民主党 参議院議員 江田五月著 国会議員― わかる政治への提言 ホーム目次
第3章 私の選挙戦

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野坂さんの功績

 第三十七回総選挙の争点は、解散に至る経過から見ても「政治倫理」になるのは当然で、野党はこぞって「政治浄化、政治倫理の確立」を訴えた。ところが、守勢に伺った自民党の候補者も、国会で「田中元首相の議員辞職勧告決議案」本会議上程を妨害したのを忘れたかのように、一斉に「政治倫理確立」と叫び出した。選挙戦が終盤に入る頃には、「政治倫理」は与野党共通のテーマになっていた。

 争点をぼかし、野党の矛先をかわすのは、自民党のお家芸だ。

 だが今回の野党は、六月参院選の時とは違っていた。野党が協力して解散に追い込んだ経緯もあり、かつてなく政党間の信頼関係が緊密になっていたのである。

 野党の選挙協力は中央レベルで合意したもの五十八選挙区、社会、公明、民社、新自ク、社民連の五党間で、さまざまな組み合わせで行われた。もちろん個々の選挙区によっては、「選挙協力」が掛け声だけに終わったところもあっただろう。だが、これだけ広範囲に協力態勢が組まれると、それなりに一種のムードが出てくる。有権者も「与野党伯仲の再現」を訴える野党の声に真剣に耳を傾けてくれるようになった。

 ところで、この選挙の最大の功労者の一人は、野坂昭如氏だ。参議院議員のバッジを投げ捨てて、田中角栄元首相に直接挑戦したのだから。もちろん、新潟三区は浮動票の少ない農村型選挙区だから、初めから当選を予想する人はなかった。だが、野坂氏の行動は 「反角の象徴」として連日マスコミをにぎわせ、「角」が選挙の焦点であることをぼかそうとする自民党に対し、あくまで焦点を明確に保つことに十分役立った。


自己満足の票読み

 選挙も終盤に近づくと、どこの選対でも票読みをする。

 「どこそこの選対には、正確な票読みをする選挙参謀がおり、一の位まで適中させる」という類の話をよく耳にするが、こんな神業はいかに農村型選挙区であっても、今の世の中では通用しない。

 しかし、票の点検作業から、大まかな傾向を占うことはできる。

 私の選対でも票読みをしないわけでもないが、実体は「当たるも八掛」のあて推量の域を出ない。票読みはこわい。仮に良い結果が予測されても、選対上層部の心構えは、微妙にしかし確実に、支援して下さるみなさんに伝わる。「トップだ」と悦に入っていると、とたんに運動はゆるみ、他陣営にどんどん侵蝕されてしまう。

 新聞に◎と書かれただけでも、運動員は安心して動きを鈍らせるし、支持者の中にも「A先生は当確の◎印だから、△印のB先生に入れてあげよう」と、悪意でなく票を回す人が出てくる。特に同一選挙区に複数立候補者を出している政党の場合、楽観ムードがいちばんこわい。

 かといって、あまり絶望的なことを言って、運動員や支持者の応接する気力が失せるようでは困る。

 そういうわけだから「当落線上」という言葉が無難になってくる。実際のところは、票読みなど、やっている方の自己満足なのかと思う。投票が終わる前に結果が出るはずもないわけで、票読みはど僭越しごくのことはないのかも知れない。「投票が終わるまでは、全候補者が当落線上」と考えるのが、正しいのだろう。


新聞予想に動ぜず

 新聞の世論調査による予測記事も同様の「効果」を生む。

 野坂氏の挑戦を受けて当初得票減を伝えられた田中元首相は、首相当時の自己最高得票さえも超えた22万0761票という高得票で当選した。世論調査によって支持者の危機感があおられた、典型的な例と言えよう。

 私の場合は、落選の予想はなかったものの、一位から五位まで、新聞社ごとに予想が異なっていた。そのうえ盤石の組織もなければ金もないのだからマスコミのみなさんも得票予測に因ったらしい。「勝敗は気にせず全力を冬くすのみ」という気持で頑張ったが、最終段階でマスコミ関係に勤務している友人から「うちの調査では危いぞ」と、目の色かえて報告された時は、内心ギクリとした。

 この時「それも調査の一つ」と割り切って平常心を保てたのは、河原昭文君のおかげだ。竹馬の友である河原君は、選挙期間中弁護士の仕事を放り出して行動を共にしてくれた。私が疲れた顔をしていると、宣伝カーが人気のない山道にさしかかった時、やにわに 「おい、カラオケをやろう」と大声でスピーカーを通して「氷雨」を歌い出したりして、気分を転換させてくれたり、細かく気を配ってくれた。

