2000年9月9日 戻るホーム民主党文書目次

代表指名受諾演説  民主党代表 鳩山由紀夫


【はじめに:ニューリベラルの提唱】

鳩山由紀夫でございます。このたび、民主党の代表に再任されましたことを、私は誇りに思っています。私を再任して下さいました皆さまに心より感謝申し上げるとともに、いま改めてその重責を痛感しています。

この私に課せられた使命は明白です。それは何よりもまず、21世紀の日本を創る民主党政権を実現することであります。民主党は様々な法案を作成し提案してきましたが、それを形に変えるためにも、政権の実現を急がなくてはなりません。

これから私が述べますように、日本はいまたくさんの問題を抱えて立ちすくみ、沈み込んでいます。その未来は決して明るいものではありません。20世紀から21世紀への橋渡しとなるこの大切な時を、これ以上自民党政権に委ね続けるわけにはまいりません。

私は、この民主党政権の実現に向け、私の持てる力のすべてを尽くす覚悟です。私自身、自らを鍛錬し、日本社会をリードするにふさわしい資質を備えるよう謙虚に努力し、新しい鳩山として前進してゆきたいと決意しています。よろしくお願いいたします。

さて、私は、今度の代表選挙に臨むにあたって、「ニュー・リベラル」の旗を掲げました。私の言う、ニュー・リベラルとは何か。それは、一言で言えば、「自立」と「責任」と「共生」のことです。

「自立」とは、決して孤立した個人主義のことではありません。権利のみを主張する個人主義でもありません。それは、自分たちがうまく行かないことの責任を他人や社会に転嫁することなく、自ら何ができるかを考え行動する個人の姿のことです。

民主党が担う政府は、そうした自立しようとチャレンジする人々を支援する政府でなければなりません。職を失っても自ら努力しようとする人々には惜しみなく支援します。社会的ハンディキャップを持った人たちに対しても、恩恵だけではなく、自立支援のための政策を徹底します。

「責任」とは、自分たちさえよければそれでよいという考えではなく、社会や友人たちのことを想い、それらに対する想像力を働かせて、何を為すべきかを考える力のことです。そして、自己が為したことへの弁明から逃げない姿勢のことです。不良債権問題や一連の警察不祥事、政治家の汚職は、責任意識の欠けた社会に日本が成り下がりつつあることを示しています。

民主党政権は、政府が自ら責任を明確にするとともに、責任逃れを認めず、規律ある社会を確立します。ルールを守り、ルールを違反した者には毅然として対処する政府がいま必要なのです。

「共生」とは、私たち一人ひとりが多くの人々や自然によって支えられていることに目を向け、それに感謝し、共に助け合うことを生活の価値の中心におく構えのことです。しかし、それは決してもたれ合うことではありません。それぞれが自立しつつ、横に手をつなぐ社会を創り出すものです。

戦後日本は、中央集権と官僚支配の下で、「依存の文化」をつくり出してしまいました。福祉は、上からの恩恵と下からの依存で成り立って来ました。地方自治は、国の補助金への依存とおもねりをつくり出してきました。護送船団方式の産業政策は、業界と政治のもたれ合いと相互依存をもたらしました。それは、共生とは似て非なるものです。

人々の間に依存心を生み出す制度は変革する必要があります。民主党政府は、「自立の文化」を育て、責任と共生が織りなす民主主義日本を創造する大事業に取り組んでいかなければなりません。私は、その先頭に立って、歩み続ける覚悟でいます。

こうしたニュー・リベラルの立場から、私は、5つの基本メッセージを提案します。「モラルと責任のある社会の確立」「競争の促進とIT革命による強い経済の実現」「自立を支える社会政策としての福祉の確保」「現実的な自立・自尊の外交政策の展開」、そして「地方分権と中央政府の改革による統治の回復」です。


【「社会の再生」をめざす】

日本は、いま、経済の低迷のみならず、社会そのものの基盤が崩れつつあります。少年犯罪の多発はもとより、大人社会の無責任ぶりが次々と露呈し、この国にはもはやモラルと責任意識は存在しないかのような勢いです。

バブルに踊った金融機関や大手ゼネコンが、責任を暖味にしたまま、国の財政支援を一方的に受ける姿は、この国に住む私たち日本人の誇りをボロボロにしています。お役所も、警察も信用できないと国民は思い始めています。この現実は変えなくてはなりません。

