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バブル崩壊後の日本経済    菅 直人


《 バブルの発生と崩壊 》

 バブルの発生

 「バブル」と呼ばれた土地と株の異常な高騰は、一九八五年から九〇年にかけて発生した。その原因として、金融超緩和、そして東京の一極集中の激化によるオフィス需要などが挙げられる。別の角度から見れば、バブルの発生は金融緩和を背景に土地と株を材料としたマネーゲームの結果であったといえよう。

 このようなバブルの背景には、戦後長年培われてきた“土地神話”があった。つまり、土地は銀行金利よりも高い割合で値上がりし続けるという神話が、戦後四〇年、大都市では実話として定着したのである。このため、一九八五年頃から東京都心のオフィスの逼迫感から始まった土地の高騰は、都心から周辺に、そして全国へと拡大し、わずか四〜五年の間に大都市の地価は三倍にも暴騰した。

 株価の異常暴騰も、この土地高騰によって演出された。本来、株価はその企業の収益性と将来性、つまり成長力によって評価されるのが原則であった。しかし土地神話のわが国では、その企業が所有する土地資産に着目し、その含み益、つまり値上がりによる利益を株価に反映させることが流行となった。一株あたりの資産という考え方である。

 この考え方によれば、昔から大きな土地を保有している企業では本業の収益はゼロでも、土地の値上がりによって一株あたりの資産が増大することになるので、株価はそれに従って高騰する。一時、製鉄や重化学工業なとの“重厚長大産業”は斜陽といわれながら、その後、株価が急騰したのも、これら重厚長大産業には大量の土地を保有する企業が多かったからである。

 バブルの崩壊

 今回の土地の高騰に対して「あれはネズミ講で必ず破綻する」と早くから看破していた一人が、政府税調のメンバーでもあった建設経済研究所の長谷川徳之輔氏である。つまり、歌手の千昌夫やプロ野球の桑田投手までが手を染めた不動産投機は、二つの原則で成立していた。ひとつは地価上昇が貸出金利以上の率で続くこと、もうひとつは追加融資が常に得られること、である。

 この二つの原則が成り立っているかぎり、買入れた土地から上がる収益がゼロであっても土地投機は続けられる。

 しかし、あまりの土地高騰でマイホームの夢を打ち壊された国民の批判によって、まず金融、そして土地税制の両面からバブルつぶしが始まった。

 一九九〇年四月から始まった不動産融資の総量規制は、第二の原則、つまり追加融資が常に得られるという原則をつき崩した。その結果、借金で土地を買い込んだ企業のうち、金利負担を土地利用による収益で支払うことのでさない企業は、保有する土地の一部を売却して金利を支払う以外に手がなくなった。しかし、この時点では総量規制により土地の買い手は現れず、破産への道をまっしぐらということになったのである。

 加えて、一九九一年には、地価税の創設、三大都市圏の市街化区域て生産緑地の指定を受けない農地への宅地並課税、土地譲渡益課税の強化など、土地の資産的有利性をなくし、“土地神話”を打ちくだく土地税制が野党の強い主張で成立した。

 この結果、第一の原則、つまり金利以上の地価上昇が見込めなくなり、金融が緩和されても土地投機は再発しなくなっている。

 株についても、一九八九年末の日経平均三万九〇〇〇円をピークに、今日では半値以下に下がっている。これは土地バブルの崩壊に伴う値下りに加えて、株価の高い時期に行った過剰な設備投資による業績の悪化が重なった結果である。


《 平成景気の中身 》

 長期の好景気

 一九八○年後半は“平成景気”とも呼ばれる好景気が長期に続いた。土地・株の高騰の中、証券、金融、不動産は空前の利益をあげ、わが世の春を謳歌し、バブル効果で個人消費も高価なものほどよく売れるという時期が続いた。一般製造業も、自動車などの好調な売行きから積極的な設備投資を行い、これが一層の景気の拡大につながっていった。

