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新しい政党 新しい政治をめざして
1991年5月

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21世紀まであと10年。世界も日本も、歴史的な転換期です。
ベルリンの壁の崩壊、ドイツ統一と新秩序形成の動きの反面、湾岸戦争、ユーゴの激動と混乱も後を断ちません。アジアでも、朝鮮半島やカンボジアをはじめ、新しい動きが確実に進んでいます。

日本も、この中で世界の当事者として役割を果たさなければなりませんが、今の政治では、決定的な立ち後れを免れません。「外圧」によってしか動かない政府と自民党、これに後追いのチェックしかできない野党。これでは困ります。

そのような中で、「社会党改革」が進み始めました。他党のこととはいえ、野党第1党ですから、その行方次第で日本の政治のあり方が大きく変わってきます。そこで、私もいろいろと発言し、反響も呼びました。その内の代表的なものを集めて小冊子にしました。ご覧いただき、ご批判下さい。

社会党解党論    江田五月 1991/04

「消滅への道」を脱するには、いますぐ新党結成しかない

変革を求める国民の期待に応えられない病根は何か。「勝者連合」による保守二党論を排し、生活者の政治を実現するため、“内なるベルリンの壁”をつき崩せ

アンチ政党の象徴

 今回の東京都知事選をはじめ、統一地方選で社会党は大惨敗という結果に終わったが、その背景には、いまの政党というものが国民からズレてしまっている、あるいは国民から見放されているという現実がある。

 つまり、半年前まで鈴木(俊一)さんというのは、都民からすれば忌み嫌われるべき存在、これほどの不人気はないという人だった。タックス・タワーの新都庁舎、利権のウォーター・フロント、土地・住宅問題、交通問題、何をとっても「鈴木ノー」というのが都民の多くの声だった。だから、鈴木は評判悪いぞ、だれが出ても勝てるぞ、というわけで、一連の動きが始まった

 それが年が変わると一変し、気がついたら、鈴木さんは救いの神様、あこがれの的みたいになった。そこに何があったのだろうか。

 ひと言でいえばアンチ政党である。つまり、政策選択としての鈴木というのなら、タックス・タワーや利権のウォーター・フロントが支持される理由はない。そこにひとつ浮上したのが政党の都合による強引な“鈴木おろし”だった。これは自民党だけでなく、公明党、民社党も絡んだわけだ。その悪役政党を向こうに回して健気に戦うお年寄り、という構図ができあがった。

 こういう状況に対して、どの政党といわず、政党全体が何ができたかというと、ほとんど何もできなかった。これが、いまの政党の実態だ。

 社会党にしても政党論理だけだった。地方選の戦いにマイナスになるから、だれか独自候補を出さなければいけない。不戦敗などということはとてもできないというのが、政党としての社会党の論理。

 結局のところ、都民は何を選択するのか、あるいは都民にどんな選択肢を提供するのか、このような観点からの対応が政党の側になかったのだ。それに対して都民が怒ったというのが、こんどの都知事選だろう。

 このように今回の選挙では、政党と有権者との間が大きくかけ離れてしまった。本来、政治の主人公は国民で、政党は国民に奉仕するもの。それが逆転し、政党が主人公で、国民は政党が「政治談合」で決めたことに従うべきものとされた。そして、残念ながら、その有権者の非難を社会党が集中的に浴びてしまった。それがこの選挙結果につながったといえる。

 それにしても、社会党はわずか一年九ヵ月前の参院選の東京比例代表区では百五十数万票を得ていたのが、こんどは二十九万票と、五分の一以下。これは驚くべき変化としかいいようがない。

 都知事選では、共産党も参院選の三分の二に減らしているが、社会党の場合は、政党と国民の現実とがかけ離れていたという点で、とりわけ大きな影響を受けた。この点は後で述べる。

自己完結的な社会党

 ところで社会党に限らず、日本の政党が現実といちじるしくかけ離れてしまっているというのは、国内だけではなく、国際的な現実においても同じことがいえる。

 第二次大戦後の世界は、アメリカとソ連とが、片や資本主義、片や社会主義を代表する両巨頭として対立を続けてきた。いまやその体制は終わりをつげた。しかもそれは単なるデタント、雪解けではなく、世界が二分されているという状況そのものがなくなった。