 期間が短縮されたとはいえ、十五日間ぶっ続けの緊張を強いられる候補者にとって、すぐ隣に心の許せる友がいることは、何よりの精神安定剤だ。選挙カーの同乗者の人選も、当落の大きなポイントであると、つくづく思った。

 最近の選挙運動で特に大切なのはテレビである。テレビの政見放送は視聴率もかなりあり、反響も大きい。私もこれを重視し、練習もして臨んだが、やはりむつかしい。「物や金の乏しさで国が亡ぶことはありません。心の貧しさが国を亡ぼします。田中角栄のようなケースは心の貧しさの最たるものです」と政治倫理を説き、街頭演説でも、どんなに短くてもこの言葉を入れた。

 ポスターも重要。ずいぶん写真をとり、それでもなかなかこれはというのがなく、苦労したのを思い出す。


最高点で当選して

 第三十七回総選挙の結果、私は8万7110票をいただき、最高点で当選した。

 選挙後に選管に届け出た選挙収支は、収入が1407万5000円、内訳は寄付が1407万5000円、自己資金が300万円、支出が990万6687円、内訳は人件費が129万円、家屋費が273万3085円、通信費が214万8308八円、交通費が94万2442円、印刷費が149万7432円、広告費が50万2000円、文具費が21万2978円、食糧費が25万7700円、休泊費が12万8260円、雑費が19万4482円である。

 計算上416万8313円の剰余がある。これは、収入の方は税務処理上公開が必要だが、支出の方は前述のとおり透明度がもともと低いうえに、事務処理がすんだものしか出せないからであり、剰余金は政治団体の通常の収入に計上される。

 いずれにせよ、ゴタゴタの中での金の出入りであって、何やかやひっくるめて、この選挙でかかった金は4,000万円ぐらいというのが、選対の中心にいた人たちの実感だが、本当のところは、私にも他の誰にもわからないのが実状だ。

 ボランティアで選挙運動に参加して下さった方が多かったため、予想以上に人件費が少なかった。また魚の干物、卵、野菜、米、味噌、餅、天ぷら、果実、コロッケ等々食料を運び込んで下さった方が多かったため、食糧費も少なくてすんだ。しかしいずれも、もともときわめて不正確な数字だ。

なお岡山一区の確定得票数と得票率は、

当 江田五月(社民連)87,110票(17.9%)
当 日笠勝之(公明党)80,596票(16.6%)
当 大村襄治(自民党) 72,395票(14.9%)
当 矢山有作(社会党)68,947票(14.2%)
当 平沼赴夫(自民党)63,898票(13.2%)
  逢沢英雄(自民党) 59,842票(12.3%)
  則武真一(共産党) 52,979票(10.9%)

 得票率は野党の合計59.6パーセントに対し、自民党は40.4パーセント、議席数、得票率の両面で与野党逆転に成功だ。


白昼夢になった与野党伯仲

 全国的な結果を見よう。

 自民党は、公認候補の当選者二百五十人。前回の五十五年衆参ダブル選挙の二百八十四人に比べると、マイナス三十四人であった。もちろんいつものとおり公認もれ無所属が九人入党したから、最終的には二百五十九議席で、過半数の二百五十六議席は超えた。しかし解散時の二百八十六議席に比べれば大敗北である。

 一方、社会党は、候補者をしぼったのと野党協力とが相まって善戦し、百十三議席。解散時と比べ十二増。公明党は、結党以来最高の五十九議席。解散時より二十五増の大勝利。民社党も、結党時に迫る過去最高の三十九議席。解散時より六増の健闘ぶりだった。

 わが社民連は解散時と同じ三議席だったが、私が新しく議席を穫得した一方、楢崎弥之助書記長(当時)が予想もしない苦杯をなめた。野党が議席を伸ばした時だけに、野党連合の要の落選は悔まれてならない。

 野党の中で不振だったのは二十九人が二十七人となった共産党と、十人が八人になった新自由クラブであった。

 有権者が描き出した勢力地図は、野党の合計が過去最高の二百五十議席となり、「与野党伯仲の再現」は現実のものとなった。

 ところが、喜んだのも束の間、新自由クラブが、自民党と共に「自民党・新自由国民連合」という衆院内統一会派を結成し、野党から与党に移ってしまった。

 これで与野党の議席差は、二百六十七票対二百四十二票となり、伯仲の夢は文字どおり白昼夢に終わった。

 つい半年前、私たちは新自由クラブと、統一確認団体を結成して参議院比例代表選挙を戦った。いわば同じ釜の飯を食った仲間だけに、彼らの離脱は残念でならない。


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