であり、それに続く軍事占領である。このことを指摘するものであります。
 第三に、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」というこの前文第三段の言葉というのは、戦前の日本の偏狭な国家主義を排撃するということを意味しているものです。戦前の日本は、万邦無比の国体の原理を盲信して、戦前の日本帝国主義、軍国主義が利己的で偏狭な国家主義、侵略戦争に走り、その結果としてアジアで二千万人、日本の国民三百十万人が犠牲となりましたが、この歴史の教訓、反省の中から、他国を無視する独善的な態度が排除されなければならないということを示し、そこから「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、」この文言に続いてまいります。こういうふうにもともと述べられているものであります。
 さらに、海外派兵に反対するということ自体が、自国本意の立場だとか、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」との文句に反するものだとか、あるいは集団安保体制に積極的に参加することがこの文句の趣旨に合致するものであるというような解釈、あるいは一国平和主義ではだめというのは、これは全くのねじ曲げだ、このことは前文の制定過程、歴史的経過を見ても明らかであると考えます。
 小泉総理は、自衛隊を派兵しないと国際社会から孤立するかのように言いますが、現実には、イラク派兵は圧倒的多数の国がこれを拒否しているというこの現実を見ておかなければいけないと思います。
 今日、イラク派兵と結んで出てきている改憲論の目的は、海外での武力行使はできない、米軍支援をするにしても武力行使と一体となった支援はできないと答弁してきたこの立場を捨てることにあります。また、踏みにじられながらも海外での武力行使の手足を縛っている憲法九条を改定して、自衛隊を国軍と認め、海外での戦争に武力行使を行う参加が公然とできるようにする、そこにねらいがあるものと思います。
 日本がなすべきことは、自衛隊派兵ではなく、米英軍主導の占領支配から国連中心の復興支援に枠組みを変更し、そのもとでイラク国民に速やかに主権を返還するための外交努力を行うこと。それこそ憲法九条を持つ国にふさわしい国際貢献でありますし、今、私たちが国際貢献ということを考えるときには、憲法九条に誇りを持って、この立場から国際的に働きかけていく、これがアジアの中での大きな大局の流れ、そして国連ミレニアム・フォーラムなどに見られる国際的な大きな流れである。また、その立場で頑張ることが、努力を尽くすことが、これは日本国憲法を持つ国としての、世界に本当に大きな役割を果たす、名誉ある地位を得ることのできる日本の道筋である。このことを申し述べまして、私の発言を終わりたいと思います。
 ありがとうございました。

中山会長 次に、土井たか子君。

土井委員 社民党の土井たか子でございます。
 従来、この憲法調査会に私は属する希望を持っておったんでございますけれども、党の役職にございまして、どうも党の方の会議とこの時間が一致をいたしておりますために憲法調査会に出席することができませず、前回までは断念をいたしておりました。改めまして、これからメンバーに加えていただきますので、どうかよろしくお願いをいたします。
 今、課題は山ほどあるんですけれども、やはり最大の政治課題というと、イラクに対して、自衛隊が武装して、派兵と申し上げていいと思いますが、いよいよこれが決められて具体化するという国の主権のありよう、国家主権にかかわる問題としても大変重大な事柄が、目下、一番注目を浴びておりますし、憲法問題としても何といっても一番大きな課題だと私は思います。
 きょうは、その問題を申し上げて、そして、あと、改憲について、既に改憲案を二〇〇五年には具体化したいというふうなことが自民党の方からも出されておりますから、改憲をめぐる基本的な認識をどういうふうに考えたらいいかということを、私自身の考えとして申し上げさせていただきたいと思うんです。
 昨日から内閣総理大臣の施政方針演説に対して代表質問が始まりました。そのトップを切って民主党の菅代表が質問の冒頭に聞かれたのも、このイラクに対しての自衛隊の派遣の問題です。憲法に対して違反しているということを非常に明確にきのうは述べられておりましたけれども、それに対して、総理大臣の御答弁は、違反していないとおっしゃるわけですね。既に内閣でこの基本計画に対して閣議決定がなされた後、記者会見で説明をされた節にも、憲法の前文のある部分を読み上げられて憲法に矛盾しないということを言われておりました。施政方針演説の中も同じ箇所を取り上げて、憲法に違反しないと言われておりました。
 けれども、これを聞いて、果たして国民のどれほどの皆さんが納得なさったか、私はクエスチョンマークと思っております。前文のすべての箇所を読み上げられたわけじゃないんであって、後半部分の一部、それは、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という部分ですね。ここを取り上げて言われたわけです。しかし、この前半部分と、そしてあと半分の部分というのは一体ですから、憲法の前文のある部分だけというのは、いかにもこれは作為的だとしか言いようがないと私は思うんですね。
 しかも、この前文を受けて戦争放棄を掲げた九条というのがあるわけですから、九条もあわせて解釈することが当たり前だというのが、大体のところ、その学界における通説だと申し上げていいと思うんですよ。
 しかし、とうとう、九条に対しては聞かせていただくことができていないんです。九条に対しての解釈、九条に対しての認識というのがお聞かせいただけていないんですね。
 改めて九条の趣旨というのをここで確認しておきたいと私は思うんです。
 前文で、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないようにするということを決意して、この憲法が制定されているわけですが、つまり、戦争というのは、ゲリラとか個人的なレベルの戦争もありますけれども、少なくとも、フランス革命以降見てみますと、各国の間で起こった戦争というのは、国家という主体がかかわってきたと申し上げて大きく間違っていないと思うんです。国家は抽象的な概念ですから、戦争遂行主体を政府として考えると、日本国憲法の前文でも、戦争を遂行する主体は政府ということを明確に意識しているわけですね。日清、日露、日中十五年戦争、アジア太平洋戦争、これを含めまして、日本政府が直接戦争を遂行する主体であったというところが認識されているわけで、その反省を込めて、日本国憲法前文で「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、」というこの文言がここに書かれていると思うわけです。
 けれども、この部分は、前文の部分を先ほどもつまみ読みとおっしゃいましたけれども、言われる中からは外されているんですね。平和憲法という由来からすると、この前文のこの部分を受けた形で第九条は、戦争しないということを条文ではっきり明確化しているわけであって、この点は、認識の上では欠かすことができない問題だというふうに私は思っております。
 そうして、この第九条をめぐる問題から忘れてならないのは、一九五四年に今の自衛隊法と防衛庁設置法、二法が国会で立法されましたが、これを採決するときに、参議院で国会決議がつくられています。鶴見祐輔さんが提案趣旨説明をされているわけですけれども、この決議の名前は、「自衛隊の海外出動を為さざることに関する決議」なんですね。中身を読んでみますと、ただいまも全くばっちりというふうに申し上げていい中身だと私は実は思います。「現行憲法の条章と、わが国民の熾烈なる平和愛好精神に照し、海外出動はこれを行わないことを、茲に更めて確認する。」という中身なんです。
 戦後、日本にいろいろと新しい方向転換を示唆するがごとき要素を含む問題も出てきているけれども、自衛隊出発の初めに当たって、その内容と使途を慎重に検討して、我々が過去において犯したごとき過ちを繰り返さないようにすることは、国民に対して我々の担う厳粛なる義務であると思うのでありますという前置きがございまして、一番のこの決議の中で問題になるところだけを簡単にして読んでみます。
 どういうことが言われているかというと、「この日本国民の平和に対する希求は外国の指導に原因するものでもなく、又一時の流行でもありません。」「然るにこの自衛隊という文字の解釈について、政府の答弁は区々であつて、必ずしも一致しておりません。この間、果して思想の統一があるか、疑いなきを得ないのであります。その最も顕著なるものは、海外出動可否の点であります。」したがって、海外に出動するかしないかということが、一番のやはり焦点になったということがまず申し述べられた後に、「我が国の場合には、自衛とは海外に出動しないということでなければなりません。如何なる場合においても、一度この限界を越えると、際限もなく遠い外国に出動することになることは、先般の太平洋戦争の経験で明白であります。それは窮屈であつても、不便であつても、憲法第九条の存する限り、この制限は破つてはならないのであります。」と非常にはっきりこれは申し述べられている国会決議なんです。
 この国会決議は無効ではありません。ただいまも有効でございます。したがって、この決議からすると、ただいまのイラクに対しての自衛隊の派遣というのは、憲法の第九条からしても違反である。これははっきりしていると思うんですね。
 しかし、今、現に改憲ということを問題にされている方々の改憲論というのを見ますと、これは、憲法に則して状況を動かしていく、つくっていくということではないのであって、むしろ、憲法に違反した事実というのが先行させられることによって、それに合わせて憲法を変えるという側面なんですね。仙谷さんがさっきおっしゃったとおりであると私は思っています。為政者がこのことによって解釈をどんどんどんどん広げていけばいくほど憲法の形骸化が進む。形骸化が進むにつれて、その乖離をどのように調整するかというときに、憲法に則して事実を改めるとか改善するという方策をとることをサボタージュして、憲法に違反した事実に合わせて憲法を変えるという側面が、改憲論の中ではその出発点としてあるのが現実の問題でございますから、私は、そこのところを憲法の改正とは言わないと思うんです。
 改正というのは、正しく変えると書きます。したがって、中身からすれば改善されるということでなきゃならないわけで、それでは、今の憲法に違反している事実に即して憲法を変えるということは、どう言ったってやはり改悪としか言いようがないと私は思うんですね。
 改善するということに対して、憲法は九十六条で改正という言葉を使っているわけであって、改悪が具体的な中身になっていることに対して、これを改悪すると改憲論者の方々はおっしゃいません。すべてこれを改正とおっしゃるからややこしいんであって、改悪である実態に対して改正と言うのは間違いだと私は思っていますから、その辺が非常に大事な問題だと思っています。

中山会長 土井たか子委員に申し上げます。申し合わせの時間が経過しておりますので、結論をお願いいたします。

土井委員 今申し上げたことは入り口でございますけれども、もう時間の方が先に来てしまいましたから、また引き続きこの問題について申し述べる機会を与えていただきたいと思います。
 ありがとうございました。

中山会長 これにて各会派一名ずつの発言は終わりました。
    ―――――――――――――
中山会長 次に、委員各位からの発言に入ります。
 一回の御発言は五分以内におまとめいただくこととし、会長の指名に基づいて、御着席のまま、所属会派及び氏名をあらかじめお述べいただいてからお願いをいたします。
 御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。御発言が終わりましたら、戻していただきたくお願いいたします。
 それでは、ただいまから御発言をお願いしたいと思います。御発言を希望される方は、お手元のネームプレートをお立てください。

中谷委員 先ほどから、自衛隊の派遣につきまして、憲法違反という御意見もありましたし、憲法に違反していないという御意見もありましたが、この論争は、自衛隊自身が憲法違反だと言われたこともありますし、日米安保が反対だという時期もありました。しかし、憲法を明確にすることによって、もうこの論議に結論を得るべき時期に来ていると思います。
 今回のイラク派遣につきましては、憲法に書かれているのは、武力行使をしない、そして憲法の解釈としては、集団的自衛権を行使しないということでありまして、この範囲で、では、日本がどういうことができるのか。これは周辺事態やテロ特措法のときも議論をされたわけでありますが、要するに、戦闘が行われない地域、戦闘が将来行われそうにない地域で、後方支援に限って貢献をする、これは憲法に触れないということとして、自衛隊に出動を命じて国際貢献をしている例でありまして、政府や与党の立場としては、憲法違反でないということは担保しつつ行動するということです。しかし、国会でもこれをもって憲法違反と言われるわけでありまして、これは、先ほど仙谷委員から憲法裁判所があればという話がありましたが、裁判所に持ち込んだとしても、これは国会が判断すべきことであるということで、明確にならないのが予想されます。
 したがいまして、国会の責任として、このあいまいさを解決する意味でも、今の時期において、まさに武力行使や正当防衛の範囲とか国際貢献の内容、また我が国周辺における米軍の行動に対する日本の対応など、これまであいまいとさせていた部分をはっきりさせる時期に来ているんじゃないかと思いますので、ぜひ、この際、具体的に憲法についての議論を進めていただきたいと思います。

