2002年7月 菅直人 日本再生プラン

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『この内閣は私が倒す』
 「この国のかたち」を変える救国連合政権構想

衆議院議員 菅 直人


■看板倒れの小泉内閣

 小泉純一郎内閣を一言で評するならば、注文通りの料理がでてこない「看板倒れの改革レストラン」である。

 「構造改革なくして景気回復なし」というスローガンの下、「道路四公団民営化」「郵政民営化」「不良債権一掃」などと国民の目を引くメニューを並べ、昨年四月の開店当初は盛況だったものが、一年以上経ってもまともな料理は何一つ出てこない。民営化のはずが公社化であったり、検討委員会の発足などでお茶を濁すばかりである。二年で片づくはずの不良債権処理も、青木建設やマイカルが倒産したときは「改革が進んでいる証拠」と強弁しておきながら、首相自身の地元・横須賀市にショッピングセンターを構えるダイエーは「潰せない」と言い出したあたりから雲行きが怪しくなり、従来の「銀行の経営体力の範囲内での辻褄合わせ」路線にすぐさま後退してしまった。

 「新規国債三十兆円枠」といった「名」だけを小泉首相がとって、補正予算による公共事業費の積み増しといった「実」は抵抗勢力がとるというような政治的妥協の連続では、必要な構造改革が進むわけがない。そう見透かした外国の格付け機関からは、日本国債の長期格付けを先進国最低水準にまで引き下げられてしまった。

 年間の自殺者三万人以上、失業者は三百五十万人を超えるという国民の激しい「痛み」を、「首相VS抵抗勢力」のドタバタ政治ショーを見せることで、しばし忘れさせようというのが、小泉流パフォーマンスによる催眠術ではなかったか。しかしそれも、主演女優であった田中真紀子前外相をクビにした途端に、術が解けてしまった。いまや目覚めた国民は、公共事業やODAをめぐる口利き疑惑などで自民党議員が次々に辞職していくのを見て、小泉首相が変えると明言していたはずの古い自民党の利権構造や金権体質は、何も変わっていないではないかと呆れ果てている。機密費や調査活動費といった「裏金」は使い放題で、BSE対策に失敗した官僚も退職金を割り増しでもらえるような「官僚天国」にも何らメスが入れられていない。小泉レストランの客足が遠のくのは、当然の話である。

 周知のように、日本は大統領制ではなく議院内閣制である。議院内閣制の下では、国会内の多数派である与党が首相を決める。自民党の衆議院議員は森内閣と誰一人として変わっていないのに、その議員たちに首班指名で選ばれた小泉さんが首相になったぐらいで、予算の隅々まで組み込まれた利益配分の構造、族議員や族官僚とその口利きで仕事を回してもらおうとする業者の“鉄のトライアングル”が、壊れるはずがない。これは、「自民党をぶっ壊す」と叫びながら、抵抗勢力だらけの自民党を政権基盤として頼るしかない小泉首相が、最初から抱えていた自己矛盾だった。

 議院内閣制の下では、首相一人が思いつきで政策を振りかざしてみても、議会の多数を握る与党がその通りに動かなければ、予算も法案も何も通すことができない。総理の資質が問われるのは当然にせよ、自分たちの利権構造を壊す気などさらさらない、やる気のない議員集団を政権基盤にしている小泉政権に改革を期待するのは、百年河清を俟つようなものだ。小泉政権の一年余を総括すれば、改革しなければいけない自民党という政官業癒着システムを温存し、国政の停滞を招いただけではないか。

■政官業癒着構造を壊せ

 過去の「自民党政治」を根底から覆し、政官業の癒着を絶って、予算を本当に国民生活に必要な分野に振り向けられるようにするには、何が必要なのか。

 まず、改革の志を同じくする有能で勇気のある国会議員の集団、すなわち「改革を目指す国会議員のチーム」の存在が不可欠である。そのうえで、そのチームを指導して国民に改革の道筋を訴えられる実行力のあるリーダーが必要であり、さらに、選挙によって本格的な改革政権を誕生させようという国民の決意が何よりも必要である。その三つが揃った時に、民主党を基盤とする「非自民救国政権」による大改革の歯車が動き出す。

