1979年 ’80参議院選挙〜ダブル選挙

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21世紀めざすわれわれのビジョン(第一次案)

 産業主義から脱却し「活力ある社会」の創造を!


  はじめに

 人類はいま、歴史的な転換期を経過しつつある。

 この転換は、十八世紀啓蒙時代以来の、あるいは産業革命以来の大転換に匹敵する歴史の結節点となろうとしている。

 人びとが求めつづけてきた豊かな社会と自由な社会への憧憬は、二度にわたる世界大戦、そして冷戦構造の時代を経て、人類に英知を与えた。戦争を賭してまでの諸国家の利益追求がいかなる犠牲と破滅を伴うかというおろかさを認識した各国は、経済的競争という手段へとその大筋を選んだ。

 だがこの道もまた、重大な制約をもち犠牲を伴うことを知り始めた。産業主義のあくなき追求は、資源・環境問題という地球的規模の制約に出会わざるを得なくなったからである。

 人類はいま、環境・資源・食糧・人口問題という難題を認識し始めたが、その解決形態を発見していない。だが、その解決を求めて、新しい世界のあり方、新しい世界秩序が求められていることを認識し始めている。

 21世紀へむけてのわれわれの希望はそこにある。

 われわれはいま、20世紀最後の二十年を目前にして、これまでの慣習化した思考の根本的転換を決意しなくてはならない。そして21世紀へむけての転換のプロセスを自らの力で創りだしてゆかなくてはならない。ナショナリズムを背骨とする外交のあり方、経済成長についての楽観的思考の反省、巨大科学技術への過大な信頼への自省、そしてこれらを前提にしてつくられてきた産業主義(政治・文化・教育に至るまでを産業主義的諸価値に従属させてしまった)の行動様式全般への批判的再検討を始めなくてはならない。

 21世紀へむけてのわれわれのビジョンづくりは、既成の尺度をもって、目に見える絵をただちに描くことから出発すべきではあるまい。これまで無批判に用いてきた思考方法、概念装置、そして政治哲学に至るまでを、根本的に改革する作業から出発すベきであろう。

 キャンバスは用意されている。だが、新しい絵筆、絵具、そしてそれを駆使する人間の内部改革はこれからである。

 われわれは人類が真の英知を身につけ、地球的規模で生きのびる共同の作業に、日本もまた積極的に参加し、人類史への寄与を後世に誇れるよう、21世紀へのビジョンづくりを提唱する。これこそ20世紀最後の二十年を生きる政治家に課せられた課題であり、政治的リーダーシップの確立はそこから始まる。

  21世紀への国際環境と日本の進路

 世界の大局的流れは、古い冷戦の構造が崩壊・解体されて、21世紀へむけて新しい国際秩序形成の過渡期にある。

 中ソ対立、中越対立などの新たな緊張要因、第三世界内部の種族的、宗教的、国家的対立の発生など、新しい秩序形成の障害要因も根強く存在はする。しかし世界の大勢は、冷戦からデタントヘ、そして21世紀にむけて相互依存、相互協力関係をますます強め、ゆっくりだがしかし確実に、一つの世界にむかって動きつつある。

 いわゆる宇宙船地球号的世界は、国際政治の中心的問題を、軍事に代わって、貿易、通貨、エネルギー、食糧、環境、海の利用、人権、福祉など、経済的社会的分野における相互依存の問題に移しかえつつあるからだ。

 こうした時代においては、一国の安全保障についても新しい観点を必要としている。もはや軍事的衝突の防止だけでは十分でなく、むしろ非軍事的レベルの諸国民間の、とりわけ近隣諸国との経済的利益の調和、人権問題、富の公正な分配による平和な環境維持という、経済的、社会的保障が不可欠である。

 それはまた、自国の安全保障をもっぱら軍事的抑止力や軍事的防衛に依存する思想から脱却し、広い経済的・社会的分野における不断の平和外交政策の展開と、平和創出国家としての威信によって保障するという、新しい外交原理の創出の必要を意味している。

 とくに日本は、もともと外交政策の手段として武力にたよることを放棄している。それは憲法の規定であるばかりでなく、国民感情と日本のおかれた政治的、経済的、地理的な現実に根ざした賢明な選択である。日本は資源小国であり、石油をはじめ食糧その他、資源の大部分を海外からの供給に頼っている。したがって、円滑な貿易が一日でも絶たれれば国の存立は不可能となる。