社会は、そこに暮らす私たちが「仕方がない」と思うとき、どんどんおかしくなっていくのです。これはおかしいと気づいたなら、まず、立ち止まって見ようではありませんか。そして考えることです。大いなる議論を起こしてみるべきです。特権と不条理に気づいたなら、それを放置してはなりません。私たちは、それを変える勇気を示さなくてはいけないのです。

アニメ作家の宮崎駿さんが、ある対談の中で、こう語っています。
「私たち大人は取り返しのつかない失敗を冒してしまったのではないか。」
「世界中の子どもたちのなかで、日本の子どもが一番、眼を輝かすことがなくなった。豊かさを求めて大人たちが走り続けている間に、私たちは、子どもたちの眼から輝きを失わせてしまった。これは戦後日本の最大の失敗だ。」

急増する少年犯罪は、女性、子ども、お年寄り、障害者、在日外国人、ホームレスに向けられています。どんなに素晴らしい福祉制度を形づくっても、時に社会的弱者とも見なされる人々に対するこうした不条理な攻撃を許す社会は、本物の福祉社会だとは言えないと私は思うのです。一体、何が、こうした犯罪を生み出すのでしようか。私たち大人はもっと謙虚に反省し、もっと真剣に考える必要があるのではないかと思うのです。

子どもたちの心から希望を奪い、夢を失わせた責任を一体誰がとるのでしょうか。私たちには、ここに立ち止まって大いなる議論を起こしていく義務があります。

眼が輝いていないのは子ども達ばかりではありません。私たち大人も、事なかれ主義と自己中心主義の虜になって、社会とのつながりを大切にする心を失いつつあるのではないでしょうか。日本社会そのものが輝きと自信を喪失しつつあるのではないかと畏れています。

私は、個人の権利や自己主張とともに、個人の自立を支え、それをより確かなものとするためにも、コミュニティに根ざした社会を創り出して行くことが、いまもっとも必要だと訴えたいのです。大人が自ら範を示すモラルある社会を創り出したいのです。

犯罪や不正に対して毅然とした姿勢を示し、不合理を改革する勇気と行動力を示すことこそ、社会を再生するうえでいま最も必要なことです。

民主党は、多様な価値観と自由なライフスタイルを認めつつも、犯罪には厳しく、犯罪の原因についても厳格に対処していく政党でなければなりません。同時に、現在と未来に責任を持ち、その場凌ぎや先送りを認めない厳しさを備えた政党であることをここにお約束します。


【教育の時代ヘ】

私は、今日の日本が議論を欠いている国であると同時に、コミュニケーションそのものを希薄にさせている社会だと感じています。大人と子ども、男と女、お年寄りと若者、そして大人社会自体さえも、本当のことを声を大きくして対話することをいつの間にか避けています。

たまたま、私は、ある出来事を知る機会がありました。杉並区のある学校のことです。その学校には子ども達の安全のために45メートルの塀が造られていました。社会と隔離するための塀です。塀は、学校を「閉ざされた社会」にするに十分なものでした。その無味乾燥な壁に、ある人が企画を立てて、子どもたちとその親たちが恐竜の絵を落書きすることになったのです。いつもなら指示をしないと動かない子どもたちもその時ばかりは目を輝かせて壁に向かい、思い思いの絵を描き始めたのです。その瞬間、壁は外の社会との断絶のための道具ではなく、子どもたちと親たち、子どもと子どものコミュニケーションの媒体となったのです。朝、学校にやってきて、壁に描かれた恐竜たちに「お早う」と声を掛ける子どもたちも現れました。

学校の壁さえも、私たちが望むなら、それはコミュニケーションの手段となるのです。そもそも、この企画は、親たちや子どもたちを交えたインターネット通信を通じて形となったものです。メールによる意見交換が、新しい試みへとつながった結果、初めて「恐竜の絵」が誕生したのです。

確かにいま、インターネットの時代と言われ、それがEメールを通じてコミュニケーションの媒体となっているとの指摘があります。果たして、それは本当でしょうか。それは、ひょっとすると対話ではなく、独り言に過ぎないのかもしれないのです。情報機器に頼って、フェイス・ツー・フェイスの対話を貧困にし、逆に一人ひとりがますます孤立する社会を創り出すかも知れません。私は、教育の現場に、様々な職業や階層の人たちと子どもたちとのコミュニケーションの場をもっとたくさん採り入れたいのです。そして、情報社会に向けて、単にテクノロジーの進歩に身を任せるのではなく、直接対話を重視した、「人間の顔をしたIT革命」を促していくべきだと考えています。