 政治任用(ポリティカル・アポイントメント)の少ない日本の官僚制度の下で、政権を担い、すべての官庁を新しい改革のコンセプトに従って一斉に動かすということは、首相個人のリーダーシップと少人数のブレーンだけでは不可能なのである。国会議員の中に、首相と志を同じくする少なくとも百人以上の改革チームがなければ、改革を妨害する「族議員や族官僚の複合体」の厚い壁を突破して、霞ヶ関を解体・再生するといった、いわば明治維新に匹敵するような国政の大改革はできない。

 私自身、第一次橋本内閣の厚生大臣当時に薬害エイズの問題で、この壁にぶちあたった。加害者企業ミドリ十字の事件当時の社長も、自民党厚生部会所属の代議士も、みんな厚生省薬務局長OBであった。官僚は組織防衛のために、自分達のOBの間違いを自ら認めることは絶対にしない。そのうえ多くの厚生族議員は製薬企業から多額の政治献金を受けており、薬害追及には不熱心であった。この壁を突き破って訴訟を和解に導けたのは、マスコミ世論の圧倒的な応援に加えて、当時の与党社会党と新党さきがけの中に、この問題で体を張ってくれた議員が何人もいたからである。いくら大臣が謝罪して和解すべきと考えても、与党が反対すれば、和解金の予算が組めない。まして、官僚まかせにしていたのでは、肝心の薬害エイズの資料など、闇から闇へ葬られていたことだろう。

 遠回りのように見えるかもしれないが、私は、まず政権を目指すことができる野党第一党を作り、さらに、そこに改革を志す優れた人材を集めることに執念を燃やしてきた。族議員集団の自民党に対抗できる「改革を目指す国会議員のチーム」を作らなければ、日本を本当の意味で改革することはできないと考えたからである。

 民主党は、生まれて丸四年が過ぎた。この間の三度の国政選挙で新たに当選してきた生え抜きの民主党議員は六十八人。この十年で当選してきた五五年体制を知らない議員は百二十一人で、民主党全体(衆参国会議員総数百八十二人)の三分の二がこうした「政策新人類」世代になっている。いずれも官僚には負けない政策能力を持つ若い政治家たちで、「族」には染まっていない改革派ばかりである。次期総選挙に向けても、公募などで優秀な新人候補が目白押しの状況になってきた。この段階に来てやっと、本格的に政権を担える「改革を目指す国会議員チーム」の編成準備が整ったといえる。

■民主党政権で変わる政治の仕組み

 なぜ小泉総理のもとで、日本が生まれ変わるような改革ができないのか。

 私自身の経験から話をさせていただきたい。一九九六年一月、第一次橋本内閣で、私は厚生大臣として入閣した。実は、厚生省の役人たちとの“闘いの帰趨”はその任命初日に決まったのである。

 橋本首相に官邸執務室に呼ばれ厚生大臣を拝命して部屋を出ると、すぐに役所の官房長が私を待ち受けていた。私の秘書官になる役人を紹介され、大臣就任会見用のメモを渡される。もちろんメモは官僚(厚生省)の望む方針に沿って作られており、当時、厚生官僚たちが恐れていた薬害エイズ問題の真相究明などはまったく入っていない。私はメモを見ずに会見したが、初入閣の多くの大臣にとってはこの官僚のメモが頼みの綱なのである。こうして就任直後から、官僚のお膳立てしたレールの上を走らされることになる。

 実際、大臣の公的発言は「就任の挨拶」から「辞任の挨拶」まで、すべて官僚がメモを用意してくれる。難しい漢字には、きちんとフリガナまで振ってある。極端にいえば、平仮名さえ読めれば、誰でも大臣が務まるよう、役人たちが大臣の振り付けをしてくれるのである。

 役所に初登庁すると、まず花束を渡され「おめでとうございます」と声をかけられる。それから三日間にわたる「レクチャー」という名の洗脳教育が始まる。テーマごとに官僚が入れ替わりでレクチャー(私の場合は大議論になったが……)をしてくれ、その洪水のような情報に埋没させることで、新大臣は専門的なことは官僚たちに任せる他ないと思い込まされる。一事が万事、この有り様で、終始官僚ペースで物事が決められていく。