 また、人口密集と緻密精巧な大都市構造は、瞬時も戦争に堪えられない。逆に、海にかこまれている日本は、自ら危険な戦争ゲームに参加しない限り、海をこえて侵略を受ける可能性をほとんど発見できない。

 日本は戦争の論理によってではなく、平和の論理によってしか生きていけない。日本の安全保障の最良の方法は、不断の緊張緩和政策によって、日本をとりまく国際環境を平和に保っていくことであり、同時に、すべての国との経済的、社会的協力と平和外交の展開とによって、平和創出国家としての威信を高めていく以外にない。

 ジュネーブが国際都市といわれるように、平和と人道のために多くの国際協力機関と国際会議に場を提供しているスイスの例や、世界平和や対外援助、世界環境問題でつねに先導的役割を果たしているスウェーデンのあり方は、日本が見ならうべき模範といえよう。

 とくに、世界がますます「一つの世界」に向かって動きつつある現在、資源、環境、人権、南北問題などをめぐる世界各国およびトランスナショナル(非政府)な各種の交流が、世界の緊張緩和と共存に果たしている役割を重視しなければならない。

 たとえば、ここ数年、世界環境会議、国際海洋会議、国際婦人年、国際児童年、世界軍縮会議、ハビダット国際居住会議、食糧会議、人口会議、水会議、難民会議等、国連を基軸に、政府ならびに非政府レベルでの国際活動が活発に展開されている。

 これらの世界の協力と交流の場に日本が積極的に参加し、その経済大国の力を活用して主導的役割を果たし、世界の平和と新しい国際協力の発展のために貢献すること、それこそが八〇年代から21世紀に向けての日本安全保障のための真の課題といってよいだろう。またそれこそが真の意味での安全のためのコストの支払いといえよう。

 もちろん、われわれは、現在でもなお、現実の国際関係が力の均衡や諸国家間のパワー・ポリティックスのかけひきに依存している部分が多いこと、平和の創造になじまない紛争地域もなお根強く残っていることを否定しない。

 また国民の間には、他国の善意だけにたよるわけにはいかないという、他国からの脅威を心配する素朴な声もある。われわれは、国民の生存の保障につながる問題の現実的処理にあたっては、このような観点や国民感情を十分に考慮しなければならない。

 しかし他面では、国際政治の新しい変動は、そうした古い構造や要因を自壊させる方向に確実に動いていることも直視しなければならない。したがって、おそらくは、われわれがとるべき現実の外交政策の展開も、現実を一歩ずつ、あるべき国際秩序に近づけ、変えていくことである。

 以上のような基本的な外交、防衛の考え方に立って、具体的ないくつかの外交政策についていえば、まず、安保条約は冷戦時代が日本に残した遺産であり、米ソ関係、米中関係が変化し、日中条約締結によって安保条約を生み出した条件に根本的な変化が生じているいま、当然それは廃棄すべき運命にある。

 しかしわれわれは、二十年前の選択がいかに受け入れがたいものであっても、二十年の間に、それが日米関係およびアジアをとりまく国際関係の一部を構成している事実を無視することはできない。したがって、性急にこれを廃棄することは、日米両国の友好関係はもとより、東アジアの環境の激変を招くという点でもとるべきではない。

 さしあたっては、安保条約の軍事的機能を空洞化して、「名存実亡」化すること、日米平和友好条約への切り替えのための米国との合意のための努力、アジアにおける唯一の冷戦型の対立を続けている朝鮮半島の緊張緩和等、日米安保からスムーズに離脱するための環境づくりこそ、現在のわれわれの任務であろう。

 われわれの自衛隊に対する基本的な考え方は、第一に、攻撃用の爆撃機、ミサイル、およびそれに類する重装備は絶対に持たない。第二に、国内戦争用の戦車およびそれに類する装備も一切保有しない。しかし第三に、国境と領域がなくならない限り、警戒用の哨海、哨空、必要な海難救助等のための海空の装備は、それをシビリアン・コントロールの下に保持するということである。

