1980年  いまこそ社会民主主義勢力の結集を

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日本における新しい社会民主主義を創造しよう
政策委員長  安 東 仁兵衛

 去る一月十日、社会党と公明党間の「連合政権」協議は遂に合意に達した。われわれはこの両党合意を双手をあげて歓迎する。われわれは、今回の両党合意がさきに結ばれている公明・民社両党の政権構想とリンクされ、新しい社公民路線の形成・定着へと発展してゆくことを心から願うものである。

 今回の社会党の路線転換は、なお幾多の問題点を残しているとはいえ、この党が初めて政権獲得への意欲を示し、「共産党はこの政権協議の対象にしない」ことを明記した点で画期的である。この点で西ドイツ社会民主党のゴーデスベルク綱領採択に匹敵するとの指摘もあながち誇張とはいえないだろう。

 なぜなら、この合意の実現を期するためには、社会党はその名称はともかく、戦後三十年以上、同党がいだいてきた路線とは明らかに異なった路線、本格的な社会民主主義党へと脱皮・飛躍せざるをえないからである。

 以下に、社公合意についての評価と今後の問題点について私見をのべてみたい。


 「公民合意」の意義
 「社公合意」の評価に入る前に、その前段の状況をふりかえってみよう。

 周知のように、昨秋の総選挙における自民党の敗北と、ひきつづき起こった党を二分するような抗争を目のあたりにして、野党側は政権担当の意志と能力を問われる特殊な状況に直面していた。だが、この課題に最初に応えたのは公明・民社党であった。十二月六日には早くも「中道連合政権構想」で両党は合意に達した。

 この両党合意の意義は次の点にあった。

 第一に、野党が初めて政権構想についてリアルで責任ある構想と基本政策を提出したことであろう。もちろん公明・民社両党の勢力だけでは政権を獲得できるはずもなく、数の上でのリアリティを欠く。他面で、この構想は保守・中道路線を明確に拒否しているわけでもない。にもかかわらず、中道勢力が目に見える政権構想と路線を提示したことの意義は大きい。

 第二に、この両党合意は社会党に政権に関する態度決定を否応なく迫ったことである。社会党が不毛な社共路線ないし全野党路線にとどまって万年野党の地位に甘んじるのか、それとも政権獲得への意欲を示し、わが国の議会制民主主義に活力を導入する主体的党となりうるかという選択を迫ることになった。

 こうして公明・民社両党のイニシアティブが、野党側の政権協議をめぐる動向に導火線の役割を果たし、状況を流動化させる刺激剤となったことは否定できない。

 初めてリアルな政権構想
 このよう前哨戦に刺激され、支援されつつ、社会・公明両党間の政権協議は次第に加速化され、遂に今回の合意に達した。もちろんこの過程では、いち早く社公中軸をうち出した総評からの圧力、参議院選挙協力を実現しなくては衰退の歯止めがかからないという社会党側の思惑もからんでいたであろう。だが、にもかかわらず、諸障害をのりこえて両党の合意に漕ぎつけたことの意義ははかり知れない。

 まず第一に、今回の合意は、社会・公明両党が初めて自民党単独政権に代わる政権構想を示すことによって、国民に新しい選択肢を提出したことである。

 「五五年体制」の崩壊が語られながらも、この過程でつくられるべき新しい政権のイメージは一度も提起されてこなかったし、この大部分の責任は、いたずらに全野党路線に固執してきた野党第一党の社会党にあった。社会党が政権への意欲を示し、共産党を除外した責任ある政権構想をうち出すとき、始めて政権交代は現実性をもつ。今回の社公合意はこれに応えたというべきであろう。

 いまや変動の季節へ
 第二に、合意された政策の基本、政策大綱は、その骨格・枠組みにおいて基本的に支持できる妥当な内容である。

 安保、自衛隊に関する合意は、内外の情勢を激変させないという現実的判断に立っており、漸進的改革の対象とされている。原発については改めて協議されることになった。原発問題は現在一般に考えられているよりは深刻な難題を孕んでいるが、当面の処理としては止むをえないであろう。

 ともあれ、連合政権に関する社公合意の成立によって、政局はにわかに活気を帯びることになるであろうし、変動の季節が到来したと判断できる。この変動期に当たり、惰性的思考から脱却し、その路線、体質を抜本的に改革することを迫られているのは、いうまでもなく社会党である。

 いまこそ基本姿勢の転換を
 社会党に問われている第一の課題は、党の基本姿勢の転換である。

 これまでの社会党は、率直にいって政権政党になるという発想はほとんどなかった。政権は、攻撃し批判する対象ではあっても、自らそれを獲得し担当するものとはみなされていなかった。いわば政権アレルギーともいえる体質がこの党を支配し、権力から遠のくことによって自己の革新性を誇示するという伝統をつくりだしてきた。結局のところ、マルクス・レーニン主義における革命イメージから基本的には脱け出していなかったのである。