 もっとも驚いたのは「閣議」の場であった。言うまでもなく「閣議」は行政の最高決定を行う会議である。ところがその実情は、前日に行われる「事務次官会議」(全省庁の事務次官が出席し、事務の内閣官房副長官が主宰する)で全会一致で決められた決定事項を追認する場に過ぎないのである。格別に重要な国事であっても、「閣議」で大臣同士が議論することは稀である。もし議論の必要があるケースならば、閣議後に「閣僚懇談会」という場が設けられ、ここで話し合うことになる。

 私が閣僚として目の当たりにしたのは、日本の国家権力の中枢が空洞だという驚くべき現実だった。官邸や閣僚が大きな権力を持つように見えてその実、真ん中はカラッポであり、内閣は無責任体制そのものなのである。そして「閣議」という行政の最高決定会議は、官邸の閣議室の丸いテーブルに座って、各大臣が「花押」を喜々としてしたためるサイン会に等しい。これが民間企業なら「絶対に倒産するな」と私は実感したものだ。権限のないはずの役人が事実上すべてを取り仕切っている。これで国家が危うくならないほうがおかしい。

 この点、小泉内閣もまったく従来どおりの「自民党政権」であり、これでは「族議員・官僚複合体」に対抗できるはずもない。自民党総裁である小泉首相がいくら「改革」を唱えても、仕組み自体が何もできない構造なのであり、その根本に手を付けられない以上、改革の失敗は必然なのである。

■組閣後三日が勝負どころ

 ならば来たるべき新政権(民主党中心の内閣)は、何が違うのか。我々が総選挙で勝利し、政権を握ったら、いかにして改革を進めていくかを示そう。

 まず初めの三日間がひとつの勝負どころである。組閣後の初閣議で「事務次官会議」の即時廃止など新たな行政の枠組みを電撃的に決定することから、新政権をスタートさせる。組閣に際しても画期的なアプローチを試みたい。首班指名で総理が決まっても、すぐに閣僚を任命するようなことはしない。まず、第一に総理として国政に係わる重要問題についての指針を明確にする。その後に、その大方針に沿った人物を大臣にする。たとえば、総理に就任したらすぐに「諫早湾の国営干拓を中止し、干潟を再生させる」ことを表明する。その方針を忠実に実行できる農水大臣を任命し、新大臣は就任したら即座に長崎に飛んで、潮受け堤防の水門を上げるスイッチを押す。少なくとも農水省には農水大臣を止めることができる権限をもった人間はいない。だから改革は間をおかず実行に移すことができる。また「川辺川ダム建設計画の凍結・全面見直し」を宣言し、新国土交通大臣には就任記者会見の場でそれを明らかにしてもらう。なぜなら、そうした覚悟とリーダーシップを兼ね備えた人物しか、大臣に起用しないからである。

 さらに、すべての大規模公共工事を詳細に点検し、国民にとって無駄と判断されれば、事業を中止することを躊躇わない。

 こうした間髪入れずの改革は、むろん総理の独断で行うわけではない。組閣が終わったら、全閣僚と副大臣、政務官、各政策スタッフには、少なくとも三日間は毎日、一堂に会して、内閣を運営する基本方針を徹底的に議論してもらう。

 大臣たちは、新たに出来た官邸に、常駐させる。全閣僚が執務できる部屋をつくり、各大臣は役人から引き離される。いままでのように役所で多くの役人に囲まれて(厚生省だけで五万人の職員がいる)いたのでは、国務大臣の独立は保てないからだ。内閣を国民全体に責任を持つ「国務大臣のチーム」として機能させるには、こうした物理的な体制づくりが何より重要なのだ。総理大臣が閣僚を掌握していないことが、これまでの内閣の最大の弱点であった。

 与党からは、大臣、副大臣、政務官など百名前後の国会議員を内閣と各省庁に送り込み、さらに民間人専門家を起用する。こうして政治家と政治任用の政策スタッフによる政策立案能力を高め、内閣の政治的指導力を強化し、内閣と与党を一元化させる。こうすることで族議員が発生する余地もなくなる。

