1978年

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結党直後(1978)

ダグラス・グラマン事件露呈

 結党後、中道の公明・民社との接触が増えていったが、それ以上に新自由クラブとの間がぐっと接近した。

 従来のイデオロギーによる分類でいうなら、自民党から出た新自由クラブと社会党から出た社民連は「保守と革新」、水と油であるが、別の物差しを使うなら、既成政党は「オールド」、新自クと社民連は「ニュー」 であった。ともに、五五年体制を打破して新しい政治をつくろうという目的も共通していたし、「政治浄化」 「軍縮・平和」というスローガンも一致した。また、田代表と新自クの河野代表が個人的に親しいこともあった。

 五月に、第一回めの中道四党首会談が開かれた。新自ク内には「新自クは野党とはいえ保守党である。中道政党ではない」という勢力もあったが、河野代表はあえて出席した。

 しかし、九月八日の中道四党首会談が「四党合同国対と来年の統一地方選に向けた四党選対の設置」を決定した時は、数日後、西岡幹事長がこれを否定するなど、新自ク内の複雑さを見せつける場面もあった。

 複雑といえば、自民党内も複雑だった。

 福田首相は、前任の三木首相が閣内でも少数派であったのとは異なり、安定した立場にあった。もう一人の総裁候補だった大平正芳が幹事長として協力を惜しまない姿も、外目には福田政権の安定を印象づけていた。ところが、秋頃から一転して福田と大平の関係は悪化し、自民党内は「総裁公選」で火事場のような騒ぎとなった。

 この総裁公選というのは、三木前首相が退陣にあたって、「諸悪の根源は現行の総裁公選のやり方にある。各地の全党員による予備選挙と、その結果に基づく上位候補者の両院議員による本選挙の二段階方式にせよ」と提案したものである。三木は金権選挙を封じるために、この「全党員投票」を提案したのであった。

 ところが実施されてみると、党員になるには二千円の会費を納入すればよかったから、会費を立て替えてにわか党員を増やす方法がまかり通り、三木の意図に反して、形を変えた金権選挙が全国的に拡大してしまった。

 福田首相は自らを“世界のフクダ”と称して自信満々、勝利を信じ切っていた。だから「予備選は天の声。二位になった者は、本選挙への出馬は辞退すべきである」とぶち上げた。

 ところが蓋を開けてみると、田中角栄に後押しされた大平が各地で福田を圧倒し、大平、福田、中曽根、河本の順になった。

 福田は「予備選は天の声」という自らの名科白に縛られることになり、「天の声にも変な声がある」と言って本選出馬を辞退。

 十二月一日、自民党臨時大会で大平正芳は自民党総裁に選出された。

 大平内閣が発足して間もなく、ダグラス・グラマン事件がアメリカ証券取引委員会によって明るみに出た。

 楢崎弥之助は即座に、事件の中心人物は岸信介と松野頼三、舞台のステップはロッキード事件同様ハワイ会談、現物としては「海部メモ」であると指摘した。「海部メモ」がまだ世の中に出ていない段階である。

 楢崎には過去十年間にわたる調査蓄積があった。しかしロッキード事件の時と異なり、衆参それぞれ三議席の小党・社民連に属する楢崎には質問の場が制限されていた。予算委員会にも航空機購入調査特別委員会にも席はなかった。

 「このような国家的大犯罪を暴くのに、なぜ発言の機会を与えてくれないのか。こんな時こそ、みんなの力、英智、調査蓄積を大結集してこそ国民全体の負託と期待にこたえる道ではないか」という楢崎の憤りは、そのまま社民連全体の怒りであった。

 検察による事件捜査終結の前日、楢崎は緊急記者会見を行い、「事件捜査終結段階における見解」を次のように表明した。

一、今回のダグラス・グラマン事件は、先のロッキード事件と同根の日米安保を背景とする体制的疑獄であり、ともに政権内部の構造汚職である。

 しかし伝えられる終結は、ロッキード事件が軍用機P3Cを打切って民間機トライスターを軸とする全日空・丸紅事件にわい小化されたように今度も日商社内の経理不正操作事件にすり変えられ、軍用機E2C、RF4E、F15等に関する疑惑は闇の中に葬られるということである。

 これではわれわれがひそかに危惧した予測の通りになったというほかない。

二、ダグラス・グラマン事件はロッキード事件に比べ、SEC資料など米側資料の内容の乏しさ、事件の中心人物であった島田日商常務の自殺など不利な条件の下における捜査を強いられた検察当局の解明に対して一応の評価はすべきであろうが、それでもなお司法当局に対する失望と不満を禁じえない。