いまや、我が国において、教育改革、学校改革は焦眉の課題です。学校を教師や無責任な親たちにとっての安全の場にとどめるのであってはなりません。アメリカやイギリスなどで実験的に取り組まれている「独立校」、すなわちチャータースクールやコミュニティスクールの導入を進めて、地域に教育力を取り戻す試みを開始すべきであります。親や教師や地域の有識者達が自分たちの判断で学校運営をできるよう、いまから「学校改革」を断行することです。子どもたちが親とともに学校を選択できる、そんな仕組みを編み出していく必要があります。

今日の教育の現状は、いわば上から、教育基本法をいじり回して道徳を押しつけることによっては解決しないのです。そうではなく、地域が学校運営の自主性を回復する、いわば下からの教育改革にチャレンジしてゆくのでなければなりません。私は、その先頭に立って、子ども達の眼に輝きを取り戻す「新しい教育の時代」を築いていきたいと考えています。


【福祉は自立を支える】

滋賀県大津市で、私はある宅老所を訪ねる機会がありました。介護士の資格をもつ二人の女性が、献身的な活動をしていることで注目された施設でした。宅老所のお年寄りはもとより、近所の方からもとても評判のよいサービスが行われていました。

しかし、法的に位置づけられていないため、補助金もなく、介護士の過重な仕事量によって支えられていました。「大きな施設では画一的なサービスしか受けられないのに、小規模故に一人ひとりに見合った介護サービスが行き届くようになった」との話を関係者から伺うことができました。ところが、施設の関係者が補助金の申し入れをしようとすると木造施設には出せない、労働基準法違反の長時間労働を行っているから補助金は付けられない、そもそも個室が狭すぎると言われたというのです。

福祉施設は単にお年寄りや障害をもった人を「預ける」ところではないのです。施設も福祉サービスも、一人ひとりが自立するための支援基盤に他ならないのに、そんなことには関係なく、大規模施設が優先される画一的な補助金システムが出来上がっています。

全国には、こうした宅老所やグループホームがおよそ800カ所あると言われています。それらの多くは、自立生活を支援する小規模施設で、小さいことを生かして家庭的な雰囲気ときめ細やかな福祉サービスを提供することを可能にしています。ところが、その多くは善意の努力によって支えられており、とりわけ、500カ所とも言われる宅老所の場合、国のグループホーム基準にも達しない規模であることから、個室の整備も十分ではなく、さらに介護士らに過重な負担を強いているというのが実態なのです。

これからの福祉は、「人間の自立」を基準とした新しい支援制度に切り換えていくことから始めなくてはいけません。

私は、全盲にもかかわらず資格を取得して専門職業に就いている青年や車椅子の生活でも自立生活に挑戦する若者たちと対話をしたことがあります。彼らは、恩恵としての福祉を望んでいるのではありません。そうではなく、あたかも一人のベンチャーが新しい試みにチャレンジするように、自らの能力を最大限に生かして自立の道をつき進もうとしているのであり、政府にはそのための基盤整備を望んでいるのです。

福祉について大胆な発想の転換をしていくときだと考えています。これまでの福祉は欠損、欠けているものを補うというものでした。それは、いわばマイナスを無くすという発想で、自立に向けてプラスを支援するという発想はあまりなかったのです。

これに対して、ニュー・リベラルの思想は、福祉についての考えを大きく転換するものです。福祉は、人間としての尊厳を守る徹底したセイフティ・ネットの上に、社会的ハンディキャップを持ちながらも、自ら自立しようとする人たちを積極的に支援するものだと考えています。

私は、民主党が全国各地で試みられている数々のボランタリーな福祉運動と連携し、共に新しい福祉社会を創り上げていく、そんな政党であってほしいと考えています。


【逞しい日本経済を実現する】

80年代日本は世界のトップをゆく経済力を誇示していました。日本的雇用慣行や日本的経営がもてはやされ、アメリカにおいてすら「日本に学べ」との声が生まれたほどです。まさに、「メイド・イン・ジャパン」「ジャパン・アズ・ナンバーワン」となったのです。ところが、どうでしょう。バブルがはじけてみれば、天文学的な不良債権と無責任経営が露呈したのです。

そして、2000年のいま、日本経済の競争力は、世界で21番目、アジアでも、シンガポール、香港、台湾の後塵を拝しているのです。労働生産性ではアメリカやEUに大きく後れをとってしまいました。