 新たな政権が文字通りの「政治主導」の政権を目指せば、役人たちが抵抗してサボタージュする可能性がある。一般の有権者の中に野党への信頼感が育ちにくいのも、民主党を中心とする政権では、官僚機能が停止してしまうのではないかという危惧があるからだろう。官僚から政治の主導権を奪うと何が起きるか。それは家庭(国家)で電気・水道・ガスが止まるのと同じだ。そのとき、我々は自前で発電機を持ち、井戸を掘っていなければならない。いざとなれば、大臣を中心に政治任用メンバーと与党で法案をつくり、国会を通して立法化し、官僚に依存しないで国家を運営するだけの力を持っていなければ、新たな改革などできるはずがない。

 ここに来て漸く、民主党の議員たちにその実力が備わってきた、と実感できるようになってきた。昨年一年間だけでも民主党は六、七十本の法案をつくっている。この数年間のトレーニングで、百人ぐらいの国会議員はそうした国家を運営できるだけの能力を身につけつつある。官僚チームに物申せて、役人が何と言おうと正しいと思える選択肢を実行できる、そうした政治家のチームを持つことが、これまでの政権と大きく異なる点である。

 誤解を恐れずにいえば、官僚たちは役所を含めて自分のことしか考えていない。外務官僚は、外交官として在外公館にいる間に何百万円という高額な手当てをもらい、本給は貯金に回して、帰国したら家を建てるためにその組織を使っている。他の役所も同じ有り様である。だから役人たちは、自民党政権を維持しようとし、既得権を後生大事にし、OBも含めて誰も責任を取らなくて済むような無責任体制の温存に血道を上げてきたのだ。

 細川政権時代は残念ながら、この国会議員チームがなかった。将来の清原や松井のような優秀な一年生はいても、高校生のチームがプロ野球(官僚システム)に勝てるはずがない。しかし、いま確実に人材は育ってきている。

 この新政権の政策遂行チームが機能すれば、官僚たちのなかにも協力者が出てくるはずである。役人は決して馬鹿ではないから、サボタージュして潰せる相手か、サボれば怖い相手か、一瞬にして見分ける力がある。政権発足から一週間が、まさに勝負どころだ。

 この「内閣と官僚のあり方」を大転換する重要なポイントの一つは、事務の内閣官房副長官の存在である。国民の目にはわかりにくいが、事務の官房副長官は、各省庁間の総合調整を行い、官僚の人事に大きな影響力を持つ「官僚の最高ポスト」である。官房機密費など、内閣の中枢に関わることをすべて知り尽くし、政権の引き継ぎでも重要な役回りを果たして来た。このポストは歴代、旧内務省出身者が務めるのが慣例になっている。

 事務の副長官は、全省庁の事務次官が出席する「事務次官会議」を主宰するとともに、閣議にも同席し、「事務次官会議」の決定を閣議に上げて、実質上、閣議を取り仕切っている。このことが、閣議が「事務次官会議」の追認会議になる原因でもある。歴代の事務の副長官は、内閣が替わっても五〜七年は在職する。現在の古川貞二郎副長官も、九五年の村山内閣から今日まで、橋本、小渕、森、小泉と五代にわたって仕え、その前の石原信雄氏も八七年の竹下内閣から村山内閣まで実に七代の内閣で副長官を務め、「影の総理」と呼ばれた。

 このように、事務の官房副長官は、内閣が官僚組織全体の意向に従うようにお膳立てするキーマンなのである。官僚組織と内閣のつなぎ役は必要だろうが、その人選こそ、内閣が官僚を使うか、逆に官僚組織に内閣が使われるかの分岐点である。従ってこのポストには、政権が代われば真っ先に、首相の意思によって動く腹心を政治任命しなければならない。「事務次官会議」は廃止し、官房長官もしくは政務の官房副長官を責任者とする閣議案件の事前の調整会議に代えなくてはならない。

 国民に見えにくい、こうした内閣の人事や運用を変革することで初めて、総理を中心とした政治家が判断する本物の「議院内閣」が生まれ、いわゆる「族官僚と族議員の複合体」を解体する準備が整う。そうなれば、官僚は「国民主権」にふさわしく、内閣を支える行政の専門家集団として位置付けられるようになる。当然、役所は政党に対して中立であって、鈴木宗男問題のようなことは許されなくなるのである。