 したがって、現在の自衛隊の段階的削減、縮小の方法も、この順序に従うのが妥当である。むろんその場合、国民のかなりの部分が自衛隊の保持を肯定しているという事実を尊重して、その削減縮小は、国民世論の推移と国民的合意のもとで、現状凍結→段階的縮小→国土警備隊への改組という手続きをふまなければならないことはいうまでもない。

 その他の重要な外交政策としては、非核外交、軍縮外交の積極的推進、四島返還による日ソ平和条約の締結、南の民主化、北との交流を軸とする朝鮮の統一、現地国民の立場に立った第三世界への援助等の問題があるが、とくに、さいきんの金大中事件やべトナム難民問題に関連して、人権外交の推進を訴えたい。

 日本外交の金大中事件にたいする対応は消極的ないし反動的であり、難民問題に対するその冷たさは日本外交の恥部でさえある。われわれは日本外交に欠落している人権問題への積極的な取り組みのために、さしあたって日本がまだ批准していないいくつかの国際的な人権規約を、すみやかに批准すべきことを要求する。

 すなわち、一九六六年の国連総会で決議された、「国際人権規約−経済的・社会的・及び文化的権利に関する国際規約」、同じく「市民的及び政治的権利に関する国際規約」、そしてすでに参加国が六十カ国を超えた「難民の地位に関する条約」などがそれである。

  転換の時代

1 21世紀へむけて
 一つの大きな転換の時代が始まっている。一九七〇年代は、その最初の十年であった。

 日本にとっては、それは、「明治百年」のつぎにつくられるべき「新しい百年」への模索の十年であった。

 一九七〇年代の「通貨危機」や「石油危機」は、日本の経済成長の「屈折」をもたらした。それは、日本の経済に生じた重要な変化である。しかし、そのこと自体は、より大きな意味をもった変化の一つの部分であり、一つの兆候であるにすぎない。日本の社会が直面している問題ははるかに大きく、その根ははるかに深い。

 政府も、企業も、その他の主体も、これまでのところ、表面にあらわれた一つ一つの課題への対応に追われているだけで、問題の本質をとらえきっていない。長期的な展望はあきらかにされず、系統的な取り組みも示されていない。そして、すべてが一九八〇年代に持ち越されようとしている。

 一九五〇年代と一九六〇年代の「高度成長」は、「明治百年」の工業的近代化のラストスパートであった。一九七〇年代の日本は、少なくとも人口一人あたりの生産・所得の水準をあらわす諸指標に関して、アメリカや西ヨーロッパ主要国とならぶ「先進国」の仲間入りをした。そして、まさにそのことによって、先進産業諸国に共通する基本的課題に直面するにいたったのである。

 一九七〇年代の「通貨危機」や「石油危機」は、日本の「高度成長」を終わらせるきっかけとなっただけでなく、他のすべての先進諸国にとっても、一九六〇年代の経済的繁栄を終わらせるきっかけとなった。

 一九六〇年代の繁栄は、第二次大戦後の民主的改革、福祉国家の形成、ケインズ的政策思想にもとづく完全雇用の追求などの社会的要因と、技術革新による新しい投資機会の増大に示された産業的要因によって実現された。同時に、それは、アメリカの主導力によって維持されてきた新しい国際通貨体制によって支えられ、また、低廉豊富な第一次的資源の供給によって保証されていた。

 一九七〇年代は、これらの条件が一変し、成長の持続が不可能とされるにいたった。

 アメリカも、西ヨーロッパも、全体としては、当面する経済上の困難への対処に追われ、生起しつつある事態の背後にある長期的課題への対応を示すにいたっていない。そのうえ、問題の性格と、選択されるべき政策についての見解の分裂と対立が、状況をいっそう複雑にしている。しかし、先進産業諸国が、いくつかの共通の問題に直面していることはあきらかである。

 第一は、資源・エネルギー・環境の制約の表面化によって、「成長の限界」に逢着しているということである。

 とくに深刻に考えるべきは「環境」の問題である。「かけがえのない地球」を守ることによって、人類の生存の安全をはからなければならないという切迫した課題こそが、工業的成長を優先した20世紀文明への反省を提起しているのである。

 第二は、「管理社会化」の克服という問題である。

 あまりにも細分化された労働、行政と企業の発達しすぎた官僚組織、効率と成長をめざす競争の圧力などによって生みだされた「人間疎外」の克服が課題とされているのである。

 経済のコントロールや福祉社会をめざす施策や、所得分配を調整する集団的交渉の方式さえも、全体として、社会的硬直化の要因となり、自由の基盤を浸蝕する作用を帯びていることは無視できない。そのため、「福祉国家を超えて」の発展が模索されなければならなくなっているのである。