経済の発展の事例も、民主主義や強い責任意識、そして自由闊達な気風を欠いたところに成功の可能性はないことを示しています。閉鎖的で、身内主義がはびこり、経営者が責任をとろうともしない日本的経営は、国際社会ではもはや通用しないのです。にもかかわらず、自民党政府は、公共事業のバラマキによって当面の景気対策を優先し、経済の構造改革を先送りし続けたのです。経済的低迷は政策の失敗によっても増幅されているのです。

私は、経済構造の改革をこれ以上先送りしては日本の未来が危ないと考えています。改革には勇気をもって挑まなくてはなりません。さもなければ、日本経済はいよいよ世界から、アジアから取り残されてしまうでしょう。

私たちは、無駄な公共事業を2兆円削減しても、1兆円の福祉投資をすれば、雇用効果が同じで、かつ将来に対する安心を確保することができることを知っています。従来型公共事業を大胆に減らしても、民主党政府の下でIT投資を増やせば、より活力に充ちた経済が実現することを承知しています。

国内にあっては規制改革を大胆に推し進め、雇用の流動化に対応できる職業訓練や教育機会を整備することが必要です。情報通信分野では競争促進のための法整備が必要です。自民党は、規制改革に逆行する動きを見せています。これを許してはなりません。<痛みを恐れて改革を先送りし、貧しい未来を選択するのか>、<勇気をもって改革の道を歩み出してより豊かな未来を手にするのか>、政治の分かれ道がそこにあります。


【ペッチェイ氏の遺言】

人には様々な出逢いがあります。私は、ある人を通じて、一人のイタリア人の遺言に出会いました。その人は、アウレリオ・ペッチェイさんです。そのペッチェイさんが、こう遺しています。
「人間と自然との調和を確立することは、深遠な文化的価値でもあります。人類は何世紀にもわたって、他の命あるもののかたちから霊感を受けて、多くのイメージや童話、神話や詩歌を創り、<人間性=ヒューマニティ>を育んできました。それゆえに、生命の世界に無関心でいることなどできないのです。」

私は、このペッチェイさんの言葉に魅了されました。ペッチェイさんは、イタリアはトリノ大学の先生をしていた人です。第二次大戦中は反ファシズムの闘志としてデモクラシーのために戦った人でした。そして、「かけがえのない地球」を守るよう警告したローマクラブの創設者となったのです。

ローマクラブが『成長の限界』を発表したのはいまから28年前のことです。それまで私たちは、科学技術の進歩に期待し、それが未来をより豊かにするとの楽天的イメージを描き、根拠のない安心感を抱いていました。このレポートは、それが間違いであることを衝撃的に示したものでした。私は、当時、これを手にして、ガツンと頭を殴られた思いを致しました。その後遺症で、政治の道を歩み出したと言ってもよいくらいです。

一体、私たちは、ローマクラブの警鐘をどれだけ学んだのでしょうか。地球温暖化が進行し、東京の年間平均気温は過去100年間で3.8度も上昇しています。このままでは、80年後には海面の上昇によって日本から砂浜が消えると言われています。

これからの政治は、その時々の問題に迅速に対処する能力とともに、50年、100年の単位で未来と地球を想像し、「いま何を為すべきなのか」を投げかけ、自問し、実践してゆくスケールの大きな政治であることが求められています。アメリカで、原発の建設が行われなくなり、ダムの撤去が実行されるようになったように、私たちは、50年後、100年後の日本を考え、いまから何をすべきなのか、何を止めるべきなのか真剣に考えて、行動することが必要です。

ペッチェイ氏は語りかけています。「自然が1cmの表土を造り出すのに100年から400年もの歳月が必要だ」と。子々孫々にこの緑豊かな地球を贈り届けるためにも、私たちは、歴史の単位でものを考え抜き、前進する知的政治を実現しなくてはならないのです。民主党は、そのために誕生した政党であり、まさに21世紀にふさわしい政党として立ち振る舞うのでなければなりません。


【世界の中の日本】

私は、機会があって米国留学の体験をしています。その留学中、アメリカから見た日本は思いの外、小さく見えました。

戦後日本は、歴史の反省の上に立って、身をかがめ目立たないように振る舞ってきました。それは確かに、二度と軍事的大国にはならないという強い信念と決意の現れでありました。日本は平和国家として自らを立たせようと努力してきたのです。