■日本経済停滞の原因

 バブル崩壊後の日本は十年以上も経済が停滞し、国際的に地盤沈下を続けてきた。

 「失われた十年」といわれた九〇年代には、内需拡大のために大型公共事業を中心とした予算を幾度となく編成したが、常に効果は一時的で、本格的な景気回復にはつながらず、財政は急速に悪化の一途を辿っている。不良債権処理のために、住専処理以来、何度も公的資金を導入したが、今なお不良債権は増え続けている。財政規律を考えて緊縮予算を組めば、景気は一層低迷し、地価と株価の下落で金融不安が生じるというデフレの悪循環に陥っている。自民党を中心とする政権では、この経済危機に対応する政策能力がないことは、この十年余で明確になったのである。

 私は、政治家ばかりでなく官僚や学者など大半の専門家が経済の原理的、根本的なところで考え方を間違ってきたように思う。例えば、「減税か公共事業か」というような二者択一の景気対策議論がそれだ。われわれは九八年の参院選挙で大型所得減税の実施を橋本内閣に迫り、橋本内閣退陣後の小渕内閣で大型減税が実施された。所得税減税をすればサラリーマンの可処分所得が増えて消費が増大すると考えたからだが、実際には減税をしても減税分の多くは貯蓄に回ってしまった。現在の日本人は予定外のお金が手に入ったら「モノ」を買うよりも貯金してお金のまま残しておく方が安心でリッチな気持ちになれるようだ。しかも、不良債権を抱えた銀行は、その預金を中小ベンチャー企業への融資には回さずに国債を買い、政府はそのお金を無駄な公共事業にばら撒いた。しかし、減税をやっても、公共事業で予算を大盤振る舞いしても、果たして私たちの生活は豊かになったのだろうか?

 個人の金融資産は一千四百兆円ある。しかし、お金があっても、それが消費や投資に向かわない。将来に不安があるとか、買いたいモノがないために、金利がゼロでも貯金ばかりが増えて、潜在需要が顕在化しない。「需要の潜在化」。これこそがデフレや長引く不況の最大の原因なのである。「貯蓄大国」というのは、お金の使い方が下手な国という意味でしかない。

 この間の経済政策は、従来の「経済常識」に振り回されて実は最も重要なことが抜け落ちていた。それは、経済は国民の人間的生活実現の手段であり、経済成長そのものが目的ではないということ。今日の日本人が望む「人間的生活」は高度成長期とは大きく様変わりしており、その内容の変化を抜きにして経済政策は成り立たないということだ。

 私がまだ子供だった今から四十年前は、多くの人にとってお金があれば買いたい「モノ」がたくさんあった。「3C」と言われたカラーテレビ、クーラー、車に象徴される誰もが欲しがる「モノ」があった。しかし今の時代その多くは満たされ、お金で買える「モノ」でぜひ欲しいというものは「ゆとりのある住宅」以外にはあまり見当たらない。

 しかし逆に、個人のお金では買えないもので欲しいものはたくさんある。例えば、小さい頃遊んだ砂浜の海岸、釣りをした清流の川、伝統を残す美しい町並み、誰もがスポーツに興じられる芝生のある公園。いまや日本中の海岸はテトラポットで埋め尽くされ、川はダムでずたずたにされている。町並みも京都のような「古都」でさえビルの谷間に埋もれてしまった。それだけではない。旅行やコンサート、質の良い保育や高齢者の介護サービス、子どもの教育、更には犯罪のない安全な社会等々。これこそが「本当に必要な生活需要」であり、その多くは政策の光があてられていないために、いまだに顕在化せず、潜在需要として眠っている。

 道路特定財源などがんじがらめの予算の呪縛を解いて、こうした潜在需要を目覚めさせることが、日本経済再生への唯一の道である。将来の国民生活をどう変え、そのためにどういう政策を実施していくかという明確なビジョンと方針を政府が提示すれば、経営者はそれに応じて先行投資をし、民間主導の経済再生のサイクルが動き出すのである。

■小泉構造改革論の誤ち

 小泉首相のいう構造改革は、供給サイドの効率化によって産業や企業の競争力を強め、景気を回復させるというシナリオに基づいている。確かに、日産は、カルロス・ゴーン流の大リストラと下請けの整理によって再生した。しかし、一企業にとっては有効なこうした手法が、果たして国にとっても有効なのだろうか?