 アメリカとソ連が共同して働くかたちで世界を動かしていく、いわゆる協調の時代に入った。現実はもう裸の資本主義も裸の社会主義もない。経済学的にはいろいろと性格づけがあるだろうが、お互いに相手のものを取り入れ合って、これまでの言葉でいえば社会民主主義となりつつある。

 資本主義も社会主義の挑戦を受けて福祉政策を実行し、挑戦者の社会主義も、やはり個人の自由、基本的人権、思想・結社の自由、そういうものが大切だということを認識するところにまで、いまきている。それだけ世界が大きく変化している。

 ところが、いまの政党は、世界を資本主義と社会主義とに分ける世界二分法から依然として脱け切っていない。それゆえに、自由社会を守ろうだとか、革新都政をつくらせるなとか、そんなスローガンをまだまだ唱えている。

 湾岸戦争にしても、戦争の性格として米ソ対立時代の戦争とはかなり違うはずなのだが、そういったところは見ないで、旧態依然とした発想のもとに戦争反対というのみだ。

 こんななかで、自民党は政権党だから、状況が変わると、追随であろうが何であろうが、とにかく状況に追いついていく必要から、それなりに対応する。が、野党、とりわけ社会党は、状況の変化がどうであろうが、自分が唱えてきたことをひたすら唱えていればいいというように見える。それで一応、党として成り立ってしまう。

 いい換えれば、社会党はつねに自己完結的になってしまう。この点が社会党がここへきて一気に短期急落の状態になった大きな理由だろう。

ウツと悲壮感しか見えない

 いま、政党というのはいったい何か、という根本的問題を考え直してみる必要があるのではないだろうか。政党は、神の国から遣わされてこの世に正義を実現するミッションではない。現実の社会でさまざまな政治課題と取り組みながら、政治の場で行動する人たちの集まりなのだ。

 ところが、いわゆる革新政治勢力はこれまでともすれば、自分たちの理想とする世界から遣わされて、その理想をこの世に伝えにきた使節団のようなところがあった。とくに共産党にはその印象が強いが、社会党にもそうした傾向が多分にあった。

 たとえば一昨年、リクルートと消費税で大荒れに荒れて、ガタガタになった自民党が政権担当の能力も資格も意志もなくしたとき、社会党はとにかく政権担当という役割を一時お預かりしましょうといえる機会があった。

 しかしその局面でも、社会党は自分たちのいわゆる基本政策に拘泥した。自分たちの掲げる旗はとりあえず棚上げし、政権を引き受けるべきだったのだが。

 その後も同様で、国民は参院選挙で野党に政権を取ってもらいたいという意思表示をし、与野党逆転を実現したが、社会党は、私たちは日米安保廃棄で非武装中立だから、これをやらせてもらえないなら政権を担当しろといわれても困ります、という態度だった。その姿勢を国民は見抜き、いまイヤ気がさしているのではないか。

 反面、自民党は、みっともないようなことであろうが何であろうが、何か行動を起こしているから、国民には見えている。

 社会党のほうはおもしろくもおかしくもない。むしろ見ているほうがだんだん憂鬱になってくる。そして、当の社会党も悲壮感を全面に出してしまう。

 なぜ社会党はそんな“ウツ”状態を変えることができないのか。その原因は現状認識のズレにあるかもしれない。たとえば、今回の都知事選でいえば、鈴木プラス磯村の得票率は81%。このなかには、いまの自民党はイヤだという部分が相当あるはずである。鈴木さんが大勝したこと自体が、それを証明している。

 つまり、ニュー鈴木だというので投票した、自治の鈴木だというので入れた、そういう人たちもたくさんいる。現状変革を望む人たちというのは非常に多いし、国民はやはり変革を求めているのは確かなことだと思う。