 だが、政権を獲得し、それを担当するという意志と能力をもたない党は、怠惰であるだけではなく、無責任な党といわなくてはなるまい。議会制民主主義は政権交代の可能性によってその生きた生命力を保つのであり、その可能性を自ら否定する時、この党は議会制民主主義の空洞化に加担しているというべきであろう。なぜなら国民は政党と諸党の連合を窓口にしてのみ政権をみるのであり、政府を選択する。代議制体ではそれ以外の政治変革は許されないからである。

 こうして、政権−政党−主権者がつくりだす議会制民主主義のメカニズムのなかに活動する党は、たえざる緊張感につつまれ、政権への肉迫を決意しなくてはならない。これこそ立党の基本的精神であり、使命であろう。

 「五五年体制」の長期・固定化はこうした使命感の欠落によってもたらされた産物である。そしてその責任の大部分は、最大の野党、社会党にあったといって決して過言ではない。こうしてわが国における議会制民主主義の未成熟は、なによりもこの党の怠惰によってもたらされたといえよう。

 だが、いまや社会党は、社公合意によって政権担当への意欲と姿勢を初めて選択した。党の基本的姿勢を政権党へ脱皮することに定めたのである。この転換への決意を後退させることなく、拡大させ定着させてゆけるかどうかは、社会党の体質改革にとどまらず、わが国の議会制民主主義の拡大・成熟の可否へと連動してゆくであろう。

 路線転換は避けられない
 第二の課題は政治路線の転換である。

 ここでの基本問題は、社会党がマルクス・レーニン主義をはっきりと拒否することである。全野党路線といい、革新統一戦線といい、これらの路線の中核にある変革論はマルクス・レーニン主義的な「革命論」の肯定である。いいかえるならば、固有の階級国家論によって、三権分立とりわけ議会制民主主義を相対化し、究極的にはプロレタリア独裁による社会主義国家を指向することにつきる。たとえ平和移行により、議会内で多数派となって政権をとった場合でも、この基本命題には変わりはない。

 マルクス・レーニン主義には、議会制民主主義が人類のつくりだした最高の政治制度であり、テロや暴力革命という社会的紛争解決策に頼る非文明的な争いを制御する英知の創りだした産物であるという“議会主義の肯定”がないのである。したがって議会制民主主義は利用の対象とはするが、そのルールの尊重は別次元のこととなる。マルクス・レーニン主義的革命の肯定は、さまざまな弁明にもかかわらず、結局は議会主義の否定と同義というべきであろう。

 社会党はいま、この革命論との訣別を迫られている。それはいいかえるならば、全野党論の否定を迫られているともいえよう。およそ政権構想を問題とするとき、全野党論とは、共産党をも政権のパートナーに含めるという主張であることは自明である。それは院外の大衆運動で全野党が協力するとか、院内にあって全野党が予算案に反対するという次元の問題とは異なる。

 政権担当とは国家権力の執行権の掌握であり、法の支配と議会制民主主義を基軸にした国民の利害の調整を担わされる。この政権担当者にそもそも議会制民主主義となじまない全体主義政党を加えることは、責任ある政権論とはいえない。

 憲法以上に党綱領への忠誠を誓い、法律よりも党規約へ忠実たろうとする政党が政権についた場合、とるべき行動様式がいかなるものとなるか予測しなくてはなるまい。「唯一の、究極の真理を告げる」マルクス・レーニン主義を、ただ一つわが党のみが体現するという体質(いわゆる唯一前衛論)の党は、多元的な価値と政策を競い合う議会制民主主義とはなじまない。政権内部での他党との重要政策の調整においても、たえず党の命令に忠実たろうとするであろう。

 このことは政権の執行力が不安定化し、議会制民主主義も常に崩壊の危機にさらされ、国民に安定した政治の改革を約束できないことを意味する。迅速を要する政策決定も無用に延期され、政策調整のメカニズムは狂わされることになろう。それはなによりも国民に対する責任を欠いた政治を招来する。

 この点では、われわれは欧米の議会主義から教訓を学ぶ必要があるだろう。イギリス労働党が党の機関とは別に議会労働党を相対的に自立させ、議員が議会制民主主義のルールの擁護者となることを保証しているのも、政党のエゴイズムから議会を守ろうという配慮に他ならない。さらに労働党が政権についた場合には、規約によって執行部は重要政策について政府代表と協議しなくてはならないとされている。

 また西ドイツ各党の院内総務に特殊な強い権限をもたせてあるのも、政府と議会に対し、スムーズでかつ迅速な調整を保証するという党の責任を自覚してのことであろう。あくまでも議会制民主主義が共通のルールであり、共通の了解事項なのである。

 日共は社民主要打撃論へ
 ここで最近の日本共産党の路線転換に一言ふれておきたい。昨年十一月に開かれたこの党の中央委総会は、われわれの危惧をさらに深めさせる。いまや日共は、実質的に社共統一戦線すら放棄し、六全協以前の社会党主要打撃論・日共独自路線へ転換したとみられるからである。