中山会長 ただいまの御発言は安全保障及び国際協力についての御発言でございましたので、議事整理上、これに関する御意見と議論を先行させていきたいと考えております。

赤松(正)委員 公明党の赤松正雄でございます。
 先ほど、私どもの仲間から社会保障に関する話がありました。私の方から、安全保障に関することについて、若干公明党の考え方を述べさせていただきたいと思います。
 先ほど、仙谷幹事の方から極めて自制をきかせられた御発言があった。昨日の菅代表とは大分違うなという思いをいたしました。私どもの代表に挑発的なことをおっしゃった代表に比べたら、先ほど回していただいた仙谷委員のペーパーには、先ほどもおっしゃっていましたが、自民党の方々や小泉内閣が、こういう格好で、公明党を名指しにされていないのはなかなかの御配慮だなという思いを持って聞かせていただきました。
 実は私、この憲法調査会でもしばしば発言してきたことと重なるかもしれませんが、きょうの仙谷幹事のお話、非常に、なかなか、さすが弁護士出身で、明快におっしゃっているんですが、唯一一点、私が気になるというか、違うと思いますのは、日本の実力部隊という言葉、あるいは軍事的力を持って行動しというくだりは、いささか違う。私は、自衛隊には実力部隊という側面、それから、いわゆる緊急援助隊的側面といいますか、災害復興に当たる側面と二つある。その後者の部分をやろうとしているんだということがまずある。
 したがって、先ほど来のお話の展開の仕方、いわゆる法の支配が貫徹していないじゃないかというお話は、極めて鋭い御指摘だとは思いますが、私たちは今、国際政治の現実の中でどういうふうに日本が生きていくのがいいのかという総合的な観点から苦悩しつつ選択をしようとしているというところが正直なところだろうと思います。
 そこで、要するに、私が今強く思いますことは、今、イラク特措法がつくられたときと現時点のイラクの状態に治安をめぐって大きな乖離があるというような指摘がされますが、私は、イラクに起こっている事態というものを、よく貧困や経済的な観点から、いわゆる反アメリカ的な思いがあって、いわゆる伝統的な政治テロの発露としてのテロリズムというとらえ方と、もう一歩、そうじゃない、そういうんじゃなくて、反文明、反自由主義社会というか、ある論者に言わせると、二十世紀型病理現象という形としてのテロととらえるべきだ、こういうふうな学者がいますが、私はそのとらえ方が正しいだろうというふうに思います。
 言ってみれば、この事態というのは、まさに新しい戦争の時代が今イラクを中心にこの世界に起こってきている。もちろん、こういった事態というものは、私どもの、日本国の憲法が想定していなかった事態であるし、まさに古い戦争ではない、新しい戦争の時代に新しい平和主義というものをどう確立していくのかということが今まさに問われているんだろうと思います。
 十三年前ですか、正確にちょっと、違うかもしれませんけれども、湾岸戦争から今日に至るまでの約十三年間というのは、まさに日本にとって苦悩の十三年だったろうと思います。私ども公明党も、かつて、十三年前の時点、あの湾岸戦争のときに起きた世界から日本に対する批判というものを受けて、PKO法の成立に最大の力を注ぎました。PKO法の中にいわゆる五原則をビルトインすることにも必死になって取り組みました。そういう観点からすれば、今のイラク事態というものに対して自衛隊を派遣するというのは、極めて厳しい選択だろうと思います。
 しかし、先ほど冒頭に申し上げましたように、アメリカの行動というか連合国の行動に対して、後方から非軍事で、先ほど申し上げましたような、そういう実力部隊としての実力行使をするんではなくて、人道支援、復興ということに関して限定をして自衛隊を派遣するということについては、私はぎりぎりの憲法解釈だろう、まさに拡大解釈とかいうんじゃなくて適正な解釈だろう、こんなふうに思っているところでございます。
 以上です。

辻委員 九条に関する議論ということになりますでしょうか。何でもよろしいですか。
 民主党の辻惠でございます。
 憲法を持つということは近代国家になったということであり、憲法というのは人類の歴史的な知恵の集積したものである、しかし、内容については、やはりどんどん進化していくわけでありますから、その時代時代の歴史的な所産であるという面があるというふうに思います。
 そういう意味におきまして、六十年前の憲法が現実の社会とある意味では乖離したような状況を示す、これはある意味では必然なことであると思います。今論議されている憲法九条の問題もそうでしょうし、制定当時、自由権と社会権というふうに保障されましたが、その社会権の内容もどんどん拡充していっている、地方分権の問題についてもいろいろ問題が論議されなきゃいけない、そういう現実との乖離の問題はいろいろあります。
 ただ、その場合に、守らなければいけない、注意しなければいけないのは、人類の知恵の所産であるということでありますから、普遍的な原理として高められてきたその規範は原理原則としてきっちりと守っていくということが重要ではないか。そういう意味におきまして、日本国憲法に言う基本的人権の尊重や平和主義や国際協調主義ということはきちっと守られる、尊重されていく、それが今後にも生かされていくということがやはり基本となるべきであろうというふうに思います。
 そういう観点で、いろいろな問題について論議すべきだというふうに思いますが、きょう私が申し上げたいのは、やはり一番重要なのは、国のあり方を決める重要なあり方というのは、やはり権力の分立、三権分立と言われる問題だと思います。これは、言うまでもなく、モンテスキュー以来の人類の知恵であるチェック・アンド・バランス、権力が乱用されないようにチェック・アンド・バランスは貫かなければいけない。そして、それは法の支配ということがそれを裏打ちするものであるというふうに思います。
 現状の日本を見た場合に、三権分立というものがでは現実化しているかというと、行政が突出して国会の機能もある意味ではそれを追随するような形になる、司法がそれをチェックする機能が全然果たされていない行政国家化と言われる現象があります。これをやはり変えていかなければいけない。そのためには、ある意味では、行政のあり方について、例えば首相公選制とかいうような制度論も論議されるべきでありましょう。
 私が今一番強調したいのは、司法によるチェックということが果たされなければ三権分立というものは担保されない。その意味において、違憲立法審査権が統治行為論等々の議論によって現実に発動されていない現状、これが非常に問題ではないか。それにつきましては、最高裁判所の裁判官の任命権が内閣総理大臣にあるということや、国民審査ということが形だけのものであって全く形骸化している、そういう問題。アメリカにおける、例えばウォレン・コートがその時代の民意を反映した立派な判決を出しているというような、そういう事態が日本で何で実現化していないのか。
 そういう意味におきまして、憲法裁判所の問題も含めて、違憲立法審査権のあり方等について、やはり議論することが重要なのではないかというふうに考えております。

船田委員 自民党の船田元でございます。
 安全保障問題について、大分議論が沸騰しておりますので、ちょっとまた、私の立場におきましても、整理をした考えを申し上げてみたいと思っております。
 既に、自民党からは古屋幹事、中谷委員、それから連立を組んでおります公明党の赤松幹事からも、この点について非常に整理をされた議論をされておりますが、私も、今回のイラクの自衛隊派遣につきましては、これは決して憲法違反という代物では全くないということを改めて主張したいと思っております。
 これは、もう既にこの議会におきまして、イラク人道復興支援のための特別措置法、十分に議論を尽くしたわけでありますが、その中でも常に言われていたことは、この自衛隊の今回の派遣、それから前回の、現在も継続中でございますが、テロ対策支援特別措置法によって海上自衛隊がインド洋で活動しておりますけれども、これも、いずれもあくまで非軍事的な活動であるということは言うまでもないことであります。また、活動している地域は戦闘地域ではない、もちろんテロを受ける危険性のある地域ではあるけれども、決して戦闘地域ではない、そういう場所での活動であるということはきちんと踏まえておかなければいけないと思っております。
 また、これを憲法の第九条に則して当てはめていくのであれば、決してこのイラク派遣、自衛隊の派遣は、国権の発動たる戦争を行うものでは全くありませんし、また、国際紛争を解決する手段として武力行使を行うものでは全くない、あくまで、自衛隊がもし万が一武器を使用するにしても、それは自衛隊員の個々の正当防衛であり、その正当防衛のための武器使用であるということでありますので、憲法上、特に第九条の中ではこの問題は整理をされている、このように認識してしかるべきであると私は思っております。
 ただ、それとは別に、やはり今回、憲法のさまざまな議論をしておりますが、やはり私たちは、国際社会の中での安全保障ということに対しての、我々日本としてのあるいは日本国憲法の中での扱いを、もっと国際的な、国際社会の中での常識に合わせていく必要があるということを私は常々考えておりました。もちろん、太平洋戦争、第二次世界大戦における、あるいはそれまでの間の我が国のかつての行為が非常によくなかった、反省をしなければいけない、これは十分に意味のあることであり、理由のあることであります。もちろん慎重には慎重を期さなければいけませんが、国際社会の中での安全保障に対する常識、これをやはり憲法の中にきちんと書き込んでいくということが必要になってきた、もうそういう時期であると私は考えております。
 安全保障の概念としては、大きくは三つあると思います。個別自衛権、集団的自衛権、そして集団的安全保障、この三つであります。往々にして、この三つの考え、定義が時々あいまいになるという議論を散見しておりまして、この点では大変残念に思うわけであります。ぜひこの点の議論の整理をしなければいけないと思います。
 個別自衛権は、これはもうほぼ国民の間でコンセンサスがあると思っております。自衛隊を解釈上認めるのではなくて、自衛隊を明記するという必要があると思っております。
 集団的自衛権については、確かに独立国家としてその権利は有するけれども、平和憲法の枠の中で考えますと、これは行使しない、あるいは行使できないという解釈が現在ございます。しかし、これまで法律上規定をされました周辺事態対処法や武力攻撃事態法、これを全うならしめるためには、一部集団的自衛権も認めざるを得ない、そういう事態もあるかもしれません。この辺は少し柔軟に考えておく必要があると思っております。
 集団的安全保障につきましては、国連の枠の中で考えていくことがまず常識でありますが、国連の枠以外でも考えておく必要があるのではないか、この集団的安全保障については幅広く認めておく必要があるんではないかなというふうに思っております。
 以上でございます。