「生活者の政治」への転換

 その国民の求めている変革というのは何か。ひとくちにいえば、いままでの政治の価値基準とは違う価値基準をもった政治といえるだろう。

 二十世紀は経済の時代、もっぱらモノの豊かさ、経済の成長ということを追求してきたが、これはもうピリオドを打つべきである。地球環境問題ひとつとってもわかるように、二十世紀の延長線上に二十一世紀を描くことはできない。これ以上モノの豊かさを求めるのはもはや無理だろう。

 日本の国民もいまは、モノが豊かになったからといって生活そのものがよくなるわけではない、ということを痛いほど味わっている。高齢化の問題、子供たちの問題、土地、住宅、通勤、ゴミ……すべてそうだ。

 これからは経済の価値基準とは違う価値基準の営みが必要になってくる。経済というものと、本当の意味での生活の充実ということとの間をつなぐ、もうひとつ別の営み。それが政治の役割だと思う。

 これまでの政治は、経済をどういうふうに動かしていくかを中心に考えればよかった。いわば、「生産者の政治」である。しかしこれからは、そういう生産者の政治と別の価値基準をもって政治がおこなわれなくてはいけない。

 たとえば人間の生きがいとか、心豊かな老後とか、子供たちの人生とか、本当に人間的な労働とか、女性の社会参加とか、このような問題に関して新しい価値基準をもった営みが、豊富に、多彩に、色鮮やかに展開されなければならない。これはつまり「生活者の政治」ということになる。

 二十一世紀はそういう生活者の政治の時代といえる。それに向けて、生産者の政治から生活者の政治へと移行させていく、その十年がいまである。これは自民党には絶対できないだろう。自民党の政治は、本質的に生産者の政治であるからだ。

勝者連合と理想輪オンリー

 もうひとつの問題は、自民党という勢力は、強者連合であること。勝者連合といってもいい。つまり、世の中の動きに乗ってうまくやってきたみなさん方が、横につながって権力を握っているというのが実態である。

 とはいえ、自分たちのなかだけで権力をほしいままにしていると、これは放り出される。そこで、強者の論理で弱者に富を分配していくという営みはしなければいけない。そうした対応は一応はやる。が、本質はあくまでも強者連合だ。

 思し召しはいろいろあるが、弱者のポジションからスタートはしていない。これでは生活者の政治は期待できない。

 生活者の立場からのスタートとなると、生活者連合としてのもうひとつ別の政治組織をつくらなければならない。そうした政治勢力を結集しなければならないのである。

 さらに、議会制民主主義というのは複数の括抗する勢力が切磋琢磨しないとうまく動かない制度ともいえる。その意味からも、ひとつ自民党があるとすれば、もうひとつ別の勢力をつくっていかなければならない。その役割はこれまで社会党は不十分ながらも果たしてきたが、いまはかなりズレてしまっている。

 このような状況だからこそ、社会党が意識をもって自己改革をしながら、同じ志をもった多くの人々とともに新党へと脱皮をしていく必要がある。新しい勢力としての生活者連合、あるいは市民派連合でもいい、そういった勢力を大きく結集して、政権を担当する態勢をつくり上げなければならない。これこそが二十一世紀の主流になっていくはずである。

 そういう意味からすれば、社会党に未来がないということではない。いまこそが社会党の出番といえるわけだ。

 とはいえ、現実には古い社会党の骨組みが厳然として残っている。他党の私が踏み込んで評論するのは越権だが、ここではあえて指摘せざるをえない。現状のままでは新しい場に乗り込んでいけないからだ。

 最近では多少の様変わりを見せているが、労組依存とそれによる人材不足。ことあるたびに顔を出す左右対立と抗争。こうした組織上の問題に加えて、さらに難題なのは、政策の不毛だろう。いままでの社会党の行動は、すべてが抵抗といえる。自民党提案に対して対案を出すことより“反対”が先に立つ。

 たとえば、自衛隊の海外派遣に反対するのは当然としても、経済大国になった日本が国際社会のなかでどう貢献するのか、反戦平和というような抽象論ではなく、具体的に何をすべきなのか。社会党としては提案しているのだが、国民にはトータルとして伝わってこない。極論すれば“理想論オンリ−”で現実への対応能力、未来ビジョンがないといえる。