(イ)「時効の壁」は検察当局自身の怠慢によるものではないのか。
 十年前の第二次FX選定の時にすでに「海部メモ」を含め選定にまつわる幾多の疑惑は国会の内外で提起されていた。その時点でもし国会が真面目に取上げ、検察当局が内偵等をすすめていたならば、今回程度の解明はその時点でも当然可能であった筈だし、時効の問題はおこりえなかったのである。検察当局に任務の怠慢はなかったといいうるであろうか。

(ロ)構造汚職における「職務権限」を限定しすぎているのではないか。
 構造汚職における職務権限の構造性、即ち機種選定、採用決定の政権内部構造―メカニズムを明らかにし、そのメカニズムの過程において一定の影響力を及ぼしうるものは職務権限ありとの広義の解釈をとらない限り構造汚職の犯罪性は解明できないのではないか。

(ハ)「政治献金」のワイロ性追及にとっても構造汚職における職務権限のメカニズム解明が必須条件ではないか。

(ニ)「灰色高官」問題について、司法当局は国会の国政調査権に協力すべきではないか。
 検察当局の強制捜査権と立法府の国際調査権は事件解明及び再発防止のための車の両輪の筈である。司法当局は議院証言法など立法府の国政調査権による告発を突破口として犯罪立件に最大限の活用をした。しかし司法当局の方は事件解明のために国政調査権にどれほどの協力をしたであろうか。むしろ「捜査中」という口実が国政調査権にとって大きな壁となったことは否みがたい。「刑訴法第四七条但し書」は司法当局が立法府に協力しうる数少ない法的根拠であり、同法但し書による司法当局の協力は政治家の政治的、道義的責任解明に不可欠の要件である。

 この際、司法当局はロッキード事件のときと同様の協力をしなければ衡平を欠く事にならないか。

(ホ)今回のダグラス・グラマン事件の核であるE2C疑惑が解明されないのは、ロッキード事件でP3C疑惑解明を打切ったことによるのではないか。問題の核心はそこにある。

 第二次FX選定に絡んで政府高宮に流れた金が経過的にみても(たとえ時効にかかっていても)、また当該高宮の影響力からみてもF15及びF2C採用決定に全然影響または関係がなかったとは到底考えられないのである。ハリー・カーン・日商密約による政治家への成功報酬の可能性(E2C)、一人の政府高宮の示唆によるE2C代理店の三井物産から日商への急激変更などダグラス・グラマン事件の最大の山はAEW−E2Cであった筈である。そ れらの問題は一体どう解明されたのか。

 PXL(P3C)とAEW(E2C)は過去の政府当局の選定過程をみても絶えずワン・セットであった。これは日米共同作戦上当然の帰結である。ハワイ会談はじめ一連の日米交渉過程でE2Cが話題になってワン・セットであるP3Cが問題にされない筈はない。しかし奇妙なことにロッキード事件ではすでにP3C疑惑は打切られてしまっている。今更E2Cだけの疑惑をとりあげれば、P3C疑惑をすでに打切った検察当局の責任があらためて 問題となるであろう。検察当局は今更E2C疑惑を取上げることはできないであろうし、E2Cを通り越してF15を問題にすることも勿論できないであろう。これがわれわれの推理であるし、ひそかに危惧した予測の内容である。司法当局はこの疑惑に納得できる回答を用意すべきである。

三、国会における今後の解明について

 国会は犯人探しの場ではない。国会は時効や職務権限の有無は関係ないのである。

(イ)事件の構造性−メカニズムを徹底的に究明すべきである。
 機種選定、採用決定の政権内部におけるメカニズムを徹底的に暴くことによって構造汚職における職務権限のあり方を洗い直し、そのメカニズムに介在した政治家の政治的、道義的責任を明確にしなければならない。

(ロ)再発防止装置の策定を緊急に行わなければならない。
 ロッキード事件発覚後、僅か三年を経ない今日、また同様の事件が発覚した。この三年間、国会は再発防止についてどれほどの努力をしたであろうか、国会の怠慢についてわれわれは重大な反省を要する。

 再発防止のためには、政官財、政産軍の癒着体制を解体し、政治に金がかからない方向へ制度の抜本改革を行うことを基本にし、「時効」の延長、「職務権限」の見直し、「政治資金規制法」の強化、「公選法」の改正、「議院証言法」の強化、「情報自由化」の法的措置、懲罰委員会の倫理委員会への改組、企業の経理公開、米国SECに匹敵するような行政機関の設置、又は会計検査院の権限拡大、強化、「国政調査権」の強化など一連の再発防止装置の策定について国会は緊急かつ真剣に取組み、国民の負託.にこたえねばならない。


1978年

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