大出委員 民主党の大出彰でございます。
 先ほど仙谷議員の方から、法の支配の観点からイラクの派兵は憲法違反であるということ、と同時に、国際法違反であり、安保違反であるという、まさに私もそのとおりだと思っておりまして、大変法律家としての歴史的な発言であろうと思っております。私も常々、今の日本の状態は無法状態であると実は言っておりまして、私は常々立憲主義ということをよく言うんですが、立憲主義の政治をやっていないではないかということを申し上げているんですね。
 そして、この間のイラク問題をずっと見てきて、安全保障委員会なんかでも質問したりしているわけですが、テロ、九・一一から始まって、イラクがテロの元凶だみたいなことになっていたんですが、全然イラクにつながらなかったんですね。アルカイダにはつながってもイラクにはつながらなかったことから始まっているんですね。それで、外務省の方も、このイラクにつながっていないことについては、つながっていないとはっきり言っているんですね。そうかと思ったら、今度は大量破壊兵器だと始まったわけですよ。これも私も質問しまして、大量破壊兵器ないではないかという話もしましたら、結局ないわけでしょう。
 こういうふうにだんだん移動してきている、理屈がすりかえられてきている中で、私は、この国際法の観点で一つ注目をしてきたんですが、イラク侵攻というのが侵略、侵略戦争である、侵略行為であるというふうに思っているんです。
 というのはなぜかといいますと、国連総会決議というのがありまして、国連総会決議の一九七四年、侵略の定義に関する決議というのがございます。三三一四号でございますが、これに当てはめると、アメリカが行った行為というのはまさに侵略の定義に当てはまってしまうんですね。武力行使をして占領するか、あるいは主権を害するか、あるいは政治的独立性を害するか、「又は」と入っていまして、ここが重要なんですが、国連の合意がなく武力行使することなんですね。まさにこの定義に当てはまってしまうのがイラク問題、イラクの侵攻なんですね。それだけでなくて、三条のcだったかfだったか忘れましたけれども、三条の中に、そういう侵略している国に対して、土地なり、日本だと今基地を提供していて、使用することを同意したらそれも侵略行為になると書いてあるわけですね。
 だから、ずっと見ていったときに、小泉首相がイエスと言ったときから、ああ、許可しちゃったじゃないか、ではこれは侵略の仲間入りしたんではないかと思っていたんですが、さらに今度は自衛隊まで送ってしまうということになったときに、私は、今度は、あれ、これを送ったとすると、では今の主権、今イラクをたたいてしまった後の主権はどこが握っているのかといえば、イギリス、アメリカ軍が軍事占領しているわけですから、だから、今のイラクが他国の軍隊を自分の国に来ても構わないという能力を持っていないわけですよ。主権を持っているのは、今は主権を握っているのはアメリカなわけですからね。そうなってきますと、それに参加をするということは、まさに対イラクに対しては侵略行為の側に立ってしまったんだと、もしどうしても派兵をすると言うんだったらそういうふうに言わないとおかしいんですね、そういう覚悟がなければおかしいので。
 そこで、九条を見ていただきたいんですが、小泉さんは九条のことは全然言わないで、先ほどだれかがおっしゃっておりましたけれども、前文のことをおっしゃいますけれども、九条は戦争放棄しているわけですよ。戦力不保持なわけですよ。そして、交戦権を放棄しているんですよ。戦争を放棄しているのに侵略戦争に加担していたら、もともと九条の趣旨から反するわけじゃないですか。それなのに行おうとしている。だから、今まで日本がとってきたことに対して歴史的に大きく転換をしてしまうんではないかという、みんなが危惧をしている理由があるんだと思うんですね。
 国会議事堂のといいますか、議員会館の前あたりで座っている方々が、一度ぐらいとにかく憲法を、憲法を一度も執行しないで、九条をまともにやらないで変えるのはおかしいじゃないかと書いてあるのがありますが、九条という憲法が大前提をしいている平和の問題について、その利益を享受しようとしないですぐ変えようというのはおかしな話だなとつくづく思っていることでございまして、立憲主義というのは、それによって主権を守り、そして基本的人権を守り、日本の場合には平和を守るということで、それに基づいた政治をやろうではないかというのが本来の、それなのに、それをしなければ、どんな諸国からだって信頼される国になんかなれませんねと私は主張させていただきます。
 ありがとうございました。

渡海委員 会長、まだ安全保障だけということでありましょうか。よろしゅうございますか。

中山会長 自由発言ですから。

渡海委員 実は、私は今回から初めて参加をさせていただくということで、全部ではありませんが、従来の議事録、特に昨年のこの会の議事録を中心に、六割ぐらいは読ませていただいたつもりでございます。
 大変活発な議論が行われているということで感銘を受けたわけでありますが、一つ、例えばきょうの議論でも、あえて暴言を恐れず申し上げますが、憲法があって国があるというのは原則であろうと思います。しかし、同時に、いわゆる国のあり方があって憲法というものが決まっていくということではないかということも我々は忘れてはいけないということが大きな視点であろうというふうに思っております。
 仙谷委員がおっしゃるように、確かに法律に基づいてきちっと行われているかということを立法府の議会がちゃんとチェックをする、また、場合によっては、憲法問題については最高裁がやるというこの仕組み、後の方の仕組みについては当然この憲法調査会でも議論になるべきことだろうというふうに思っております。
 そういった意味からすると、例えばこのイラク問題云々について今活発な議論がこの場で行われているわけでありますが、それより大事なことは、要は、憲法があるからこうだということではなくて、国家のあり方として今後どういうことをやっていくか、この議論も当然今までもなされておるわけでありますけれども、そのことをしっかりとやはりこの調査会でやっていただいて、そして現実に、やはり憲法がこの時代についていっていないということが検証できるのかどうか。
 例えば、これはあえて、批判ではありませんが、憲法の精神がまだ法律に生きていないじゃないか、現実の社会に生きていないじゃないか、こういう主張も随分あるようでございますけれども、しかしながら、その精神そのものが現在の社会で本当に生かせる精神なのかどうか、これ自身も検証していかなきゃいけない、この調査会にはそういう役割が大きくあるのではないかなと思います。
 一点だけ申し上げれば、先ほど船田幹事が少し整理をしていただいたわけでありますけれども、例えば平和主義という問題と、国際協調、国際平和というものについて、我が国のあり方の選択肢というのが実はたくさんあると思います。私個人はそう考えております。そういう中で、日本がどういう国家を目指していくかということが、ただ単に九条の解釈論だけで現実にいいのかどうか、そのことを一度、ある意味、憲法を離れてフリーに日本の国家の形として議論をしていただくような、これは小委員会を設けるわけでありますからそれで結構だと思いますけれども、もう一度やっていただければありがたいなと。
 私の基本的な憲法に対する立場というものは、まず国家の形として、日本の国がどういう国でありたいか、またあればいいかということを前提にした上で、六十年近くたつわけでありますから、きちっとした憲法の論議をやって、その上で、まずいものがあれば変えればいいわけであります。アメリカが決めたからだめなんだとか、そういう立場は私はとっておりませんが、現実にまずいものがあれば変える、これが国家国民のためであるというふうに思っておりますし、ぜひ、もう時間もかなり限られているわけでありますから、一応五年ということを考えますと、そういった今後の運営にしていただければありがたいなというふうに思っておることを冒頭申し上げたいと思います。

大村委員 自民党の大村秀章でございます。
 私もこの会は初めて参加をさせていただきます。どういう議論かなと思ってちょっと聞いておりましたが、自由に発言をしていいということでございますので、これからまた積極的に発言をさせていただきたいというふうに思っております。
 きょうは、時節柄といいますか、ほとんどイラクの自衛隊派遣の問題が中心の議論ということになっておりまして、いろいろな御見解があるということはもう私も重々承知しておりますし、お聞きをいたしました。
 ただ、やはり今回の自衛隊派遣につきましては、日本の国際的な社会の中の一員としてやはり国際貢献をしっかりやっていくということで、これまでテロ特措法、イラク特措法で十分議論をした中で、憲法に反しない、憲法の枠内で日本は何ができるかという議論を積み重ねた上で、テロ特措法、そして今回のイラク特措法もつくって、それに基づいて派遣をしているというふうに思っております。それはもう、武力行使はもちろんしない、そして後方支援で、非戦闘地域というところで後方支援をやっていく、あくまでも人道復興支援だということでやっていくということで、これは私はもう合憲であるし、積極的にこれは進めていかなきゃいけないというふうに思っております。
 ただ、そういうことでありますけれども、いろいろな意見、いろいろな議論が出てくるということ、そして、やはりこういった一つ一つの事態が起きるたびにまた議論をして、現行の自衛隊法では自衛隊が活動する権能が限られておりますから、そういう意味では、新たな一つ一つ法律をつくっていかなきゃいけないということが今の国際情勢の中で本当にふさわしいのか、適しているのかということを考えた場合に、先ほど赤松幹事が言われましたように、やはり昔の、かつての戦争ではなく、新たな戦争、特に私は、これは国際的な大規模なテロに対してどういうふうに国際社会の一員として対処していくのかということを考えると、やはりこの際明確にこれを定義づけし、そして根拠法もしっかりとつくっていく必要があるんじゃないかというふうに思うわけでございます。
 先ほど土井委員が、憲法に違反した事実に即して憲法を変えるのはおかしい、こう言われましたけれども、私これは、自衛隊はもちろん合憲でありますし、また憲法の枠内で今回のイラク特措法もできているということでありますから、そういうことではないと思いますし、また、国民の認識、意識がやはり自衛隊はもちろん合憲であるということでありますし、災害救助、そして自衛隊のPKO、もうこれまで八回になりましたけれども、そういったことも非常に評価をしている、そういう国民の認識、世論、そして意識、そういったことを踏まえれば、私は今回の、今の国際情勢も踏まえて、これからの日本のあるべき姿を考えれば、先ほど古屋幹事が言われましたように、この際憲法で自衛隊を明確に規定をし、そしてまた、その部分での自衛隊の位置づけ、防衛と国際協力ということを明確にした上で、憲法で根拠規定を設けた上で、やはり国際平和協力法という形の普遍的な法律をつくって、自衛隊による、そしてまた、自衛隊だけではないと思いますが、日本の国際平和協力というこの仕事を明確にしていくということが日本のまさに国益にかなうものというふうに思います。
 そういう意味で、そのことをやった上で、そのことを進めていく上でもやはり憲法を改正して、国民投票の法案、これはこの国会でぜひ与野党の議論の中で生み出していく必要があるんじゃないかということを申し上げていきたいというふうに思っております。
 以上です。

永岡委員 自由民主党の永岡洋治でございます。
 私もこの調査会、初めてでございまして、ひとつよろしくお願いをしたいと思います。
 私は、いわば今まで御議論がありました安全保障の問題を初めといたします憲法のサブスタンスの問題ではなくて、手続面におきます憲法改正のやり方につきまして一つ申し上げたいと思います。
 先ほど中山会長の方からもありましたけれども、五年の期間のうちの最後の一年間をこの憲法調査会でこれからやっていく、そしてまた、今回のいろいろな、イラクへの自衛隊の派遣問題等をきっかけといたしまして、憲法改正というものに対して国民的関心が高まり、そしてまた、その可能性があるのではないか、こういう思いが出てきている段階であります。
 そのときに、私が大変問題だと思いますのは憲法第九十六条の改正の手続規定であります。
 仙谷委員からも、先ほど、いろいろな御意見の中で憲法改正の問題が、例えばドイツの例を引いてありましたけれども、余りにもこの改正手続が日本国憲法においてはハードルが非常に高いわけでありまして、このハードルを残したままで憲法改正論議を我々がどのように進めていくかという議論を幾らしても、現実的な観点から、国民が本当に憲法改正に取り組む気があるのか、そういう疑問が最後まで残るのではないかと私は思います。
 今、大村委員からありました改正手続法の制定、これも必要だと思いますが、これは法律論議で非常に専門的な議論になるんだろうと思いますけれども、憲法の改正規定を改正する憲法改正を現行の憲法改正規定に基づいてできるのか、この問題をきちんと詰めないと、憲法改正が現実の問題となってこないと思うんです。つまり、極めてハードルの高い憲法改正規定があるから憲法改正ができないとすれば、この規定を改正しなければならない。しかし、その規定の改正を現行憲法の改正規定でやるというのは実は自己矛盾になるわけでありまして、この点を我々は考えていかなければならないと思います。
 いろいろな事態が、社会経済的な変化がある中で、確かに、法の支配、ルール・オブ・ローということで大変重要でありますけれども、一方で憲法の変遷ということも法律論としてあるわけでありまして、これを実態に合わせて改正するということを国会として本腰を入れてやるということであれば、この改正手続規定についての真剣な取り組みも必要だと思います。ひとつ、この点もあわせて御議論をいただきたいと思いますので、お願いを申し上げたいと思います。
 以上でございます。