 第三は、世界経済の急速な構造変化の問題である。

 資源保有諸国のナショナリズムと政治変動のもたらした衝撃に加えて、一部の急速に工業化しつつある新興諸国の経済成長にともなう国際分業の再編成が、先進諸国の経済の構造変動を強制する要因になっている。

 これまでの日本は、世界経済の構造変化の過程におけるもっとも能動的な要素の一つでありつづけ、先発諸国を追う立場にあったのであるが、これからは、日本もまた、よりおくれて工業化を開始した諸国からの衝撃を受けとめる立場に立たざるをえない。

 現在、北アメリカと西ヨーロッパにオセアニアの一部と日本を加えた諸国は、全世界の中では、高い生産力と自由主義的原則にもとづく民主性とを維持する先進的少数派を構成している。

 これらの諸国が、以上に述べたような諸課題との取り組みを通じて、ひきつづき「自由」な社会を守りつづけることができるかどうかは、人類の将来にとって大きな意味をもつであろう。

 これらの諸国が、国際的な協力を通じて、すでにあまりにも巨大な機構となっている経済の動きを適切にコントロールすることに成功し、自由主義的民主主義を前提しつつ、20世紀の工業文明のゆきすぎた展開に歯止めをかけることができるかどうかが問題なのである。

 21世紀へとむかうこれからの二十年間に、先進諸国民が協力して追求しなければならない目標は、もはや成長の加速ではありえず、むしろ成長の抑制である。

 いかにして、失業と貧困の時代への逆転の危険を回避しながら成長の抑制を実現していくか。いかにして、停滞と腐朽の兆候を克服して、社会の活力と個人の自由を保障しつつ、バランスのとれた安定した経済を実現していくか。それが問題である。

 現在の先進諸国のなかで、もっともおくれて工業的近代化への道に踏みだした日本は、いまなお、もっとも活力のある経済をもっている。

 いうまでもなく、日本がその潜在力を、これまでのような高い成長率を求めるようなパターンで、ひきつづき工業的成長とそれに付随する貿易の発展のためにもっぱら活用することは、内においては、資涼・環境の制約から繰り返し生ずる混乱を大きくし、外にたいしては、他の諸国との競争上の摩擦を強めることにならざるをえない。

 日本の経済と社会のもっている潜在力を、これまでの工業的成長のために、犠牲にされ、あとまわしにされてきた生活の諸側面の改善にこそふりむけ、バランスのとれた、人間味のあふれる、ゆたかな文化をもった、真に自由な社会を建設するために活用することが、当面の基本的な目標であるといえよう。

 「活力ある経済」から「活力ある社会」への転換を創造すること――それこそが、一九八〇年代の歴史的課題とされなければならない。

2 経済成長の長期戦略
 現実には、石油供給の制限とその価格の引きあげが、世界経済の発展を制約し、また、日本経済の成長を制約している。「成長の屈折」は、さしあたり、いわば、日本国民の主体的・能動的な選択によってではなく、資源ナショナリズムの台頭をきっかけとするエネルギー供給の制限という「外圧」によって生じている。

 しかし、当面の混乱を最小にするとともに、成長の減速によって生ずる困難を乗り越えるためには、経済成長についての長期的な展望をもち、資源・エネルギー・環境および雇用に関する長期的な戦略をもつことが必要である。

 すでにふれたように、われわれにとってより深刻な「制約」をなしているのは「環境」である。われわれは、環境の保全のために、より慎重かつ深刻な考慮の必要に直面しているという認識に立つがゆえに、エネルギー確保の見通しにおいてよりきびしい制約を前提せざるをえないのである。

 今日、原子力に関して提起されている深刻な疑問を無視して、エネルギー消費の拡大に対応する原発の拡大をつづけることは許されるべきではない。エネルギー消費の拡大をもたらす成長のあり方そのものが再検討されなければならない。