でも、どうでしょうか。腰を屈めているうちに、世界の嵐を避け、世界が必要とすることについて無関心を装う国民性を培ってしまったのではないでしょうか。自らを大きく見せることを回避するあまり、責任をとることも放棄してきた面が少なからずあったのではないかと私は思うのです。

アメリカ・スタンフォード大学で私が見た「小さな日本」とはその卑屈な姿であったように思えてなりません。

戦後日本は、一方で、国際社会が創り出してきた冷戦構造という名の「平和」の受益者として見事な経済復興を為し遂げました。自ら国際社会の紛争や様々な軋轢に触れることなく、もっぱらその平和の果実を手に、国造りを進めてきました。国としてリスクを負うことよりも、その恩恵をひたらすら受けてきたのです。

先進諸国では「豊かな社会」を達成したこの20世紀末の現在でも、世界にはいまだ貧困問題を抱えて、児童の健康維持すら困難な地域がたくさん残されています。あるいは、悲惨な民族紛争に巻き込まれて生活はおろか、生命の安全すら保障されない地域があります。こうした国々の状態を放置する国際社会を本物の「平和」と呼ぶことはできないと思います。

世界によって支えられてきた日本が、今度は、「世界の為に何ができるか」を真剣に考え行動するときを迎えています。日本人の言葉で言う「恩返し」のときだと思うのです。

私は、この国が好きです。日本人として国に誇りを持っています。だから、この国を世界にも誇ることのできる素晴らしい日本にしたいと考えます。このため、東チモールの平和と安全のためにもっとできることはないのか。朝鮮半島の取り組みにもっと力を貸すことはないのか。民族紛争のただ中で繰り返される残忍な行為を押しとどめることに自ら積極的に関与する勇気を持つべきではないか。

私・鳩山は、日本は国際社会でもっと大きな役割を果たして行くべきだと考えるのですが、いかがでしょうか。ODAについてもそのあり方をしっかり見直す必要があります。国連平和維持活動に対する役割もより確かなものにしていくべきです。憲法の問題を含めて、安全保障の論議を加速しようではありませんか。

私がアメリカ体験で知ったもう一つのことは、一人ひとりが個人として強い自立心を持っていることに加えて、誰もがコミュニテイを大切にする心を持ち、アメリカという国に対する愛国心を持ち合わせているということでした。丁度建国200年祭を祝うアメリカ人の熱い愛国心に触れたということもありましたが、国を想い、地域社会を大切に想うこの精神は、自由な個人が孤立しないための巧妙な装置ともなっていたように思います。

私は、偏狭なナショナリズムを好むものではありません。しかし、自分たちが住み生活しているこの国を愛する気持ちを日本人が欠いていることは決して人間の幸福につながるものではないとの想いを抱いています。

バラバラな砂のような個人の寄せ集めでは社会は成り立たないのです。そうした社会は、自分さえよければ社会のことや不正な事実に対して無関心でよいとの「モラルなき個人」をつくり出してしまいます。そうではなく、この国を誇りに思い、日本という社会を大事に思う心を培う政治が必要なのだと思います。

私が、対米依存を強めて、自立外交の道を閉ざし続ける日本の政治の現実を厳しく批判しているのも、こうした観点からです。他国の軍隊が未来永劫の如く駐留し、自国の安全を他国に依存し続ける社会に、健全な愛国心も筋の通った外交も生まれないのは当然です。そんな国が世界から信頼されるはずもないのです。

ヨーロッパでは、EU独自の軍事力と安全保障システムを確立しようと努力をしています。アジア地域においても、アセアン地域フォーラムを中心に、自分たちの力で、共通の安全保障環境を整備しようと挑戦しています。朝鮮半島では南北両国が平和の構築にチャレンジしています。

この国には、そうした努力を正面から大切にする気概が欠けているのではないかと私は思うのです。まず、自らの手と足で、国を支える。そんな自立の精神に支えられた国造りをいまから始めていくべきだと考えます。

明治の日本は、陸奥宗光による治外法権の撤廃、小村寿太郎による関税自主権の確立など、当時の国際環境にあって、信じられないほどのエネルギーを費やして国の自立を勝ち取った歴史を遺しています。100年後のいま、私たちには、沖縄米軍基地の縮小、自前の外交戦略の確立、それらに伴う日米地位協定の見直しなど、「平成の条約改正」に挑戦する気概と行動力が求められているのではないでしょうか。