 効率の悪い産業が整理され、より付加価値の高い未来型の産業に労働力が移るのなら、国全体としても経済再生につながるだろう。しかし、現実には失業者は過去最高の水準まで増え続けている。リストラされた失業者が他の職場に移れずに失業状態が続く場合には、国全体としては効率が上がったことにはならず、労働市場での賃金水準低下などの影響もあって、むしろ景気には逆効果だ。企業は従業員をリストラできるが、国は国民をリストラすることはできない。結局のところ、万全の雇用対策を尽くさない限り、供給サイドの構造改革だけでは、デフレスパイラルからは脱出できないのである。

 ところが、小泉首相は国民に「痛みに耐えろ」というだけ。過去の自民党の首相と同様に、失業者やリストラの不安を抱える中高年サラリーマンの痛みには、まったく無頓着のようにしか見えない。

 小泉首相の経済政策で致命的なことは、日本の将来像のビジョンをなんら示していないことだ。構造改革とは、一言で言えば「スクラップ・アンド・ビルド」。国際競争力を失った産業をスクラップする一方で、未来のリーディング産業となるような新産業を育成する「ビルド」の部分がなければいけない。ところが、小泉首相の口からは、この国の未来のビジョンがまったく聞こえてこない。だめな企業や産業はつぶせ、というだけの「スクラップ・オンリー」では、経営者は何に投資すればよいのかわからず、とりあえず借金を減らすことに専念して、ますますデフレを悪化させるだけである。

■新しい需要が新しい産業を創る

 では、民主党の新政権は、日本の将来についてどういうビジョンを提示するのか?

  1. 「循環型社会の創造」
     新政権では、環境と調和した「循環型社会の創造」が重要な社会目標となる。環境にやさしい新エネルギーシステムである燃料電池には、二十一世紀のリーディング産業として、総合的な推進策をとっていく。燃料電池車が全国どこでも走れるように、ガソリンスタンドを水素スタンドに転換する事業者を支援し、燃料電池車の車検期間をガソリン車より延長するなど規制緩和と投資減税で普及促進を図る。公用車は燃料電池車に切り替える。

     家庭で燃料電池を使った自家発電を導入した場合、電力料金が電力会社よりも安くなるように助成する。そのためのコストは、石油など環境への負荷の高いエネルギー源に環境税として課税し、クリーンエネルギーへの転換を促進する。石油を発電に使う場合に比べて、燃料電池発電に切り替えた方が、二酸化炭素発生量を三分の一に抑えられるからだ。

     燃料電池の原料となる水素はバイオマス技術などを用いて植物から作り出す農業的手法を推進する。輸入に頼る石油などではなく、国内の自然を活用して燃料電池の自給システムを作ることは、エネルギー安全保障の観点からも重要である。

  2. 「大環境省」と「食料安全庁」の設置
     新政権は、国土交通省の河川局と林野庁を環境省に統合した「大環境省」を中心に、山と川と海という水の流れに着目して、一貫した環境政策を推進する。川をコンクリートで固める代わりに、花粉症の原因である針葉樹林を保水力の高い広葉樹林に植え替える「緑のダム」事業、公園や校庭に芝生を植える事業などに、年間一兆円の河川局の予算を振り向ける。田中角栄以後の自民党政権が破壊してきた山や川を、緑豊かな自然に回復させることに、民主党政権は公共事業費を優先的に使っていく。それが、私流の緑の「列島再生論」だ。

     日本の農業再建のためには、所得補償(デカップリング)を導入しつつ、減反などの不合理な規制は撤廃し、生産者の自由な競争を導入することが不可欠である。BSE問題などで不備が明らかになった食の安全を統一的に担当する「食料安全庁」を内閣府に設置し、不当表示などを厳格に取り締まって、食の安全を確かなものにしていかなければならない。