森岡委員 私は、自由民主党の森岡正宏でございます。
 先ほど来の議論を聞いておりまして、六十年前につくられた憲法と現実が乖離しているというお話もございましたけれども、私は、もう二十年以上も前になりますが、時の法務大臣が、たとえ同じものであっても、もう一度つくり直したいという機運が生まれてくるならば、それは望ましいと思いますよという発言を国会でされました。そうしたら、その後すぐに、社会党の当時の議員から法務大臣罷免という声が上がった。その当時と全く変わっていないような議論をしておられる人たちもいらっしゃるなというふうに思った次第でもございます。しかし、あの当時とは随分違う議論をしてくださる我が党の議員でありますとか、友党である公明党の赤松議員のお話を聞いておりますと、憲法調査会が設けられて国会でこうして議論が盛んになってくる、憲法改正の議論も行われるようになったということを私は非常に喜ばしく思っておるわけでございます。
 しかしながら、これでもまだ現実に即していない、政治の方がおくれているなというふうに思っております。先ほど来の議論を聞いておりまして、憲法を守って国滅ぶという言葉が当てはまるような議論もあるわけでございまして、我が国がどうして生き残っていけばいいのか、また、国際社会の中でどういう貢献をしていけばいいのか、そういう視点が欠けているように思います。
 先ほどの仙谷議員の発言で、赤松議員からも指摘がございましたけれども、イラクで自衛隊が軍事的力を持って行動し、こう書いておりますし、そう発言されました。しかし、私は、小泉総理がいつも答えておられますように、それは違うんだ、あくまでも人道復興支援に出かけていくのであって、武力行使じゃないんだということをどうしてわかってもらえないのかなという思いがするわけでございます。
 国際貢献に対しましては、PKO法でありますとか、テロ特措法でありますとか、周辺事態法でありますとか、この間成立いたしましたイラク支援法でありますとか、私たちは随分努力をして国際貢献し、世界のために日本は貢献しようとしているわけでございます。そしてまた、北朝鮮等のことを考えますと、この国をどう守っていくのかということが大変大事でございます。
 私は、十二月二十四日と一月十六日でございましたが、航空自衛隊と陸上自衛隊の皆さん方がイラクに派遣される、その人たちをお見送りに行ってまいりました。多くの国会議員がお見えになっていました。民主党からも三名の国会議員が参加しておられました。そして、自衛隊の代表者は、私たちは日本国を代表して立派に任務を果たしてまいりますということをおっしゃっていました。家族もお見送りに来ておられましたけれども、子供さんたちが泣き叫んでいる人もいました。そして、お父さんやお母さんも心配そうに見ておられる人がいました。しかし、その中で、危険がないとは言えないところを承知で、私たちはこの日のために訓練を積んできたんだという、その自衛官の皆さん方の御意見を聞いておりまして、胸が熱くなる思いでございました。
 やはり、この国を守っていこう、そしてこの日本国の国益のために働こうという自衛隊の皆さん方をどうして拍手をもって見送ることができないのか。そしてまた、私は、この国を守ろうという気概や備えを持とうとすれば、やはり今の憲法では無理があると多くの人たちが指摘しているわけでございまして、国民の七割、八割の人たちが憲法改正に踏み切るべきだという声を上げているわけでございます。それであるのに、この国会が、まだ二十年も三十年も前と同じ議論をしておられる政党もある。
 私たち与党と、そして、国会の三分の二が賛成しなければ憲法の改正には踏み切れないわけでございますから、野党第一党である民主党の皆さん方が心を開いて、大きな気持ちになって、憲法改正に取り組もうじゃないか、そう思ってもらわなければならないと思います。小泉総理がそれをいつも提案しておられるわけでございますが、なかなか菅代表はそれにこたえようとされない。
 そして、国連待機軍構想というのを打ち出しておられるようでございますが、私は、自衛隊と同じような存在をつくって何になるのか、今の憲法の範囲内だったら同じことじゃないかなというふうに思うわけでございまして、その辺、きのう、菅代表のお話を聞いておりますと、憲法改正は市民革命だ、こうおっしゃっていた。どういう手順で憲法改正を進めようとしておられるのか、その辺を伺いたいと思います。
 以上でございます。

中山会長 反論ありますか。

仙谷委員 仙谷でございます。
 森岡先生のお話というのは、何か感情的部分と理屈の部分がごっちゃですからなかなか反論しにくいのでありますが、一つは、幾ら国際貢献だ人道復興だといっても、自衛隊という存在は、客観的に見れば、言葉の違いはありますけれども、軍事的な力を持った集団であり、実力部隊です。その種の集団が他国の領土に存在できるというのは、何らかの根拠がなければなりません。
 だから、私が言っているのは、根拠は、アメリカ軍に呼ばれたからということ以外に何か根拠があるんですかと言っています。国連の何か根拠がありますか。国際法上の根拠がありますか。それをとることを努力するのか、あきらめるのか、どちらかしかないでしょうと言っているわけです。いいですか。だから、その種のことをしないで、感情的に、涙が流れたからとか行く必要があるとか、そういう話ではこの議論はないんだということですよ。だから、そこを整理しておっしゃっていただかないとどうにもならないと思います。
 それから、私、本当に心から申し上げたいんだけれども、例えば、もうちょっと簡単に言うと、自衛隊法と防衛庁設置法を合憲的存在とおっしゃるのであれば、そのエキスを憲法上書くことは、法の支配の原理からいって当然だと思っています。つまり、自衛隊の存在を憲法上明記した方がいいと思います。これを憲法によってコントロールした方がいいと思います。
 さらに加えて、あなた方が言う国際貢献がアメリカのユニラテラリズムに基づく行動を排除するのであれば、国際貢献、大いに結構です。しかし、これは国際連合を無視しながら我々は有志国連合でやるんだ、今のイラクのような格好をやるのであれば、何でもありということになってしまうから、これはいけない、やってはならないということを申し上げているだけであって、だから、あなた方が本当の意味での国際貢献を、例えば自衛隊を使ってでもやることを合法化、合憲化しようとされるのであれば、なおなお今のイラク派遣については厳しく批判しない限り、何でもありのために自衛隊を、例えば憲法文言上、合憲的存在にしようとし、さらにはそれがアメリカと一緒になって、アメリカの覇権争奪戦の中で、あるいはアメリカの世界戦略の中ですべて一緒にやるということを、この疑問を払拭できませんよ。これだけははっきり申し上げておきます。
 つまり、だから国際法上の原則には従うんだという原則がない限り、この自衛隊の問題というのは、そうそう軽々に、憲法上の存在として認めるとか認めないとかということは言えなくなってきているのではないかということを申し上げたいんです。

中山会長 森岡委員、反論はありますか。

森岡委員 少し反論させていただきたいんですけれども、仙谷議員は、国連至上主義のもとにおっしゃっていると思います。国連というのは、平和を愛する諸国民の集まりではないんですよ。(仙谷委員「それを言ったらおしまいになりますよ」と呼ぶ)いや、それを言ったらおしまいとおっしゃいますけれども、現実はそうじゃないんだ。だから、私たちは、自分の国は自分たちの手で守っていこうやというような憲法にしようと。だから、憲法第九条の第二項は削除して、先ほど古屋議員がおっしゃったとおり、やはり自衛隊の存在をはっきりと憲法に書く。
 そして、小泉総理は、自衛隊は実質上は軍隊ですと。しかし、軍隊だということははっきり歴代の総理が言えない。そんなことではだめだ、政治がむしろおくれているんだという自覚を私たちが持たなければ、本当に政治家としての責任を果たしていけないと思いますよ。私はそんなふうに思います。理屈と感情とをごちゃまぜにして申し上げているんじゃありません。

仙谷委員 今のお話は、そういうお考えもありますけれども、それは国際法秩序なるものは一切必要ないということですよね。力があるものが秩序をつくっていけばいいということしか意味しなくなるじゃないですか。そうじゃないと言ったって、そうなるじゃないですか。
 だから、専守防衛の自衛隊なり日米安保条約で我が国土を守るということはいいです。それは全く森岡先生の話と共通の基盤がある。つまり、共通の理解があるからいいんです。
 では、あなた方が言う国際貢献というのは何なんですか。これを国際的なルールとか国際法の原則のもとに行わないで、アメリカがやると言った場合にはそれにすべてついていく、そのことも必要であればやむを得ない、こうおっしゃるわけですか。それだけ答えてください。

森岡委員 それならば、国連待機軍をつくろうとされるのはどういう意味ですか。国連待機軍というのはどういう存在になるんですか。

仙谷委員 ちょっとレベルを変えないで、まず私の問いに答えてください。今は法律とか憲法の話をしているんでしょう。

中山会長 いいですか、森岡さん。
 それでは、中谷元君。

中谷委員 今のイラク復興に対して国際的にどういう根拠があるかという御質問ですが……(仙谷委員「復興じゃないよ。占領だよ」と呼ぶ)占領ですが、まず、国連でも、イラク復興については国連加盟国が協力しましょうという決議がされています。
 それから、今の占領というか統治体制について、CPAという当局がありますけれども、国連の安保理の決議によって、イラクの統治に関する権限につきましてはこの当局にゆだねる、この当局のもとにイラクの復興を行うべきだという決議がされていますので、そのCPAの権限の中で、日本としては、この復興支援につきましては、日本政府の判断としてこれに参画をして、日本のできる範囲でやるということで、国際的な根拠というものはしっかり国連でも担保されているということを言わせていただきます。

福島委員 公明党の福島豊です。
 先ほど赤松委員の方から話がありましたので重複は避けたいと思いますが、仙谷先生のペーパーを拝見いたしましたけれども、軍事的力を持って行動し、プレゼンスをとるために行くような言い方というのは、私は事実とは少し違うのではないかと重ねて申し上げたいと思っております。
 それはそれとしまして、先ほど船田委員の方から国際的な常識という話がありました。今よく出てきますのは、普通の国という言葉なのではないかと思います。
 先日も中国を訪れましたときに、中国の研究者の方から、日本は普通の国というのを目指しているのではないですかという話がありました。私は戦後生まれで戦争を知らないわけですが、政治家になりましてから安全保障の勉強を始めまして、そのときに、合理的にといいますか、非常に理路整然とわかるというのは、普通の国のあり方の方がわかりやすいです、これは。安全保障というのはどういうものなのか、そして国家としてどういう機能を果たすべきなのかと。今の日本のあり方の方が、そうしたわかりやすいところから、むしろわかりにくいというふうに感じたことは申し上げておかなければいけないと思います。
 しかし、最近私はどう思っているかといいますと、確かに普通の国でありますとか安全保障の常識でありますとか、そういう考え方は大切なんだけれども、さはさりとて、そこで日本はどう判断するんだろうかということなのではないかと思います。
 日本の過去の戦争の歴史があるわけでございまして、例えば集団的自衛権の問題としましても、国としてそれは保有している、これは非常に常識的なことだと思います。そこに立った上で、しかしそれはあえて国民の選択として使わないんだ、こういう整理の仕方をやはり明確にしていく必要があるのではないか。それは今までの過去の歴史があるからでありまして、そしてまたもう一方では、私は、普通の国に今なるのが本当にいいんだろうかという気がいたしております。
 それはどうしてかといいますと、この北東アジアといいますか東アジアの安全保障の状況というものは、決して火種がないわけではありません。その中で、五十年とか百年というスパンで考えたとき、日本は果たしてどういう道をとるのが本当に国益にかなうんだろうか。もちろん、集団安全保障のような体制ができればまた状況は違うと私は思うんですけれども、そうでないときには、普通の国という理念からではなくて、より現実的な判断として、日本はどういう道を選ぶべきか、こういう議論をもっと深めるべきではないかなというふうに思っております。
 そしてまた、先ほど憲法改正の手続の問題がございました。それについて感じておりますのは、国会の三分の二ということでございますけれども、これはハードルが高いという御指摘もあるわけでございますが、ただ、実際に選挙の投票率ということを考えますと、高くて六〇%である。言ってみれば、六〇%の信任かな、その三分の二だと四〇%だな、ここでハードルが高いと言ってしまっていいのか悪いのかというような議論もあるのではないかなというふうに思います。
 個人的な思いを申し上げさせていただきました。