【新しい統治のあり方を模索する】

北海道の知床半島に向かうところに、置戸町という町があります。人口4300人のこの町は、カラマツなどを素材にしたクラフトでまち興しをしている小さな町ですが、一人当たりの図書利用で全国一を続けてきた図書館運動の町でもあります。

ところが、町の図書館は痛んだままになっている。住民の多くが図書館の建て直しを求めているのに、なかなか建てられない。まち興しのリーダーIさんに尋ねてみると、補助金がつかないからだというのです。ガット対策の温泉整備には補助金がついたものの、町中が欲している図書館には補助金がつかないので、結局、後回しにされてしまうというのです。

国がたくさんの税金を集めて、族議員を中心に全国にカネをばらまくという補助金依存の仕組みを変えない限り、真の地方自治もまち興しも育ちません。地域のためにチャレンジしようとする心さえやがて萎えてしまいかねない状態です。私は、切々と語るIさんの表情に悔しさと悲しみが同時に現れるのを見たような気がしました。

高知県では、橋本大二郎知事が率先して、一定規模以上の事業については住民参加を義務づける条例を準備しているとのことです。それでも、この中央集権が続く限り、「地域のことは地域に住む人たちが決定する」という社会は実現しないだろうと思います。

地域には、いま、様々な立場の人たちが、街づくりや村おこしに精を出しています。自分たちの町は自分たちの手で育てたいと考えチャレンジする人たちがいっぱいいます。民主党は、地方分権、分権改革を掲げていますが、これをスローガンに終わらせることは許されないのです。それは、こうした自立しようとする人々へ具体的回答として真撃に取り組まれなければならないのです。分権のための改革を遅らせることは、地域に根付いた民主主義の芽を摘むことにも等しいのです。

私たちは、分権改革と地方自治の党としての旗印をさらに高く掲げて前進する責務を負っています。


【民主党は「新しい政党」として脱皮する】

以上の課題にチャレンジしていくために、私たちは何から手をつけていくべきでありましょうか。私は、共和党政権を倒してクリントンの新民主党を生み出したアメリカの経験、ブレアのニュー・レイバーを創りだしたイギリスの経験に謙虚な目を向けるべきだと考えています。クリントンも、ブレアも、共に、自ら党の旧い体質と戦いました。

クリントンは、民主党の全国指導者会議に結集する友人たちと手を組んで、モラルや責任について暖昧な態度をとり続ける民主党のリベラル派と対峙し、規律とモラルを重んじるニュー・デモクラシーの旗を掲げて党改革に乗り出しています。むろん、保護主義的体質にもメスを入れ、自らの政治手腕を通じて北米自由貿易協定を実現させています。

ブレアの場合は、もっと厳しい党内政治を強いられています。労働党の過剰な組合依存から脱皮すべく党綱領の改革に着手し、労働党を国民政党として生まれ変わらせたのです。そして、ブレアもまた、保護主義と対決して、EUと協調する新しいイギリスの道を目指したのです。

私は、私たちの民主党が可能性に満ちた党であることに強い誇りと自負心を抱いていますが、いまだ形成途上の政党であることも承知しているつもりです。私たちの中にはまだ旧党の体質が根深く残っています。私たち民主党は、さらに国民政党としての資質を磨かなくてはなりません。

心の底から政権を実現しようと熱望する強い野心も必要です。野党としての気楽さに、批判政党としての居心地の良さに甘えているところはないか、常に自問し、自戒しています。21世紀の日本を大切にする気概があるのなら、民主党政権の実現は私たち一人ひとりにとっても必死の課題でなければならないと思います。

日本という国や社会を強く愛する熱い心とともに、旧い世界を改革するために身を捨てる覚悟が同時に必要なのです。

でも、皆さん。私たちはいま、私たちの仲間の議員の逮捕という汚点に直面しています。国民の信頼を一気に失う大失態をしてしまいました。この党は常にクリーンでなければなりません。そのために、私は一からの出直しをしたいと思います。次回の臨時国会では、より厳格なあっせん利得収賄処罰法を成立させなければなりません。

来年夏には、第19回参議院選挙があります。この選挙で自公保連立の過半数割れを達成し、旧体制に固執する政府を退陣させて、解散総選挙に追い込んでいく仕事があります。もう、これ以上彼らに政府を委ねることは国民の不幸であり、私たちの責任放棄にもつながるものです。

民主党政権の実現を改めて呼びかけ、私の決意といたします。


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