     行政改革で行け加えれば、小泉首相が民営化にこだわる道路公団も、いっそ廃止して高速道路を無料化するというのはどうだろう。その場合、ガソリン税や、電子入札による入札制度改革などで無駄をなくして借金返済に振り向ければよい。そうすれば、料金所がいらなくなる。高速道路への出入りは今よりずっとスムーズで渋滞も減り、眠っていた需要が呼び覚まされ、地方に観光などの新しい産業が芽吹いていくはずだ。

  3. 年金・医療制度改革
     社会保障についても、小泉首相のように医療費の自己負担を引き上げて将来不安をあおるのではなく、医療保険特別会計や厚生年金特別会計に積み立てられた百兆円を超す資金を活用しながら、年金を税金による賦課方式に段階的に転換し、介護の施設整備を進めて、高齢化社会を迎える不安をより少なくすることが求められる。お年寄りや障害者にも暮らしやすいバリアフリーの街づくりは、都市計画の必須条件とすべきである。

  4. 「雇用年齢制限禁止法」の制定
     深刻な中高年失業者の求人難を打開するために、民主党は、求人・採用時の年齢制限を禁じた「雇用年齢制限禁止法」を制定し、再雇用の門戸があらゆる人に平等に開かれるようにすることを提案している。米国が不況からの立ち直りが早いのは、中高年で失業しても、いつでも職を探して人生の再スタートを切れるという安心感があるからである。日本でも、終身雇用を前提にした雇用慣行や労働法制を見直し、会社が潰れようが、労働者は何度でもやり直しがきくという「再挑戦のチャンスがある社会」を作っていく必要がある。

  5. 貯蓄優遇から投資促進へ
     より重要なことは、景気の足を引っ張るだけの貯蓄優遇政策をやめて、投資促進にあらゆる政策体系を転換することである。その一つとして、株や社債などは他の資産に比べて相続税を軽減すべきだ。そうすれば、新しい産業を担う中小ベンチャー企業にも、必要なリスクマネーが資本市場を通じて潤沢に供給されるようになる。「貯蓄」から「投資」へ。お金の流れを変えることで、株式市場の活性化が、経済を動かす導火線となるのである。

■「廃県置州」で平成維新を断行

 こうした本物の構造改革を実行していくために、民主党は国のかたちを根本から作り変える政治・行政の改革を断行する。国の役割を徹底的にスリム化し、現在の都道府県を道州制に移行して、地方が主権を発揮できるように、権限と財源を思い切って地方に移す。中央集権を進めた明治の廃藩置県とは逆に、分権連邦国家を作る「廃県置州」が、平成維新の改革の柱となる。市町村も三百ぐらいに集約すればいい。基礎自治体が江戸時代の「藩」の役割を担うのである。

 国と地方で別々に集めている税金も、地方で一括して集めて、国が必要な分だけ、地方の財政力に応じて上納する制度に変えれば、国から地方への補助金や、それをめぐる国会議員のあっせん口利きもなくなるだろう。

 私は日本の将来像のモデルとして、江戸時代に注目してきた。江戸時代の日本は三百諸侯の分権連邦国家であった。故司馬遼太郎氏は、日本の歴史の中では、明治以降の中央集権国家は異質な存在であり、江戸以前の分権型で自給自足の経済社会こそが日本人にとっての伝統的な文化だという説を唱えられた。まさに私も同感である。

 江戸時代までの日本では、国内で得られた食料やエネルギーで自給自足の生活をしていた。そのためには糞尿も田畑に戻し、エネルギー源の山の木も再生できるように手入れする「循環型リサイクル社会」であった。幕府は中央政府として外交・防衛や大規模な反乱の防止は専権としていたが、財政、教育、治安といった内政に関することは、ほぼ全て各藩の自治に任せていた。しかも、文化的に見ても武士階級だけでなく国民の多くは読み書きができ、浮世絵や水墨画など優れた芸術を生み出すなど同時代のヨーロッパ諸国に引けを取らない世界に冠たる文化・教養国家であった。

 ところが、産業革命後の欧米列強諸国による植民地化の危機に直面して、近代化を急ぐために緊急避難的に創り上げたのが、天皇陛下の権威を利用した明治以降の中央集権国家である。戦後も経済官僚主導の体制として生き続けたこの中央集権体制は、今日あらゆる面で行き詰まりに直面している。