 好景気の個人生活

 こうした好景気は、個人の収入の増加につながったが、一方ではそれを上回る形で個人生活に大きな痛手を与えた。

 その第一は、なんといっても住宅の取得難である。

 遠・狭・高と呼ばれるように、通勤地獄とローン地獄を覚悟しないかぎり、普通のサラリーマンには自力でマイホームは持てないという異常な状況を生み出した。

 家賃も高騰を続け、若い人にとって最大の支出となり、年金で生活する人にも大きな負担となっている。

 もうひとつは、極度の人手不足である。人手不足は建築現場などにかぎらず、病院や老人ホームなどの社会福祉施設にも広がり、老人の面倒を見るためのシステムが、家族単位でも困難、社会的にも困難といった状態が一層深刻化してきている。

 バブル崩壊と景気の後退

 一九九一年に入り、バブルの崩壊は本格化する。九二年一月一日から不動産融資の総量規制は解除されたが、地価は下がり続け、新興の不動産業者の多くは倒産か銀行管理に追い込まれている。証券市場も損失補填などの信用失墜も重なって低迷し、手数料収人を生む株の取引高が激減し、多くの証券会社が人員削減に追い込まれている。

 銀行は表面的には平静に見えるか、一皮めくると総額数十兆円といわれる不良債権を抱え、一部銀行の倒産の可能性さえささやかれている。日銀は公定歩合を引き下げて銀行収益の増大を図り、不良債権の償却を勧めている。しかし銀行とその系列のノンバンクからの不動産融資は一〇〇兆円を超えており、バブル後遺症からの回復には今後相当の期間を要すると思われる。

 こうしたバブルに直接関与した業種の業績悪化は、いわば自業自得といえるが、九二年に入り、自動車、半導体、コンピュータなど主要な製造業の分野でも業績が急激に悪化してきている。これはバフル崩壊の二次効果ともいうべき現象である。つまり、バブル景気の時期、製造業も個人消費の伸びに合わせて設備投資を行った。とくに株の時価発行などエクイティファイナンスにより株式市場から巨額の低利の資金を手に入れた企業は設備の更新・拡大などを積極的に行った。それが裏目に出たのである。

 景気の落込みと個人生活

 景気の落込みは企業経営にとって極めて厳しいが、生活の面から見るとどうであろうか。残業制限による収入減や一部に雇用不安も出ているが、一般的な失業の増大にまでは到っておらず、長時間労働を見直すチャンスともなっている。人手不足の緩和は福祉分野での人手確保に道をひらいている。 また、地価の本格的低下にともなって、マンション価格も中古、新築とも大幅に下がり始め、場所によっては年収の五倍で手に入る物件も出始めている。土地税制などの骨抜きを許さないでがんばれば、二〜三年のうちには高騰前の地価水準まで戻ると私は確信している。

 そして最終的には、地価はその土地からあがる年間収益の二〇倍程度、つまり収益率五%前後で落ち着くとみている。この水準はピーク時の地価の四分の一程度になるはずである。


《 日本経済の体質転換のチャンス 》

 “含み益”経済からの脱却

 今回のバブルの崩壊は、日本経済の見えない主役の姿を表に押し出した。それは企業が保有する土地資産の値上がり益、つまり“含み益”である。

 日本経済は戦後の復興期を経て、一九六〇年頃から高度成長時代に突入する。それ以来、ドルショックや二度にわたる石油ショックを経験しながらも、日本企業は日本型経営によって世界一の競争力を誇る巨大企業に成長してきた。

 こうした競争力の背景には、日本企業がその保有する値上がり益を“含み益”として活用できたことがある。つまり、戦前、戦後、さらには高度成長時代に企業が取得した土地は、その後、何十倍、何百倍にも値上がりしたが、企業会計上の基準となる簿価は低いままで、その簿価と実勢価格の差である“含み益”は配当や金利を支払う必要のない巨額の自己資産として企業自身に蓄えられてきた。

 含み益は企業に蓄積

 もちろん、個人でも宅地や農地によって、“含み益”を手にした人もいるが、相続税もあって“含み益”を長年蓄積することは不可能に近い。これに対して、企業には相続税はないから巨大な含み益を無税で独占的に蓄積することが可能となり、それが定業の収益を支えてきた。