 新しい骨組み、新しい枠組みをもった新しい政党が必要だというのは、実はこの点にある。

 自民党は自民党なりに自己改革をやっている。それを横目で視野に入れながら、既存の野党がそれぞれ自己改革して、新しい勢力へと再結集していく。その仕事を社会党は担っていかなければならないし、私たちにもその展望を切り開く責任がある。

広大なフロンティア

 社会党の多くの人たちは、これまでの党の歴史というものに誇りも愛着ももっている。新勢力の結集をめざした自己改革といってもなかなか難しい。それだけに内向きの議論だけではほんとうの改革はやれない。

 そこで、私は統一地方選の前半が終わった段階での記者会見で、社会党に望むのは責任論、再建論でなく、いわば新党論であると話した。それは現在の社会党を前提にして再建を議論するのではなく、自民党に代わって政権をとれる勢力をどうつくるかという観点に立ったものであるぺきで、その意味で新党論議をやってほしいと要望したのだ。

 私としては社会党にみずからの改革を痛感してもらいたかった。

 社会党に変わってくれというのは、国民の切なる願い。社会党が参院選で大勝した一昨年、とにかく土井委員長のもと社会党が変わりはじめたと、国民は大拍手を送った。ところが、その大拍手が大きく裏切られてしまって、こんどは大失望。それが地方選の結果にあらわれているわけだ。

 しかし、大失望しながらも、国民は必ずしも全面的に自民党に拍手を送ってはいない。この点は心すべきことだ。

 だから、社会党が本当に解党して多くの人々とともに新党になれば、国民の支持が燎原の火のごとく広がる余地は目の前に大きく開けているわけだ。

 広大なニューフロンティアが目の前に開けてくる。一日も早く社会党はそこに気がつかなくてはいけない。

 今回の選挙で自分たちが痛めつけられたということについても、少し視点をずらして見てほしい。ちょっと別のところから鳥瞰図的に見れば、アッあんなところで苦しんでいたのかとわかる。人生相談と同じことだ。少し視点を変えれば大きく伸びる可能性があるということが見えてくるはずだ。

トンチンカンこそ重要だ

 いま、社会党と私たちは新しい政治勢力の結集という目的に向かって踏み出している。

 具体的には、たとえば四月十二日には社会党の山口書紀長と社民連の阿部書記長が、連合参議院の星川事務総長を交えて会談して、新勢力結集について話し合った。これは新党の結成ということも視野に入れたもので、この時の話し合いでは、社会党、社民連、連合の三党派協議を今後も継続していくこと、来年の参院選でも協力体制をとっていくことなどで一致した。

 ほかの方々ともいろいろと話し合っているが、いまの段階ではまだすべてお話するわけにはいかない……。しかし、私自身としては、新しい政治勢力の結集の問題はここへきていよいよ正念場を迎えたと考えている。それは同時に社会党にとっても正念場である。

 社会党の土井委員長も新聞とのインタビューなどで、「人の首をすげ替えたからといって、党改革ができるわけではない。混乱を恐れず、大論争を起こして、大改革をやりたい」と、こう語っている。新しい政治勢力の結集に向かうための環境が次第につくられつつあるな、という気がする。

 社会党のなかにも、たとえば水曜会(田辺誠副書長を中心に六十二人)という党内最大勢力は抜本的な党改革についての検討をすでに始めている。もうひとつ、新生の勢力の社会民主主義フォーラム(藤田高敏代表、四十九人)も同じ歩調でいこうとしている。

 そしてニューウェーブの会(三十人)、これは既成の派閥とは違う新人議員中心のグループだが、この人たちも動き出すだろう。これまでの社会党をあまり知らないグループだから、党内からはトンチンカンだと非難され、軋轢を起こすようなこともあるかもしれない。しかし、それだから貴重なのだ。彼らは、対案を重視し、これまで選挙制度や商法改正など、現実的な対案を出してきた。これらがすべて無視されたと挫折感を味わっている。いままでのような「反権力、反自民」の旗印に対して何の摩擦もないというのでは、そのほうがかえっておかしいのではないだろうか。