 しかし、長期的にみれば、太陽エネルギーの有効利用を中心として、環境保全と両立しうるクリーン・エネルギーの供給方法が確立され、われわれに自由を保障しているゆたかさをいちじるしくそこなうてとなく、安定した生活を維持していくことが可能になるであろう。そのためにこそ、多様な研究・開発の推進がはかられるべきである。

 一般的にいって、経済成長率の低下が、雇用問題を発生させることはいうまでもない。しかし、日本経済が直面すると予想される雇用問題は、極端に深刻なものではない。

 これからの二十〜三十年は、過去に比較すれば、労働力人口の増加率がいちじるしく低い水準に落ちつくことか予想される。雇用機会を保障するためにやみくもに成長を加速しなければならないと考えるのは適当でない。むしろ重要なことは、以下の二点である。

 第一は、人口構成の高齢化である。そのため、定年の延長(六十五歳定年制の実現)、高齢者の雇用の安定化(高齢者解雇防止法の制定などを含む)が課題となる。

 第二は、産業構造の変化による雇用の変動への対応である。技能を蓄積した中高年労働者の雇用の安定をはかる一方、職業上の転換の必要に直面した労働者にたいして、再教育および再就職のための助成せ強化しなければならない。とくに「中進国」の追い上げによる構造変化が不可避と予想されるだけに、こうした対応は不可欠である。

 これまでの日本は、重化学工業に主導される成長のなかで、輸出関連産業に傾斜した雇用構造をもっていた。今後も、一定の大きさの輸出を維持することが必要であるが、輸出産業のウエートは相対的に小さなもので足りるであろう。雇用の構造は不可避的に、サービス部門のウエートの大きいものにならざるをえない。それだけに、この部門における政策的な雇用創造と雇用誘導が重要な意味をもつと考えられる。

 「活力ある経済」から「活力ある社会」への転換のために、豊富な人材を、保健・医療、社会福祉、教育などの社会的サービスの領域において活用することは、雇用問題の観点からも有益である。それは、国民の潜在的な必要に対応しつつ、新しい大量の雇用機会を創造することになるからである。

 こうした発展を実現するためには、もちろん、福祉社会の建設をめざす積極的な戦略が必要であり、この観点から、行財政の改革と公共部門の役割の強化をはかることが必要である。

 これからの日本においては、個々の産業の「国際競争力」を強めるために政府が力を貸すというやり方に代わって、日本の経済と社会の、全体としての「変化への対応」の力量を高めていく方法を生みだしていくことが重要である。また、そのためにも、長期的な戦略を選択し、重点的な施策を確実に実践していくための、民主的な合意形成の方法を確立していくことが重要である。

 経済と社会の、全体としての「変化への対応」の力量を高めるためには、なによりも、過度に集権化された硬直的な政治・行政機構を打破し、分権化をはかり、地域の必要に対応する総合的な社会計画の推進を可能ならしめる新しいシステムをつくりあげていくことが必要である。

 過去において成長の加速に寄与したシステムは、そのままのかたちでは、転換の時代に有効性をもちえない。国民的目標そのものが大きく変化しつつある時代には、それを追求するシステムも変革されなければならない。

 経済変動と社会変動を制御し、所得分配の公正と資源配分の合理性を保証するために、またとくに、美しい環境と多様な文化的発展の可能性とをつくりだすために、新しい制度の体系の確立と新しい主体の形成が必要とされる。

 構造変化への適応力は、究極においては、個人のレベルにおける創造的適応の可能性を高めることによってのみ強化されうる。それは、広義の労働政策の問題であると同時に、教育政策の問題である。

 教育の内容とその担い手の多様化をはかり、適性によりよく対応した教育を選択する条件を確立するとともに、生涯のよりあとの段階における教育機会への接近を保障し、いわゆる「生涯教育」の可能性を拡大することがとくに重要である。

 労働生活の改善は、福祉社会への発展のための不可欠の要素である。「教育休暇」を含む余暇の拡大(労働時間の短縮)、安全・衛生問題の徹底的な見直し、危険作業や単調作業の克服、職場と企業における労働者参加の推進など、労働生活のあり方にかかわる一連の課題を追求することが必要である。

 このような「労働生活の人間化」をめざす社会的運動は、日本経済の直面する困難を理由として抑制されてはならない。反対に「労働生活の人間化」の努力こそが、内外両面において日本経済がかかえている不均衡化の危険を克服する基本的方法となるのである。


1979年

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