鈴木(克)委員 安全保障とか九条の議論の中で、ちょっと私のような発言をしていいのかどうか迷っておりますが、一年生でございますし、せっかくの機会でありますので、お許しをいただきたいと思います。
 私は、愛知県の小さな市の市長をいたしておりまして、地方分権とか地方財源の移譲とか道州制とか、そういうものを常々主張してまいりました。そんな視点で、ぜひ発言をお許しいただきたい、このように思うわけであります。
 レベルの高いというか低いというか、語弊があるかもしれませんけれども、私は、税金の使い方を本当に国民の目線で見ていく、そして国民の目線での改革を進めていく、そして中央集権体制を変えていく、官僚政治を打破していく、それが私の一つの思いでございます。
 そういう中で、憲法調査会に属させていただいて、いろいろと諸先輩の議事録等、すべてではありませんけれども、拝見をさせていただく中で、かなり道州制ということが言われておるということを初めて勉強いたしました。やはり、税金のむだ遣いとかそして権限の移譲というようなものの先には、道州制というような体制もあるんだということを拝見して、意を強くしておるわけでありますが、いずれにいたしましても、中央集権体制をそのまま維持していくのか、あるいは道州制のような形で、地方に大きく権限とか主権を移譲していくのか、そして地方主権の国家をつくり上げていくかということは、この新しい国を考えていく上で非常に大きな部分ではないのかな、私はそのように思っております。
 先ほど申し上げましたように、とりわけ官僚主義、官僚主導の現在の体制を変えるには、やはり道州制というような抜本的な改革をしていく必要がある、このように私は思っております。ただ、それに至るには、やはり相当困難も伴うのではないのかな、このことは漠然と、まだまだ勉強不足でありますが、感じておるところであります。
 いずれにいたしましても、そういう中で、今の地方自治、首長や地方の県会議員をやってきた思いからいきますと、九十二条から九十五条までの四条で本当に地方自治のすべてが語られておるというふうにはとても私は思わないわけでありまして、そういう意味で、憲法改正の中で地方の立場、そして地方をどういうふうに考えていくかということを、私は今後、主体としてしっかり勉強させていただいて、また発言もさせていただきたい、そのように思っております。
 以上で、とりあえず、ちょっと場の雰囲気が変わってしまって何か申しわけないなと思っておりますが、お許しをいただいて、私の発言とさせていただきます。ありがとうございました。

船田委員 先ほどの福島委員から私のことに言及していただきまして、ありがとうございました。ただ、ちょっと私も言葉が足りないところがありましたので、ちょっと補足をさせていただきます。
 先ほど私が申し上げたのは、やはり安全保障というシステム、これはもう各国が、また人類がこの地球上で生きていくために我が身をどう守るか、そういう知恵をどうしても安全保障の面で本当に考えなきゃいけない、そういうことが根本にはあるわけでございます。そういう中での、国際情勢あるいは国際的に認められている事柄やあるいは安全保障の仕組み、こういうものについて、今まで余りにも我が国が、憲法の制約上か、そうでないとしても、非常に常識を持ち合わせなかった、あるいは常識を理解できなかったというところに大きな不幸があるというふうに私は思っているんです。
 ただ、普通の国という言葉は、私は一度も使ったことがありませんで、私の元上司がよく使っていた言葉でありまして、ただ、今は上司ではございませんので、普通の国というとちょっとある特定の意味を持って語られることが多いんですが、私は、国際社会の中での安全保障に関する常識、こういうふうに、ちょっと長い言葉ですが、そのようなことで言わせていただきたいと思っているんです。
 問題はやはり、集団的自衛権をどうするんだ、それから集団的安全保障の概念をどうするんだ、もうほぼこの二つに絞られてくるというふうに思っておりまして、その中で集団的自衛権については、私もやはり相当慎重であるべきだということは、福島委員とほとんど軌を一にしていると思っております。
 ただ、私は、全く認めないということで本当に我が国が守り切れるのかということを考えた場合には、周辺事態法に該当する事態であっても、あるいは武力攻撃事態に当たる状況にあっても、場合によっては一部集団的自衛権の行使も認めないと本当に日本という国が守れないということまで、ぎりぎりちょっと考えておく必要があるのではないかということを申し上げたかったわけであります。
 しかし、もう一方の集団的安全保障については、現在国連を中心とした安全保障という枠組みがございますが、まだまだ未成熟であります。国連軍というものが曲がりなりにも朝鮮戦争のときには一度できましたが、ただ、これも米軍主導でございますし、本当の意味の国連軍はまだできていない、そういうものに対して国連待機軍みたいなことを今言うこともこれまた現実の問題ではない、こういうことでありますが、とにかく国連中心の集団安全保障については、やはり国連そのものの改革、そこの中での我が国の立場、例えば安全保障理事会の常任理事国に日本がなるというようなことを経て、その上で議論していくべき問題であるというふうに理解しております。付言しました。

増子委員 開かれた民主党の増子輝彦でございます。
 私も初めてこの憲法調査会に参加をさせていただきましたので、今後ともよろしくお願いを申し上げたいと思います。
 先ほど渡海委員の方から、国のあり方、憲法の問題等がございました。私自身も、やはり国のあり方という観点からすれば、戦争のない、戦争をしない国家であることがまず一番大事だと思っております。
 国民の幸せ、国の平和と独立と自由を守りながら、そして日本独自の、地球規模の平和をつくるための貢献をしていくということが、私はこの国家のあり方だと思っております。国が攻められれば専守防衛という形の中でこの国を守るということも、当然必要なことだと認識をいたしております。
 そういう中で、実はほとんど、ここにおられる方全員が戦争体験のないメンバーばかりでございます。やはり、どんな理由があろうがどんな事情があろうが、私は、絶対に戦争はあってはならない、常にそういう思いを持って政治にかかわってまいりました。
 そういう観点からまいりますと、唯一の被爆国として、広島やあるいは長崎で被爆を受けた方々のその思いや、あるいは戦争でとうとい命を失われた方々のことを考えれば、やはり戦争というものをどんなことがあってもやってはいけない、もちろん、戦争があってはならない、そういう気持ちで私はこれからも活動していきたいと思っているわけであります。
 今日の日本、一〇〇%完璧ではないとは思いますが、やはり第九条によって、この国が、現在のある程度豊かに、そして平和であったということは紛れもない事実でございますから、私は、不磨の大典ではないこの憲法の中で九条だけはどうしても堅持をしたいと考えている一人でございます。
 それに基づいて、今回のイラクへの自衛隊派遣に関して私の考え方を申し上げさせていただければ、諸外国のメディアは全部、日本の大きな歴史の転換期だという認識の中でこの報道がなされているわけであります。やはり軍隊でありますから、この軍隊が戦地に行くということ、まさに私自身も憲法違反だと思っておりますので、これはもう即刻撤退すべきだというふうに私は主張したいと思っております。
 しからば、日本は万が一そういう国際紛争的な問題についてどのような貢献ができるかといえば、日米関係はもちろん大事であります、しかし、国連の要請に基づいたものだけに限って、私はやはりこの平和活動に参加すべきではないかと。かつて私もPKOの特別委員会のメンバーの一人としてこの審議に加わり、PKOという形のものをつくり上げて、実際、日本は今大きな国際貢献も果たしていっているわけでありますから、このあたりのところがいいところかなというふうに私は思っているわけであります。
 いずれにしても、今日のこの憲法問題、当然、先ほど申し上げたとおり、不磨の大典ではありませんので、これは改正を含めたいろいろな形の中で議論することは当然必要だと思っております。その中で、憲法と国会議員と、そして国民の意識に大きなねじれが生じているところにやはり今日のいろいろな諸課題があるんだと思っておりますので、この憲法調査会の中でいろいろと議論をしながら、憲法のあり方について、私自身もしっかりと勉強させていただきますが、国会の責任としてこの問題をしっかりやっていくことが必要だと思っておりますので、よろしくお願いいたします。

吉井委員 日本共産党の吉井英勝です。
 先ほど来の議論の中で、やはり改憲ということが非常に多くの方から語られておりますので、一言発言したいと思います。
 改憲論は、押しつけ憲法論などから始まってきたりもしておりましたが、事実はあべこべだということを今見ておくことが大事だと思っているんです。
 憲法が施行された翌年の一九四八年に既に出ております文書を見ておりましても、アメリカの「ロイヤル陸軍長官の国防長官へのメモランダム」の中で、主題は「日本の限定的軍備」。七項目で、「軍事的観点からのみ考えれば、日本の軍隊の創設は、日本の防衛を分担し、したがって米国の限られた人的資源の効率的活用をもたらすものとして、望ましい。」と。アメリカの側から再軍備の要求が強く検討され、出されてきている。十二項では、「防衛のため最終的に日本の軍備を認めるという立場から、新憲法の改正を実現するための探求をおこなうべきである。」と。
 五〇年に占領軍、マッカーサー命令で警察予備隊がつくられ、これは御承知のとおりですが、さらに、最近の外交文書の公開の中で、五〇年代初めの日米相互防衛援助、MDA協定締結交渉の中で、アメリカ側からは集団的自衛権行使を日本に求める主張が行われ、日本側からは、一定以上の防衛力の増強、集団的自衛権の行使には憲法改正が必要だ、国会で反対党の論議の的となってしまうということで、終始反対の声が出されたということが昨年末にも紹介されております。
 やはり、改憲論というこの源流には、アメリカの側からは、憲法に違反することはわかった上で軍隊をつくらせる、その軍隊に集団的自衛権を持たせる、そのためには、違憲状態になりますから、その解決のために改憲を迫ってくる。これは基本的な流れとして見ておかなきゃいけないと思っております。そういう点では、よく押しつけ憲法論の議論がありましたが、逆で、憲法を変えようとする立場からの押しつけ改憲論、これが一番の本筋であるというふうに思います。
 もともと改憲は国民の中から出てきた声じゃありませんが、最近でも、二〇〇〇年十月にアーミテージ国務副長官が中心になって作成した対日報告を見ておりますと、こう書いていますね。集団的自衛権を禁じていることが両国の同盟協力を制約していると。それで、集団的自衛権行使をアメリカが求めてきた、これが政府・与党や財界側の海外派兵法の強行や改憲論議横行の起動力になっているということをきちんと見ておくことが大事だと思っております。
 経過を見れば、改憲の主張が押しつけ改憲論であることは明瞭なんですが、特にこの間、イラク派兵の問題が出てきている中で、憲法を変えて自前の憲法を持つ、それどころか日本の憲法まで異常な対米従属国家の道具に転落させる試みになってしまう、それになっちゃだめだということを考えなきゃいけないと思うんです。
 今、改憲とか創憲とか加憲とか、改憲論の言葉がいろいろありますが、もともとアメリカが求めてきたのは集団的自衛権行使のための改憲であり、今日では日米安保を地球的規模で発動しようという考えがあり、昨年五月の日米首脳会談で行われた地球規模の日米関係という言葉がこのことを非常によくあらわしていると思います。
 その憲法九条を改憲するために、環境権とかプライバシー権とか、新しい時代の新しい憲法とか、さまざまな表現が行われておりますが、主張がありますが、大事なことは、憲法九条を迂回しながら外堀を埋め、内堀を埋め、本丸九条、これを落とす作戦ということになってはいけませんから、今大事なことは、アジアと世界で、憲法九条を持つ国として信頼されてきた国が、アジアと世界の軍事緊張をつくり出す根源になってしまうことは避けなきゃいけない、そういうことをやっちゃならない。今、本当に深く考えなればいけないときだと思います。
 冒頭に発言しましたように、違憲の現実に憲法を合わせようということで改憲を考えるのじゃなくて、憲法に反する、憲法に合わない状況を長く生み出してしまった政治の現実、これをやはり正して、憲法が本当に全面的に生かされるという、そのことを今目指して取り組むのが政治の最も大事な課題だと。
 憲法九条は、時代おくれどころか、世界の中では時代の先駆けの内容を持っておりますから、私は、そういう立場で改憲というものについても考えていくべきだというふうに思います。
 以上です。ありがとうございました。