 こうしてみると、確かに社会党自体も何らかのかたちで動き出している。もう変わらなければいけない、抜本的な改革を進めて新党にならなくてはいけないと、そういう趨勢になってきていると思う。

 むろん、私たちもそういう社会党の人々に呼応していく。ある程度の時間はかかるだろうが、大胆な姿勢で取り組んでいきたい。

 惨敗の後にも春はある。国際的にはアメリカとソ連が腕を組んで核戦争の脅威をなくそうというのだから、春も春。日本の経済にしても、生活の質や環境に目を向けるようになって、これも春。さらに労働運動が、これまでの小むずかしい議論や、足の引っぱり合いから抜け出て、「連合」として登場している。新しい政治勢力の基盤となる土壌に、春がきているということだろう。

党名変更と新宣言

 しかし、春だ春だというと、何もできないうちからそう浮かれるな、とお叱りを受けるかもしれない。これまでも社会党の「反省」は何度もあったが、その都度裏切られ続けたではないか、と。

 しかし、私があえていいたいのはこんどはそうはならないということ。こんどこそ日本の政治の新しい可能性が本格的にスタートすると、そう宣言しておきたい。

 具体的にはまず、政策の転換。安保・防衛政策を政権担当政党にふさわしいものにする。さらに日本国憲法の精神を生かした積極的な国際貢献策を打ち出す。軍事力がなくても、平和・環境・人権・経済の分野で、日本が貢献できることはたくさんある。もうひとつは、路線の変更。新しい宣言をつくる必要がある。社会主義のイデオロギーではなく、社会民主主義。それに市民の民主主義をもりこんで、生活者の政権をめざすことが必要だ。象徴的には新しい党名にすることにも踏み込んでいく。もちろん、表紙が変わっても、中身が変わらないのなら意味がない。新しい党名、新しい路線、新しい政策、新しい体制で、新しい状況をつくり出していく提案を次々に出していくことが重要だ。

発車ベルはこの夏までに

 いずれにせよ、国民からみて、時代の変化に対応した新しい政治勢力がスタートしたぞというように認めていただけるようなかたちにもっていく。

 時期的な展望は、来年度の参院選挙がひとつの目途となるだろう。いまの状況のままで参院選挙を迎えるとなると、これは無残なことになるのは目に見えている。この前の選挙では、二十六の一人区のうちの二十三区を野党が取った。しかし、いまの体制で選挙に入れば、あの大成果がすべて消えていくだろう。

 だからこそ、来年の参院選を新しい体制で迎えるというかたちにもっていかなければならない。しかし、選挙は一年前にはもう姑まってしまうものだから、実際には今年の夏までには方向を出さなければいけない。

 それは、抜本的改革への、新しいスタート、というかたちを示すことだ。完成しなくてもいいが、二十一世紀に向けて発車のベルが鳴って、いよいよ列車はスタートを始めたということにならないといけない。それをやるのが、この夏までということだ。

 そのために、可能な限り社会党の上下左右いろいろな人たちやグループと接触し、それぞれ腹を割った話を進めている。事実、社会党のほうからも、かなりの手応えがある。

 こうしたなかで、問題となるのは、民社党とのスタンスだ。民社党には、新しい政治勢力の結集を進めるという状況のなかで、ぜひ行動をともにしてほしい。社会党について問題提起した点は、民社党にももっとあてはまるからだ、残念ながら。

 もちろん民社党の人々も自分たちのおかれている状況に大変な危機感をもっている。しかし大きな流れで見れば、福祉社会にしても何にしても、民社党がこれまで努力してきたことが世の中で実現している。自民党も社会党も、民社党が主張してきたことをずいぶん取り入れている。そういう点は評価されるべきだと思う。逆説的だが、民社党は勝利したから、伸び悩んでいるのだ。

保守二党論の危険性

 また一方では、自民党サイドの再編の動きというのも見ておかないといけない。私自身、自民党の舞台裏のことははそう詳しくはないが、若手の間で派閥の枠を超えたいろいろな動きが出ているようだ。