 その決議によれば、日共が社会党より強化され、議員数も社党を上まわる段階ではじめて統一戦線ができるという発想が採択されたのである。統一労組懇談会の発足もこうした路線転換に見合うものである。日共はいよいよ社会党を批判し、ゆさぶり、その勢力縮小の延長線上に自己の増殖をはかってゆく道を歩みだしたといえよう。全野党路線はいよいよ非現実的なものとなろうとしている。

 こうした状況の下での社会党の路線転換であるゆえに、この党は転換に応じた理論的・思想的武装を急ぎ、かつつよめなくては、左右からの攻勢に耐え切れなくなろう。いまこそ社会党指導部のり−ダーシップを強化すべきときなのである。

 社会主義理念の展開を
 社会党に課せられた第三の課題は、この党が主体的に政治展望を提起することである。

 それはマルクス・レーニン主義とは根本的に異なった、独自の社会民主主義の理念に基づく政治路線を構築することである。わが国におけるゴーデスペルク綱領をつくらなくてはならないということである。

 この場合最も注意しなくてはならないことは、社会主義とはなによりも理念であり運動であるという視点であろう。社会主義をこうとらえるとき、わが国における社会主義は、この国の民族的土壌と歴史的条件を母体として展開される理念実現の運動に他ならない。

 社会主義の理念の基本は、「自由」「公正」「連帯」であろう。この基本理念に照らして世界の社会主義を見るときどうであろうか。既成社会主義国は、生産手段の国有化という変革を達成したが、これが社会主義の基本理念の実現とは全く異質のものとなっていることは、今日、ほぼ明らかであろう。なによりも「自由」を圧殺することにより、社会主義の最も重要な理念の一つを否定したからである。

 われわれはこれまで、余りにもロシア革命に始まる偏った社会主義のなかに正統性を発見しようとしすぎていたといえよう。社会党が長年陥っていた陥穽もここにある。

 だがしかし、世界の社会主義運動を既成の色メガネをはずして直視するとき、そこには新しい地平が開けてくる。北ヨーロッパや中部ヨーロッパには社会主義が着実に展開し、定着しつつあるからだ。それは議会制民主主義を守りつつ、いやその重要な担い手となって、「自由」を擁護しながら同時に「公正」と「連帯」の理念を実現しようという均衡を失わない=社会主義である。

 これらの国の社会主義は大別して三つの展開領域をもっている。

 第一は、議会制民主主義の拡大・深化による民主的政治制度を定着させ、人びとの政治的「自由」を保証していることである。

 第二は、社会保障、社会福祉を制度的にも拡大し、社会的「公正」を実現しようとしていることである。さらに「公正」を保証する他の手段として、資本の活動に一定の「制御」を加え、その無政府的活動をチェックしていることだ。

 第三は、市場メカニズムのメリットを活用して資本の活動を活き活きしたものとさせており、機械的公有化による経済活動の非効率化を防いでいることである。さらに西ドイツに典型的にみられるように、「共同決定」法を制定し、企業の決定過程への労働者の参加により、生産の社会化が現実のものとなりつつある。そこでは生産手段の所有形態への関心よりも、その管理・運営といった機能面の社会化への関心が高い。

 こうしてヨーロッパ社会民主主義が到達しつつある地平は、既存社会主義国の「社会主義」よりははるかにその理念に忠実であり、より自由な社会主義的未来の可能性を持っている。発現の形態も現実的であり、かつまたモデレートな変革により達成されつつあるといえよう。しかもこれらの社会民主主義党の多くは、政権党へと成長しているのである。

 議会制民主主義に依拠し、社会主義理念の均衡ある定着、そして不断の革新を遂げる運動を志向しようとするならば、われわれの教訓とすべき社会主義は、明らかにヨーロッパ社会民主主義にあるというべきだろう。もちろん、これらの社会民主主義も、エコロジーとエコノミ−をどう調和させバランスを保つかという難問、生産と生活の質の変革、低成長下での公正の実現、さらには世界的貧困の解決等々難問を抱えており、新しい理論・政策創造への努力を迫られている。

 社・民の「歴史的和解」を
 ともあれ、社会党はいまやこの国に社会民主主義を定着させる歴史的課題を背負っているといってよい。そしてこのためには、社会党は社会民主主義という共通の路線を築くことによって民社党との歴史的和解を達成しなくてはならないであろう。そのためのイニシアティブは、まずなによりも社会党側から発揮されなくてはなるまい。この歴史的和解に成功するならば、連合政権はより安定したものとなり、一九八〇年代にわが国の議会制民主主義をより高度な状能へと成熟させえよう。

 この社会民主主義路線の構築は決して社会党だけの課題ではない。われわれ社会民主連合の課題でもある。いち早く社公民路線を提唱し、社会党の根本的刷新を最後まで追求した故江田三郎の悲願もここにあった。目前にダイナミックな変動が現出しつつあるいま、果たしてわれわれ自身、鋭敏に対応し、知的ヘゲモニーを発揮しえているであろうか。少数派としての焦りに走らず、また居直ることもなく、この変動と革新の過程に積極的に参加し、自らを投入しようではないか。


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