岩永委員 私も初めての調査会への参加でございますので、またいろいろと勉強させていただきたいと思います。
    〔会長退席、仙谷会長代理着席〕
 仙谷先生に、委員長席に着かれたんですか、ちょっとお伺いしたいんですが、昨年の十月十三日に国連安保理で復興支援を加盟国に要請している、こういう事実があるわけですね。それで私は、派遣根拠としてはそれで十分ではないかと。そして、なおかつ、今グローバルな時代で、日本がこれだけの世界各国からの資源輸入、そして外国なしでは生きていけない状況の中で、この復興支援に対する日本の出動がなければ、それこそ日本が孤立してしまうではないかと。そして、そのことは非軍事的活動であり、戦闘地域には行かない、もしもそこで問題があればすぐ撤退する、こういう状況になっているわけですね。
 そして、先生方がおっしゃるように、大変厳しい環境にあることは事実でございますが、総理も、それが戦闘地域になればすぐ撤退すると。こういう、一般の国民を派遣するには大変厳しい環境にあるというような状況の中で、今私は、自衛隊というのがベストではないかと。
 こういう、どの方が聞かれても、今、日本の立場を考えているときに、派遣すべきではないという根拠はない。そのことに対して、では日本の国際的立場をどういうように堅持していこうと思っておられるのか、そのことをひとつお聞きしたい、このように思います。
 それからもう一つは、ちょっと先ほどの鈴木先生の話で私は大変興味があるんですが、今私も道州制を言い出して、そして、うちの自民党の中で道州制を言い出す議員連盟の世話役をしているんですね。そして今回、小泉総理が道州制を政策課題として取り上げていただいて、おそらく町村合併の後には道州制が議論されるだろう、このように思うんです。
 私は、最近特に気づいてきたのは、もう日本の国というのは二極でいいのではないかと。だから町村合併をして、そして三十万、五十万の市をつくっていく。そして、そこへ国の権限というものをゆだねていく。そして、県合併が道州にかわるものになるわけでございます。
 しかし、今国民の負担率を考えますと、市町村に税を納め、県に税を納め、そして国に税を納めている。しかし、では国民としては、国の形が変わってもちっとも国民の負担率、我々の負担は変わらないのではないかと。だから、やはり国の統治機構を考えるときに、国民の負担率というものをどういうように軽減していくか。
 だから、県も道州も取っ払って、例えば国の出先がその地域の市の連絡調整に当たる、そしてその部分の負担率というのを軽減していって、これからの社会保障だとか少子高齢化に対応する部分に充てていったらいいんではないか。
 最近、我々の道州議員連盟の中でもそういうことを言い出しているわけですね。大きく国の形が変わるときに、この九十二条の憲法問題を議論するときに、やっぱり新たな部分というものを考えていくぐらいの思い切った発想があっていいんではないか。一府十二省庁のときに国の形は変わった、省庁の再編はできた、じゃ国民としては何がメリットだったのかというのは、さっぱりわからないわけですね。だから、国会だけの、また行政府だけの部分であってはならない。やっぱり国民のサイドからどうすべきかというようなものでなければだめだ。
 私はこのように思って、この憲法調査会に入らせていただいて、これから統治機構に対して、船田先生、頑張れよというお話でございますので、そこらあたりを大いに議論していきたいな、このように思っておるのですが、よろしくお願いしたいと思います。

仙谷会長代理 岩永先生の御質問でございますが、ここに座りましたので、中山会長が帰ってまいりましたら、時間がございましたら私の方からも、答弁というかお答えをさせていただきたいと思います。

伊藤(公)委員 自由民主党の伊藤公介でございます。
 かなり議論が広範でありますので、これからの議事の進め方も含めて、少し意見を述べさせていただきます。
 今、自衛隊のイラク派遣をめぐっていろいろな御意見がございました。昨今、テレビを通じて現地からの、イラクに、既に現地に着いた自衛隊の活動に対して現地の人たちのいろいろな、日本の自衛隊に対する報道が伝わってくるわけでありますが、日本の自衛隊の活動に現地の人たちが大変期待をかけているというメディアを通じた報道を聞いておりますと、自衛隊の人たちが現地でどういう思いで活動しているかということを含めて、我々のこの憲法論議というものがいささか遅きに失していた、その責任を感じながらも、そんな感想を持っているところであります。
 なお、この日本の安全保障などにつきましては、これからの小委員会でも集中的に御議論があると思いますので、今後の議論を進める中で、ちょっと意見を申し上げさせていただきたいと思います。
 今、岩永議員からも御指摘ありましたし、鈴木委員からもあったと思いますが、実は、日本のこの国の形をどうしていくかということは、地方自治体にとっても大変な関心事であります。実は私の地元もそうなんですけれども、町村合併が、十七年の三月三十一日までこの特例があるわけでして、全国では町村合併についていろいろな議論が今進められています。具体的に、合併をしていこうかいくまいかという議論もございます、あるいは、県境を越えて、例えば東京と神奈川で合併ができるのか。そういうことを含めますと、今御指摘がありました道州制というものをどうするのか。町村合併だけでなくて、やっぱり日本の最終的な形をどうしていくのかということもあわせて私は議論をしていくべきだというふうに思います。
 そういう意味で、全体会議がいいのか小委員会がいいのかわかりませんが、道州制と町村合併の問題について、例えば町村合併も、今我々の小選挙区が三百ですから、三百という単位がいいのか、あるいは五百なのか千なのか、そういうことも含めて、これだけ地域の人たちが関心を持って具体的な作業を進めているときに、私たちのこの国会が、将来の日本の形をどうするのかということを先行して、道州制を含めて議論を詰めるべきだというふうに私は思いますので、どこかで集中的にこの問題については討議をしてもらいたいということを私はお願いしておきたいと思います。
 それから二つ目には、期せずして、総理も、また民主党の菅代表も、一院制の問題をつい最近発言されました。
 実は、衛藤先生がたしか会長で、日本の衆議院と参議院を一院制にすべきだという会ができて、私もそのメンバーに加わっているわけでありますが、これは一般の方々も、アンケートをとったら圧倒的に支持があるのではないかと私は思います。参議院の選挙が七月にございますので、そういうときにはこのことを国民に問うという、私は非常にいいチャンスだと思います。総理大臣が衆議院でも参議院の本会議でも全く同じ施政方針演説をしなければならないという非常に非能率な国会は、我々自身がまさに改革をすべきだというふうに思います。
 一院制については、かつて私もこの委員会で発言をしたことがあったかと思いますが、今、世界で百十六カ国は一院制です。しかし、二院制をとっているのは半分ぐらい、六十七カ国しかありません。
 むしろ、これからの時代を考えたときに、また、今日置かれている日本の衆議院と参議院の実際のあり方、国民がこの衆議院、参議院のあり方に対して持っている考え方を考えますと、私は、まさにタイムリーだと。与党も野党も、党首が一院制に前向きに取り組むという発言をされているときでもございますので、ぜひ私はこのことを集中的に審議をしていただければというふうに思います。
 三点目は、首相公選です。
 政治が本当に国民の皆さんに信頼を得る、派閥でもない、政党でもない、日本の将来のために、大統領制というのは、いろいろ議論をしてきました、私もこの問題についてこの委員会でも発言をしてきましたが、天皇制というものもございますので、そういうことが前提にあって、首相公選というのが一番現実的ではないかというふうに私は考えてまいりました。
 ぜひこのことにつきましても、日本のこの国の形をどうするのか、政治に対して国民の参加、信頼ということを考えたときに、このことについてもぜひ、全体会議か小委員会で集中的な議論をしていただきたいということを幹事の皆さんにお願いをしておきたいと思います。
 以上です。
    〔仙谷会長代理退席、会長着席〕

鹿野委員 イラクに対して自衛隊派遣が行われた。当然そういう意味で、憲法上どうであるか、これは最大の関心事であると思います。
 しかし同時に、今日の日本の国が相変わらず閉塞状況からなかなか抜け切れない、迷走しておる。失われた十年と言われてまた何年かたっておるこの今日、なぜなんだろうか。私はそのことを思うときに、この日本の国は原理原則を持たない国だ、ここに基本的な問題がある、このように考えております。
 すなわち、よく司馬遼太郎が言われた国の形というふうな表現が使われますけれども、やはり原理原則を持たない国でありますから、国の形なんというふうなものがないわけであります。極端な言い方でありますけれども。
 そこで、じゃ、その原理原則を持つようにするにはどうしたらいいか。これは、私は、基本的に、日本の国の統治制度、統治機構というものが不明確である、これをきちっとやっぱり確立すべきだと思います。
 一九八九年、ベルリンの壁の崩壊後、日本の国も西側の一員だ、アメリカの傘のもとにただやっていけばいい、この時代は終わって、本当の独立国家として日本はどうあるべきか、こういう国としての方向づけをしなければならなかった。しかし、それができなかった。それは、統治制度というものが非常に不明確であったというふうなことが大きな要因であると私は思います。
 例えば、イラクに対する派遣にしましても、あるいはまたアフガニスタンに対するところの後方支援にいたしましても、そのときそのときにおいての特別措置法、特措法をつくってやる、あるいは、何か起きたときにはそのときそのときに、こういうことであります。
 まさしく政治学者の丸山真男氏が言われているとおり、日本の国の方向づけは雰囲気によって決められてしまう。こういう国は、やっぱり本当の意味で、日本がどういう意思決定をするか、だれが意思決定するのか、どこで意思決定するのか、これすら我々も答えることができないような日本の国、これはやはり明確にすることだ。
 そういう意味で、一つは六十五条だと思います。六十五条は、「行政権は、内閣に属する。」こう書かれております。ところが、今日の日本の国の実態は、この行政権というのは本来ならば執政権であります。この点が非常にあいまいであります。内閣に属するというこの内閣、いつの間にかこの内閣そのものが国会と対峙するというふうな形の中で、官僚機構も一緒になってその内閣の一つになってしまっておる、ここに大きなやはり問題点があると思います。
 私ども、憲法の問題あるいは議院内閣制の問題、勉強ということでイギリスに行ってまいりました。そのときに、イギリスの官僚のトップの人たちはこう言っておりました。官僚に対して政治的な意思を持たせるようになるということでありますならば、その国の繁栄はありませんよ、こういう話でありました。まさに、改めて私ども考えさせられたことであります。
 よく、丸投げということもあります。官僚側の人たちが問題ではなしに、政治がまさしく丸投げをしておった、こういうふうなことでありますから政治の責任。では、政治の責任を明確にするにはどうするか。やはり行政権というふうなものはあくまでも執政権であり、そして政治の分野なんですよというふうなことをきちっとしていくことが大事なことだと思います。
 もう一つは、九十二条であります。いろいろ議論がございました。まさしく、「地方自治の本旨に基いて、」このくらいあいまいなものはありません。国と地方は対等である。どこが対等か。相変わらず、予算の時期になれば、お金をかけて、陳情だ陳情だ。そしてまた、地方分権は進みましたよ、課税権も与えましたよと。課税権を与えられても、法定外普通税、法定外目的税、やろうとすれば、どちらにしても総務省にその了承を得なければそれはできない、これが日本の国の実態である。どの国においても、先進国においては、地方の政府のやることと中央政府のやることが、役目は明確である。こんなあいまいな国は日本だけだ。
 このことを考えたときに、やはり統治制度というふうなものをきちっと確立していく、本来の日本のあるべき姿、あるべき形というものをきちっと、そこには将来の日本のあるべき社会の中で確立をしていくことが大事だ。
 そういう意味で、憲法というふうな問題こそが、まさしく、今どうするかというふうなことは、次の世代のその動向というふうなものを決める、そこに来ておるんではないか、時代が今こそ求めておるんではないか、このことを申し上げたいと思います。