 「宇宙船地球号」を強く意識しなければならなくなった今、江戸時代の循環型リサイクル社会、分権連邦国家の考え方は、二十一世紀型国家像のモデルになり得る。「新しい国のかたち」は、小さいが強力な中央政府と、市民自治による地方政府の組み合わせが望ましい。それが、私が「江戸時代ルネッサンス」を提唱するゆえんである。

■自民党を追い詰める政権交代戦略

 最後に、政権交代を実現するための戦略を述べておきたい。

 今日、小泉政権に対する国民の信頼は急激に低下してきた。しかし、それに代わる政権の姿が見えないことに国民はいらだちを募らせている。本来なら政権が行き詰まれば野党第一党に政権交代の期待が集まるはずだが、残念ながら現在の民主党はそうなっていない。その一因は、民主党政権が目指す「日本の将来像」が不明確であり、民主党の実際の姿が十分に国民の皆さんに見えていないことにある。そこで私なりに「日本の将来像」の青写真をここに提示し、若くて優秀な議員が活躍している民主党の姿を紹介した。しかし、したたかな自民党を野党に追いやるには、若くて優秀な議員だけでは不十分なのである。私が毎月一回のペースで自由党の小沢党首と話し合いを始めたのは、政権を維持しようとする自民党のありとあらゆる悪知恵や手練手管に騙されないため、自由党と政権獲得に向けて協力することが効果的と判断したからである。

 小沢さんはいうまでもなく一九九三年夏、自民党に対抗し野党をまとめて細川連立政権を生みだした中心人物だ。私は新党さきがけに参加し、与党の一角で政権を支えた。口利きこそが政治家の仕事と信じて疑わなかった自民党政治家は、野党に転落して茫然自失の状態であった。地元からの陳情も役人の説明も激減し、まさに「失業状態」に陥った。細川政権が三年も続いていれば、鈴木宗男氏や加藤紘一氏に代表される政官業癒着の口利き政治は解体し、自民党そのものも解党的出直しとなっていたはずである。

 しかし残念なことに、細川政権はわずか八カ月で崩壊した。自民党からの激しいスキャンダル攻撃もあったが、それ以上に小沢一郎氏と武村正義氏の軋轢や社会党の離反など連立政権に参加した当時の与党内の争いが細川政権崩壊の最大の原因だった。政権を支える人々が政権運営に不慣れで、準備不足だったのである。

 現在の民主、自由、社民各党の指導層など九三年以前の当選組は、全員が当時与党として細川政権を支えた経験がある。そうした人に共通なのは「細川政権を誕生させたことは成功だったが、短期間で潰してしまったことはかえすがえす惜しいことで大失敗だった」という反省の思いだ。私が敢えて目指すべき次期政権を「第二の細川政権」と呼ぶのは、こうした思いを共有するメンバーであれば、政権交代のために「小異を残して大同につく」ことができると考えるからである。

 解散風を感じてか、マスコミでは「石原新党」とか、「小泉新党」まで取り沙汰される迷走状況である。しかし、仮に亀井静香さんや野中広務さんが裏で動いて石原新党ができたとしても、自民党と連立を組むような政党では、改革を語る資格も、実行力もないと断言できる。日本の危機の元凶である自民党をきちんと排除し、民主党を中心とした「救国連立政権」をつくる以外に、本格的な構造改革を進められる可能性はない。

 ぜひとも有権者の皆さんにお考えいただきたい。これまで通りのやり方ですでに十年やってうまくいかない自民党中心の政治を、これからまた十年、二十年と続けていくのか。森政権から小泉政権へ、さらにその亜流政権を選択していくのか。それとも未知数かもしれないが、リスクをある程度承知していただいて、日本の政治構造(国家のエンジン部分)を根本的に変えていくわれわれの「改革」「革命」を選ぶのか。

 我が民主党は、いつでも政権を担う覚悟と能力がある。細川政権の轍を踏まないための準備期間はすでに終わっているのである。

月刊文芸春秋2002年7月号掲載


2002/07 >>「救国的自立外交私案」

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