 自民党内には選挙制度との兼ね合いで、かなり大胆な発想がある。それは自民党という政党をそんなに後生大事に考える必要はない、ということ。つまり日本の社会は相当な安定社会だから、政権党が多少ガタガタしても大混乱や革命が起こる恐れはない。そこを踏まえて度胸を決めさえすれば、日本の政治システムの改善に乗り出していけるのではないか、というわけだ。

 だから、たとえ自民党が選挙に敗れる可能性があるとしても、選挙制度を思い切って変えよう。そして議会制民主主義の本来のかたちである政権交代が実現できるようにすればよい、というものだ。

 つまり、保守二党論である。この保守二党論に踏み込むこともあえて覚悟してやっていこうという動きが自民党内にある。派閥次元でいえば、竹下派経世会の奥田(敬和)事務総長あたりの“長男家出論”である。こういう動きもなかなかこれは端倪すべからざる見識だと見ている。

 かりにそうした動きが進んで、実際に自民党が二つに割れて、保守二党ということになった場合、否応なくこれは野党に波及するだろう。

 具体的にいえば、自民党との連合を選んだ一部の野党が保守新党のほうに吸収され、吸収されなかった部分が小さく固まって、批判勢力としてわずかに残る。そうなった場合、保守二党で経済界から労働界、都市から農村までを席捲してしまうことになる。

 これはたしかにいまの政治の状態よりはいい。少なくとも政治が動くという意味では。だが政界再編としては始末の悪い状況といえる。しよせん保守二党態勢というのは勝者連合であり、強者連合。二十一世紀の政治にはなり得ないからだ。

 そこで私たちは、保守二党体制に席捲される前に、それとは異なる日本の選択肢というものを提案できる勢力をつくらなければいけないと考えるのだ。そこでは国民参加、市民参加、そして生活者、あるいは市民パワー、そういうカテゴリーがこれから政治の主役になっていかなければいけない。

“ベルリンの壁”を崩せ

 むろん、自民党が自民党なりに再編を進めるのは一向に構わない。が、その自民主導の再編にわれわれ野党勢力が組み込まれないようにしていくことが肝要だ。そのためには、野党のほうの再編と新党への結集をより強力な展開力のあるものにしていく必要がある。その方法としては、野党サイドの再編を逆に自民党にも門戸を開いたものにするということだろう。

 実際、いまの自民党は“その他連合”といったところがある。保守連合でもあるが、もう少しはみ出た部分も包括している。いまの日本の政治構図は、凝り固まった頭の共産党というのがあって、その次に、その他の改革者連合としての社会党、そのさらに外側にその他の政治指向者の連合としての自民党。外へ行くほど広い。

 だから、自民党のなかにも、たとえばリベラルで、弱者のことを考えて、自然環境のことを考えるべきだという人たちもいる。そのような人たちにもこちらの新政治勢力に加わってもらえるような対応をとる。裏口からこっそり出てきてもいいし、玄関から堂々とでもいいが、こちらに入ってもらう。自民党籍のあった人はシャットアウト、などという必要はまったくない。

 さらに自民党を拒む必要がないのと同様に、社会主義の思想を捨てない人たちがいても構わないのではないか。

 生産者の政治、庶民の政治、市民パワーのなかに社会主義を信奉する人がいても困るわけではない。社会主義者は社会主義者でいい。また、宗教的な動機や考えかたから生活者の政治を志す人がいてもいい。さらに、人権といった視点から政治に取り組もうとする人がいてもいい。

 つまり、新しい政治勢力というのは多様性をもつことが何にもまして必要といえる。でなければ、既存の政党を解体して新しい政治勢力を結集する意味がない。かつての社会主義協会のように、多様性を認めない社会主義では困るわけだ。

 政権を取って生活者の政治を進めるためには、世のなかの意見の分布のセンターラインを越える部分まで取り込まなかったらそれは実現しない。マジョリティになれないからだ。

 これまではそのセンターラインというものが私たち野党にとって“ベルリンの壁”だった。それを崩さなければ展望は開けてこない。残された時間は少ない。いまこそわしれわれ自身の内にある“ベルリンの壁”を崩すときではないだろうか。

(講談社「現代」91年5月号掲載)

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