土井委員 さっきの国際的な分野で日本としてどういうことができるかということの例の一つ、私はこれはぜひ実現させていきたいなと思っている一人ですからここで紹介させていただきたいと思うんですが、それは、九・一一後、アメリカのアフガンに対しての戦争、今のイラクに対しての戦争、二〇〇三年という年は、考えてみると、そういうアプローチをしたところが、それに対しては限界があるということも一方では見せつけられた年でもあったというふうに私自身は思います。
 しかし、世界的規模で、アメリカが力の論理で動かしていくということに対して、みんなやはりそれに対しては振り回されるわけですから、その論理というのが、そういう時代なんだという方向で持っていかれるという気配が非常に強いんですけれども、しかしそればかりじゃないと思うのは、現にあの九・一一後、テロリストの人たちについて言うならば、組織犯罪であるという状況を国際的規模でどのように対応すればいいのかという問題から、組織犯罪とか人道に対する犯罪に対して、きちんとした国際裁判組織、刑事訴訟法的な手続、これを整備するということが大事じゃないかという動きが起こったことは御存じのとおりなんですね。
 日本は非常に熱心だったはずなんですよ、ICCに対して。どうもその構想の先頭に立って、予備会議なんか一回も欠かさず出席しているという記録が残っていますし、また議長国までやったことさえあるわけなんです。一番先に日本がこれを批准して頑張ってやるんじゃないかと思っていたところが、あに図らんや、取り残されているのはアメリカと日本という二カ国になっちゃっているのが現状ですよね。
 その中で、もちろんイギリスも入っていますし、お隣の韓国も入っていて、議長がその中からも出るという格好で、十八人決まった判事の中には韓国の人も参加をするという状況が今展開されているんですけれども。昨年の六月末に六十カ国がこれに批准してついにできることになって、その翌日には外務大臣の談話で歓迎声明まで出したんだけれども、しかし、まだ動かず、鳴かず飛ばずなんですよね。なぜかといったら、アメリカが入っていないから、簡単に言ったらこの一つだろうと私は思うんです。
 私どもの党は、国際的には社会主義インターというのに加盟をしておりまして、ドイツの社民党とかイギリスの労働党とかフランスの社会党とかから出てくる人たちによく言われるのは、こういう場面があるといつものパターンですねと言われるんですよ。おそらく私たちは、気がついていない部分も含めて、物を見るときにアメリカという目線で選択したりあるいは具体的にそれに対して動いたりするということがあり過ぎるぐらい、やはり目立つんじゃないか。
 だから、この国際刑事裁判所の実現ということのために日本が果たしてきた役割を考えると、これは大変大きなものがあるとせっかく評価されていて、しかも、土壇場になって、ああ、いつものパターンですかと言われている現状というのは、やはりこれはきっちり受けとめて努力していくということが、そのほかにも言い始めたらいっぱいあると思います。アメリカの見ている目線で見るということが存外お互いの間では日常になってしまっていることに対して、これでいいのかということも考えなきゃなりません。
 国連中心主義というのは、そういう点で日本が果たす役割は私は絶大だと思っていますから、そういう方向での努力というのは一つ一つ大事じゃないでしょうか。
 ありがとうございました。

仙谷委員 お尋ねでございますので、国連安全保障理事会決議一五一一について私の理解を申し上げます。
 私自身は、この国連安保理決議一五一一が、このような形で決議が成立しておるわけでありますが、これが、アメリカがこの決議を遵守して、例えば四項目あたりでしょうか書かれておる、イラクの安全保障と安定維持のため、統一指揮下による多国籍軍の設置を認めるということが決められておるわけです。その中に自衛隊を位置づけるということであればまだしも、そうでもない。
 つまり、日本の主権行使としてイラクに自衛隊を派遣するということになれば、これは、暫定占領当局というのは国連の枠組みで肯定されたような肯定されないような、暫定という言葉もついておるわけでありますけれども、イラクの統治責任と統治権限を可能な限り早くイラク国民に戻すというふうに国連決議の中で書かれている存在でありますから、このガバナンスの法的妥当性、正当性というのは決して証明されてないということになろうかと思います。
 暫定占領当局と日本政府の関係というのはどういうやりとりがあったのか、先般から菅代表と小泉さんの間でメディアを挟んでのやりとりがあるようでございますけれども、私は、この程度の国連安保理決議では、先ほどから申し上げておるように、実力部隊を海外に展開するといいましょうか、他国の領土に置く根拠にはなり得ていない。
 そして、きょうの議論を聞いておりましても、人道支援や復興支援だからいいんだ、いわばPKO部隊が行くんだからいいんだというふうな、中身はPKOなんだからいいんだというふうな議論がどうもされておるようでありますけれども、それならば、PKOが展開できるように国連の決議なり国連の枠組みをつくるようにまず努力してから、自衛隊をそのPKO部隊として派遣するということでなければならないだろうと思っておるわけであります。
 以上であります。

岩永委員 では、今何をするのよ。
 済みません、仙谷先生、では、そうしたら、今、日本は何もしなくてもいいと。そしてああいう、おたくたちが言っているような厳しい戦闘地域だから、ましてや民間は派遣できないわけですよね。そうしたら、おたくたちは戦闘地域だということをおっしゃっておられるわけですから、そんなところへ民間は派遣できない。では、そうしたら、復興支援のために、我々は今世界の中の一員として何もやらなくていいの。
 そこのところを、反対だ、反対だという声はわかるし、国連決議がせっかくされているのに、それは派遣に値しないとおっしゃるけれども、では、何をどうしてやはり国際社会の一員としての責任を果たしていったらいいのか。そのことに対しては何も言及されないでしょう。

仙谷委員 だからといって何をしてもいいということにはならないと思いますけれども。要するに、そんなに最初から大きくかけ違えたボタンをそのままにして、その間違いを残したまま、その延長線上で何かをやるということは私はあってはならないと思っています。

岩永委員 私は議論は議論として聞く耳は持つんですよ。ただ、これだけ、先ほども言っているように、九〇%以上の石油資源をあの中近東から輸入し、そして世界を相手に日本が成り立っている、その根拠を考えれば、やはり復興支援、平和支援、そういう部分については何らかの貢献をしていかなきゃならない。先生方は、やはり自衛隊はだめだとおっしゃるんだったら、では何をどうしていくのかということの代案というのは全然出てこないんですよね。そのことをもう一度お聞かせいただきたいと思うんですよ。

仙谷委員 例えば、そんなにおっしゃるんだったら、国連の枠組みで自衛隊が活動できるような環境をなぜつくろうとしないんですか、一月や二月の間に。
 つまり、中東の問題を考えるときに、ブッシュさんがきのう中東の民主化のために今行っていることは正しいんだとおっしゃいましたけれども、では、中東の民主化のために、次にサウジアラビアに対してブッシュさんが何をしようとしているか御存じですか。つまり、そういう中東の現在の現状を、パンドラの箱をブッシュ大統領があけようとするのかしないのか。
 あなたは九〇%の石油を依存していると、確かに八五%ぐらいは依存しておるんでしょうけれども。それだって日本のエネルギー戦略としてそうなっておるわけで、その国益のために、ではそれを守るためにもっともっと自衛隊を大々的に派遣して、この権益擁護のために、権益を軍事的に守ろうということを日本の国が決定し、実行しようとすることをあなたは肯定するんですか。そういう論理になりますよ、あなたは。つまり、旧満州の権益を擁護するために関東軍を出動させるというのと同じ論理じゃないですか。

岩永委員 私は、仙谷先生にお聞きしているのは、自衛隊はだめだとおっしゃるんですよね、それは我々お聞きしましょう、しかしながら、では何もしなくていいんですかと。そのことに対して、今の状況の中では、あなた方は代案として何を出してこられるんですかということを聞いているのであって、自衛隊の部分についての議論はわかりましたよ。わかりましたと言ってもまだ理解していませんけれども、話としてはわかりましたよ。では、何をするんですか。

仙谷委員 政府としては、国連で我々も参加できるような枠組みをつくれということで活動するしかないじゃないですか。つまり、中国やロシアやフランスやドイツと同じような行動をすればいいということですよ、当面は。

岩永委員 では、そうしたら、やはり物すごい勢いで、復興支援をやろうと世界各国が参加をしながら頑張っているんですよね。もう時間の問題なんですよ。そして、これが一月、二月の国連決議の、新たな決議をしていってどうのこうのといっても、もう新しい政府ができていって、そしてその復興支援に対する協力は要らなくなる。そして、日本が取り残されて、世界で笑われ物になり孤立してしまうような状況を日本自身が醸し出していいのかどうかということを私は聞きたいと思うんですよ。

仙谷委員 世界じゅうとおっしゃるけれども、本当にヨーロッパ各国を含めて世界じゅうが、アメリカのリーダーシップとアメリカの権益を第一義に考えるような占領行政の中で、それをよしとしてイラクのためにそんな資源を無償でつぎ込むというふうなことはあるんですか。私はそんなことはあり得ないと思っていますけれども。

増子委員 自衛隊が派遣されたことによって起きる可能性というのは、自民党さんがおっしゃるとおり、テロ行為が起きるかもしれない、攻められる、攻撃されるかもしれないということ。と同時に、今自衛隊以外が行って何ができますかということに対してですが、しからば、調査団が行った、先遣隊が行った。現実に今イラクが求めているものは何かということが具体的になれば、例えば水道、壊されたものをしっかりと整備してほしい、医療活動に貢献をしてほしい、あるいは統治機構をつくるために参加をしてほしいということなれば、自衛隊でなくとも、水道の物資も送る、日本から技術者も送る、お金も出してあげる。医療活動も同じように、医師団も出してやる、医療部品も送ってやる。幾らでもそれはやることがあるんですよ、これは。
 自衛隊でなければ日本が世界の中から孤立するというお考えはあなたの主観的な考えであって、日本が、自衛隊以外が行っても何も孤立もしない。自衛隊が行かなくても孤立しないんですね。だから、自衛隊ありきではなくて、真の国際貢献、イラク復興ができることは、今申し上げたとおり、幾らでもやれることがあるんです。それが、あたかも自衛隊支援がありきということで考えれば、すべての考え方がそういうふうに組み立てられていくということになりますから。これは幾らでもできるんですね。

大村委員 今、何か意見が、議論のすれ違いがずっと続いているような気がしますけれども。基本的に、やはりイラクの人道復興支援であって、お金だけではなくて人を送っての支援をするということでありますので、初めから自衛隊ありきではないと私も思っておりますが、ただ、今の現状を見れば、やはり自己完結能力を持った自衛隊をまず派遣して、そしてそこで支援をするということが普通の成り行きじゃないかというふうに思いますよ。
 現実に、アメリカがアメリカがと言いますが、実際に三十七の国がもう既に人を派遣して支援をしている。十月に行われましたスペインでの復興支援会議でも七十三の国が、そこでみんなで、イラクを破綻国家にしない、イラクの復興支援をしようということでやっているわけですね。その事実は私は重いと思いますし、国連決議も既にあるという中で、国連を中心にしながら今回の復興支援をどんどん進めていくという、そこの事実はやはり認識をしていただかなきゃいけないというふうに思うんです。ベースの認識が違うと、それはもう議論を幾らやったってすれ違いになってしまいますから、そのベースの認識を一つにしてやはり議論を積み重ねていく必要があるというふうに思います。
 今後の展開は、自衛隊を派遣して復興支援をやるわけでありますけれども、確かに、これから国連を中心に決めた方向に沿って、一番のポイントは、やはり現地の暫定統治機構がきちっと立ち上がるかどうか。そこはやはり国連を中心にしながら、日本としても外交努力をあわせてやっていくことだというふうに思っております。
 以上です。

