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〈マキャべリ2世氏に対する反論及び提案〉 羽場頼三郎  
2000年7月10日

 私のどこが抽象的なのか、私は岡山1区、2区、5区の選挙に実際に入って選挙をしており、具体的な選挙論にしか興味がない。ただ、抽象的と言われることがもしあるとすれば、私の指摘や批判が特定の個人に集中するようにとられる可能性があるために、敢えてぼやかした表現をしたためである。

 「システムの欠陥を棚上げにして責任者を非難する」と言う言葉は理解不能である。私のどこが『システムの欠陥を棚上げにして』いるのか。何かを守るためにシステムの欠陥を敢えて取り上げないという姿勢なら非難をされるべきである。しかし、どのシステムのどこの欠陥を棚上げにしているのか指摘しないでする批判は理解できない。また、『責任者を非難する』というが、責任者は非難を受けて当たり前である。ことの推移に責任を持つのが責任者ではないか。それに対するきちんとした批判や非難をしないことの方が『日本人の悪い癖である』と私は断定したい。

 『大本営』とはなにをいいたいのか分からない。大本営という組織がものごとの情報を管理することがいけないというのなら、個人の責任を組織がうやむやにするという批判として受け止められるが、私に対する批判になっていない。また、言葉のすり替えや情報の操作によって、味方を過大評価し、敵を過小評価することをさすのだったら、ここでの引用は不適当だ。

 私の「次期選挙での必勝をめざして」を読んでいただければお分かりと思うが、私は具体的な提案をしているつもりだ。また、それしか選挙で勝つ方法はない。私は真に具体的な方法は実践の場で示すしかないと思っており、私と選挙を共に闘った人は分かるはずである。細かいことは現場で言うしかない。また、その場、その場で方法が違うので簡単に書けるものでもない。私はこの20年間、「市民選挙」という言葉が出来たときからその実践を行ってきているので、必要とあらばいつでも選挙の場でお見せしたい。
    
 氏には、的外れの批判ではなく、実際の選挙を闘うこと(みずから立候補するか、本格的に候補者の選対にはいるかして)を提案する。


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