 例えば、戦前から丸の内に広大な土地を所有する三菱地所は、土地資産総額は公示価格で五兆円にも達しているが、九二年度の企業利益はわずかに七〇〇億円しかない。これは土地資産総額に対する収益としては一・四%で銀行金利よりはるかに低い。ビルの建築コストを考えれば、さらに低くなる。しかし、これらの土地の簿価は四七〇〇億円程度に過ぎず、それを基準とすれば、“高収益”ということになる。実際、三菱地所の収支では土地のコストはほとんど考慮されず、建物の建設、維持管理コストが中心になっている。つまり巨大な土地の含み益はコストとして表に出ない形で“地の利”として企業の収益を支えているのである。

 デパートや銀行なども同様てある。店舗の土地の多くは薄価では実勢価格の何十分の一に過ぎず、含み益はコストとして意識されず、“地の利”として企業経営を支えている。

 社畜化されるサラリーマン

 さらに、こうした歴史のある優良企業の多くは、便利な所に社員の住宅、レクリエーション施設などを数多く保有している。これらの不動産も実勢価格で考えれば巨額のコストと考えなくてはならないが、簿価ではほとんど無視でき、しかも金融や株式市場の評価として活用されている。

 つまり、こうしたた歴史のある優良企業の収益の相当部分や社宅など社員の福利厚生サービスは、過去に買い込んだ土地の値上がりによる“含み益”によって生み出されているのである。サラリーマンが、“社畜”として飼い慣らされるのも、新興のベンチャー企業への転職は給与が同じでも含み益によるサービスが受けられない不利益が大きいことに一つの原因がある。

 会社社会を支える“含み益”非課税

 現在、土地などの含み益は実質上非課税となっている。

 実は、戦後税制の骨格を創った、シャウプ勧告には“資産の再評価”を行うことが盛り込まれていた。しかし実際には資産再評価は、シャウプ勧告の後、二〜三度行われただけで、その後は全く行われていない。適宜行われていれば、土地の値上り益は企業利益として計上されて法人税の対衆となり、土地は設備と同様コストとして扱われ、土地投機も起りにくく含み益に依存する企業活動もなかったはずである。

 一九九一年に創設された地価税は、実勢価格に近い路線価に課税される点で“再評価”による課税の性格を持ち、それだけに古くから広大な土地を保有する企業の反発も強い。

 しかし、含み益を一部の介業たけが独占し続けることは社会的に不公平であり、自由競争の原則にも反する。含み益は給与や配当、さらには税の形で土地もコストとして意識する健全な“資本主義”の姿に戻す必要がある。そして住宅や福利厚生サービスは、会社単位ではなく、地域単位で社会的に保障する姿にしてゆかなくてはならない。


《 生活向上につながる日本経済の姿 》

 景気回復の二つの道

 バフル崩壊による不景気を回復する方策として二つの道が示されている。ひとつはバブルで潤ってきた業界を中心にバブルを再生させて景気回復を図ろうという主張だ。私はこれを 「バブル中毒患者の禁断症状」 と呼んでいる。

 自民党の一部では、これらの業界に押され、譲渡益課税の低減や地価税の抑制など、実施され始めたばかりの新土地税制の骨抜さを公然と主張し始めている。バブルを再生させて景気回復を図ろうとするこうした動きは、生活優先社会への道に反するばかりか景気対策としても間違っている。

 地価下落による資産デフレから景気回復させるもうひとつの道は、広い住宅への住み替えを求める膨大な潜在需要を顕在化させることである。地価の下落は一時的には値下がり期待による住宅の買い控えをまねくが、低い地価で安定すれば、必ず住み替え希望の住宅需要が出てくる。

 高齢化社会に備えての都市・住宅投資

 とくに三大都市圏で実施された生産緑地以外の市街化区域農地への宅地並課税により、大量の土地供給が見込まれ、地価は一層下がるはずである。これらの土地をいかに活用するかが、これからの大都市の都市環境、住宅環境を考えるうえでの最重要課題である。

 高齢化社会に備えて、車いすの生活が普通の生活となるよう、車いす使用可能な住宅と都市構造の整備必要である。そして過密地域には防災を兼ねた相当規模の森林公園をつくる必要がある。

 高齢化社会をにらんだし都市・住宅整備には巨額の投資が必要である。企業に“含み益”を集中させるのではなく、国民の誰もが利用てきる都市施設、公園そして住宅に投資を振り向けることこそ、バブル崩壊後の日本経済の進むべき道と考える。


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