楠田委員 初めまして。民主党の楠田大蔵と申します。
 私も一回生でございまして、現在二十八歳、昭和五十年生まれでございまして、憲法ができてから二十八年ぐらいたってから生まれた者として、若い世代として、やはりこれだけ長く続いてきた憲法ですから、硬性憲法でもありますし、それだけ意義があった憲法であるということは私も認めております。そしてまた、この後五十年近く生きる世代として、今この憲法改正をするにおいては、相当私は慎重な議論が必要ではないかと思っておる一人でございます。
 そうした中で、今回のイラク派遣に関して、少し私は、もちろん現状というのは、重要性は認めますけれども、感情的に、また今の状況でアメリカとの関係で語られる部分が余りにも多くあり過ぎるというところは感じる一人でございます。
 これから長い目で、国連中心で、日本が主導権を握ってでも国際貢献を果たしていく、そういう理想を図っていく上でも、今の時点で、この憲法改正、もう少し大きな視野で語っていく必要があるのではないか、そのように率直に感じさせていただきました。
 もちろん、この国際関係の問題だけではないと思いますけれども、これからも勉強させていただきまして、若い世代の一人としての発言、少し重みのある部分も十分あると思います、そういう観点からもこれからどしどし発言させていただきたいと思っております。
 よろしくお願い申し上げます。

中谷委員 先ほどの増子委員の意見につきまして、お金や技術で貢献をということですが、じゃ、だれが日本の物資を運ぶのか、だれが行くのかということを考えますと、実際、ああいうリスクの中で行く条件が整っていないわけですね。
 ですから、今このイラクについて問われていることは、こういったリスクの中で汗を流して何とか救わなければならない、何かをしなければならないということを日本がやらなければならない状況ということであります。
 つまり、どういうことかというと、世界の安全保障の秩序というのが、今までは冷戦の中で保たれていたのが、冷戦が崩壊し、テロが起こり、やはり世界の安全保障の基盤、ベーシックな部分が非常に不安定になっているので、今アメリカを中心とした行動についていろいろと云々がありますが、まさにこの活動がうまくいかないと、世界の安全保障の構築のベーシック自体が非常に不安定になる、それが経済や文化にも発展する。そういう中で日本も、こういうリスクを負ってまで安全保障を確保することについて何もしないで本当にいいのかということが、日本自身が問われておりまして、それについて賛成、反対はあるというのは事実なんですが、そういうリスクの中でだれかが努力をしなきゃいけないという現実があると思います。
 例えば、わかりやすく言うと、家の中で宅配ピザを頼んだり、家の中で電話で仕事ができればいいんですけれども、実際に風の中でピザを運ぶ人もいればピザをつくる人もいるわけであって、そういったきれいごとだけで日本の生活、安全が守られるという状況ではないので、やはりそういったリスクの中でだれかが汗をかきながら仕事をしなきゃいけないという現実の世界に日本も貢献をしなければ今のこの生活は守っていけないという状況にあるのではないかなという気がするわけで、発言をさせていただきます。

吉井委員 日本共産党の吉井です。
 今やっております議論で、私も、仙谷幹事がおっしゃったように、国益論については大変危険だと感じます。お話を聞いていると、復興ビジネスへの参加の発言力をきちんと確保しておくような感じがしますし、それから石油権益の確保とか、これは本当に、歴史的に見ても、こういう国益論とか海外の支援、生命線論、これが日本を誤らせた道ですから、今国益論が盛んに使われますが、これは大変危険な議論として指摘しておきたいと思います。
 それから、人道復興支援のためということがよく言われますが、法律そのものは安全確保支援活動がきちっとあって、これは治安活動その他軍事の分野の支援ですから、人道に名をかりて、安全確保と称する、本当に軍でないとできないところへ行こうとするところにこれは大きな問題を持っておりますので、これは今はこの程度でとどめておきますが。
 それから、なお、フランス、ドイツ、ロシア、中国など、多くの国々が派兵していませんね。これは、やはりこれらの国々と日本は本当に外交努力を尽くして、きちんとした解決の道を開くべきである。
 その一つは、米軍の占領支配を早く終わらせて、やはり占領軍は引き揚げるということですし、そしてそのことによって、イラクの国民がイラクの問題を解決する、その主権者として。主権の回復、それが大事でありますし、そして、どういう復興支援をやるか。それは、利権だ、ビジネスだの世界じゃなくて、国連の枠組みの中できちんと人道復興支援というものを実現することができるし、またそのことを進めていくというのが一番肝心な話ですし、それは日本国憲法を持つ国として、今の憲法を持つ国として、一番やらなければならないのはまさにそのことだということを私からも発言しておきたいと思います。

増子委員 中谷委員に対してのお答えをちょっと申し上げたいと思います。
 家の中で電話をしたりファクスをしたりメールでまさに復興支援や国際貢献は私もできないと思っておりますし、国際的社会の中で、小泉総理が言う名誉ある地位を築きながら、そして日本が国際的な形で発言力を持って国が成り立っていくということは当然必要であります。
 しかし、今イラクが求めているのは、先ほど来話が出ているとおり人道支援なんですから、人道支援に合うことについて、まさに技術者や物資や、そういうものをお金も含めて持っていくときに、協力するときに、イラクの人たちが、リスクはあるといいながらも、そういう人たちを本当に攻撃するんでしょうか。
 テレビ等の報道によれば、雇用が欲しい、安全が欲しい、医療が欲しい、いろいろなものの要求をされているわけですから、それにこたえることに対しての、要求を満たすということの方法は、自衛隊が行かなくとも、私はいろいろな方法があると思うんです。
 それは、イラクの人たちが求めていることに対応することをやるのに、日本のそういったものを運ばれていく人たちがいるときに、どうして攻撃をするんでしょうか。そういうもので攻撃されるならば、まさに人道支援は私は必要がないものになってしまうのではないだろうかというふうに思っておりますので、日本が国際貢献をする、イラク復興をする、これを満たすためにも、自衛隊でなくともいっぱいやれることはある。電話やファクスやメールでなくとも、幾らでもそういう貢献は私は現実にできると思います。まさに政権交代と同じで、やってみたらいいんです、これは。必ずそういうふうになると思います。

中谷委員 今のことについて、現実に、NGOにしてもボランティアにしても日本の企業にしても、イラクが余りにも危険過ぎて、だれ一人国内でボランティア活動ができないぐらい今イラクは危険な状況である。そういう中で、何かできないかと考えると、自衛隊のような自己防衛の組織がやることがあるということです。
 それから、家の中でファクスとか電話と言ったのは、要は汗をかく努力を忘れてはいけないということを象徴的に言ったわけであって、簡単に物事ができる時代、条件じゃなくて、やはり汗をかいたり、リスクの中でも危険な仕事もしなければ、安全というものは守られないということを言ったわけでございます。

大村委員 今のことを申し上げておきますが、もう無差別テロなんですね。無差別テロなんです。国際NGOもどんどんねらわれているんです。イラク人もねらわれているんです。CPAもやられます。国連本部も、みんなねらわれているんです。ですから、そういう現状なんです。そういう状況の中なんですから、やはりそれは自分で身を守れる、自己完結能力を持つ組織がまずは行かないと、人道復興支援はできないということだというふうに思います。
 ですから、もし仮に、そういうことじゃなくて、本当にボランティア組織が行ってやれるというんだったら、それは、委員とか民主党の皆さん、組織して送り出していただけたらいいと思うんですよ。今の現状はまさに無差別にねらわれている、そのことを申し上げたいと思います。
 以上です。

増子委員 しからば、イラク特措法によれば、自衛隊が派遣される地域は、安全で非戦闘地域のところに行くように法律はなっているんじゃないでしょうか。そうじゃないんでしょうか。私は、イラク特措法のいわゆる議決には参加いたしておりませんが、たしか、そのように理解してよろしいんでしょうか。私の認識が間違っているんでしょうか。安全で非戦闘地域に行くということになっているんじゃないでしょうか。教えていただきたいと思います。

中谷委員 今回も論戦されましたが、決して安全な地域とは言っていません。リスクはあるということは言っていますが、戦闘が行われていないということを条件としていまして、この戦闘というのは、いわゆる国の交戦であって、組織的に国家が人を殺傷するということであります。今、テロとかが散発されているのは事実でありますが、このテロということをもって戦闘が行われている、つまり国の交戦が行われるということではないという認識に立って、その地域を選んで活動しているということで、従来政府が答えている範囲で貢献するということであります。

赤松(正)委員 済みません、簡単に。
 私も、先ほども申し上げましたけれども、今イラクに起こっている事態というのはやはり文明への挑戦だと思います。
 要するに、秩序を破壊しようとしている行為というものに対して、日本が国家としての明確な意思を表明しなくちゃいけないということが大いにある。その中で、確かに自衛隊派遣反対の皆さんの気分はよくわかりますけれども、私は、私どもが言っているのは、自衛隊派遣のみ強調するべきではない。先ほど言ったような理由で自衛隊の派遣も必要であると思いますけれども、同時に、多面的なイラク復興支援のためのさまざまな活動が必要である。
 先ほど、国連PKO云々という話がありました。確かに、理屈からいえば、国連PKOを待って行くというのが、従来の公明党的スタンスからいえばそうかもしれない。しかし、先ほど来申し上げておりますように、今のテロが、今行われているテロが、言ってみれば二十世紀型病理現象としてのテロがまさに秩序破壊をしようとしている。こういった人たちを結果的に、言ってみれば支援するような動きというものは、断じて避けなくちゃいけない、そういうこととか。
 自衛隊の行動は、私はワン・オブ・ゼムだと思います。例えば、メソポタミアの湿原を回復する、そういうことに対する援助であるとか、あるいはまた、私はアメリカを全肯定するつもりは全くありませんが、アメリカの一国覇権主義というものも日本の一国平和主義と同じように危険だと思いますけれども、しかし、やはり日米関係というものもしっかり見据えていかなくちゃいけない。ある意味で、今一番アメリカが困っている。そのときに、日本がやはり一つのスタンスというものをはっきりさせるということもまた大事だ。幾つかの多義的な、多面的な行動の一つが自衛隊の派遣である、そんなふうに思っておるところでございます。

吉井委員 私も、もうごく簡潔に申します。
 テロ反対は当然のことです。
 それから、なぜああいう状態になっているのか。これは、ドビルパン・フランス外相ら多くの方たちが既に指摘していることですが、要するに、爆撃、捜索その他でどんどん傷つければ傷つけるほど、反感、恨みを買って、そして抵抗運動が出てくるわけですね。
 それと、イラク国民のその問題と、そして、フセインの残党だとかアルカイダなど外国からのテロリストが混然一体となった状態にありますから、それを収束するにはどうするのか。それらの占領支配をやはり一刻も早く終わりにして、イラクの国民主権を戻す、そして、国連を中心とした枠組みで解決する、これ以外にテロ問題にしても解決する見通しは出ないということを申し上げて、最後の発言とします。
 ありがとうございました。

大村委員 済みません、時間が来ておりますので。
 先ほど中谷委員と赤松幹事が言われたとおりだと思います。今、日本がやらなきゃいけないことは、このイラク特措法にのっとって人道復興支援をしっかりやっていくということに尽きると思います。
 以上です。

中山会長 まだ御発言の御希望もあるようでございますが、予定の時間も参りましたので、本日の自由討議はこれにて終了いたします。
 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。
    午後零時四分散会


2004/01/22 戻るホーム憲法目次